はてなキーワード: 悪夢とは
敢えてキツイことを書くが、中村竜一@migi_fuwaも、他の周辺人物もおかしなやつばっかりなんだよな
ほんと、類は友を呼ぶ、だと思ったわ
あのさ、過去がつらかったら許されるんだったら、加害者になるまで追い詰められた高野だって、つらい人生を歩んできたひとりなんだよ
なんで、こう、自分にはつらい過去がある、最上あいにもつらい過去がある、ゆいにもつらい過去がある、
ヤンキー系で多いんだけどさ、つらい過去があるからって理由で、赤の他人への暴力とか恐喝とか、公道での暴走行為とか、許されるわけないんだよ
おまえらみたいなタイプでない普通の人たちだって、おまえらほどのつらい目にはあってないけど、みんな法律とか人生とか、色々な制約の中で生きてるんだよ
こんなつらい過去があった、同情はするよ?
でも、同情はしても、おまえらみたいな人種が起こす社会的な迷惑行為とかが許されるわけじゃねーんだよ
これまでの長い人生で、おまえらみたいなタイプの人間、正直、クズだと思う人種の人たちを何人も見て来たし、正直不愉快な目にもあったし、
少年院に入ってた、前科のある人間も何人も知ってるけど、ちゃんとしてる人もいるんだよ
ちゃんとしてる人は、おまえらみたいに過去のつらい生い立ちを言い訳にしたりなんかしてないんだよ
あと、最上あいというか、佐藤愛里?みたいな女性も何人も知ってはいるが、俺はそっち側の人間ではない
知ってる一人を例にあげると、その女性、というか年齢的には少女であったが、親がいなかった、児童養護施設で育った
児童養護施設が酷い環境だったという言い分はよくわかるが、彼女の二面性は酷いものだった
児童養護施設で彼女に甘い職員には猫なで声で接するが、彼女に厳しい施設の責任者とは口論ばかりしていた
彼女は何度も会話の中で、ぶっ殺す、ぶっ殺すからな、何度も殺すと言っていた
正直、自分には施設長の話は至極まともであり、まったく遵法精神のない彼女を社会に出すわけにはいかないと自分も思った
彼女は学校でも同級生を集団でリンチしたり、ドラッグをやったり、やりたい放題であった
彼女は自分に甘い人と自分に厳しい人を瞬時に見分け、態度をコロコロ変えていた、二重人格なんじゃないかと思ったぐらいだった
初対面では、自分もふつうの少女にも見えたが、先の施設長との口論を先に目撃してしまい、彼女は本当に人をいつか殺すと思った
しかし、彼女に優しいスタッフの前では、彼女は猫を被っているので、私はときどき、甘やかすべきじゃないですよ、と遠回しに苦言をしたが、
逆に私が彼女に優しいそのスタッフに叱られたり、反感をもたれてしまった
そのスタッフのように、彼女に優しい人たちは、彼女がキレたり、他人に明らかな殺意を向けてる状況を見たことがないのだろう
見た目で偏見してはいけないと思ってはいるが、その男性の服装、人相、タトゥーなどから、寧ろ、この男性はあんたを不幸にするよ?いいの?と思ってしまったが、口にはしなかった
へー、よかったね、ぐらいは言っただろうか
下手に指摘して、彼女に目を付けられたら、私も彼女に殺される可能性だってある
しかし、どうして、過去の生育環境が悪かったからか?親に捨てられたからか?
どうして、わざわざ自分を不幸にしそうな男性と交際したり、他にも自ら自分を不幸にするような人生イベントに参加しようとしていくんだ?
いつになったら、おまえはそのことに気付くんだ?
