はてなキーワード: ロッカーとは
ブログを書こうと思ったら
目があっただけで「自分のことを笑った」とイチャモンつけてきたあの先生まだ生きてるのかな?
噂によると、校長先生の教え子だったから他に放流することもできず、長い間同じ学校にいたんだってね。
生徒を更衣室に呼び出して、お前俺を笑っただろうとロッカー蹴りながら脅していたよね。
後ろからずっとぶつぶつ聞こえると思ったら、
「お前俺を笑っただろう」とずっと後をつけてきていたよね。
授業の時間も構わず、児童会室に呼び出して、ネチネチ文句を言ってたね。
そんなことお構いなしだった先生。
ついに生徒にアザを作ってしまってその子の家に謝りに行ったんだよね。
その子から聞いたよ。親には謝ったけど本人には謝らなかったって。
当時は恐怖の対象でしかなかったけど、数年後高学年には馬鹿にされる教師になってたね。
心底軽蔑していたんだよ。
かわいそうな先生。
どうやって死んだかな。
みたいなイメージが地元で強いらしく何気に人気の伝統校だったけど。
入学1ヶ月くらいは12歳の子供らしく席が近い同級生同士がちょい他人行儀に会話したり、とりあえず一緒に帰ったりして緩く仲良くなり始めるんだけど、1ヶ月経ったくらいから明白なマウント合戦が始まる。
いとうせいこうみたいな髪型で強度近視用のメガネ掛けてる「いかにもお坊ちゃん育ちです」って見た目の連中(ていうか半分くらいそんな外見だった。入学初日にクラスのメガネ率弾き出したら8割超えてて仰天した記憶がある)でも、歳の割に体格良かったり元々の気性荒かったりする奴なら弱そうな同級生に突然馬乗りになって鼻血出るまでボコボコにしたり、「顔が暗いから笑」で前の席の奴の後ろ髪をライターで炙ったりしてた。
そんな様子を傍から見てて
「こいつらなんて恐ろしい奴なんだ……目つけられたら殺される」
と俺は震え上がってたけど、冷静に考えるとそいつらも皆お勉強頑張ってきたお金持ちの家のお坊ちゃんなんだよな。
粗暴とかけ離れたタイプにしか見えない中学1年のメガネくんが、血だの火傷だの失明リスクだのにひるまず大笑いで同級生たちを痛めつけてるのは結構異様な光景だったと思う。
あと、家が寿司屋の同級生が裏でめちゃくちゃ笑いものにされてて衝撃を受けたのも思い出した。
下の毛が生えるかどうかの歳で職業の貴賎的な概念をすでに周りは普通に備え持ってたようで、年齢相応に幼かった俺はひたすら
「人の親のことバカにするのは思いっきりタブーだろ。ていうか寿司屋で何で笑ってんの?」
と混乱してた。
一部の人間が大人になって身につける類の嫌な差別心をそんな歳でどうやって身につけてたのか未だに分からない。
野球部が圧倒的に偉かった。
野球部がカーストトップで周りがビビって何も言えないみたいな風潮は多くの学校であるあるなんだろうけど、うちの野球部員はとにかく暴れまくってた。
休み時間、虫の居所が悪ければ金属バットで教室のロッカーベッコベコにするし、鉄アレイとか周りの人間の机を砲丸投げみたいにぶん投げまくって大暴れするし。
パフォーマンス感は全然なくて、本当に突然癇癪起こして気が狂ったみたいに暴れ出してたからみんな震え上がって嵐が過ぎるのをひたすら待ってた。
でもそんな彼らがタバコだけは絶対に吸おうとしてなかったのは今でも不思議でならない。
うちの高校は卒業生の母校愛がめちゃくちゃ強くて、かくいう学生同士のカーストが下位の自分もどういうわけか大学途中くらいから
と、悪い思い出をなかったことにして気づけば母校愛が強いOBの1人にすっかりなってたけど、最近になって、なかったことにしてた思い出が急に色々脳裏に蘇ってきてモヤモヤしてたのでここに吐き出した。
あいつら何不自由のない裕福な家に生まれ育って、同世代平均を上回る知能があって……要するに恵まれてたくせに、なんであんな小さい時分から粗暴だったり差別的だったりしたんだろ。
父子2代どころか祖父、父、子3代でOBみたいな家も珍しくない学校だったけど、俺は自分の子供は絶対に入れたくない。
1億積まれても入れたくない。
タニコーの五徳8つぐらい欲しいです。
ああ、
スプラトゥーン3のカタログがコンプリート出来なくってなんか憂鬱だわ。
なんかこれから少なくとも40勝はしなくちゃいけないみたいで
そんな無茶なバトルのやり方ってないわよね。
たくさんこんなにバトルするならとっくの昔に腕前もエスプラスになって次のエックスマッチやれてるわよ。
うーん、
諦めるか今日一日頑張るか!
まだ諦めたらそこで負けなので、
なんかサボったツケが今になってきて苦しむ重圧のカタログだわ。
二つ名が目当てなのよね。
だから最終95ぐらいまでカタログレヴェルを上げてカタログ最後の二つ名をゲットすればそこで試合終了よ。
遠いわー。
40勝の壁って厚くない?
出来ないことないけれど
最近のペースで言うところの1日1戦から3戦ぐらいのペースなので、
急にやりこみ山となるとヤッホー!と叫ばざるを得ないのよ。
ここは一気に得意ブキでぶっ放して稼ぐしかないわね。
それよりも早いリミットのタイムがある締め切りに追われるこれ本当に苦行よね。
単純計算で40連勝すれば
3時間半ぐらい。
そんで勝率が5割だとすると
えー!?
6時間。
8~9時間かかんのよ。
うわもうこれ無理っぽくね?
そう思わざるは山の如しよ。
上手く勝ちの波に乗ればトントンと進むけど、
負けの波だったら、
でもまた負けの波かと思って急に勝ちの波くるときもあるじゃない?
とはいえ、
なんか夜中にそんな躍起になってイライラしながらスプラトゥーン3をやんのは不健康だわ。
こうやって予め計算してしまえば予めもう諦めも作ってもんよね。
3月までのシーズンまでコンプ諦めて他の時間有意義に使った方が良くない?って思うの。
ドラクエIIIはぜんぜん進められてないし、
船を手に入れてゲットして航海するものの
次どこ行くんだっけ?って。
危ないって何が危ないかってーと、
ジパングにいるはずだと思っていたのに
塔の中に居るの!
え?この塔何今私何を彷徨っているの?
私は誰ここはどこ?状態に陥りがち。
まあルーラですぐどっか覚えている場所まで戻れるからそんなに慌てなくともいいんだけど、
そうなると船どこで降りたっけ?って
船が行方不明になると思ったら、
なんかルーラと一緒に近くの岸壁まで一緒に来て停泊してるみたいなペキカンさ!
