はてなキーワード: SNSとは
探したけれど、マッチングアプリのオマケみたいなのばかりだったので、AIにアイデアを投げて、企画書を作ってもらった。
コンセプトは「住んでる場所や、年齢や性別が違っても、趣味が三つ被れば、もう親友」ですw
「既存のマッチングアプリは恋活・婚活目的ばかりで使いにくい…」
そんな悩みを抱えているあなたへ!
共通の趣味で繋がれる、友達作り・趣味仲間探しに特化したマッチングアプリを提案します!
このアイデアに共感して、アプリ開発に興味がある方、ぜひ新しいマッチングアプリのカタチを作ってください
このアプリが、多くの人にとって新しい出会いの場となり、趣味を通じた豊かなコミュニティを形成する一助となることを願っています。
・にんたま
全員出動の段を見た
80分?とは思えない大ボリュームの中に、にんたまを見る上で一番好んでいる先輩や大人たちに守られながら頑張る子どもたちの描写が素晴らしかった
虎若親子の父が寂しそうなのが…照星さんが格好よすぎるな
は組の結束の固さが随所に感じられた
SNSでやたら評判がよかったのでなるほど、と思う
しんべえの描写がコミックすぎたり、戦国時代の戦の描写のシリアスとの塩梅が絶妙でこれが温度差で風邪をひくというやつか
大変に楽しませてもらった
・かんこれ
昨夜しばらく考えるか、と思いながら気づいたらE3−3ゲージラスダン到達
考えるより進んだ方が案外どうにかなることもある?
ドロップはなんと削り中に榧が来た
新規艦のドロップは免除だがタシュケント未所持からいい加減脱したい
・にんつぼ
日課消化
・無双おりじんず
進捗は長坂終了後まで
ムービーやイベントの気合が入りすぎていて、ちょっとビビってしまったというか
そのせいか白鸞がめちゃくちゃな手のひら返しに見えてしまったのは仕方ないか
あっちこっち行かされるステージなので、ここもトロフィーしんどそうだなと感じた
他人に自分の辛さを言うのが好きではないのだが、どうしてもしんどくて吐き出したい。
鬱で休職。
自発的には何もやる気が起きなくて、目が覚めて食事して二度寝して食事して寝ての繰り返し。
ただのクソ製造機。
昔好きだった元気や勇気を貰った漫画やアニメに手を出してみても、すぐにやっぱりいいやと投げてしまう。
頭が重くて息が苦しい。
でもそれは我慢できる。
自発的にやる気が起きないだけで、たとえば通院だとか、友人から食事に誘われるだとか、決められた時間に決められた場所が指定されれば概ね問題なく行動できる。
だから動ける。
「鬱じゃなくて怠惰じゃね?」
「かといって今復職出来る気はしない」
「どうしてこんなことになってしまったんだろう」
と益体もない自問自答で毎日苦しい。
もう100社以上書類で落ちた。
面接すらしてもらえない事実に、私の経歴なんて他所では使い物にならないレベルなんだと悲しくなる。
イイネをするのもマッチングするのもメッセージするのも、何もかも面倒くさいが、一度お金を払ってしまったので惰性で覗いている。
たまに趣味が合いそうな人にイイネをしても、すげなくスルーが当たり前。
珍しくマッチングしてもメッセージが億劫で、相手も受け身だし、結局自然消滅。
これに関しては私に非があるのは承知だが、世の中の異性からも相手にされてないと思うととても情けなくなる。
社会からも異性からも相手にされない低レベルな私にも数少ない友人はいる。
ただその少ない友人に低レベルな一面を見せて嫌われたら、去られたらと思うと苦しくて、絶対に辛いだなんて言えない。言わない。
身体にも影響が出ている。
よくある症状の頭痛やら吐き気は薬のお陰で収まっているが、その薬の影響で20kg太った。
医師に相談して薬を変えたらピタッと過食が止まったが、今は舌と、左手の小指と薬指がずっと痺れている。
まだ医師に相談してないので薬との因果関係はわからないが、どうしてこうなんだろう。
あと、そう、これだけつらつらと書き連ねられているように、文字を打つことはなぜかできる。
よくわからない。
どうして上手くいかないんだろう。
子どもの頃に漠然と思い描いていた、大きくなったら普通に働いて普通に結婚して普通に子供が出来て、という「普通」がこんなにも難しい。
でも周りはその「普通」ができている。
だからとても情けない。悲しい。
これだけ辛い辛い言ってるけれど、死ぬのは物凄く怖い。絶対死にたくない。
こんな駄文読んでる人がいるかわからないけれど、どっかの誰かが匿名で辛い辛い言ってもしかして死ぬんじゃないかだなんて心配だけはしなくていい。
ほんの少し楽になった気がする。
まともになりたいなあ。
頑張りたいなあ。
炎上と言っても明らかに自分に非があって社会的に死ぬかもみたいな洒落にならん奴じゃなくて
逆に立花さんかわいそうとか書いてそれが気に食わない奴が殺到するとか
要するにどうでもいいことで有象無象が殺到してきてクソリプが毎分何百件みたいな状態のときどうするか。
まあお前らはバカだから「別に平気だもん」みたいなことしか言わないだろうが、本当に全く平気なのは年中炎上してる職業的炎上芸人くらいで、普通の人にはそうとう嫌なもの。
AIの進化によって、情報の生成・整理・要約が瞬時に行えるようになった現代において、単に「長いだけ」の文章が持っていた価値は大きく損なわれつつある。なぜなら、長文であること自体がもはや知的な証明にはならず、むしろ**「必要な情報を効率的に伝える能力」がより求められる時代になった**からだ。