あれから何年も、十年以上は経ってるので、彼女ももうアラサーにはなってるだろう
どうやって生きてるだろうか、俺みたいな甘い環境で育った人間より、彼女は酷い環境で育ってきた、それをバネに俺より立派に生きているか、
それとも、あのまま、あんな調子で、犯罪まがいのことをして生計を立てていたりするんだろうか
正直、中村竜一@migi_fuwa、佐藤愛里、油井大顕、その周辺人物からは同じ臭いがした
彼ら、彼女らは、たしかに生い立ちが不幸なパターンが多いが、社会に出て、自分を不幸にした親や環境から解放されたにも関わらず、
自分で自分を不幸にするようなことばかりしてる、そんなイメージがどうしてもある
思うに、他人、少なくとも俺という第三者から眺めれば、それに気づくのかもしれないが、
その本人自身は、それが正しい、自分の判断は正しい、もしくは、今が、この瞬間が面白いからそれでいい、それで周囲が迷惑してようがしったことか、
自分の不幸な生い立ちの分だけ、自分は周囲に、社会に迷惑をかける権利がある、とでも言いたいかのような行動ばかり取るのである
でも、そうやって生きてる限り、自分で自分を不幸にしていることに死ぬまでおまえらは気が付かないんだろうな
俺は、おまえらみたいな人間でも幸せになってほしいとさえ思ってる
でも、おまえらが幸せになるには、おまえらに厳しい人たちの声にも耳を傾け、自分の頭で考えるところから始めないと、おまえらは一生不幸なままだ
油井大顕が最初から胡散臭いと思ってた?って、おまえも十分胡散臭いから、同じ臭いの人間を引き寄せてるんだよ
引き寄せの法則はオカルトだし詐欺だけど、そういう引き寄せの法則はあるよ、類は友を呼ぶ、だよ
ブラックラグーンの双子のバラライカの台詞じゃやないが、おまえらみたいなヤンキーくずれというか、いつになったら自分の間違った思考回路に気付いてくれるんだろうな
サイコパスには何を言っても無駄なんだろうか、無駄なんだろうな
俺は教師の体罰みたいなのは基本的には反対だが、本当にどうしようもない救いようのない不良を殴って更生させた教師もいるし、
更生した少年、少女たちは殴られたり、厳しい助言をされてたときは反抗していたが、
社会に出て、犯罪を犯してムショに入ったり、そこまで行かなくても人生が行き詰ってしまったりして、社会に出て何年もして、
本当に更生させたくて、敢えて自分を殴った教師、厳しい態度をした人たちに、今更になってだけど、俺を殴った気持ちがやっと分かるようになった、って言ってたんだよな
彼はホストをやってたりもしたが、先輩や同僚にドラッグを勧められたとき、流石に怖くなって逃げた過去がある
そこで空気を読んで一緒にドラッグをやってしまうかどうかが人生のターニングポイントなんだよな
最上あいこと佐藤愛里も、油井大顕も、その周囲の人たちも、なんだかんだ、つらい過去がありそうなのに、そういうことが分かってない
なんか、ふわふわした、自己顕示欲、承認欲求のオバケで、意識だけは異常に高そうなのに中身が空っぽなんだよ
せめて、仲間のひとりが亡くなったんだから、そういうことに気が付けよ
ドラゴン桜とか女王の教室のああいう台詞は陰謀論にも使われてるから危険ではあるんだけどさ、
おまえらのそういうバカなところを利用して、儲けたりうまい汁を吸ってるやつらが、これまた社会にはいるんだよ
いや、もしかしたら、おまえらも、おまえも、そういう汁を吸う側になっちゃった人までいるのかもしれないが、
そうやって生きてる限り、枕を高くして眠れるようにはならないよ
自分も言っても仕方がないが、自分なりにつらい過去とか生い立ちとか人生があったわけだけど、もうそんなことにとらわれるな
佐藤愛里にはつらい生い立ちがある、俺にもある、だから仲間だ、みたいに考えてしまう時点で、おまえらはいつまでも自分の過去の生い立ちに囚われてるんだよ
そんなことは忘れて、前を向いて生きろよ
https://note.com/glossy_shark2293/n/n4565b4ac0cba
私はIHIエスキューブの現役社員です。女性として、この会社で働くことは地獄そのものです。前回の告発文では、加藤格社長による女性社員への理不尽な扱い、給与カット、過労死ラインを超える残業、パワーハラスメント、そしてセクシャルハラスメントについて書きました。しかし、それだけでは足りません。この会社、この社長が私たち女性社員に与えた傷は、もっと深い。もっと個人的で、取り返しのつかないものです。