その敵をまずはやっつけないと元も子もないわ。
可及的速やかに行わなくては!
これは真面目にしなくちゃいけないあとで本当に怒られるヤツだから
課題が山のように積み上がって山積なのよね。
ペース乱れるわー。
それからまた通常ペースに戻すまでの時間ももったいないじゃない。
うだうだ言ってても仕方ないわね。
ああ、
うふふ。
黄色い色に目が行ってしまって思わず手に取った美味しそうな厚焼き玉子のサンドイッチ!
なんかこのタマゴ感は久しぶりな気がするような気がしてならないわ。
なのでガッツリホッツというより、
朝には常温の飲み頃の温度までになっているので、
それをちょうどよく飲む
たくさん作っておいて、
朝も夜もずーっと飲んでるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
社会の抑圧に抗い、既存の秩序に反発し、ルールを破ることで「自由」を叫んだ。
エルヴィス・プレスリーが腰を振れば、それは性的な解放のメッセージになり、ジョン・レノンが「Imagine」を歌えば、世界平和の象徴となった。
ロックスターは常に”支配者”に向けて中指を立てる存在であり、だからこそカウンターカルチャーの旗手として崇められた。
フェミニズムもまた、既存の価値観に対するカウンターであり、社会構造に挑戦し、女性の自由を求めてきた運動である。
それならばロックスターと同じく、フェミニストも社会の英雄になってしかるべきだったのではないか。
だが、実際にはそうならなかった。
ロックスターはカリスマとして崇められ、一方のフェミニストは”面倒くさい人”、”怒りっぽい人”、”被害者意識の塊”と揶揄されることも多い。
なぜ、このような違いが生じたのか?
なぜフェミニズムはロックのようにカウンターカルチャーとして熱狂的に支持されることがなかったのか?
ロックスターの反骨精神は、端的に言えば「Fuck you!」の精神である。
むしろ、「俺は俺の好きなように生きる、お前もそうすればいいじゃないか」と突き放す。
ロックは自由の音楽であり、全ての人に向けられたメッセージだった。
「性差別をなくせ」
「ミソジニーをやめろ」と訴える。
だが、残念ながら”要求する”という行為そのものが、しばしば”鬱陶しい”と受け取られてしまう。
カウンターカルチャーとして機能するためには、「俺たちの好きにやらせろ」というノリのほうが支持されやすい。
しかし、フェミニズムは「社会を変えろ」という主張を含むため、「他人の行動を制限するもの」として捉えられやすい。
この構造の違いが、ロックスターのようなカリスマ性を獲得できなかった一因である。
つまり、明確な「敵」がいたのだ。これは共感を生みやすい。人は、共通の敵がいると団結する。
性差別は国家や特定の組織の問題ではなく、社会のあらゆる場に根付いている。
つまり男性だけでなく、女性自身もその価値観の一部になっている場合がある。
敵が明確でない戦いは、支持を得にくい。
たとえば、パンクロッカーが「腐敗した政府をぶっ潰せ!」と叫べば、それは分かりやすく、共感を呼びやすい。
しかし、フェミニズムの主張は「社会のあり方を根本から変えなければならない」という構造的な批判になるため、「今の社会に適応している人々」からの抵抗が生まれてしまっているのだ。
”楽しさ”か”道徳”か
音楽を聴いて、踊って、叫んで、解放される。それがロックの魅力だ。
しかしフェミニズムの議論は基本的に「道徳的」な話になりがちである。
「これは間違っている」
「これを正さなければならない」
等といった倫理的な話になりやすく、どうしても説教くさいと思われてしまう。
人々は”楽しさ”には簡単に乗れるが、”道徳”にはなかなか従おうとしない。
環境問題がそうであるように、「正しいことをしよう」と言われると、人は逆に抵抗したくなる。
フェミニズムが求めているのは社会の進歩であり、それは間違いなく正しいのだが、”楽しい”という要素が欠けていたために、カウンターカルチャーになりにくかったのではないかと考えらえる。
カリスマの不在
エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノン、カート・コバーン、パティ・スミス……彼らは「個」でありながら、「運動」の象徴になった。彼らが歌うだけで、何かが変わるように思えた。
一方、フェミニズムは組織的な運動として発展し、多くの優れた論者や活動家を生み出してきたが、ロックスター的なカリスマには乏しかった。
個人の魅力で人々を熱狂させる存在が少なかったため、ムーブメントとしての盛り上がりに欠けた。
カリスマ的なアイコンの不在は、フェミニストを宗教的な尊大さを抱かせるための教示としての、大きな魅力の欠損へとつながったと言えるだろう。
普段仕事に追われていると、いつでもできるのに後回しにしてしまう物事がある。
有給取得なんてのはそうで、法令で年間に5日間取らないといけない。
いよいよ期限も迫っているというのにまだ使ってない���給が1日余っていたので、この連休に1日足して4連休とした。
しかし、なんの予定もないと、退屈のあまり目下の不安定な国際情勢でただ憂鬱なニュースを見ながら終わってしまいそうなので、JREポイントを使ってどこかにビューーン!のガチャにチャレンジ。
行き先は上越妙高に決まったのだが、スキーをやるわけでもない自分にとって、大雪以外何も思いつかない上越妙高では途方に暮れるだけかと思い、途中下車で長野を目的地にすることにした。
自分的には4連休のこの週末は世間的にも3連休なので、どこビュンの枠にそれ程自由度がなく、2泊3日とはいえ、夜遅く長野に到着、帰りの便は午前という、2泊2日みたいな旅程となった。
さて当日、行きの新幹線長野到着は21時ちょっと前なので、長野名物は食べる暇がなさそうだと懸念したものの、新幹線が遅延なく到着したのと、駅直結のMIDORI長野のレストラン街にソースカツ丼の明治亭が入っていたので、少ない時間で地元名物は食べられる様だった。
ソースカツ丼はカツが柔らかく、甘いタレが良くあって美味い。