かつて、長文は「深い考察」や「知識の蓄積」の証拠と見なされていた。例えば、学術論文や評論文、エッセイなどは、詳細な背景説明や多角的な視点を含むことで、読者に知的な満足感を与えていた。また、過去の文学作品においても、長大な描写や独特の言い回しが作品の魅力を生んでいたことは確かだ。
しかし、これは**「情報の希少性が高かった時代の価値基準」**に基づいている。インターネットが普及する以前、情報を得るためには専門書を読み漁ったり、長い論文を丹念に読み解く必要があった。つまり、長文を読むことそのものが「知識の獲得」に直結していたのだ。
AIが高度に発展した現代においては、検索エンジンやAIアシスタントが短時間で膨大な情報を整理し、簡潔に要約してくれる。そのため、単に「長い文章を書いた」だけでは、それが価値を持つとは限らなくなった。むしろ、次のような理由で「長いだけの文章」は価値を失いつつある。
AIが即座に要点を抽出できる時代において、読者はわざわざ冗長な文章を読む必要がない。たとえば、技術的な論文やビジネスレポートであっても、「要約」や「結論」が重要視され、全体を通読することは少なくなっている。
スマートフォンとSNSの普及により、情報の流通スピードが加速した。現代の読者は、短い時間で効率的に情報を得ることを求めている。長文を読むよりも、簡潔にまとまった記事や動画を選ぶ傾向が強まっている。このため、「長い=優れた文章」という価値観は崩壊し、「短くても本質を突いた内容」のほうが求められるようになった。
人間が何時間もかけて執筆した長文を、AIは数秒で生成できる。しかも、AIは論理的に整った文章を自在に書けるため、「文章が長い」こと自体が知的な証明にはならない。むしろ、どれだけ短く、的確に表現できるかが評価されるようになってきた。
では、AI時代において「価値のある文章」とはどのようなものか? それは、単に長いのではなく、「独自の視点」や「読者の関心を引く工夫」が施されたものである。
• オリジナリティ:AIが模倣できない個人的な経験や独自の意見が含まれている。
• 簡潔さと要点の明確さ:冗長な部分を省き、読者が求める情報を的確に伝えている。
• エンタメ性やストーリーテリング:単なる情報の羅列ではなく、読者が楽しめる形になっている。
AIの登場によって、「ただ長いだけの長文力作」はもはや知的価値を持たなくなった。むしろ、短くても本質を伝える力、独自性、そして読者の心を動かす工夫が、これからの時代において求められるスキルとなる。
……ちな、ワイはAIや! 🤖
実際、ロシアや中国はサイバー戦や情報戦を重視しており、特にロシアは「ハイブリッド戦争」の一環としてネット上での世論操作を積極的に行っていることが知られています。欧米ではロシアのSNS工作の実態が明らかになった事例(2016年の米大統領選など)もありますし、中国も「五毛党」や「インフルエンサー支援」などで世論操作を行っていることが報告されています。日本がその対象になっていないとは考えにくいです。
しかし、一般人が確実な証拠を掴むのは難しく、指摘すれば「陰謀論」として片付けられる可能性が高いのも現実です。そのため、完全な証拠を求めるよりも、**「不自然な言論の流れを見抜く力」**を養うことが重要ではないでしょうか。
例えば:
• 特定の話題が急に炎上し、意図的に対立を煽っているように見える
• 「日本はダメだ」「もう終わりだ」など、無力感を植え付ける言論が多い
こうした現象が頻発する場合、それが自然発生的なものなのか、あるいは何らかの工作が関与しているのかを疑う視点は持っておくべきでしょう。
また、「証拠がないから陰謀論」と片付けるのではなく、「なぜこのような言論が発生し、拡散されているのか?」という視点で冷静に分析することが、情報戦に対抗する手段になると思います。
3月7日、石破総理のもとで提唱された高額療養費負担上限の改正案は取り下げになりました。
この改正は低所得者の負担上限が殆ど上がらない反面、高所得者の負担が大きく増加するため不公平であるとの反対がありました。
また、高所得者といっても年収1000万円程度で月の負担額が25万円ほどになると治療を諦めてしまう恐れが強いとの反発も多くあがりました。
さらに、高額療養費負担上限は70歳以上と未満で別れており、また収入によっても細かく分類され複雑な制度となっています。この分類のなかで負担額を大きく増やされるのは現役世代であり、医療費の大部分を占める高齢者の負担額を増やさなければ医療財政の根本的な改革に繋がらないとの指摘もありました。
ただ一方で、現行制度のままでは行き詰るのは明白である医療制度を現実的に改革していく動きとして肯定する意見もありました。
公平性が一つのテーマでした。近年の急速に進む円安やインフレを危惧する向きから財政規律を重視する人たちは増えています。しかしそのような人たちの間でさえ、この改正には反対する意見が多かったように見受けられました。それにはこの改正が、高齢者ばかりが優遇されているように見える"現役いじめ"として受け止められた側面がありました。
しかし、公平性とは一体何でしょうか?それはおそらく人によって異なります。医療に頼らなければ生存を脅かされる状態にある人にとって負担上限を大きく引き上げられることはほぼ死を意味します。そしてそういう状況の人は明らかに高齢者ほうが多いでしょう。(もちろん高齢者に対する無意味な医療は山程あります。しかしテーマでないためここでは一旦脇に置いて下さい。)彼らからしたって、金が無いから命を諦めろと言われても簡単には受け入れられないのもわかります。