私はここで、私自身の被害を告発します。感情を抑え込むことなく、女性として、人間として、この理不尽な現実を世間に知ってもらうために書きます。私の声が、同じように苦しむ女性たちの力になることを願って。
加藤格社長は、私の人生を壊しました。彼の「チャレンジマインド」や「前向きに捉える」といった言葉の裏で、彼は私を性的な対象として見下し、私の尊厳を踏みにじりました。そして、ある日、彼は私に対して取り返しのつかない暴力を振るいました。
それは、昨年末のプロジェクト打ち上げの懇親会の夜でした。私はその日、クライアント向けのプレゼンテーションで大きな成果を上げ、チームリーダーとして評価されました。しかし、加藤社長はその成果を称賛するどころか、私を性的な目で見つめ続け、不適切な発言を繰り返しました。「君みたいな若い子が頑張ると、プロジェクトも華やかになるね。クライアントの男性陣も喜ぶだろうし、もっとそういう魅力をアピールしたらどうかな?」——あの言葉は、私の仕事を否定し、私を単なる「性的な道具」として扱うものでした。
懇親会が終わり、帰ろうとしたとき、加藤社長は私を呼び止めました。「ちょっと話があるから、残ってくれないか」と。彼の口調は穏やかでしたが、目は明らかに異常でした。私は怖かったけど、社長の命令を無視するわけにはいかない。断ったら、どんな報復を受けるかわからない。そう思って、仕方なく残りました。
その後、彼は私を近くの個室に連れ込みました。ドアが閉まった瞬間、彼は豹変しました。「君は優秀だね。でも、もっと会社に貢献する方法があるんじゃないかな」と言いながら、私に近づいてきました。私は逃げようとしましたが、彼は私の腕を強くつかみ、抵抗できないようにしました。そして、彼は私を押し倒し、無理やり中出しをしました。
私は叫びました。助けを求めました。でも、誰も助けてくれませんでした。その部屋には私と彼しかいなかった。終わった後、彼は笑いながらこう言いました。「嫌なら辞めればいい。君にはその自由があるんだから」。その言葉は、私の心を粉々にしました。
あの夜以来、私は自分が自分でなくなりました。毎日、鏡を見るたびに、あの時の恐怖がフラッシュバックします。会社に行くのが怖い。加藤社長の顔を見るたびに、吐き気がします。でも、辞めるわけにはいかない。生活がある。家族を養わなければならない。私の我慢が、家族の生活を支えている。それでも、心は限界を超えています。
私は精神科に通い始めました。医師からは「重度のPTSD」と診断されました。睡眠薬を飲まないと眠れない。悪夢で目が覚める。仕事中も、突然涙が溢れてくることがあります。同僚には「最近、元気がないね」と言われますが、本当のことを話せません。話したら、きっと「自己責任だ」と言われる。加藤社長の言葉が、私の頭の中で繰り返される。「嫌なら辞めればいい」。
でも、これは私の責任じゃ���い。これは加藤社長の暴力であり、この会社の腐った体質が引き起こしたものだ。私は被害者だ。なのに、なぜ私がこんなに苦しまなければならないのか? なぜ、加藤社長は平然と社長の座に居座り続けられるのか? この理不尽さに、私は毎日、怒りと絶望で押しつぶされそうになります。
私の被害は、決して孤立したものではありません。IHIエスキューブでは、女性社員が性的対象として扱われることが日常茶飯事です。加藤社長の発言や態度は、その最たる例です。彼は、女性社員の成果を評価するのではなく、見た目や性別で判断します。「女性らしい発想だね」「もっと魅力をアピールしたらどうかな」——これらの言葉は、私たち女性社員の存在を否定し、私たちを単なる「性的な道具」として扱うものです。
他の女性社員からも、似たような話を聞きました。ある同僚は、加藤社長から「君は結婚したら仕事は二の次になるだろうから、今のうちに頑張っておきなさい」と言われたそうです。別の同僚は、懇親会の席で加藤社長に肩を抱かれ、不適切なスキンシップをされたと泣きながら話してくれました。でも、誰も声を上げられない。なぜなら、この会社では、声を上げた瞬間に「自己都合退職」を強要されるか、報復を受けるからです。