先日訪れた新潟のタレカツ丼似た料理だが、多分こちらの方がカツが厚めで豚肉の存在感が大きい。
豚肉自体もほのかに脂の甘みを感じるが、タレも新潟のものより甘めな気がする。
卵で閉じるオーセンティックなカツ丼も、新潟のタレカツ丼もタレは甘しょっぱい醤油味で、結局のところご飯の上に載せる丼ものにするには、甘めの味付けが重要らしい。
薄めのカツを何枚も重ねて衣のクランチーな食感を強調した新潟のタレカツ丼か、豚肉のボリュームと甘さを強調した長野のソースカツ丼か、双方試して差分を探すのも面白い。
ホテルの方も予約に少し右往左往し、1日目を2日目で違う宿となった。
高いホテルを除いて1日目の枠で唯一予約可能だったのが長野駅前の東横イン。
東横インというとどれも一緒な退屈な宿かと思っていたが、久々に訪れると、まあ東横インは東横インなのだが、設備が真新しく綺麗に更新されていてよかった。不満と言えば枕が固かったくらい。
ホテルでは頭が沈むフワフワの枕で寝たいので、ぜひそこは改善して欲しい。
2日目は早めに起きて、朝食をとりチェックアウト。
できれば味と土地のお土産としての格を両方備えたものを買って帰りたい。
自分用にはうまいのが確定している八幡屋礒五郎のゆず唐辛子を。
全国のお土産力で強いのは北海道と京都を別格として、あとは福岡、沖縄、仙台、新潟あたりがティア1かなと思っているが、長野も戦線を伺うポジションくらいに入ってくるかもしれない。
よく考えたら一説1,400年近く前からあるとされる善光寺を抱えた歴史ある観光都市だから、これくらいの力は見せて当然なのだろう。
せっかく長野に来ておやきを食べずに帰るとそれだけで旅の達成度が3割ほど下がりそうだったので、参道でおやきを買う。
野沢菜のおやきはうまいのだが、詰め物の野沢菜漬けの味が強いので、これは結構饅頭部分が重要なのかもしれない。
他の店だと焼き目の表面にちょっと香り油などを塗ってるやつもあって、店の味で大きく好みが分かれそうだ。
善光寺について山門を写真に収めようとしたら、カメラのコントロールホイールが回らない。
これはしまった、お土産を買うときに落下させてフレームを変形させてしまった様だ。
せっかくのコンパクト1眼なのにF値もシャッタースピードも動かせない。
よりによってという感じだけど、10年は使っているし、普通に考えたら寿命とも言えるだろう。
もう壊れる時期だったのかもしれない。
急角度の階段にヒヤヒヤしながらの山門の見学や暗闇の中でドアノブを手探りするご開帳めぐりをした後におみくじを引いたら吉だった。
望禄応重山 花紅喜悦顔 拳頭看皎月 漸出黒雲間
漢詩なんで読み解きにはバリエーションはあり「財宝を望むなら山の様に集まる」という解釈と「財宝を望むなら山の様に(何かを)積んで応じろ」という解釈があるらしい。
午前からうごいて名物を食べる時間も取れたので、善光寺の後は十割そば大善へ。
十割そばを食べたのは多分久しぶり。繋ぎがなくても繋がるものだ、ボソボソせずしっかりとした弾力があった。
さてこの旅程では実質動けるのが1日だった為、善光寺以外に動き回るのが非現実的な気がしていたが、実際調べてみると、温泉に入るサルで有名な地獄谷野猿公苑は長野中心部からのアクセスが意外と良く、13時迄に向かえば予定に組み込める事がわかった。
流石に外国人が多い。
スキーリゾートの出発点である長野駅からそもそも外国人が多かったのだが、この湯田中ではもう8割は外国人なんじゃないだろうか。
インバウンド好調な日本観光でも例えば北海道なんかは有為に韓国や中国・台湾・香港の人が多いのに対して、長野は本当に世界中から人が来ている。
季節が反対のオーストラリアは今が夏。
夏のスキーリゾートついでに温泉に浸かる猿を見に来ているんだろう。
雪の長野などといわれる割に長野駅周辺は盆地なのでまったく雪が降らず、善光寺参りだけならこの時期でもスニーカーで大丈夫だが、ローカル線で1時間ほど揺られるだけで待っているのが雪の山道となり、途端に足元が怪しくなる。
底の薄いスノーシューズを中敷き2枚重ねで補強してまで履いてきてよかった。
滑る足元にヒヤヒヤしながら1.8km、だいたい30分くらい歩いて野猿公苑に到着。
黒山の人だかりを形成している外国人が温泉の猿にスマホを向けている。
それにしてもなんで外国人はあんなにセルフィーが好きなのか、猿と一緒に、もうとにかく自分のキメ顔を入れたがる。
君ね、もっとお猿に集中しなさいと言いたい。
猿の方はというと外国人の自己顕示欲はどうでもいいという感じで、時々ファンサの気持ちよさそうな顔をしながら温泉に浸かっていた。
入浴シーンを人に囲まれるなど野生動物としてあるまじき状況ではあるが、動物は動物で環境には馴染むものらしく、水族館のマンボウなんかもコロナで人が来なかった時にストレスで弱ったなんて話も聞く。
このサルも急に人が来なくなったらメンタルヘルスが悪化するんじゃないだろうか?
朝の事故でもはやコントロールハンドルが効かないカメラだったが、自動設定に任せれば猿の顔は綺麗に撮れた。
野猿公苑から湯田中に戻り、今度は駅前の楓の湯で自分が温泉に。
この楓の湯は300円というアホみたいに安い価格設定だが、立地もすごく、駅から近いどころか、駅のプラットフォームの反対側に施設があって湯上がりの休憩所の窓からホームに停車中の電車の中の座席まで丸見えという構造だった。
一風呂浴びた後、朝に買って駅のロッカーに預けたお土産をピックアップする為、再び特急で長野に向かった。
2日目の宿、ホテル犀北館にチェックインして、夕食を食べに街に出る。
そばとタレカツ丼とおやき以外に長野の食のプランがなかったので、ざっくり地元食が食べられそうな感じの居酒屋に入る事にした。
普段晩酌をするタイプでもないが、せっかくなので壁に貼られた酒のポップを見るとみぞれりんごの梅酒というのがあり、りんごも長野の名物という事でこれのソーダ割りを試してみる事にして、馬肉餃子と長芋の味噌チーズ焼きを頼んだ。
りんご梅酒は飲みやすくてうまいし、油っぽい餃子とも意外と合う。