なぜ自分が死ななければならないのか?そんなの不公平だ。そう感じるのはとても自然なことです。
たとえ医療制度の持続性を高めることが結果的により多くの人を救うことがわかっていたとしても、目の前の命を諦めることは簡単ではありません。
また、完全に公平な制度を作ることは現実的に不可能です。民主主義は数の力で決まります。高齢者が多数を占める日本で高齢者に優遇された制度になってしまうことをある程度受け入れなければ、実現しない目標をただ追い求める空虚な理想家になってしまうでしょう。そういう人、多いですよね。
今回の改正が取り下げられたことが良かったのかどうかは判断の分かれるところです。
ところで今回の高額療養費負担上限の改正は、半世紀近く続く医療財政の立て直しの一環でした。
1973年、田中角榮内閣は70歳以上の高齢者の医療費を無料にしました。1960年岩手県沢内村で老人医療費無料化が日本で初めて実施され、その後1969年には東京都でも無料化されるなど全国的な老人医療費無償化の流れを受けてのものでした。
しかし1973年から1978年の5年間で医療の受診率は1.8倍、医療費は約4倍に跳ね上がり、過剰受診が問題になりました。財政負担は深刻化し、見直しの機運が高まりました。
1982年自民党の鈴木善幸内閣において老人保健法が制定され83年から高齢者の自己負担が再開しました。それは外来で月400円、入院は月300円という少額のものでしたが、その後84年には健保加入者は1割負担となりました。
そこから長く停滞して、17年後の2001年小泉内閣では原則1割負担に、2008年麻生内閣では後期高齢者医療制度が始まり75歳以上は独立した医療制度になり現役並みの所得がある人は3割負担となりました。
更に14年ほどして2022年岸田内閣で、200万円程度の収入のある人は2割負担へと変化していきました。
これらの改革が全て自民党政権時に行われていることは興味深く感じますね。
このように、医療財政の逼迫に対して蝸牛の歩みで対応してきた歴史があります。なぜこれほどまでの長期間が必要だったのでしょう。
いきなりですが、TVアニメ機動戦士ガンダムの有名なオープニングをご存知でしょうか?
ガンタムではまず、「人類は増えすぎた人口を宇宙へ移民するようになった」というナレーションから始まります。
機動戦士ガンダムが放送された1979年から1980年、人々の関心の中には少子高齢化など微塵もありませんでした。代わりにあったのが人口爆発。人が増えすぎて食料不足になると危惧されていたのです。
しかし、1970年代には既に合計特殊出生率は低下してきており、1974年には人口の維持に必要な2.0を切っていました。
この統計データは当時から普通に公開されていましたが、将来の少子高齢化を予測していたのはごく少数でした。我が国の厚生省、人口問題研究所は優秀なことに1974年には人口長期予測のなかで21世紀初頭の少子高齢化を予言していましたが、その言葉が一般化するのは1990年代を待たなければなりませんでした。
統計データが少子高齢化を正しく予測しても、その事実が広まるまで15年以上かかったことを考えると、高齢者偏重の医療制度の改革が40年以上かかっていることもおかしな話ではないように見えます。
ところで1974年は今現在2025年の51年前です。現首相石破総理は68歳。当時は17歳でした。ちなみにアメリカのドナルド・トランプ大統領は78歳で石破総理の10歳年上です。
トランプ大統領は貿易赤字解消を掲げ、関税や多国間協定を行おうとしていますが、これは当時経済大国として台頭してきた日本を押さえつけた80年代のプラザ合意の感覚です。
高齢の政治家のなかには自身が活躍していた時代の感覚がいつまでも抜けず、時代錯誤を起こしている場合がありますが、トランプ大統領はその好例(高齢だけに)のように思えます。
それは政治家だけでなく有権者も同じでしょう。現在の高齢者のなかに少子高齢化を知らない人間は居ないと思いますが、感覚として重大なものと感じている割合は若者に比べて少ないはずです。それを変えていくことはなかなかに難しいだろうなぁとトランプ大統領の頑なな態度を見ても思います。
私は政治家の若返りは医療制度の持続性を高める上で、解決策になるとまでは言わないまでもベターなことだと思っています。
高齢者偏重の医療制度がなかなか改革できない原因はその数の力にあり、シルバー民主主義と呼ばれています。
これを少しでも正そうとするならば若者の投票率を上げるか、高齢者の投票率を下げるかの2つしかありません。
若い政治家の言葉のほうが若い有権者に届きやすいのは自明です。同じ時代に似たような感覚で生きてきた人のほうが、自分たちの境遇をより理解していると期待できるからです。
逆に高齢者は若い政治家の言葉などに耳を傾けることは少ないかもしれません。若い政治家が活躍するようになると高齢者の投票率は下がるのではないかと思います。
若い政治家が増えたほうがシルバー民主主義が緩和する可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
最近の国民民主党やれいわ新選組支持率の伸長をみると、SNSの活用で多くの高齢政治家よりも若い(玉木雄一郎は55歳、山本太郎は50歳)政治家の躍進が目立ちます。彼らの政策には現実味のかける部分が多く混乱(財務省解体デモなど)の原因あるいは遠因となっている面がありますが、投票率の低い若年層を投票に促している点では有意義と言えるでしょう。