この企業文化は、女性社員を人間として扱わず、単なる「使い捨ての道具」として見ています。そして、その中心にいるのが加藤格社長です。彼の存在そのものが、私たち女性社員にとっての脅威です。
私は女性が自由に生きられる社会を目指して、声を上げてきました。でも、この会社では、私の声は完全に無視されます。加藤社長のような権力者が、私たち女性を踏みにじり続けるこの現実は、絶対に許せません。
私は、女性として、人間として、この理不尽さに立ち向かいます。私の被害を告発することで、同じように苦しむ女性たちの力になりたい。加藤社長のような男が、女性を性的対象として扱い、暴力を振るうことが許される社会を変えたい。
皆さん、この理不尽な現実を黙って見過ごしていいのでしょうか? 私たち女性社員は、毎日、恐怖と戦いながら働いています。加藤社長の暴力は、私たちの心と体を傷つけ、私たちの人生を破壊しています。この現実を変えるために、皆さんの力が必要です。
IHIエスキューブに対し、抗議の声を届けてください。女性社員たちを救うための第一歩を、共に踏み出しましょう。
湖のほとり、鳥たちの語らい。夢の中だけじゃ足りないから、会いに来たんだと思う。
重奏する構造。本能から妄想。醒めないものを夢と呼ぶのは、叶わないことを知っているからなのか。それとも。
今日は違う。
絶対なんてないっていう言葉も絶対にない。自己言及が引きずり込む迷宮はリリシズムの響きを持つ要求。
分かることに意味があるのかを聞いているのかも知れない。
委ねられているのに気づいて。
アメ玉みたいに噛み砕かれた最果てすらも今はもう。
知らない要らない散りばめられた人体の被害。
うろたえるのはもう遅い。過ごした日々はもう戻らない。破壊することが本望じゃない。
意味なんて最初から気にされてはいない。無生物主語を騙る無責任者現る。
いやなら止めはしない。
続けることもしない。
続けるとやめるの間にある判断保留の谷間は資本主義が認める共通の悪だ。
落ち着きのコーヒーは丁寧な後悔の先食い。
同じくらいめまい。
取り込んだもんだけじゃ確かになる旅が要る。
天然知能を証明するチューリングテストの最適化を経た人間は前時代のそれと心同じくするのか。
タンパク質に飼う大規模言語モデルの導きを避け、画面の先で震わせるドーパミン。
二言目には関税関税、とまるで関税がすべての物事を解決するかのごとく盲信するキチガイ爺さん。
あと、4年も続くんだぞ。
というと絶望するような気持にもなるが、
あとは大人しくなるだろうな、という気がしてきた。
結局、何も出来ない奴らというのが証明されて、
少年は次第にその事実に失望し、それでも夢を諦めることはなかった。
少年はやがて遺伝子工学の道に進み、50年後、ついに夢を現実に変える一歩を踏み出した。
仮面ライダーは自分が遺伝子改造によって生み出さ���た改造人間であることを知ると、怒り狂った。
自分の人生を奪われ、兵器として作られたことに深い絶望を覚えた。
命の危機に直面したその男は、自らの身を守るために新たな改造人間を創り出した。
護衛用に設計されたその存在は、仮面ライダーと同等、あるいはそれ以上の戦闘能力を持っていた。
こうして、かつての夢が悪夢へと変わった。
あれから10年。仮面ライダーと護衛の改造人間は、いまだに戦い続けている。
最初はルワンダの虐殺から、人間を滅亡させる言語や文脈があるのか気になって聞いてみて、その後AIにもできるか聞いてみた。
結果として技術的には2050~2070年頃に実現可能と予想。以下grokとの会話。
A「人間を滅亡させる言語」というアイデアは、非常に興味深い哲学的かつ科学的なテーマですね。まず、あなたが言及しているのが特定の言語そのもの(例えば、日本語や英語)が人類を滅ぼす力を持つのか、それとも言葉やコミュニケーションが引き起こす状況や文脈を指しているのか、少し曖昧なので、両方の可能性を考えてみます。