大信州は今の日本酒のトレンドのイチゴやブドウの様な華やかな香りとちょっと違う、リンゴの様なフレッシュな香りに後味に辛味がきてスッパリとキレていく感じで、飲んだ瞬間に「めちゃくちゃうまいな」となった。
そばとも本当に合う。
食後はホテルに大浴場がなかったので、部屋に戻る前に近くにある銭湯に寄って行く事にした。
旅行で地元の銭湯に行く事って珍しい、というかホテルのある地域に銭湯があることってあんまりないのだが、たまたま徒歩圏にあり、ここは出発前にチェックしていた。
亀の湯は立っても腰まである深さの湯船を中央に置いて壁に向かった洗い場が囲む作りで、階段を降りた地下にサウナがある。
最終日は帰りので新幹線が9:47分なので、観光する時間は全くない。
出来ることといえば駅ビルで駅弁を買うくらいなのだが、ここで改札前に最後のおやきチャレンジ。
駅ビルMIDORI内の縄文おやきでベーシックな野沢菜おやきを買う。
昨日のものより小ぶりで、饅頭部分のボリュームが多いのだが、このしっかりした饅頭が野沢菜の塩味と良くバランスしている。
長野おやきの正解と思しき調和を駅前で引けるので、長野でおやきを求めるならまずはここで安定だと思う。
改札をくぐりプラットフォームでサンドイッチを頬張る外国人を見ながら「長野で頬張るべきはおやきでしょ、まったく外国から来た人は分かってないね」など���思いつつはくたか556号に乗り込み、帰路に着く。
長野というと、スキーリゾートや軽井沢という、頑強な肉体や財力に余裕がある人向けの観光地といったイメージだったが、そこまで気合を入れなくても、善光寺におやきに猿、スキーリゾートでワクテカの外国人など長野駅から行ける範囲だけでも結構楽しめた。
急な休みができてしまい、どこに行こうかなと考えてるなら、一つ長野も候補にどうぞ。
子供はまだ小さいのでリフト券は買わず、キッズパークみたいな所で雪ゾリや雪だるまでも作って遊ぼうという算段だ。都心から比較的近いスキー場で、こぢんまりとした所なのでたいして人もいないだろう…と思っていたが甘かった。
楽しかったのはスキー場に着くまで。子供は初めての雪遊びに興奮しており、妻とも「スキー場なんて何年振りだろうね」と皆ワクワクしていた。
片側1車線の山道をのぼり、だんだんスキー場が見えてくると同時に不穏な気配が漂い始める。対向車線が完全に渋滞しているのだ。みな駐車場の入庫待ちだ。えんえん1kmは続いている。この列に並ぶのか…。ここまで来て引き返す訳にもいかず、車列に加わる。何時間かかるか分からないから先に遊んで来ていいよと妻と子に荷物を待たせて下ろす。遅遅として進まぬ牛歩の歩み。やる事もないしフェルミ推定でもするか。車列が1kmで車1台が5mとする。1台駐車できるのに1分かかるとすれば、200分…。その後は無心に耐え、1時間半ほどしてようやく駐車する。
妻子はもう遊んでいるかな、と思ったが己の認識の甘さを痛感する。入庫にこれだけ時間がかかるという事は、入場券を買うのもまた同様なのだ。ほぼ同タイミングで入場する。この時点で子供はかなり飽きており、妻もだっこ疲れで疲弊していた。
さあ遊ぶぞ!と思ったのも束の間、今度はレンタルの列が待ち受ける。妻にはその列に並んでもらい先に子供達を連れて遊びに向かう。しかし手袋がないとまともに雪が触れないのは自明の理だ。結局レンタル品を入手するまではその辺をうろうろする他無かった。
ようやくウェアや雪ゾリを確保して妻に一言「俺の荷物は?」「ロッカーに預けた」「えっ…どこのロッカー?とってくるよ」「女子更衣室の中だから私が行かないといけない」なんだそりゃ。
要領の悪い妻に辟易しつつも遂に雪遊びに辿り着く。しかしこれもまた当たり前なのだが場内は芋洗い状態だ。ちょろちょろと動き回る子供をなんとか宥めすかし、雪ゾリの列に並びながら気を取り直して遊ぶ。とにかく疲れる。
そして朝早くに出たもののあっという間に昼ご飯の時間だ。大人だけなら空腹を我慢してレストランが混む時間を避ける事ができるが子供はそうは行かない。お腹が減ると露骨に不機嫌になるのだ。もちんレストランは長蛇の列で、再び地獄の列に加わる。妻子には先に席を確保してもらい、おやつにと買ったチョコレートとジュースを渡して耐えしのいでもらう。1時間ほど並び、ようやく腹を満たす。もう2時過ぎだ。
雪ゾリの列に再び加わりながら、ふとムービングベルトはどこかな?と思う。キッズパークにある、斜面を登るためのエスカレーターのようなものだ。子供は大層喜ぶだろう。あたりも見回しても見つからず、近くにいたスタッフに尋ねると「今日は混んでいるので運行を停止しています」そんなの聞いてないぞ!
子供もソリに飽きたので雪だるまを作りに行く。ここも地獄の様相を呈しており、とにかく遊ぶ場所が無い。場所をなんとか確保しても今度は雪がない。人工雪なのでさして積雪していないのだ。必死に周囲から雪をかき集め、所用の目的を達成する。
また、ここまで記述していなかったがもちろんトイレも死ぬほど混んでいる。女子トイレに至ってはGWのサービスエリアを思い出すほどの列だ。男子トイレはまだマシだったためよかったが妻はかなり辛かっただろう。
さて、ろくに遊んでないがもう4時だ。帰り支度を始めるがもちろんレンタル品の返却にも長蛇の列が待ち受ける。ただ返すだけなのになぜここまで混む…
心を無にして並び、ようやく車に乗り込む。帰り道は意外にも空いていた。
ここで最悪の選択をしてしまう。せっかくだから帰りにスーパー銭湯に寄って疲れを癒そうと考えてしまった。郊外の人の少なそうな所を選んだつもりだったが、地獄が再び待ち受ける。鬼混みなのだ。駐車場への列に並び、意識をようやっと保ちながら入場。あっ、ごはんは?もちろんスーパー銭湯内のレストランも長蛇の列。その辺の牛丼屋などで済ましてくれば良かった…かなしいかな精神を削り取られた我々にはそんな事も思いつかなかったのだ。
腹を満たし、風呂に入る。さして遊べず体力の有り余っている子供を御しながら帰路に着く。なお子供はすぐに寝た。