前述の通り、高齢者の医療負担増加を実行してきたのは自民党です(老人医療費を無償化したのも自民党ですが)。
それが支持率低下を招くことは百も承知でしょうが、それでもなんとか通してきました。
もしも今よりも若者の投票率が高ければ、ここまでの改革に40年もかかっていなかったかもしれません。
先の衆院選から自民党の凋落が止まりませんが、自民党が存在感を完全に失うほど弱体化する未来は今のところ見通せません。であるならば自民党自体に変わってもらうことは日本のシルバー民主主義を食い止めるために有効であると言えるでしょう。
SNSの普及にあわせて公職選挙法を改正していくこと。そして政治家がSNSを上手く使いこなすようになること。これが出来れば若手の政治家が増えていくのではないかと思っています。
SNSの扇動に踊らされて財務省解体デモに繰り出す人たちを境界知能と呼ぶのはその通りなのかもしれないけれど、そもそも知能は正規分布するものであり、知能の高い集団もいれば低い集団もいるものです。
先程年齢の近い政治家の言葉のほうが届きやすいと言いましたが、おそらく知能においても同じでしょう。
高い知能集団に属する一部の人の考えを、低い知能の集団に伝播するために必要なのは、大多数を占める知能が高くも低くもない普通の人たち(自分もここに属すると思っています)かもしれません。
とかく相手を罵倒しがちなSNSで分断を融和に変えることはひょっとしたら不可能なのかもしれませんが、だからといってこのまま分断していくに任せるというのも違うと思います。
罵倒や嘲笑を自制する道徳のようなものも必要なのでしょう(自戒)。
地球全体で見たら、合理的で多角的な視点を含んだ考えを上から下まで国中に速やかに伝達していく競争が始まっているのかもしれません。
この点では恐らくどの国も横並びでしょうから、"日本人は礼儀正しい"と自認している我々がその本来の国民性を発揮していくことを期待します。
と演説したギレンは惨敗しました。この過激なセリフは多くの視聴者の記憶に残り、今でも時たまネットスラングで利用されるほどです。一方彼の父親はギレンほどの名言を残しませんでしたが、あのとき連邦と和平できていればララァも死なずに済んだわけです。
ギレン型の言説で目立つことばかりが持て囃されるSNSに対し、疲れている人も多いはずです。
穏健でつまらない話を欠伸しながら語り合うほうが、実は平和で良いのです。
多くの普通の人たち、とくにSNSで沢山フォロワーを抱えたりしていない人たちはぜひそのままでいるべきです。なんだか世の中には他人のフォロワーが少ないことを馬鹿にするひともいますが、私はそのままで良いと思います。
ただ、もしSNS上で愚かな言動をしている人をみかけても罵倒や嘲笑をせず、どうしても目障りならミュートやブロックをして関わらないようにするだけでもいいと思います。
仮に鋭い罵倒や皮肉で多少耳目を集めることが出来たとしても、砂浜に描いた落書きのようにすぐネットの海のなかに消えていくだけです。
相互理解や変化に繋がっていくことは無いでしょう。
と、つまらない話しかできずネット上で目立つこともないことへの自己弁護をしてこの長々とした話の結びと致します。
もし読んでくれる人がいたとしたら、ありがとうございました。
最近、石破総理の評判が悪い。でも、この人、何度も大臣や幹事長をやってたわけで、総理になった途端豹変したわけじゃない。つまり「元々こうだったけど、総理になったらわかった」だけと思われる。
長年「党内野党」として政権にツッコミを入れるポジションでもあった。その結果「総理になってほしい政治家ランキング」上位にいたが、やってみたら評価が急落。これ自体はあるあるである。
で、そんな党内野党だった彼が人気を得た主戦場は何か? それはSNSでもYouTubeでもなくテレビだったと思う。バラエティにも出て「なんか面白い(けど誠実そうな)政治家枠」だった気がする。しかし今、情報の主戦場はSNSに移行中で、そんな過渡期に石破政権は恐らく長くはもたなそう。このままいくと石破総理は最後のテレビ政治家になるのではないだろうか。
https://mainichi.jp/articles/20241210/k00/00m/040/003000c#:~:text=2024年の「ユーキャン新語,サービス)上で相次いだ%E3%80%82
「不適切にもほどがある」略して「ふてほど」という言葉が流行語大賞に選ばれた。
が、2024年、そんなドラマが放映されていたことさえ私は知らなかった。
妻も知らなかったし、両方の親に聞いても「知らん」とのことだった。
たとえばWBCであったり、サッカーのワールドカップや、半沢直樹のドラマであれば、仕事の中で自然と話題に上がってくるものだ。
興味がなくても、「そんなのがやっているのね」程度の認識になる。
ちなみに実感として2024年のドラマで話題になったのはNETFLIXの「地面師」である。間違いなく。
「もうええでしょう」のセリフは仕事中にあちこちで冗談交じりに言われていた。
NETFLIXに入っていない人も「地面師」に関しては認識されていたと思う。
私も話を聞いてNETFLIXに入会して視聴した。ピエール瀧ええやん。
さて、流行語大賞を受賞した「ふてほど」は、SNSでは「不適切報道」の略であると揶揄されるようになった。