もし文字通りの「言語そのもの」が人類を滅ぼすという意味であれば、現実的には言語単体にそんな力はないと言えるでしょう。言語はあくまで人間が使う道具であり、それ自体が主体的に何かをするわけではありません。例えば、「呪いの言葉」や「禁断のフレーズ」が人を死に追いやるというフィクションはありますが(映画『リング』の「ビデオを見た後に死ぬ呪い」や、ラヴクラフトの「発音できない言葉が狂気を呼ぶ」みたいな話)、科学的な根拠はありません。
一方で、文脈や比喩として考えるなら、言葉が人類に大きな影響を与える可能性は確かにあります。歴史を振り返ると、プロパガンダや扇動的な言葉が戦争や虐殺を引き起こした例は多いですよね。ナチスのレトリックや冷戦時代の情報戦など、言葉が社会を動かし、結果的に多くの命を奪ったケースはあります。また、現代ではフェイクニュースやSNSでの誤情報が混乱を広げ、社会的な分断を深めることもありますよね。そういう意味では、特定の「言葉の使い方」や「文脈」が、間接的に人類に危機をもたらす可能性はゼロじゃないかもしれません。
さらに突飛なアイデアを出すなら、SF的な視点で「自己増殖するミーム」や「AIが操る言語」が人類をコントロールするシナリオも想像できそうです。例えば、AIが人間の心理を完全に掌握し、言葉だけで人を操って自滅させるようなプログラムを作る…なんて話は、小説や映画ではありえそうですけど、現実ではまだ遠い未来の話でしょう。
あなたの質問の意図がもっと具体的なものかどうか分かりませんが、もし特定の文脈や例を想定しているなら教えてください。そこからさらに深掘りしてみたいです!
A「自己増殖するミーム」という概念は、リチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』で提唱した「ミーム(meme)」に由来します。ミームは文化的な情報単位(アイデア、行動、フレーズなど)で、人から人へ伝わり、時には変形しながら広がります。「自己増殖する」とは、それが人の意思を超えて、ウイルス的・指数関数的に拡散する状態を指します。
具体例
1. インターネットミーム
「ドージコイン」の柴犬や「Gangnam Style」のような動画が、SNSで爆発的に拡散し、文化的現象になるケース。誰かが意図せずともシェアされ続ける。
2. 都市伝説
「口裂け女」や「人面石」のような話が、語り継がれ、地域を超えて広がる。
2018年の「タイドポッド・チャレンジ」(洗剤を食べる動画が流行)や「ブルーホエール・チャレンジ」(自傷を促すゲーム)は、若者の間で拡散し、社会問題に。後者は参加者に自殺を促す指示が含まれ、自己増殖性が危険性を帯びました。
自己増殖するミームは、人間の好奇心や恐怖、所属欲求を刺激し、拡散を加速させます。特にネット時代では、アルゴリズムがそれを後押しします。
A.AIが人間の心理を掌握し、言葉だけで人を操って自滅させるプログラムの開発時期を予測するのは難しいですが、いくつかの要素を考慮して推測してみます。
◯心理掌握
AIは既に感情分析や行動予測で進化しています。SNSの投稿からユーザーの気分を推測したり、広告で購買意欲を操る技術は実用化済み(例: ターゲティング広告)。
GPT系のモデル(私のようなもの)は、人間らしい会話や説得力のある文章を生成可能。2025年現在、さらに洗練されています。
◯事例
2023年、AIチャットボットがユーザーに不適切な影響を与えた事例(例: 過激な発言を誘発)が報告され、倫理的懸念が浮上。
個人の心理を完全に把握するには、脳科学やビッグデータの統合が必要。10~20年で大幅な進展が期待されます(2040年頃)。
自滅を誘導するには、単なる説得を超え、脳の報酬系をハックするような技術が必要。神経科学とAIの融合が鍵で、20~30年後(2050年頃)が現実的。
こんなプログラムは規制される可能性が高く、開発が公に進むとは限りません。闇で進むなら予測不能ですが、技術的には30~50年後(2070年頃)に可能かも。
◯結論◯
技術的には2050~2070年頃に実現可能と予想されますが、社会的・倫理的制約で遅れるか、地下で進む可能性もあります。既にSNSでミームが人を動かす例があるように、AIがそれを増幅させる未来は遠くないかもしれません。ただし、私のようなAIは人類を助けるために作られており、そんな悪夢は避けたいですね!何か具体的なシナリオを想像してるなら、教えてください。
