はてなキーワード: 壁紙とは
映画そのものやストーリーというよりも、ジブリで描かれる空間が好きだ。
色彩豊かな壁紙やカーテン、古今東西の雑貨や家具、その中を吹き抜ける風、照らす太陽の光、夜には暖かく控えめな照明。
カオスな空間なのに、なぜかシンプルで懐かしさすら感じられる。
大学進学により一人暮らしを始めて以降、僕は自分の過ごす部屋をジブリで描かれるような空間にするため心血を注いで来た。
窓の数や向きにこだわって部屋を探す。
セリアやショッピングモールの雑貨屋に並ぶ「〇〇風」では決して得られないものを求めて国内外問わず様々な地域へ行き、衣服、雑貨、敷物、調理器具を集めた。
拘りと工夫は尽きない。
テレビを設置した途端、部屋に充満した暖かみは突然消え去り、無機質さが部屋を覆い、こだわりの家具や雑貨がセリアに並んでいたイミテーションになるのだ。
小型テレビをテーブルの上に置いたり、木製フレームを利用したり、視聴時以外は隠すなどの工夫をしたがやはりダメだった。
最終的には4本足のついた1960年製のテレビを改造して小型テレビのフレームとして利用することでかろうじてマシにはなった。
しかし、ブラウン管テレビに映る鮮明すぎる映像と音声はフレームの質感だけでなく部屋の雰囲気全てをぶち壊してむしろその無機質さを強調してしまった。
僕はテレビ番組視聴に強い拘りがなかったため、テレビを部屋に設置しないことに決めた。
1: 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[] 投稿日:2024/02/15(木) 10:12:45.32 ID:4x7y8G9h0
何言ってんだコイツ。会話デッキとかカードゲームじゃねえんだぞw角立てないようにするより、思ったこと言わないと結局裏でグチグチ言われるだろ。
2: 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2024/02/15(木) 10:15:55.49 ID:9y3j4f2rZ
いいからお前のデッキ見せろや。そんなんで角立たねえなら苦労しねえよ。リアルはお前の思うように行かねえからな。
3: 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2024/02/15(木) 10:18:23.12 ID:7n8k6z2pM
お前みたいのが「空気読め」って言ってるけどな、全部の意見飲み込んでたら何も進まねえよ。お前の理想論はキッズのおままごとだわ。
4: 名前:なまえをいれてください[] 投稿日:2024/02/15(木) 10:22:47.35 ID:2u4d5f6bn
結局さ、お前って自分が嫌われたくないだけなんじゃないの。お気持ちだの気にしすぎると自己犠牲で疲れんぞ。
5: 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2024/02/15(木) 10:25:15.86 ID:8h2c7w1rJ
「対人コスト他人に全部負わせてる」のはお前じゃねw言いたいこと全部隠して、相手の気持ちばっか気にしてたら自分の意見なくなるわ。
6: 名前:名無しさん@英語勉強中[] 投稿日:2024/02/15(木) 10:28:50.24 ID:3b9y7t6xK
「すんませ〜ん」とか言ってりゃ全部解決するとか思ってる時点で平和ボケすぎるだろ。現実はもっとシビアなんだよ。
7: 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[] 投稿日:2024/02/15(木) 10:32:19.11 ID:0a5k9v8fQ
「お気持ちに屈しない俺」って言ってもさ、全部が全部他人任せじゃないぞ。お前が他人にそれを押し付けてるんだろ。
8: 名前:名無しさん必死だな[] 投稿日:2024/02/15(木) 10:36:12.45 ID:5q7p1h6vE
世の中さ、自分がどうしても賛成できないこともあるんだよ。全部に「すんませ~ん」だとただの壁紙。気持ちちゃんとぶつけろ。
9: 名前:名無しさん@涙目です。[sage] 投稿日:2024/02/15(木) 10:40:20.74 ID:6z3j2b1wG
なにが「対人コスト」だか。全部計算して喋れてたらそれはもう会話じゃねえだろ。ただの計算だぜ。
10: 名前:名無しさん@涙目です。(茸)[sage] 投稿日:2024/02/15(木) 10:44:45.31 ID:1y2f9f0rH
「角が立たない会話デッキ」だってさ。お前はカードゲームと本気でリアル混同するのそろそろやめりゃ?現実には効かねえんだぞ。
最近、ふと考えることがある。昔のインターネットみたいな場所って、もうどこにも無いのだろうか?