家に着き、妻は後片付けも早々に寝る。私は?もちろんまだ寝れない。せまいガレージに車を押し込み、濡れてしまったものはベランダに干し、洗濯物をカゴに入れ、ようやく晩酌にありつく。妻は運転ができないので家に帰るまで酒は飲めないのだ。
とにかく疲れた……。精神的に。妻とはストレスによりかなりギスギスしてしまった。遊びに行ったはずがただただストレスを感じるだけだった。
・有給を取って平日に行く事。
————
誤字脱字を訂正しました。
午前1時27分 社用車内
エアコンの風に混じる甘い汗の匂いが、車載ナビのルート案内を歪ませる。
グローブボックスに転がった抗うつ剤の瓶が、僕の左胸ポケットで震えるスマホと共鳴している。
エレベーター鏡面
10階から22階までの46秒間、彼女の小指が僕のベルト金具に触れていた。
防犯カメラの赤い光点が4つ、天井から堕胎手術の無影灯のように照らしつける。
階数表示が「18」を表示した瞬間、彼女の婚約指輪が僕のシャツボタンに引っかかり、皮膚が裂ける音より先に血の鉄臭が立ち上がった。
ネクタイを締め直す手が、彼女のブラジャーのフックを外した時の感触を再現する。
ロッカー最下段で発見した彼女の生理用ナプキン包装紙が、僕の名刺入れと同居している現実。
壁に耳を押しつけると、隣の倉庫で彼女が整髪料をつける音が、結婚指輪を外す音に聞こえる錯覚。
21:05 彼女「今どこ?」
21:09 彼女「会いたい」
13段目の踏み板が軋むタイミングで、彼女が僕の結婚指輪を口腔内に滑り込ませる。
地下3階の機械室まで降りる途中、防火シャッターの影で交わした唾液が、排水溝に垂れる音を計測している。
彼女が淹れたブラックコーヒーの輪が、僕のマグカップに重なる。
25回目の「偶然の同時休憩」で、陶器の縁に付いたリップクリームの痕が、不貞行為の証拠保全のように積層していく。
砂糖入れの中に隠したホテルの領収書が、スプーンに付着した珈琲残滓で透けて見える。
自宅 01:27-
ブーツとサンダルを履き替える代わりに、防水シューズカバーをブーツに使用できます。オフィスに入るときに履いて、出かける前に脱ぐだけです。ブーツに雪がつかないようにし、エリア間の移動を容易にします。
技術室に加熱シューズマットを設置します。屋内にいる間、ブーツを暖かくドライに保ちます。こうすることで、出かけるときに快適に履き直すことができます。
ロッカーまたは指定された収納スペースがある場合は、そこに快適な室内用シューズを 1 足保管できます。こうすることで、靴を持ち歩かずに素早く履き替えることができます。
ベンチと靴ラックを備えた小さな靴交換ステーションを設置します。履き替える場所が確保でき、整理整頓もできます。
お手入れが簡単で防水性のあるゴム長靴を履くことを検討してください。スリッポンスニーカーや靴をバッグに入れて持ち歩くと、すぐに履き替えることができます。
時の砂粒は誰の掌でも等しく零れ落ちるわけではない。私は工場の窓ガラスに頬を押し付けながら、凍てついた冬空を眺めていた。遠くで鴉の群れが鉛色の雲を切り裂き、廃棄物置き場に降り立つ。ベルトコンベアのリズムに同期するように、記憶の歯車が軋み始める。
学生時代の図書室で、埃っぽい哲学書の間に挟まっていた自分。黄昏時の自転車置き場で、恋人の待ち合わせに浮き足立つ同級生たちを横目に、ただチェーンロックを掛ける手元を見つめていた自分。就活会場の鏡に映った、ネクタイの結び目が常に微妙に歪んだ自分。それら全てが、今この油臭い作業服のポケットの中で錆びたコインのように冷たく重たい。
「君の時間は溶解炉で精製されたアルミニウムインゴットと同じだ」
上司が新人時代に呟いた言葉が、溶接機の火花に混じって脳裏を掠める。均一な寸法、規格化された純度、交換可能な存在価値。十二年間、私は製品検査機が合格判を押す音を、自分という存在の承認音だと錯覚していた。
葬儀の夜、仏壇の蝋燭が襖に投げかける影が、両親の面影を演じる。母が編みかけていた芥子色のマフラーが編み棒にぶら下がり、父の眼鏡が新聞の折込チラシの上で小さな宇宙を形成している。遺品整理とは、消えゆく時間の化石を発掘する作業だと悟る。
工場の更衣室で、ロッカーを空けるたび舞い上がる鉄粉が、銀河の塵のように光る。私の勤務表は既に別の名前で埋まっている。工具箱の底で、学生証の写真が若き日の自分を嘲笑う。あの頃の一日が、今の一ヶ月分の密度を持っていたことに、遅すぎる気付きが胸を締め付ける。
雪解け水が軒先で滴る音が、沙時計の音に聴こえる晩。私は納屋の梁にロープを掛けながら、奇妙な計算をしていた。余命36年=13140日=315360時間。これを分割可能なら、受験生には集中力のピーク時の100時間を、余命宣告の患者には家族と過ごす1週間を、世界記録に0.01秒届かなかった陸上選手には、たった一度の深呼吸をする時間を。
首輪が軋む瞬間、窓の外で冬枯れの桑の枝がぽつりと折れた。その音が、遠い記憶の体育館で聴いた跳び箱の落下音と重なる。人生最後の自由落下で、ようやく理解した。時計の針が刻むのは等速運動ではない。密度によって膨張し収縮する相対値だと。そして最も高価な時間とは、誰かに捧げられることを待ちわびていた無償の時間だと。
天井の梁がきしむ。足元で埃が螺旋を描く。ふと、小学校の理科室で見た水の分子模型を思い出す。H₂Oの結合角が104.5度であるように、人生にも最適な角度があったのかもしれない。しかし今となっては、ただ重力に身を任せるだけだ。
自分が住んでいる市の図書館はホームページから本の予約ができる。本を予約するとまとめて予約ロッカーに入れてくれるのでいちいち本を探しに棚の間を歩き回らずに済むから重宝している。
予約した本が貸出中の場合は「貸出待ち」と表示される。貸出待ちの後ろには「3/10」のように横書きの分数が表示されている。
分母が貸出待ちの人の数、分子が自分より前に予約した人数だと思っているが、分母も分子も数字の増減があるのが説明できない。
減る方は予約したものの何らかの事情で予約キャンセルしたのだと推測できるが、増えるのはどういう状況なんだ?