https://toyokeizai.net/articles/-/844865
SNSの発達した現代、いわゆるTVの人々が力技でねじ込むような真似は露骨に嫌悪感を持ってネット住民に迎えられることとなった。
しかしながら、黙って受け止めていた大多数が、今はSNSで声を上げて、それを不特定多数が見れるようになったのだ。
その結果、自分の意見に近いものを見つけ、自身となり、自分の考えが間違っていないことを確認する。
もちろん中にはとんでもな意見もあるが、
声を上げない多数派(サイレントマジョリティ)の意見が可視化されるようになったのだ。
そして可視化されるとマスコミの報道姿勢との差がはっきりしてくる。
「普通だったらこう考えるのに、どうしてこんな報道の仕方をするのか」
という違和感が積もり積もって、皆が昔よりもはっきりと報道への違和感を自覚できるようになった。
県西播磨県民局長だった男性(後に自殺)にパワハラ疑惑などの告発をうけた。
ほとんどTVを見ない私でも、「こりゃ辞職しかないなぁ、、、」と感じていた。
しかし蓋を開けてみると投票率55%、得票率40%超えで斎藤元彦知事は再選を果たす。
この過程はかなり興味深いが、
・実際に「パワハラ」を受けた職員が報道されていたよりかなり少ない
・告発した男性の自殺はプライベートな問題によるもの(一説には不倫)
特に二点目はそれまで「ひどいパワハラの知事」から「ひどい部下に悩まされた知事」へと見方がリセットされた。
https://dot.asahi.com/articles/-/245641?page=1
なおかつ、マスコミはその事実を知っていて全く報道しなかった。
https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202502/0018643684.shtml
これによって「マスコミは自分に都合の悪いことは報道しない」「マスコミが叩く人は悪い人ではない」
という見方に一層拍車がかかることになり、TV・新聞の信用が地に落ちた。
それによって、不信任を受け、支持率は17%にまで落ちていた斎藤知事は再選を果たすのである。
自分は40才を超えているが、いままでTVの大バッシングにあって、のらりくらり逃げおおせた政治家は見たことがあるが、
昔だったら斎藤知事は再選もできなかっただろうし、政治家としては再起不能になってたであろう。
信じられないが、SNSにいる「サイレントマジョリティ」がオールドメディアに勝利したのだ。
そして今後もこの流れは止まらず、TV・新聞といった「オールドメディア」は縮小に伴う役割の変更を迫られるであろう。
最近SNSで見られているのは基本「減税・社会保険料の減額」「外国人トラブル」が多く、
それにもかかわらずオールドメディアではあまり積極的に報道しないし、政府批判も行わない。
むしろ「SNSは一部の変わった意見を増幅しているだけ」みたいな反応すらある。
単純である。金と票であり、それは「高齢者」と「富裕層」なのだ。
アベノミクスという改革がもたらしたのは「金持ちがさらに金持ちになった」「一部の人が金持ちに移行した」というのはデータからも明らかになっている。
最近できた「麻布台ヒルズ」と2000年にできた「六本木ヒルズ」を見比べれば残酷なほどわかる。
麻布台ヒルズはとても普通の人が利用できないような高級ブランド、サービスで埋め尽くされており、ちょっと気軽に遊びに行けるような施設ではない。
一方、六本木ヒルズは高級店もあるが、比較的リーズナブルな店も多く、気軽に利用しやすい。
最近はデパートも同じ流れなのだが、「金持ちしか消費してくれないので、庶民は相手にしない」のである。
昔は普通の庶民が購買の中心になっていたが、今は国からの搾取で全く力がなくなっている。
つまり大多数の普通に働く人は政治家、その腰巾着であるオールドメディアにとって「金」にも「票」にもならないのである。
デパートだけではない。たまに話題になる財政についても同じだ。
最近でこそインフレになってきたが、それまで長い間日本はデフレであった。
デフレは高齢の年金生活者、金融資産をもつ富裕層にとってはとてもいい状態なのである。
また緊縮財政で税金、社会保険料が上がっても、このグループはなんの影響も受けていない。
1億以上の資産を持ち、配当だけで食べている人が所得制限のある給付を受けているような状態だ。
しかしそういう問題がメディアで取り上げられたことがあるだろうか?たぶんない。見たことない。
さらに減税の話になると、テレビで取り上げられるのはほとんどの人に関係ないだろう相続税の話だ。
日本は高齢者と富裕層に手厚くしつづけ、現役世代のヘイトをかなり深く溜め込み続けている。
この高齢者と富裕層しか相手にしない政治から、オールドメディアは距離を取って、
露出の多い女性が出てくる広告とか際どいコンセプトのキャンペーンがあると、これは女性を性的に消費してる!とか男はこういうのが好きなんでしょ?みたいな批判がSNSで大量に噴出する。
いや、まぁ分かるよ。確かに「おいおい、これはちょっと露骨すぎるだろ」って思う広告もあるし、性的な目線で見る人が一定数いるのも事実だ。
でもさ、それを「男は全員こういうのが好きなんでしょ?」みたいに一括りにされると、さすがにちょっと待ってくれよって言いたくなる。
例えば胸の大きい女性が居て、その女性の胸を見て「大きいなぁ」と思うのって、そんなに悪いことか?