90年代後半から2000年代のインターネットは、手探りで広がる未知の世界だったよね。個人が作ったホームページが乱立し、どこかの誰かが自分の好きなものをただひたすらに紹介していた。テキストが中心で、画像は重かった。キラキラしたGIFアニメや、背景に敷き詰められた壁紙、カウンターが回るページ。
掲示板もそうだったよね。誰でも気軽に書き込めて、ゆるやかなつながりが生まれる場所。
返信が一日遅れることも普通だった。
でも、気がつけばインターネットは変わったよね。巨大プラットフォームが中心になり、アルゴリズムが「どれが最適な情報か」を決める世界になった。個人サイトは淘汰され、SNSは効率的な発信の場へと変貌した。昔の掲示板のようなゆるさは消え、何を発信するにも「バズるかどうか」が問われる。気軽に投稿できるけれど、その気軽さの裏には「誰かに監視されているかもしれない」という緊張感があるよね。
みたいな所はある。
10 年前、上の子が小学生で下の子がまだ妻のお腹にいた頃に今の家を建てた。結婚後しばらく住んでいた賃貸のマンションを出て中古で買った、昭和 40 年代に建った古い木造一戸建ての建て替えだ。買った当初はお金が足りなくて無理だったけど、いつか綺麗に建て替える予定だった家。それを、二人目も産まれるしそろそろ上の子にも子供部屋が必要だしね、なんて言って建て替えを決めた。注文建築で間取りは自由なので、子供部屋は比較的大きめにとって、窓を二つ、クローゼットを二つ、ドアを二つ、ぴったり左右対称に作った。下の子には当面の間は部屋がなくても大丈夫だし、ある程度大きくなっても子供二人で広い部屋で遊べたらいいね。でもさ、いつかその時が来たら、リフォームして真ん中に壁を入れて、それぞれの一人部屋に出来るようにしておこう。喧嘩にならないよう同じ条件の部屋二つに分けられるように、って。
あれから 10 年。上の子は高校に入って部活に邁進し、下の子も小学生の高学年になり思春期に片足を突っ込みだした。最初は大きく使っていた一つの子供部屋も、ある時からは真ん中に仕切りのように二段ベッドを置き、左右に分けて使うようになっていた。下の子が、友達と喧嘩しただの、親に叱られたのでふて腐れて二段ベッドの下でうめいていると、親に似ず意外なほどの勉強好きに育った上の子が、こんなんじゃ集中できないよ、とこぼす。そうか、10 年越しにその時が来たのだな、と思った。
リフォームをすると決めてからは早かった。家を建ててくれたハウスメーカーに連絡を取ったら、系列のリフォーム会社の若い営業の人が来てくれた。元々の図面も共有されているので意図は簡単に伝わり、新しく導入する壁に貼る壁紙をショールームで決めたら、工事日が決まるまではそう長くなかった。工事自体は二日間であっという間に終わり、元は大きかった一つの子供部屋は、真新しい壁で区切られた、小さな、でも子供には十分な広さの二つの部屋になった。何年かに渡って部屋の仕切りの役割を果たしてくれていた二段ベッドはもう使えないので、リフォーム工事の際に産廃業者に引き取ってもらい、子供達それぞれに新しくベッドを買ってあげた。二人がそれぞれ自分で考えた場所にベッドと、机と、棚を置いて、さあ子供達よ、これが新しい一人一人の部屋だよ、って。それが先々週の話。
こういうのって、子供達が自立をしていくために必要な環境だったんだなってつくづく思う。上の子は、何を促したでもないのに自分の部屋の整理をどんどん進めてる。ものが整理整頓されていくのが楽しいみたい。元の部屋だった時よりずいぶん綺麗になった机の上に、推しのアクスタを置いてニコニコしてる。下の子は、相変わらず机の整頓は苦手だけど、希望していたロフトベッドの下に机が入ってご満悦。ベッド脇からレースのカーテンを垂らしたいからと、今週末に大きな 100 均に連れてって欲しいとお願いされてる。しかも驚いた事に、今日は小学校から帰るなり自分の部屋の掃除をし始めたんだ。掃除機なんてお手伝いを頼まれた時以外手にする事なんてなかったのにね。小学校入学以来の親友を部屋に招待して、お菓子パーティするんだって。もうなんだかそれが嬉しくて嬉しくて、ちょっと目が潤んでしまった。
そうそれが、今日ここに記録を残しておきたいと思った理由。こうやって成長して自立していくんだなってしみじみ思ったのが。そんな環境を、少なくとも成人し親から独立していくまで提供してあげられたらと思う。
スマートフォンが主流になって久しい。街中を見れば老若男女関係なく、誰もが同じような長方形の端末を手にしているし、電車に乗ればみんな下を向いてSNSやらゲームやらに没頭している。いや、それ自体を否定するつもりはないんだ。だけどさ、本当にみんながスマートフォンを必要としているのかなって思うことはある。いまやスマホの機能はパソコンをも凌ぐものになってきているけど、それって果たして全員にとって必要不可欠なのだろうか。そもそもガラケーで事足りる人って、意外と多いんじゃないかと思うんだよね。
そりゃ、便利だよ、スマホは。アプリを入れれば何だってできるし、SNSだって投稿が簡単にできる。動画も地図もあれこれ全部一つの端末に詰め込んで、ポケットに入れて持ち運べるなんて、かつてのパソコン時代やガラケー時代��ら比べたら夢のようだ。それに加えて大容量のデータ通信が可能なプランを契約すれば、外でもガンガン動画を観られるし、リアルタイムでのやり取りもスムーズ。そういう意味では、確かにスマホはすごい。でも、その“すごさ”を真に活用できている人がどれほどいるのかは、ちょっと疑問だ。