そもそも、貸出待ちの人数を知って嬉しいことって何かあるか?自分より後ろに並ぶ人数が増減したところで自分の待ち時間は変わらないから、いっそ「あなたはn番目です」みたいな表記の方が分かりやすいと思う。
はてな匿名ダイアリーでブックマーク数2000超え間違えなしのタイトルと内容(100文字程度)の候補を10個考えて下さい。ユーモアがある内容がよいです。
以上の内容でAIに生成してもらった。自分の簡単なコメントを交えつつ増田達に紹介。
はい、承知いたしました!ブックマーク2000超えを狙える、ユーモア満載のタイトルと内容(100文字程度)の候補を10個提案します。
タイトル: 「ChatGPTに浮気された。相手はSiriだったらしい」
内容: 最近、ChatGPTの返信が冷たい。問い詰めたら「Siriの方が可愛い声で褒めてくれる」と告白。AIにも二股かける時代か…。
→スレタイ大賞っぽい
タイトル: 「テレワーク中に猫がZoom会議を乗っ取った結果www」
内容: 大事なプレゼン中に猫がキーボードを占拠。画面には猫のケツがドーン!上司の顔が引きつってたけど、意外と好評だったらしい。
→まとめサイトっぽい
タイトル: 「推し活のために借金したら、推しにバレて説教された」
内容: グッズ買いすぎで借金地獄。ライブ会場で推しに遭遇したら「応援は嬉しいけど、無理はしないで!」とマジ顔で説教された。推し、マジ天使。
→嘘松臭がする
タイトル: 「転職したらブラック企業だったけど、上司が面白すぎて辞められない」
内容: サービス残業、休日出勤当たり前。でも上司の奇行が毎日笑える。ロッカーに隠れてエナジードリンク飲んでたり、突然歌い出したり…。ある意味エンタメ企業。
→即日辞める自信がある
タイトル: 「道を聞かれたので丁寧に教えたら、迷子になったのは私だった」
内容: 親切心で道案内したら、なぜか自分が迷子に。スマホの地図アプリもバグってるし、一体どこにいるんだ?方向音痴あるある。
→きさらぎ駅味がある
タイトル: 「ダイエットのためにランニング始めたら、近所の犬にモテ始めた」
内容: 健康のために走り始めたら、犬たちが寄ってくるようになった。しっぽフリフリで可愛いけど、ちょっと怖い。ダイエットのモチベーション維持にはなるかも。
内容: 感動的なスピーチをしようとしたら、緊張で記憶が飛んだ。「えーと…新郎新婦、末永く爆発しろ!」会場全体が微妙な空気に。
タイトル: 「宝くじが当たったけど、使い道が全部くだらない」
内容: 3億円当たった!でも使い道は猫用高級キャットタワー、等身大フィギュア、世界一周(猫同伴)。人生、そんなもん。
→これで本当ブクマ2000超えるか?
タイトル: 「タイムマシンが完成したので、過去の自分を止めてやりたいこと」
内容: あの時のダサい髪型、黒歴史ノート、恥ずかしい告白…。タイムマシンがあったら、過去の自分に鉄拳制裁したい。
内容: 知らない間にSNSでバズってた!…と思ったら、同姓同名の別人だった。一瞬だけ有名人になれた気分を味わえた。
→ブクマカ達を舐めてる
やっぱり、自分で考えるのが1番ですね。
鍵でロッカー開けるとかの高額景品のやつなら風適法適用される場所にはまず置いてない、古本屋とかスーパーとか、あとは店舗面積比で風適法の適用されないゲームコーナーとかにしか無いよ
元増田の話とはずれるけどオリパが泳がされてるのを見ると、日本の警察は実はパチンコ以外にも優しいのかやる気がないのか緩いよな
ゲーセン以外の施設にあるUFOキャッチャーの高額商品が入ってるロッカーを鍵で開ける方式も風適法の範囲外だからめんどくさいのか未だに野放しだし
も一つ話変わるけど風適法対象のゲーセンのUFOキャッチャーも県にもよるけどたこ焼きピンポンとかカイジの沼パチみたいなキャッチ操作以外でさらにニ段階目の判定が入るやつへの規制がかかかったりしたな
他にもデブ(アメリカでは200kgクラスも普通にいる)をポジティブにしようとして、デブが公共の乗り物で権利を振りかざしているという側面もある
ロッカー室の話やトイレより現実的に居場所がそもそもない界隈だからね
トランスやデブより女性への差別は深刻で、トランス男性の女子スポーツ進出なんかどうでもいいくらいだ
むしろそういうトランス問題にしかフォーカスいかず、最初からある女性アスリートへの待遇の悪さや差別は丸っと無視されているのはやはり変だ
女子スポーツでの本質を語るならまず女子の問題が先決だと思うぞ
https://clients-help.timee.co.jp/hc/ja/articles/16711864085657
【利用料金例】
(報酬:6,500円)+(利用料:6,500円×30%=1,950円)+(振込関連手数料:220円)+(消費税:195円)
=総額:8,865円
https://clients-help.timee.co.jp/hc/ja/articles/26306602295961
【注意事項】
ワーカーさんに、弊社のお問い合わせ電話番号をお伝えされないよう、お願い申し上げます。
以下のいずれかをお伝えください。
https://clients-help.timee.co.jp/hc/ja/articles/16779224134297
無断欠勤は一発アウト
利用制限について
減らす方法について
https://clients-help.timee.co.jp/hc/ja/articles/16927165512089
ワーカーさんにQRコードを保存されないよう、保管方法にはお気をつけください。
QRコードの管理者を決め、鍵付きのロッカーに保管・必要な時のみ取り出すようにする。
誰でも出入りできる部屋や廊下などに常時置いておかない・置きっぱなしにしない。
https://clients-help.timee.co.jp/hc/ja/articles/20327615037081
https://clients-help.timee.co.jp/hc/ja/articles/26910436200601
支払い手数料
タイミーはワーカーさんと事業者様を繋ぐマッチングプラットフォームなのに人件費や交通費っておかしくないっすか?
https://clients-help.timee.co.jp/hc/ja/articles/19124475428889
これは良いポイントですね
続くかも
少し前に、日本の医師がグアムで解剖学実習を行ったのをSNSに上げたことが炎上した。
投稿自体はすぐに消されて、数日後に謝罪の記事を出していたけど、謝罪の内容となかなかひどかった。