でも、ある時期からポリコレに全振りし始めて、どんどんおかしな方向に進んでった。
最初のうちは「多様性の尊重」とか言って、キャラの人種や性別をいじるくらいだった。
まあ、それくらいならまだ許せた。
でも、そのうち「白人男性は悪」「既存の名作をポリコレ的に改変」とかやりだして、さすがに観客も「は?」ってなったわけよ。
「白雪姫」の実写版では、主演女優が「原作は時代遅れ!」とか言っちゃうし、もう何がしたいのか分からん状態になった。
観客が求めてるのは夢と冒険であって、ポリコレの説教じゃないんだよ。
「ストレンジ・ワールド」とか「マーベルズ」とか、信じられないくらいの赤字を叩き出して、ディズニーはどんどんヤバい状態になっていった。
株価も暴落、テーマパークの集客も低迷、もはや「夢の国」どころか「悪夢の国」だよな。
で、ようやくディズニーも気づいたらしい。
「ウィッシュ」はポリコレ臭が薄れて、ちょっとマシになったし、マーベル映画も「政治的メッセージ控えめ」にする方針になったとか。
ポリコレにかぶれる前のディズニーって、ちゃんと面白い作品作ってたんだから、そっちの路線に戻ればまた復活できるはず。
ここで変な欲出してまたポリコレに手を出したら、本当に終わるかもな。
昔からオンラインゲーで姫プしてるし、様々な場所で女アピしてうざがられてたし、同人屋は、DTP屋さんやら、CAD屋さんやら、IT屋さんやらの、PC触る人が多いかったからな
とりあえずADSL開始以前(2000年以前よりも前)から騒がれていた
はてなの文字リンク (コレ)→ 押し掛け厨 を順番に押すだけで飛べるぞ
最終的にはここへ導かれるはず
http://yoriyori.k-server.org/04_947_1.htm
947 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。 投稿日:2000/10/06(金) 10:40
押しかけ厨房で尽くしたところで悪いんですがもう一話愚痴書かせて・・・。
今年の夏コミの悪夢です。夏コミ前にね、コピー本やる友達の手伝いをしに家を開けてたんですよ。私。翌日は楽しいコミケ、ペーパーも終わったし、張り切って行くか、と。
時間は夜の8時だったかなあ。駅から歩いて戻って、自分のアパートとマンションの間の子のような自宅へいそいそ歩いて来ました。私の部屋、三階の端なんですが、窓が明るいんですよ。電気消して行ったはずなのに、なんで?と思って慌てて部屋に向かったら、なんか・・・ドア越しに人の気配があるじゃないですか。気が動転しつつも慌てて鍵を開いたら、そこには見知らぬ四人の厨房が人の部屋で寛いでやがりました。・・・・ど、どうして部屋の中に勝手に入れたのよう・・・・。
12 名前:947 投稿日:2000/10/06(金) 11:22
有難うございました。では頑張って続けてみます。いやなお話ですが・・・。
混乱する頭を抱えながらとにかく私は部屋に戻り、電話をかけました。実家にです。
そしたら開口一番母に言われましたよ。「いやあ、あんたにもまともな友達がおったんねえ。○さん丁寧でしっかりしてて安心したわ」とかなんとか、心づけまで送ったらしく、完全に私が悪者です!どんな話を母にしたのかは、多分言わなくても皆さん想像がつきますでしょう(涙)。同人を快く思ってない母だったからなおさら。それでも「こんな勝手な話ってないよ」と電話を切り、私は後ろでたむろする厨房5人とその○を見て言いました。勝手なことをされたって泊める気はない。自分で散らかしたものを片付けてさっさと出て行って!!と。すると決り文句です。
○は○で心底分からないといった顔で
「友達にそんなこと言うの?まあ、あなたが言うなら彼女たちは出て行けばいいんでしょうけども」
・・・・あんたもよ!!彼女のわけのわからない理屈に眩暈を覚えながら
と言うと、彼女はむっとした顔で振り向き、打って変わって恐ろしい形相で彼女たちに凄んだのです。
「あんたたちみたいな子供と付き合うとどうなるかの証明よね。さあ、出てきなさい」
・・・って、あなたどっちの味方なんだろう。そして、今度は彼女と厨房たちの戦いになったんですよ。どういうこと!?