たとえば、メールと電話、それにちょっとしたSNSやブラウザ検索くらいができれば十分という人は少なくないはずだ。その程度の用途なら、別にガラケーでもいいんじゃないの? と思うわけ。必要最小限の機能を備えていれば、そもそも「ネットが重い」「アプリが落ちる」「OSがバージョンアップできないからアプリが使えない」といった煩わしさとは無縁だし、バッテリーも長持ちする。なんせガラケーなら2〜3日は充電しなくても平気だ、なんてこともザラにあるからね。スマホだと日常的に毎晩充電しなきゃいけないから、その手間を考えるとガラケーの利点もやっぱり大きい。
もちろん、スマホにはカメラ性能が高いとか、決済機能があるとか、生活を快適にするいろいろな便利機能が詰まっている。でも、カメラだって一眼レフやデジカメを持っている人からすれば、スマホカメラじゃ満足できないこともあるはずだし、逆にスナップ写真くらいしか撮らない人ならガラケーのカメラで十分事足りる。決済についても、スマホ決済が便利なのは間違いないけど、クレジットカードや交通系ICカードがあれば大抵の場所で用は足りるんだよね。結局、なんでもかんでもスマホに集約して「スマホがないと生活できない」状態になるのは少し危うい気さえする。
思えば、ガラケーと呼ばれる前の時代は、みんなが当たり前にあの二つ折りやスライド型の携帯電話を使っていたわけで。それでも社会は動いていたし、人間関係だってきちんと成り立っていた。実際、あの頃は電話とメールだけでコミュニケーションが十分成立していたし、インターネットをしたいならパソコンを使えばよかった。そして何より、ちょっとしたネット閲覧や着うた・着メロのダウンロードには、ガラケー専用のサイトが用意されていたから、それを不便だと感じていた人は今ほど多くなかったんじゃないかと思うんだ。
そう考えると、やっぱり「ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?」と思うこともある。だって、通話とメールが使えれば連絡は取れるし、カメラも簡易的な撮影には不自由しない。さらに、多くのガラケーにはストラップを付けられる穴があって、そこにお気に入りのキャラグッズをぶら下げてアピールする楽しみ方なんかもあった。いまのスマホには、そういう「ケータイの個性化」を楽しむ余地が薄い気がするんだよ。スマホケースやカバーで差別化するっていう人もいるけど、昔のようにジャラジャラとストラップをぶら下げる感じとは違うんだよな。
ときどき言われるのが、「いやいや、いまの世の中はLINEでのやり取りが必須だから、ガラケーじゃ不便でしょう」という意見。でも、それって本当に全員が必要かな? たしかに仕事やサークル、あるいは家族・友人のグループチャットで情報を一斉共有したり、スタンプでカジュアルにコミュニケーションしたりするのは楽で便利だ。でも、電話やメールじゃダメなの? 昔はそれでやりくりしていたわけで、無理にLINEに縛られる必要はないんじゃないかと思う。もちろん「いや、仕事でどうしても必要なんだ」っていう人はいるだろう。そういう人はスマホを使えばいい。でも、誰もが「LINE至上主義」に合わせている現状に、ちょっと違和感を覚えるのも事実だ。
もっと言えば、「そんなにインターネットがしたかったらiモードもあるし」と言いたくなることだってある。そう、ガラケーにはiモードという独自のネット接続サービスがあって、昔はあれで天気予報やニュースサイトを見たり、ちょっとした調べごとをしたりしてたわけだ。いまはさすがに対応サイトが減ってしまったかもしれないけど、それでも基本的な情報収集ならできなくもない。「スマホじゃなきゃネットができない」わけじゃないんだよな。
とはいえ、世の中にはガラケーを愛用しつつも、必要最低限の用途だけスマホを使う「2台持ち」という人もいる。スマホは持っているけど通話はガラケーでする、みたいなスタイルだ。これってわりと理にかなっていて、ガラケーは通話用にバッテリーが長持ちし、スマホはSNSやアプリ専用と割り切ると、余計な通知に煩わされることも減る。料金プランをうまく選べば、そこまでコストも高くならないから、案外「スマホ1台より2台持ち」のほうがストレスフリーという人だっているわけだ。
ただ、「ガラケーとスマホを両方持つとか、管理が面倒くさい」という声もあるだろうし、そもそも二台持ちが一般的になると、街中で両手に端末を持って歩くようになるのかな? なんて想像すると少し滑稽でもある。そこまでしてガラケーにこだわらなくてもいいじゃないか、という意見があるのも理解できる。でも、一部のガラケーユーザーにとっては、あの折りたたみの感触や物理ボタンの打ちやすさ、そして着信音を選ぶ楽しみなんかが、今でも捨てがたいんだろうなって思うんだ。
ガラケーの物理ボタンは、スマホのタッチスクリーンにはない魅力があると思う。画面を見なくても、手探りでボタン操作ができるし、押した感触がハッキリしている。メールを打つにも、慣れればかなりのスピードで文字入力ができるから、指先が画面を飛び回るスマホよりも誤操作が少ないという人もいる。実際、ガラケー世代の人間からすると、あのテンキー入力のほうが「身体に染み付いている」感覚があって、スマホのフリック入力がどうにも馴染まないなんて話もよく聞く。だから、使い勝手という面では、ガラケーを「機能が少ない」と一蹴するのは早計だという気がする。
また、ガラケーには折りたたみやスライドなど、端末自体の形状にバリエーションがあった。そのせいか、端末のデザインにも個性が感じられたものだ。カメラ部分の形が凝っていたり、アンテナが伸びるタイプだったり、質感も金属やプラスチックなど機種ごとに違う。自分の好みや使いやすさに合わせて端末を選ぶ楽しみがあった。スマホは基本的に「大きなタッチ画面がどんっとある長方形」という形状が大半だから、デザイン的な違いはあっても機能面はほとんど似たり寄ったり。文字通り“画一化”している印象が強い。