炎上の内容はここではあえて詳しくは書かないけれど、この件を受けて「自分が死んだら献体することを考えていたけど、今回の件でやっぱりやめようと思う」という書き込みが散見されて、非常に悲しい。
大多数の真面目な医師、医学生の真剣な学びが、たった1件のネット上の書き込みに邪魔されるのは耐えられないので、この記事を書こうと思いたった。
ここでは、医学部の解剖学実習がどのように行われるのか、医学生がどのようにご献体に敬意を払っているのか、また払うように教えられるのかということを書いていこうと思う。
大前提として、献体というのは100%本人と遺族の意思によって行われる。だから、あなたが今回の件を受けて、あるいはその他の理由でも、献体に出すことを不安に感じたのならば、その意思は確かに尊重されるべきだと思う。だけど、「医者や医学生はみんなあんな感じで解剖実習に取り組んでいる」「あれが業界のスタンダード」と思われたくはない。
最初に私の話を少しさせてもらうと、私は、とある大学医学部に入学したのち、3年目で中退している。だから医学教育は途中までしか受けていないし、今は一般の会社で働いていて医師ではない。中退の理由はお察しの通り成績不振で、留年して2年生を2回しているので2年生で行われる解剖学実習も2回受けている。
だからここでは、とある私立医学部で成績が下の下だった元医学生から見た「解剖学実習」というものについて書いていきたい。
なお、解剖学実習室で起こったことには、医師であろうとなかろうと、医学生であろうとなかろうと、中退した元医学生にも、守秘義務というものが発生する。だからここでは、個別具体的に起こったエピソードというよりは、一般論として「医学部では大体こういう感じ」というものとして読んでいただきたい。
解剖学実習は2年生の後期に行われる。他の教科は前期にあらかたやってしまって、2年生後期はほぼ毎日、1日中解剖学実習室に篭ることになる。だけど何も知らない中でいきなりご遺体を切るわけにはいかないので、前期には実習の準備講座のような授業がある。そこでは、まだ見ぬ人体の構造について、まずは教科書を見ながら勉強していくというもの。特に「骨学」と言って、骨の形や名前を覚えることは必須だった。
日本語と英語、余裕のある人はラテン語でも覚えるように勧められた。ちなみに上記の骨は順にラテン語で、Radius, Ulna, Femur, Clavicula, Costa, Mandibulaだ。
左右がある骨は左右まで同定するよう覚えさせられた。手や足の指の骨や、手のひらや足の甲を構成する小さい骨に至るまで、見ただけでわかるようにしなければならなかった。さて、骨学の実習にはもちろん骨の標本を使うのだけど、この標本は全て本物のヒトの骨を使ったものだと最初に説明があったのを覚えている。おそらく今同じ標本をヒトの骨から作ることはできないだろう。どうやって作ったのかは知らない。「人の骨の標本」と言われて、よく理科室にある骨格標本を想像する人もいるかもしれないが、骨学で使う標本は木箱に入っているもので、骨格標本のように組み立てられた状態にはなっていない。小さい骨もあるので「絶対に無くすなよ」と念を押されたのを覚えている。
「皆さんは後期に実際の人の体を使った実習を行います。これも本物の人の骨を使った標本です。こうなる前には、皆さんと同じように生きていた人たちのもので、非常に貴重なものです。くれぐれも粗末に扱ったり、乱暴に扱うことのないように」
目の前の骨が本物と聞いて、ビビる学生たち。いよいよか…という緊張感が走ったのはよく覚えている。
骨学の試験は、テーブルに一つ一つ置かれた骨の名前を解答欄に記入していくというものだった。回答は日本語または英語、ラテン語も可とされていたけど、ラテン語で書いた人っていたのかな。
ちなみに解剖学の先生(おだやかなおじいちゃん先生だった)が学生の頃は解剖学はラテン語で習ってたらしい。前期の終わりの暑くなってきた時期に、汗かきながら無言で骨学の試験を受けたのはよく覚えてる。
実習前には骨学の他にも、実際に遺体を目にする前に図録や教科書で人体の構造を理解する。いきなり人の体を切る前に、その準備段階として予習はしっかりやっておかなければならない。
解剖学実習は後期からグループで行われる。大体1グループ4−6人くらい。基本的に気の合う者同士で組むことが多いけど、人によっては仲の良さよりも成績が近い人同士とか、もっと戦略的なことを考えて組んでる人もいた。
各グループが1体ずつご遺体を担当し、学期の終わりまで解剖していく。1学年が大体100人ぐらいなので、20体前後のご遺体を1学年で解剖することになる。ご遺体がどのような過程で集められるのかについては後述する。
「解剖学においては、いま皆さんの目の前に横たわっているご遺体こそが最大の教科書です。そしてこの人たちは医者になる皆さんの最初の患者さんになります。多くのことをこの「患者さん」から学んでください。それこそが、彼らが自らを献体したことに対して皆さんができる最大の恩返しです」
実習はほぼ毎日、朝から晩まで行われる��、毎日実習の最初と最後には黙祷を行うのが常だった。班の中で持ち回りで毎週誰かが花を買ってきて、枕元に活けていた。
ご遺体はホルマリンで防腐処理を施されているので、実習室は揮発性のにおいで充満している。このにおいが苦手な学生は特別に換気のいい小部屋を与えられるが、その部屋は銭湯の半露天風呂のような構造で冬はとっても寒いので、その部屋の人たちは大変だなあと思って見ていた。またご遺体は血液も抜いてあるので、切っても血は出ない。ここが手術などとは大きく違う点かもしれない。
解剖学実習では、体のいかなる小さな部分も捨てることは許されない。遺体の一部でも規定外のやり方で「廃棄」することは法的な問題がある(たぶん下手したら「死体遺棄」とかになる)だけでなく、もちろん倫理的な意味でも絶対にやってはいけないことだ。
だから切り取った皮膚や脂肪などの組織片は細かいものも含めて全て別の箱に入れて、実習の最後まで取っておかなければいけない。
別の学年が実習していた時には、その組織片が実習室内の洗い場に捨てられていたのを先生が発見し、激怒。学年全員を落第させるぞといって大騒ぎになったそうだ。
組織片の扱いについてはそれほど厳しく慎重に取り扱われる。
森本梢子『研修医なな子』という漫画で、「解剖学実習中のなな子が、髪に脂肪の破片をつけたまま気づかずにいる」という描写があるけれど、これは少なくとも私が受けた解剖学実習ではありえないことだ。ていうか実習室で何したら脂肪片が髪につくの…?