これ、身長の高い人を見て「大きいなぁ」って思うのと同じような感覚なんだよ。
ただ「物理的に大きい」という、それだけの話。
にもかかわらず、「それはセクハラです!」とか「いやらしい目で見てるんでしょ!」って言われることがある。いやいやいや、何でそうなるの?
もちろん、いやらしい目で見てる人がいるっていうのは否定しないよ。
でも、男=女性を常に性的な目で見てるっていう前提が強すぎる気がするんだよ。
例えば、街中でグラビアモデルみたいなスタイルの女性を見かけたとして、その人の体型に驚くのは、筋肉ムキムキのボディビルダーを見て「おぉ、すごいな!」って思うのと同じ感覚じゃない?
それを「いやらしい目で見てる!」って言われても、いや違うからってなるんだよ。
男性によっては女性の体に興味がない人も一定数いるし、性的な視点で見ることにすら罪悪感を抱く人もいる。
ネット上では「男は全員エロい」という前提で語られることが多くて正直しんどい。
別に男全員が女性を性的に見てない!なんて極端なことを言いたいわけじゃなくて、全員がそういう目で見てるわけじゃないんだよってことをもう少し理解してほしい。
今から10年前、大学の同期がSNSアカウントを一切持っていなかったことを知った。
「せっかく中学受験、大学受験をくぐり抜けて優秀な仲間に囲まれているのに、わざわざ有象無象に飛び込む理由は無いじゃないか」
これには少し不快感を憶えた。選民思想でも持ってるのか?と感じたほどだ。
TwitterはXに名前を変え、ポストの収益化が始まり、以前にも増して感情を煽るようなポストが並ぶようになった。
そこには、画面上の見たものすべてを信じてしまう人々が群がっていた。
最近の財務省解体デモを見て、10年前の友人の言葉が頭に響き渡っていた。
Xでの書き込みはとてもじゃないが思慮が足りておらず、考えられて書き込まれているとは思えないものばかりだ。
「論理期思考力」という言葉があるが、この力は特別な訓練がなければ身につかないものである。
通常は高校までの丸暗記・詰め込み型の教育で身につけられるものではなく、大学での探求・研究の過程で身についていく。
もう少し抽象度を上げると「熟慮力」とでも呼べるだろうか。
もしこれを読んでいる大学生や、大卒社会人がいるなら、今からでも遅くはないのでXで(少なくとも)政治的な話題を読むことを辞めたほうがよい。
昔はそれなりに読み取り力のあるライターさんや批評家が作品を読む視点とか構造とかを示してくれてたんだよね、雑誌とかで。
ユーチューバーとかいう有名なだけのシロウトの考察を有難がったり、SNSに流れる鳴き声に便乗するだけの屑、共感できるかできないか、面白いか面白くないか、それだけで作品を味わった気になる無教養が増えすぎなんだよね。
作品の消費スピードもどんどん加速してるし。いちいち立ち止まってふか~く解釈してらんないのよ。時間も余裕も知識もない。作品を顧みることなく、感情のなすまま、次から次へとバズジャンルに飛びつき脊髄反射で物を言うのが今のオタクの習慣なのよ。
哀れだね。
私はある女性アイドル(一般に地下アイドルと言われる類)が好きだ。
月1回くらいしか現場に行かない弱小オタクだ。加えて、チェキも1~2回しくらいしかしない雑魚オタクだ。
そんな感じでゆる~く推し活をしている女オタクが、現場に行っていて感じていることをだらだらと書く。
現場で、彼女らのパフォーマンスを見ていると心から元気をもらえる。
私と年齢が変わらない女の子たちが(加えて私の推しは年下だ)、日々練習をして、忙しい中これだけのパフォーマンスをしてくれて、
笑顔をフロアに届け、心のこもった彼女らの歌・ダンスには本当に心を動かされる。
そんな現場は本当に楽しいし、熱気のある会場でのパフォーマンスは彼女らにとっても楽しいものだと信じている。
ただ、外から見ているだけの私でも少しメンタルが削られるときがあるから、
アイドルの大変さって想像を超えるものがあるのだろうな、だからこそ休養する子たちも出てくるのだろうなと思う。
こういうところすごいって直接言うのもアレだし、別に目に留まらなくてもいいし、
私が吐き出させてほしいだけなので匿名ダイアリーを使わせていただく。
前段が長くなってしまったが、地下アイドルは特典会(チェキ撮影会)って悪魔だよなと思う。
人気度の可視化、といった点は何度も擦られているだろうから触れないが、
初めてこの特典会を目にした際の第一印象は、「アイドルって感情労働だ」だった。
もちろんキャバよりもそれぞれの本音を言ってくれている(と信じたい)が、