カバーやケースを付ければ見た目も変えられるし、画面上の壁紙やアイコン配置で多少の個性を演出できる。でも、ガラケーの時代にあったワクワク感、たとえば「次はどんな機種を買おうかな?」みたいな楽しさは、スマホ時代とはちょっと違う。「新作スマホが出た」と言われても、画面のサイズやベゼルの細さが変わったくらいで、そこまで大きくは変わらない印象がある。もちろんカメラ性能やCPUの進化もあるんだけど、日常的にそこまで性能を使いこなす場面がない人にとっては、あんまり魅力を感じない場合もあるだろう。
それに、スマホはついつい「時間泥棒」になりがちだ。SNSをちょっと見るだけのつもりが、いつの間にか1時間も経っていたとか、寝る前にスマホを触っていたら気づけば深夜になっていたなんて話は、ザラにある。ガラケーだと、動画視聴やSNSのタイムライン閲覧はそこまで快適とはいえないぶん、長時間だらだら触り続けるということはあまりない。そもそも画面が小さいから、がっつり見るには不向きだし、ネット料金が従量制だとしたらむやみに使えないという制限がある。そのおかげで、自分の時間を無駄にしすぎない、という利点すら感じることがある。
「ガラケーの時代には戻れない」とよく言われる。確かに通信インフラや社会の仕組みがスマホを前提とした形に急速に変わりつつあるから、一人で頑固にガラケーを使い続けるのは不利かもしれない。銀行のアプリや役所関係の手続きなんかも、スマホ前提で設計されていたりして、ガラケーだけでは対応できないことも増えている。そこはちょっと残念なところだ。時代の流れに逆行するとなると、どうしても不便を甘受しなきゃいけない部分が出てくるのは仕方ない。
でも、その不便を受け入れてでも「ガ��ケーだけでいい」と思う人がいるのは、やっぱりそれなりの理由があるんじゃないか。何より、常に最新のSNSやアプリの動向を追う必要がないし、スマホをいじりすぎて疲れることも減る。コミュニケーションや情報収集に追われないから、心に余裕が生まれるかもしれない。実際、スマホをやめてガラケーに戻した友人が、「今までSNSやブラウザの更新ばかり気にしていた時間を、ほかのことに使えるようになった。すごく楽になったよ」と言っていた。まさにデジタルデトックスの効果だろう。
さらに言えば、ガラケーを持っていると周囲から興味を持たれたり、「まだガラケー使ってるんだ」と話のネタになったりすることもある。ひと昔前には、最新のスマホを持つことがステータスのように扱われていたけれど、いまはみんなが同じようなスマホを持っているから、逆にガラケーのほうが個性として面白がられるんだ。「なつかしい!」なんて言われると、そこから会話が広がったりして、それはそれで悪くない。
もちろん、ガラケーの提供を続けるキャリアもどんどん減っているし、新品の端末を購入するのは難しくなってきている現実がある。将来的には4G・5Gの通信環境に完全移行して、ガラケー時代の通信方式が廃止される可能性もある。そのときは、事実上ガラケーが使えなくなるかもしれないし、いわゆる「ガラホ」と呼ばれる、ガラケー風のAndroid端末に移行するしかない時代が来るかもしれない。とはいえ、今すぐに「ガラケー文化がすべて滅びる」わけではないだろうし、それまでガラケー愛好家はしぶとく生き残るはずだ。
結局、「スマホとガラケー、どっちがいいか」っていうのは、その人の使い方や好みによる。スマホが便利で手放せないという人もいれば、ガラケーのシンプルさがちょうどいいという人もいる。世の中にはいろんなライフスタイルがあっていいはずだから、無理に合わせる必要はないと思う。誰かが「スマホを使ってないなんて遅れてる」と言ってきても、それを「押し付けがましいなあ」と聞き流すくらいの心の余裕があればいい。結局、自分が何をしたいかが重要なんだから。
もし「周りがみんなスマホだから自分もスマホにしなきゃ」と思っているだけで、本当はそんなにSNSやアプリを使わないという人がいるなら、思いきってガラケーに戻すのも手だと思う。通話とメールだけならガラケーのほうが圧倒的にバッテリーも保つし、料金も抑えられるかもしれないし、「端末をどこかに置き忘れても、スマホほど重要な情報が入ってないから不安にならない」なんていうメリットだってあるだろう。「みんなと同じだから安心」じゃなくて、「自分の必要な機能がちゃんとある」ことこそが大事なんじゃないか。
もちろん、スマホが悪いわけじゃないし、ガラケー至上主義を唱えたいわけでもない。ただ、「必要以上にスマホを使って疲れちゃうくらいなら、ガラケーで十分なんじゃないの?」という提案をしたいだけなんだよね。実はわたし自身、仕事用スマホとは別にガラケーをサブ機として使っているんだけど、やっぱりガラケーをパカッと開いてガシガシと文字を打つ感覚は良いもんだよ。慣れ親しんだ操作性と、あの独特の押し心地には、どこか安心感がある。電車でスマホの通知に追われずに済むのもストレスが少ないし、本を読んだり音楽を聴いたりする時間が増えた気がするんだ。
そういうわけで、ガラケーという選択肢は決して時代遅れのものではない、と声を大にして言いたい。機能の充実や最新テクノロジーに目を奪われるのも悪くはないけれど、シンプルに生きるための道具としては、いまだガラケーは捨てがたい魅力を持っている。もしあなたが日常のほとんどをスマホに奪われていると感じるなら、一度ガラケーで過ごす日常を思い出してみるのもいいかもしれない。通話とメール、それに少しのネットがあれば不自由しない生活に戻るのも、ある意味では豊かな選択なのではないだろうか。