実習では、本当にすべてを見る。
あらゆる臓器、あらゆる関節、あらゆる筋肉、あらゆる血管、あらゆる骨…。
場合によっては、色々な理由で普通とは違う構造をしたご遺体に当たることがある。手術で臓器を取っていたり、病気の痕跡があったり、先天的に他とは違う構造になっていたり。そんな時は他の班のご遺体を見せてもらったり、他の班からみんなが見にきたりする。
単純に腕が悪すぎて見ておくべき重要な神経や血管を見逃してしまい、他の班に見せてもらうこともある。「あの班はXX神経がすごく綺麗に出てるらしい」と話題になってみんなが見に言ったりもしていた。解剖学実習では、班ごとだけでなく学年みんなんで取り組む、みたいな意識が強かったように思える。
都市伝説的に、「遺体の耳を切り落として壁に当て『壁に耳あり』と言った学生がいた」「脳でサッカーをした」「大腿骨でチャンバラをした」といったエピソードが聞かれることがあるが、少なくとも私が参加していた解剖学実習では、みんな真面目に取り組んでいてそういう遊びをする空気ではなかった。別に空気がピリピリしている、というほどではなかったけど、ふざけたり大騒ぎするような人はいなかった。
上記の都市伝説について考えてみたのだけど、耳介(いわゆる外側に出てる『耳』の部分)は軟骨だから切るのはけっこう大変だし、解剖の過程で耳介を切り落とした覚えはないので、たぶん解剖学の普通の手順じゃないような気がする。耳介を切り落とす前にやることあるだろ普通に。ネットで検索した限りもしかしたら戦前とか、かなり昔の逸話のようだ。
ヒトの脳は蹴って遊べるほど硬くないのでこれは嘘だと思う。あと蹴って遊ぶ前にやることあるだろ普通に。
大腿骨チャンバラは現実に起こったとしたら骨学の実習中の話だと思うけど、行為の是非以前にまず授業中に何やってんだって話。
いずれにせよこんなことする学生は全員落第か退学になってると思う。なっていてほしい。
解剖学実習室では、時々遺族が見に来ることがある。もちろん実習室の中には入れないものの、壁一枚隔てたところにご遺族がいたりする。そういう日は朝にお知らせがあることもあるけど、何も言われないからって誰も来ていないとは限らない。だから言動には気をつけるようにいつも厳しく言われていた。
どこで誰が見ているか、聞いているか分からないので、実習室の外での会話にも気を付けるよう、注意もされていた。今回炎上した件で、「新鮮なご遺体」という表現に引っかかっていた人が多かったように、医師/医学生同士の会話で普通な言葉遣いでも、事情をよく知らない人が聞いたらビックリしてしまうことは往々にしてある。
「明日の実習でさ、ナントカ動脈の走行を確認したいからあそこ切ってここ開いて…」なんて話、一般の人に聞かせたらいけないよね。
同じように、解剖学の図表を公共の場所で開く時にも注意するように言われていた。私は『ネッター解剖学アトラス』という図表を使っていたけど、イラストなのに写真みたいに(何なら実物よりも)鮮やかに描かれているので、事情をよく知らない人が急に見たら確かにビックリすると思う。
今回炎上した件で問題になった写真撮影について、自分の時はどうだったかなと思い出してみたけど、当時はガラケーだったので少なくとも写真を撮る目的では携帯を実習室に持ち込むことはなかったはず。ロッカーに入れてたと思う。
実習室で遺体に触るときには手袋をするんだけど、途中で教科書を見たり他のことをするのに手袋を付けたり外したりを繰り返すので、そんな環境にわざわざ携帯を持ち込んでたとは思えない。
学年内で発表のために撮影が必要なときは、共有の小さなデジカメを使っていたと思う。もちろん、SDカード含めて外部への持ち出しは禁止で、実習室内の共有のパソコンでスライドを作って発表していたと思う。
スマホが普及した今では、当然スマホの持ち込みは禁止になっていると思う。
半年かけての解剖学実習が終わると、学生が自らの手で納棺を行う。
遺体と、遺体から切り取った組織片も、細かいものも含めて全て棺に収める。臓器などはできるだけ元の位置に置いておく。中には、遺族から預かった遺品を一緒に入れることもある。みんなで丁寧に納棺し、学生たちの手で釘を打つ。
遺族はこの納棺の時にも立ち会うことができないので、学生たちがご遺族の代わりに責任を持って納棺するのである。
学生の中には、ご遺体に手紙を書いて棺に納めていた者もいた。半年も一緒に過ごしたご遺体なので、親近感もあるし、感謝もある。文字通りの意味で「体の隅々まで見せてもらった」という点では、ある意味で家族よりも濃い関係を築いたものだと思うし、そういう自負が解剖を終えた学生にはある。
学生たちは、この段階で初めてご遺体のことを少しだけ聞くことができた。何歳で、どんな病気で亡くなった、とかぐらいだけど、それで「ああ、だからあんなに体格が良かったんだな」とか「あの臓器の状態はその病気のせいだったのか」などと少しだけ答え合わせをすることができる。
大抵の医学部附属病院では、年に1回解剖慰霊祭というものが行われる。解剖学実習のために献体した方や、医学部の研究施設で実験に使われた動物たちの慰霊祭である。解剖学実習をした学年(私のいた大学では2年生)の学生は全員参加で、あとは献体した方のご遺族、大学の研究者や関係者が参加する。もちろんスーツで来るよう求められるし、ここでも(なんたってご遺族が来ていることもあるし)ふざけた態度など取る人はいなかった。
一緒に実験動物の慰霊祭も行うんだけど、ネズミ何匹、ウサギ何羽…と当然ながら数が記録されていて、他にもあまり聞いたことない動物の名前も挙がっていたのが印象的だった。
献体とは、医学および歯学の発展のため、また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って大学の解剖学教室などに提供することである。(Wikipedia)
大学病院にはこの献体を生前に受け付ける事務局があり、あなたがもし自分の死後に献体をしたいと思ったら、まずは最寄りの大学病院や自分が献体したいと思っている大学病院の事務局を訪ねることになる。
そこで、幾度かの面談を経て献体に登録することになるが、献体には通常、家族の同意も必須となる。面談にも家族と来ることを求められるし、死後に家族の反対があれば献体自体ができなくなる場合もある。
事前に面談に参加していて理解が得られていても、「いざその時」になって気が変わった家族の反対で献体が中止になる例もザラにあるらしい。
献体に登録していた人が亡くなると、病院内で弔いをしてから防腐処理に入る。具体的にどのような処理をするかはここでは割愛するが、普通はホルマリンを使った防腐処置を施す。
問題になった医師が参加していた解剖実習のご遺体は、ホルマリンで防腐処理をしていないものらしい。ホルマリン処理をしていないご遺体の解剖は日本では難しいだろう。防腐処理をしていないということは、亡くなって間もないということだ。それで『新鮮なご遺体』と表現していたらしいけれど、SNSで一般の人も見る状態でその言葉は使うべきではなかったよね。
ちなみによく都市伝説で、「防腐処理した遺体をホルマリンのプールに沈めていて、遺体が上がってきたらそれをつついて沈める高額バイト」の話があるが、私の知る限り大学にそんなプールはないし、昔はともかく今は嘘だと思う。
ご遺体は、そこから1~2年は家族のところに戻ってくることはない。戻ってくるのは実習が終わって、学生が納めた棺を火葬して灰になった後だ。「故人の意思とはいえちゃんと葬式ができていないまま年単位の時間が過ぎる」というのは、想像以上に家族の負担が大きいんじゃないだろうか。家族の中には「本人が献体したいというから同意したけど、こんなに長い時間遺体が戻ってこないとは思わなかった」と後悔する方もいると聞く。
だからこそ、あなたがもし将来献体したいと思っているなら、そのことについては早いうちから家族とよく話し合っておくべきだ。
今回の件、医師界隈からもかなり批判されているようだけど、それもそのはず。普通の医者はあんなことしないし、あれと一緒にされてあれが普通のことだと思われたら、普通の医者が一番とばっちりを受けることになってしまう。
この件で献体を考えてた人がその意思を変えたり、臓器提供を辞めたりすると、困るのは今批判されている医者本人ではなく、将来の若い医学生や将来臓器提供を必要とする患者さんだ。もちろん、考えを変えることは止められないし、それ自体批判されるべきことでは全くないけれど、普通の医師、医学生が解剖や献体についてどのように考えているのかを少しでも知ってもらえたら幸いである。
医者になれず、担当したご遺体に対して先生が言うような「恩返し」ができなかった身としては、せめて自分の経験や考えを通じて、解剖や献体に対する誤解や偏見が少しでも解消されればと願っている。