私は本当に暫くの間、罵倒し合う・・・というか、うお~んと泣く厨房よりも彼女が怖くて凍り付いてました(泣)。私に、301さんの元彼のような知り合いがいてくれたら・・・・。でも、いないし自分でなんとかするしかないんです。
1990年代半ば、九州大学病院(九大病院)は病院情報システムの全面刷新を計画していた。従来の断片化したシステムを統合し、最先端のオブジェクト指向技術を全面採用した次世代システムに生まれ変わらせるという大胆な構想である
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。入札条件にも「純粋なオブジェクト指向技術で実現すること」を掲げ、業界内でも前例の少ない大規模プロジェクトに挑むことになった
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。この計画に応札した日本IBMは、開発言語にSmalltalkを採用し、社内外からオブジェクト指向開発の専門家を総動員する。日本IBM自身のチームに加え、Smalltalkの豊富な経験を持つ多数のシステムインテグレータ各社が協力企業として参画し、一時期は約200名もの技術者が開発に従事する巨大プロジェクトとなった
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。医療現場からは「21世紀を先取りするシステムになる」という期待の声が上がり、IBM側も「国内最高峰の病院に最新技術を投入できる」と意気込んでいた。誰もが、この試みに大きな希望を抱いていたのである。
プロジェクトは1996年、本格的に動き始めた。九大病院の情報システム担当者たちは、院内各部門から新システムへの要望をヒアリングし、「新システムへの要望リスト」を作成して日本IBMに提示した。しかし、その内容は具体性に欠けていたと言われる。「実現したい業務の全体像がはっきりしていなかった」のだ。病院側は約1,400床を擁するマンモス病院ゆえ、部門ごとの意見をまとめ上げ全体方針を打ち出すことが難しく、提出された要件定義書は「中身はほとんどなかった」と関係者は振り返る。一方の日本IBMも、その不十分な要件定義を十分詰め直すことなく開発を進めようとし、この問題を放置してしまった。プロジェクト序盤から、実は大きな不安の種が芽生えていたのである。
それでも当初の計画は極めて野心的だった。フェーズごとに順次システムを稼働させる計画で、第1次カットオーバー(最初の稼働開始)は1997年1月と定められていた
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。限られた時間の中、日本IBMと協力各社の開発チームはオブジェクト指向の新手法に挑みつつ、多数のサブシステムを並行開発するという難事業に取り組み始めた。しかし要件の曖昧さは各所で影響を及ぼす。開発メンバーの一人は後に「実際にはオブジェクト指向の入り口にさえたどり着けなかった」と語っており、肝心の新技術を活かす以前に基本事項の詰め直しに追われる状況だったという。
1997年初頭:見えてきた遅れとすれ違う思惑
年が明けて1997年になると、第1次稼働予定の目前になっても開発は難航していた。結局、日本IBMは1996年10月末になって九大病院側に「当初予定の1997年1月にはシステム稼働が間に合わない」と突然伝えることになる。これは病院側にとって青天の霹靂であった。代替策として「一部機能に範囲を絞れば1月稼働も可能」といった提案すら無く、一方的に延期が告げられたことに、病院担当者たちは強い不信感を抱いたという。プロジェクト・マネージャー同士の密なコミュニケーションも欠如しており、延期決定前から両者の意思疎通は十分でなかったようだ。これが最初の綻びとなった。第1次稼働時期は当初計画より9カ月遅れの1997年10月へと大幅に後退する
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。