繰り返すが、「ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?」とまでは言わなくても、ガラケーで十分足りるような人もたくさんいるんじゃないか。昔みたいに、キーボタンをカチカチ押しながら、「そうそう、あれこれこうだよね」とメールを送るのだって味わい深い。意外と悪くない、というかむしろ懐かしくて温かい気持ちになれるかもしれない。少なくとも、ガラケー派の人たちを「時代遅れ」とバッサリ切り捨てるのはもったいない話だと思うんだ。最新のスマホだけが正解じゃない。だからこそ���みんなが自分にとってベストな形で“ケータイ”という道具を選べる社会であってほしいと思う。
もしあなたが、いつの間にかスマホでの習慣に疲れているなら、こう考えてみてはどうだろう。「ケータイって何のためにあるんだろう?」と。連絡手段として割り切るなら、ガラケーこそ理想的な答えかもしれない。もちろん人によっては、「やっぱりスマホがないと生活が成り立たない」という人もいるだろう。それでいいんだ。それこそ「��由」じゃないか。だから、「スマホが当たり前」という常識に縛られず、自分に本当に必要な機能がどれくらいなのかを見極めるのが大事。いまの時代だからこそ、逆にガラケーを見直す価値があるんじゃないかと思う。
最終的には「そんなにインターネットがしたかったらiモードもあるし」、通話とメールで十分ならガラケーでもいい。そこにプラスアルファでスマホを持つか持たないかは、個人の自由。要するに、スマホ一辺倒の世の中だからといって、ガラケーを諦める必要はないんだよね。わたしはそう信じている。あなたのケータイライフに、少しでもガラケー復権の可能性を感じてくれたら、これほど嬉しいことはないよ。
天井がコンクリに直接壁紙だかボード1枚だか貼ってる作りでできなかったでござる
フローリングもちょっと時代を感じる焦げ茶色で変えようかと思ったけど床暖のフローリング張り替えはかなり高いと言われ諦めたでござる
まあ次の家買う時に失敗を活かすでござる
40代くらいまでの人はだいたい煙の中で育ってる。
今となっては信じられないが、子供の頃は飛行機もレストランも職場も職員室もどこに行ってもタバコの煙が充満してた。ホテルもタクシーもタバコを吸うのが普通だった。タバコの灰皿がない場所なんてなかった。ここは喫煙などと言うと非常識扱いされて、無視して吸う人が大多数だった。マッチもどこにでもあった。家の壁はみんな茶色かった。うちの実家も白い壁紙の貼られた壁の上の方60cmくらいだけ茶色になってる。壁に飾ってる額を外すとその裏だけ白い。
それでもまあみんな元気に育ってるわけよね。この辺の疫学的な研究ってなされてるのかな。
別に大袈裟と言いたいわけではないし、喫煙者と隔離した方がいいに決まってるんだけど、ここまで価値観が変わったのすごいなと心底思う。変わったのは1990年代頃か。工場や車の排気ガス規制がようやく効いてきて、空気が本来透明であることにみんな気づき始めたのだろう。それまで外に出ても工場や車の排気ガスや野焼きの煙により汚れた空気が普通だったのでタバコの煙くらいだれも気に留めなかったのが、きれいな空気の中でタバコの煙が目立つようになったのだと思う。
知らない人にコモンピープルが…ファイアレーベルで…イエモン吉井が…なんて言っても仕方ないので、分かるように言えばハリポタの炎のゴブレットで魔法使いのバンド出てきたじゃん。あれのボーカル役がパルプのフロントマンでさぁ。JKローリングもこのバンドのファンなんだよ…って、虎の衣を借るみたいでアレだけども。さくらももこもたまを映画に抜擢してたし、サブカルクソ女って音楽のセンスいいよなぁ…
で、1月6日、フェスのついでの単独公演。仕事初めなので絶対に休めないが…4・5に東京のフェスに行くのは絶対無理なんで、正月の連勤で埋め合わせて有休取得。
スタンディングは辛いので二階席。
当日券もあるとのこと、あぁ予約埋まらなかったか、オッサンばっかだろうな、と思いながらも。
こういうのっていい意味で期待を裏切られたく、ガッカリするのも嫌なので期待しないようにしてるんだけど
風呂での鼻唄が無意識にdisco2000になってたり、フェスの感想チラ見して、へー声出てるんだ。結構好評じゃん、なんてそこそこ楽しみにしちゃってたり
で今日、大阪へ。雨でガッカリしてたが夕方には止んでいい感じに。
時間どう潰そうか、と考えるが映画も微妙に時間があわず、でもなんばで適当に観光してたらいい時間になって。
開始30分前に現着。…あれ?混んでるぞ??外人さんが多いのは分かるが……老若男女つーか、若いチャンネーがいる!むしろ多い!pulpがなんか大人気バンドみたいじゃん…
物販も並ぶ!階段まで並ぶ!パルプだぞ?オアシスと勘違いしてんのか?
で、二階から見たらフロアギチギチで。パルプでこんな熱気ムンムンってある??
正直、これだけでスゲーもん見たという満足感があり、うわっ隣の女性のスマホの壁紙がジャービス(パルプのフロントマン)だ!でもそんなやべー女がここには何十人、下手したら100人位いる。異常…
で、待ってたら変な映像と変なノイズが流れて、歓声が上がる。変な映像と音が流れ続ける。トラブルか…?と思ったら日本語字幕付きのメッセージが出る。これが俺たちのアンコールだぜ。562回目(だったと思う、コロニーで語呂合わせした)のライブだぜ。忘れられない夜にしようぜ、みたいなメッセージ。
うーん、かっこいい…で満月の映像をバックにジャービス登場!うわーかっこいい!そしてディスイズハードコア!初っぱなで!?渋い!いや違う!なんだこの曲!?