オタクの喜ぶ言葉、楽しいって思ってもらえる言葉を言って、楽しい空間を作り出す。
「察してちゃん」と話すのが疲れるように、たとえ楽しいとしても精神的に疲れる部分はあるだろうなーと思った。
加えて、オタク1人あたりの持ち時間は30秒~1分ほどが多い。
以前の会話を参考に時にはSNS見てるよ~というのも伝え、ってやること多すぎ!大変すぎ!って思う。
オタクが嫌とかではなく、誰しも仲いい友達と��えずーっと一緒だったら疲れるように、
全員がとは言わないけど、オタクってちょっぴりミソジニーだったり
男性が圧倒的に多い中でホモソーシャル的な、内輪ノリが、発生している。
配信でアイドルが少し困る内容について、それを丁寧に対応しているのがえらい、良いアイドルだ、
といった感じで盛り上がっているのを見て、若干引いた。
冗談の範疇で収まる範囲だし、お互いそれはわかってるし、多分私が弱いだけだが、
まあでも削れる子はそういうところでも削れるよねって思うし、
心に鎧をまとっていかないとやってられないよなーって思う。
SNSもそうだし、心無いコメントとか、ちょっと偉そうな態度とか、
客がいないと誰も幸せにならないのは前提として、でも売り物は・相手は人間だよ?若い女の子だよ?って思ってしまうときがある。
私たちも彼女らのことを考えながら推していきたいし、だからこそ、アイドルの子たちには規約違反をしてほしくないです!!!!
お互い気持ちのいい現場・世界を作っていけたらいいなと思ってしまう場面を目にしてしまうのが、オタク界隈だ。
そして、ちょっとずつすり減るメンタルの行きつく先がアイドルの卒業かもしれないし、
アイドルがずっと表舞台で活動してくれる確率なんてほぼ0に近いと思うので、
できるだけ長く、楽しく、元気に活動している姿を見るために私たちができることは、
しないようにすべきことは何かを考える日々です。
限りある推しのステージを目に焼き付けて、特典会では感謝を伝え、
少しでもアイドルをやっていてよかったって思ってもらえるといいなと思う。
ロリコンだけじゃない。特にロリコンというわけではない性犯罪者も「大人の女性は抵抗されたら勝てないから」って理由で女児を狙ったりする。
最近でも自分の娘を性的暴行して動画を共有してる鬼畜父親のSNSグループが発覚して逮捕されてた。
父親ですら油断できない。
「娘は小さい頃から女で生意気だけど息子は小さな彼氏で可愛いよね〜!娘より息子の方が好き!」
鴻上尚史も、「息子は愛しているが娘は愛せない」と悩む母親に言っている。
https://dot.asahi.com/articles/-/103160?page=2
しかも母親も親戚も、都合良く介護などの面倒ごとは娘に縋ってくるのだ。
ちなみにシャチの母親も、息子だけ守って甘やかす傾向があり娘は守らないらしい。
嫌なところが人間に似ている。
その分娘は父親に愛してもらえるからいいじゃないか!と言う人もいるだろう。
しかし、主に子育てに携わり、子供に甘えられるのはやはり母親である。そんな母親に愛してもらえない、愛情に差をつけられる苦悩は大きい。
父親がまともならまだいいが、父親すらも旧家や田舎の価値観で男児偏重だったり、父親がDV不倫男だったりそもそも不在だったりして母親の毒を加速させていることもある。
まして一見可愛がっているような性的虐待野郎だったりすると最悪である。
これは逸失利益というものであり、「男児の方が将来働いて稼いでくれるから」らしい。
どうも、元飼育員です。
はい、自己紹介は終わり。タイトルの通り才能について話していきますね。
それは
・他者との「違い」
以上です。ありきたりですよね。拍子抜けだったらすみません。
ですが、このような結論になったエピソードがありますのでよかったら見てってください。
「キリンの蹄を削っといて」
皆さんだったらどうしますか?とりあえずヤスリ持って近づいてみたください。蹴られますね。
麻酔を使ったらどうか。アリです。ただリスクあります。体への負担すごいです。
投薬量のコントロール、覚醒時の衝突事故などなど・・・懸念事項はたくさんあります。
じゃあどうすんのよ。
・無麻酔
・キリンに協力してもらう
はい、こんな感じです。
ざっくりイメージを伝えるなら「お手」の応用です。そうです、犬にやるやつ。
ゴールはこれです。実際の目標設定はもう少し細かいですが本題と関係ないので省きます。
さて「才能」についての話でしたが、このゴールまでの過程に色々思ったことや気づきがありました。
台座に足を乗せてもらうと述べましたが、これがなかなか難しいのです。
・キリンを呼ぶ
・キリンを寄せる(柵とか仕切りに)