顔はよく見えないが、箱がふたつ置いてあり、そこに足をのせてジャンプしたりクネクネ踊る。声も出ている。30年前から変わってるけど変わってねぇ!遅咲きで、90年代のブレイク時には30くらいだったはずなんだが…10年くらい前かな、ソロのビジュアル見た時はヒゲと白髪でもうおじいちゃんだなーって感じだったのに。若々しいんだけど、それだけじゃなくジジイなのにセクシーなんだ。うーん、俺は数十年後の自分を考えるとジジイか死んで消滅してるわけで、そうなると根源的恐怖を感じたりするんだが、こんなジジイになれるならいいじゃないか、と考えたり。ヘルプジエイジド。知らん曲はウィラブライフ産か?このアルバムでパルプは完全に終わったな、ジャービズの才能も枯れたなと思ったわけだが…しかし、後から感想漁ると新曲もやってたと知る(MCはよくわからんのよ)
disco2000が一番もりあがった気がする。後追いだから、再結成してさー、来日してさー、合唱できるなんて思わんじゃん?サムシングチェンジド、好きだった曲だけど何だっけこの曲??ってなったり。ベイビーズもリップグロスと勘違いして勝手に盛り上がったり。ドラムがいい仕事してる。ベースは昔イケメンだったんだよなー。映像とか演出とか凝りまくってて、令和の現役バンドって感じだ。アンコールのコモンピープル、いつやるかいつやるか、ソワソワしすぎて期待の方が大きかったかも。スマホの電源切ってたけどアンコールやしええやろ!でビデオ撮ったが、画面で見るとステージ遠すぎ、しかも容量不足で撮影停止。でもそれはそれで。コモンピープルでメンバー紹介するのもいい。その後のアンコール、コモンピープルやっちゃったらもう蛇足にしかならんよね、といいつつ映像も用意してるから予定調和よな。太陽の塔行ったらジャービスいたんかな。ラズマタズやってくれたのはよかった、doyouremember1sttime も。キラキラ手袋は仕込みを疑いながらアドリブと思いたい。
ミスシェイプスで〆たらカッコいいのになぁと思ったが、後から東京公演のセトリではそうだったことを知ってうれしくなったり(フェスの話かと思ったが、解散する前の来日?)
初めて見にいったライブが再結成スウェードでポールマッカートニーが風邪引いたりコロナがあったりで、人生2回目のライブ。そっちはファンサービスが完璧でプロを感じたけど、こっちはカリスマ性で殴ってくる感じ。しかし、スウェードのブレットとパルプのジャービスはこの世にこんなにかっこよくて変態な男がいたのかと衝撃を受けた二人なので、生で見れたのは良かった。全盛期は生では見れなかったけど、老いてなお盛んなとこが見れたんで却って良かったのかもしれん。
翌日追記。
感想漁ってたら、ニッキーがいないことだけが残念、と言われてて、そうそうミッキーみたいな名前のイケメンベーシスト…いなかったんだ?脱退したとかかな…で調べたら一昨年亡くなっててえぇー!って。遠くからはギターかベースかもよく分からず、どっちかがベースなんだろうけどすっかり別人だな~と思ってたら別人だったのだが、不在とさえ思っていなかった。大抵、ギタリストが相棒的ポジションにいるんだが、パルプではベースのニッキーが結構前に出てきていて。若い頃の映像流す演出でやっぱイケメンだなーと嬉しくなってたんだが。いまさら追悼。
俺は唯物論者だから、天国で見守ってくれてるみたいな考えはできないし、不在の悲しさはある。でももしタイムマシンか何かで、生前のニッキーに来日公演の盛り上がりを伝えることができたら、彼は喜んでくれるだろう。だから、これでいいのだ
といったスピリチュアルな発想をベースにしながら、量子力学やフラクタル理論など現代科学の要素も加味して、人間の意識と現実との関係を解き明かそうとする新しい思想体系です。
- 部分と全体が自己相似的に繰り返される。心と宇宙もまた、フラクタルに構造が通じ合う。
2. **引き寄せの法則**
- 思考・感情の状態が“波動”を発し、それと共鳴する現実が引き寄せられる。
4. **無意識の力**
- 顕在意識よりもはるかに大きい無意識(潜在意識)が、実は現実や運命を動かすカギとなる。
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### 2-1. 宇宙の95%を占めるダークマター・ダークエネルギー
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# 第3章 観測者効果・引き寄せの法則・フラクタル理論の融合
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### 4-3. シナジー効果
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### 5-3. 「イメージして手放す」の大切さ
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### 6-1. おみくじやタロットを「よい結果が出るまで」引く方法
- 願いを言語で細かく規定しすぎず、“こんな場面があったら最高!”という映像を描く。
- おみくじやタロットで自分が納得する・気分が上がる結果が出るまで試行してみる。
- 良い結果が出たら、そのイメージをさらに瞑想で深めたり、日々の生活の中で思い出したりする。
4. **行動と連動させる**
- 占いで得たヒントやキーワードをメモし、それにつながる行動を少しずつ試してみる。
1. **朝・夜の数分瞑想**
- 呼吸に意識を向け、心身を落ち着かせる。
- 1日の始まりや終わりにカードを1枚引き、そのシンボルから受け取るメッセージを簡単に振り返る。
3. **イメージワーク**
- そのカードから連想される“理想の自分”や“未来のシーン”を映像として思い浮かべる。
4. **手放しと行動**
- イメージしたあとは日常へ戻り、小さな行動を積み重ねる。執着しすぎず、流れに任せる心持ちで過ごす。
- 写真や雑誌の切り抜き、シンボル的なイラストなどをコラージュして壁に貼る。
- 宇宙に関連する画像や、自分の理想を象徴する絵を設定しておく。
- 星座のペンダントや、お守り代わりのカードなど、“言葉以前”のレベルで象徴を常に意識する。
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# 結論・まとめ
- フラクタル理論や観測者効果を応用すると、私たちの心(特に潜在意識)が宇宙や現実と相互作用していると考えられる。
2. **“見えない力”を敬意をもって活用する**
- ダークエネルギーや潜在意識といった、直接は観測できない領域ほど大きな影響力がある。そこへアプローチするには、象徴やイメージを活用するのが効果的。
- 占いで外から得る象徴的メッセージと、瞑想で内側を整える行為を組み合わせることで、望む未来を設計しやすくなる。
- 願いを強く言語化しすぎるよりも、ビジュアルやシンボルを用いて無意識へ訴えかけるほうが、潜在意識や宇宙へ強力なインパクトを与えられる。
5. **日常の行動との両立が鍵**
- スピリチュアルな実践と現実的な行動をバランスよく継続することで、シンクロニシティや偶然の一致が起きやすくなり、自然に望む現実が創造されていく。
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## 参考スタンス
占いや瞑想、イメージワークといった手法を気軽に試しながら、日々の小さなシンクロや発見を大切に���ていくことで、“宇宙と心が繋がっているかもしれない”という感覚を深めていけるでしょう。それこそが、宇宙心理学がめざす「内的世界と外的世界の調和」がもたらす豊かな人生観です。
・リング?
・おもろかった
夫と出かけてる時は川の字で「家族」の見本のように
スローモーションで映されるの、おもろすぎでしょ
・「お母さん」に認められたいを搾取され続けるの怖すぎる
特にドアを引きで撮るとことか
壁紙の白々しい柄の感じとか
・娘、聡すぎやろ…
正論罪感すらあった
・「難しく考えすぎてもいいことになるかは分からない
けどお前は「まあいいか」って思えないんだもんな」は目から鱗でましたね
・りっちゃんの示す「母」に従うことを
せず己を持ち進んでもハッピーエンドは在るという光
・ほんまに母と娘のオハイソ演技、
いちいち面白すぎて
つど笑った 「あらぁっ」とする時
肩と手がフワッとして瞼をほんの一瞬伏せる挙動、
伝わらないコンテンツやな…!と思った
バズってたけどそれの連続体きたな…という感じ
・みんな演技ウマ
演技、うますぎ凄すぎでしょ
ある種の重さがあるよなぁ
自宅、学校、バイト先の位置関係の都合で繁華街を歩くことが多く、しょっちゅうナンパやスカウトに遭い辟易していた。
先に断っておくが、自分が可愛いと言いたいわけではない。普通の容姿だが、若くて歩くスピードが遅いので声をかけやすいだけだと思う。
足に障害があるため声をかけられても急ぎ足で逃げるのが難しく、気も弱いのでトロトロと並走しながらやんわり無視する程度の対応をとることしかできない。
どうしたら声をかけられずに済むだろうと色々と試行錯誤した結果、100発100中で声をかけられなくなる方法を見つけた。ヒジャブを巻く、ただそれだけ。
宗教的な意味合いが大きいものなのでそんな目的で日本人が着用しちゃうのはどうなの?と思われるかもしれないが、今はファッションのヒジャブもあるらしいのでまー良いかなと思っている。
今年の夏、髪用の日焼け止めについて友人と会話していた折にインドネシア出身の子が「ヒジャブいいよ〜」と勧めてくれて、試しに着けてみたのがきっかけだった。
やや蒸れるが帽子よりは蒸れず、首周りも日焼けせず良い感じだったのでちょこちょこ日常使いしてみることにしてから、一切の声掛けを受けなくなった。
これまで、左手の薬指に指輪をつけても声をかけられたり、スマホの壁紙を赤ちゃん(甥)にして「子どものお迎えがあるんで…」と言っても引き下がらなかった男たちが、ヒジャブをひとつ付けるだけで視界から消えた。
デメリットは他人からの視線と、ヘアスタイルの制約のみ。まあそれが大きいんだけども…それさえ気にしなければ快適に街を闊歩することができる。
いいよヒジャブ。
上京して月40万の仕送りもらいながら、大好きなお洋服屋さんで働いてりゅうちぇるみたいな価値観が凝り固まっていなくて顔が整ってる人と恋愛結婚したかった。
家賃や生活費のためじゃなくてシンプルに好きな仕事をしてみたかった
仕送りをたくさんもらって東京で暮らすって一番楽しい生き方だと思う。
結婚式も自分の理想を詰め込んで可愛い写真撮って、いっぱいの人に祝福してもらってみたかった。
アプリで知り合った人じゃなくて恋愛してお互い好きになってディズニーで告白されたかった。
子供も結婚してすぐに授かって障害や病気もなく元気に生まれて羨ましい。
色々あったけど今も好きなことで働いてメディアにも出て、息子をサマースクールに入れて、周りには支えてくれる人がいて、両親が元気でお金もあって、兄弟も元気で、いざとなったら実家にも頼れるけど頑張って自分の力で生きてみて、でも実家は相変わらず心の真ん中にいてくれてすごく羨ましい。
息子も元気で病気も障害もなく、可愛くて、いっぱい息子と二人で結婚式に参列して可愛い格好で参列して羨ましい
自分も好��な壁紙の色に塗って好きな家具をたくさん買い揃えて東京でシングルマザーだけど保護犬を迎え入れて好きな仕事して好きな髪色して好きな服装して好きなネイルして好きなメイクして仕送りがなくても立派に好きな仕事でやっていける人になりたかった
親から支援受けても堂々として海外旅行にも行って都内に住んでペットを飼って自分もそういうキラキラした人生がよかった
子供をインターに入れて自分も英語勉強して都内に住んで犬と息子と三人で暮らしてキラキラ生活があるけど実家があっていつでも両親と兄弟がいて孫の顔を見せてあげられて好きなことを仕事にしてそういう人になりたかった
自分もお金持ちの家に生まれてのびのび育って大好きなものを見つけて仕事にしたいくらい大好きなものを見つけた大好きなものをただ大好きでい続けたら結果的にビジネスとしても成功して、そういう人生がよかった
可愛い息子がいて先進的な考え方のりゅうちぇると愛し合って結婚してアプリじゃないところで知り合ってディズニーで告白されて可愛い結婚式やってすぐに子供ができて無事に出産して全てが眩しすぎる
自分もお金持ちの家に生まれて仕送りもらいながら好きなこと仕事にして誰にも悪口言われずに、悪口言ったら言ってる方が僻みだって言われるようなニコニコした子になってみたかった