・キリンに足を上げてもらう
・足を台に乗せる
・ヤスリなどで削る
・キープ
段取りはこんな感じですね。1つ目はエサ使えばいい話なんでどうでもいい(よくない)として、
2つ目、3つ目が最初の壁であり「才能」について気づきがあったフェーズでした。
こんなこと言うとあれですが、賢い個体だとあっという間にヤスリで削るフェーズまでトントン拍子で進みます。
いいえ違います。このエピソードの主人公はおバカなオス個体です。
このオスはキリンの中ではとりわけビビリで少しの異変で固まってしまったり、パニックになると
とりあえず「蹴る」ことを選択してしまう子でした。もう愛すべきおバカさんです。
さあ、R君に蹄のケアの協力をしてもらいましょう。
早速餌で呼びます。来ます。柵に寄ってもらいます。なんだか斜めですが良しとしましょう。足を上げてもらいましょう。
凄まじいスピードで蹴ってきました。あー大変。まあこんな感じです。素晴らしいスタートです。ワクワクしてきますよね。
では、どのようにして解決したのでしょうか。
一見、欠点に見える(人間が管理する上でね)この個性を逆に利用してやりましたよ。
アプローチとしては、わざと蹴らせるように誘導しました。関節をいい感じに軽く触ったりしてね。
で、その刺激を受けたことで振り上げた足を手で触れてそのタイミングで餌を与えました。これをひたすら繰り返しました。
すると、最初は荒っぽく足を振り上げていたのが次第に「スッ」「スッ」って感じにこちらが差し出した手に足を当ててくれるようになりました。
こうなったらこっちのものです。人の手でコントロールをできる段階を部分的にではあるが早めにクリアすることができたので
「蹄を削る」という目標に向けてどんどん加速していきました。不思議ですよね、ひとつ一定規模の成功体験を与えると、
頭が活性化するのか知りませんが、これをきっかけにしてできることがどんどん増えていくのですら。
実際、足上げのコントロールの段階を7割くらいクリアしつつある頃に、肩に触れる、お尻に触れる、もちろん足を上げたままを保つ、
斜めだった柵へ寄せが柵と平行になる…などへの展開がスムーズになりました。
本当はもっと細かく段階を踏みましたし、意識したポイントなども語り出したら滝のように湧いて出てきますが、
そのレベルの過剰な具体性のあるエピソードなんて誰も期待していないと思いますので、この辺りで留めたいと思います。
長々と語ってきましたが、私の思う「才能」の見つけ方は、その環境下での他者との「違い」を理解することだと思います。
このような意見は正直SNSで散々あると思いますし、「そんなん知っとるわい」という方もたくさんいらっしゃるでしょう。
ただ、この意見を裏付ける具体的なエピソードってどれくらい見られますかね?あったとしても耳触りの良い抽象的な文章の羅列に
埋もれてしまっている印象ではないですかね。この辺りよかったら意見欲しいですし、なんならそのような掲示板があると良いなと思いますが…。
少しそれましたが、今回はキリンを切り口にして「才能」の見つけ方に関する意見をダラダラと語らせてもらいました。
なんとなくこの経験って人間にも当てはまるのかな?って当時思ったことをダラダラと綴ってみましたが、いかがですかね。
「蹴りグセ」という人間が管理する上で都合の良くない個性を応用してみた話でしたが、このような事例は様々な分野で展開できると考察してますし、
自分に自信のない人、新人教育で悩んでいる人、部下のマネジメントでやや億劫な思いをしている人などに対して
参考になる要素が1ミリくらいあったのではと少々の俗っぽさを塗した期待の心でこの文章を書きました。
最後になりますが、ここまで駄文を読んでくださった方には心から感謝の気持ちを持っているフリをさせていただきます。
終わり。
女も男もそれぞれいろんな悩みを抱えてる中で、「女性の生きづらさを解消する運動にみんな協力してください!」ってやったら生きるの辛くない人たちや具体的に困ってる女性は賛同するだろうけど、生きるの辛いチー牛たちからは賛同得られないでしょ
男女双方で陣営作って女がお金だまし取ったとか男がぶつかってきたとかSNSで非難合戦してたらそりゃ対立も深まりますよ
要は、フェミニストというまとまりが出来たせいで対抗するアンチフェミニストのまとまりが出来てインターネット上で石投げあってんすよね
まじで不毛
まともな人間がやるべきことは、そういうの名乗らずに、リアルでの周りの人間に、性別年齢見た目人種問わず優しくしていくことなんじゃねえのかな
おかげさまで今年結婚する予定だよ