反出生主義なんて言葉知らないまま出産して無事に出産してすぐに子供ができて障害も病気もなくしあわせに自分が世界で一番って言ってくれる存在がほしかった
上京して月40万の仕送りもらいながら、大好きなお洋服屋さんで働いてりゅうちぇるみたいな価値観が凝り固まっていなくて顔が整ってる人と恋愛結婚したかった。
家賃や生活費のためじゃなくてシンプルに好きな仕事をしてみたかった
仕送りをたくさんもらって東京で暮らすって一番楽しい生き方だと思う。
結婚式も自分の理想を詰め込んで可愛い写真撮って、いっぱいの人に祝福してもらってみたかった。
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子供も結婚してすぐに授かって障害や病気もなく元気に生まれて羨ましい。
色々あったけど今も好きなことで働いてメディアにも出て、息子をサマースクールに入れて、周りには支えてくれる人がいて、両親が元気でお金もあって、兄弟も元気で、いざとなったら実家にも頼れるけど頑張って自分の力で生きてみて、でも実家は相変わらず心の真ん中にいてくれてすごく羨ましい。
息子も元気で病気も障害もなく、可愛くて、いっぱい息子と二人で結婚式に参列して可愛い格好で参列して羨ましい
自分も好きな壁紙の色に塗って好きな家具をたくさん買い揃えて東京でシングルマザーだけど保護犬を迎え入れて好きな仕事して好きな髪色して好きな服装して好きなネイルして好きなメイクして仕送りがなくても立派に好きな仕事でやっていける人になりたかった
親から支援受けても堂々として海外旅行にも行って都内に住んでペットを飼って自分もそういうキラキラした人生がよかった
子供をインターに入れて自分も英語勉強して都内に住んで犬と息子と三人で暮らしてキラキラ生活があるけど実家があっていつでも両親と兄弟がいて孫の顔を見せてあげられて好きなことを仕事にしてそういう人になりたかった
自分もお金持ちの家に生まれてのびのび育って大好きなものを見つけて仕事にしたいくらい大好きなものを見つけた大好きなものをただ大好きでい続けたら結果的にビジネスとしても成功して、そういう人生がよかった
可愛い息子がいて先進的な考え方のりゅうちぇると愛し合って結婚してアプリじゃないところで知り合ってディズニーで告白されて可愛い結婚式やってすぐに子供ができて無事に出産して全てが眩しすぎる
自分もお金持ちの家に生まれて仕送りもらいながら好きなこと仕事にして誰にも悪口言われずに、悪口言ったら言ってる方が僻みだって言われるようなニコニコした子になってみたかった
反出生主義なんて言葉知らないまま出産して無事に出産してすぐに子供ができて障害も病気もなくしあわせに自分が世界で一番って言ってくれる存在がほしかった
上京して月40万の仕送りもらいながら、大好きなお洋服屋さんで働いてりゅうちぇるみたいな価値観が凝り固まっていなくて顔が整ってる人と恋愛結婚したかった。
家賃や生活費のためじゃなくてシンプルに好きな仕事をしてみたかった
仕送りをたくさんもらって東京で暮らすって一番楽しい生き方だと思う。
結婚式も自分の理想を詰め込んで可愛い写真撮って、いっぱいの人に祝福してもらってみたかった。
アプリで知り合った人じゃなくて恋愛してお互い好きになってディズニーで告白されたかった。
子供も結婚してすぐに授かって障害や病気もなく元気に生まれて羨ましい。
色々あったけど今も好きなことで働いてメディアにも出て、息子をサマースクールに入れて、周りには支えてくれる人がいて、両親が元気でお金もあって、兄弟も元気で、いざとなったら実家にも頼れるけど頑張って自分の力で生きてみて、でも実家は相変わらず心の真ん中にいてくれてすごく羨ましい。
息子も元気で病気も障害もなく、可愛くて、いっぱい息子と二人で結婚式に参列して可愛い格好で参列して羨ましい
自分も好きな壁紙の色に塗って好きな家具をたくさん買い揃えて東京でシングルマザーだけど保護犬を迎え入れて好きな仕事して好きな髪色して好きな服装して好きなネイルして好きなメイクして仕送りがなくても立派に好きな仕事でやっていける人になりたかった
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自分もお金持ちの家に生まれてのびのび育って大好きなものを見つけて仕事にしたいくらい大好きなものを見つけた大好きなものをただ大好きでい続けたら結果的にビジネスとしても成功して、そういう人生がよかった
可愛い息子がいて先進的な考え方のりゅうちぇると愛し合って結婚してアプリじゃないところで知り合ってディズニーで告白されて可愛い結婚式やってすぐに子供ができて無事に出産して全てが眩しすぎる
自分もお金持ちの家に生まれて仕送りもらいながら好きなこと仕事にして誰にも悪口言われずに、悪口言ったら言ってる方が僻みだって言われるようなニコニコした子になってみたかった
反出生主義なんて言葉知らないまま出産して無事に出産してすぐに子供ができて障害も病気もなくしあわせに自分が世界で一番って言ってくれる存在がほしかった