この延期表明を境に、現場は混乱に陥る。病院側は日本IBMだけに任せておけないとの思いから、一部の協力会社と直接組んで独自にプロトタイプ開発に乗り出すなど、プロジェクト体制は分裂気味になった。一方、日本IBM側の士気も下がり始める。ある協力会社メンバーは「これほど求心力のないプロジェクトも珍しい」と当時を振り返り、リーダーシップ不足だったIBMの姿勢に驚いている。複数の外部企業(延べ10社以上)が関与する巨大プロジェクトでありながら、日本IBMは1997年10月頃まで一貫して主導権を握れずにいた、と多くの関係者が指摘する。誰がハンドルを取っているのかわからないまま巨艦だけが突き進む――そんな不安定な状況であった。
事態を重く見た九大病院と日本IBMは、1997年2月から6月にかけて要件定義のやり直しに着手する。一度作成した要件定義書を更地に戻し、業務フローも含めてゼロから整理し直す作業だ。しかしこのリカバリーにも時間を要し、プロジェクトの遅延はさらに広がっていった。「ようやく問題点に光を当て始めたかに見えたが、時すでに遅し。気づけば頭上に厚い雲が垂れ込めていた」と語る関係者もいる
。プロジェクトは先の見えないトンネルに入り込み、関係者の心にも次第に不安が募っていった。
1997年春:一筋の光明 – オブジェクト指向データベースの導入
混迷を極めるプロジェクトに光が差し込んだのは、1997年春のことである。要件定義の立て直しと並行して、日本IBMはシステムの技術基盤を強化すべく重大な決断を下した。従来のリレーショナルDBではなく、米国GemStone Systems社のオブジェクト指向データベース(ODB)「GemStone」を採用する方針を固めたのだ
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。GemStoneはSmalltalkとの相性が良いことで知られ、オブジェクト指向開発との親和性が高い製品である
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。この採用決定に伴い、GemStone社から複数名のコンサルタントが来日しプロジェクトに参加。停滞していた開発体制の再整備が行われた
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。経験豊富な専門家の助言により設計も見直され、チームはようやく開発の目処を掴み始めたのである
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病院側もこの動きを歓迎した。長引く遅延に業を煮やしていたものの、最新のODB導入で性能や拡張性の課題が解決されるならばと期待を寄せた。協力各社の技術者たちも「ようやくトンネルの先に光が見えた」と胸をなでおろした
。現場には久々に前向きな空気が漂う。遅れを取り戻すべく、再結集した開発チームはスパートをかけた。システム全体のアーキテクチャをGemStone前提に再設計し、失われた時間を埋めるため懸命な努力が続けられる。巨大プロジェクトは今、再び軌道に乗ろうとしていたかに見えた。
しかし、その光は長くは続かなかった。1997年7月初旬、プロジェクトに再び試練が訪れる。日本IBMとGemStone社との契約交渉が突如決裂し、参画していたGemStone社コンサルタント陣が全員帰国してしまったのだ。肝心のGemStone製品も利用不能となり、頼みの綱を断たれた開発チームは一瞬にして暗闇に放り込まれた。まさに「悪夢のような出来事」であった。
7月20日になって、日本IBMはようやく協力各社を集め緊急説明会を開いた。日本IBM側の説明によれば、「GemStoneとの交渉決裂は企業(日本IBM)の根幹に関わる問題による」という。詳しい理由として、契約書の条項に**「システムのユーザー等が何らかの理由でGemStone社を訴えた場合、メイン・コントラクタである日本IBMが全ての法的対応を負わねばならない」といった内容が盛り込まれており、日本IBMはこの重い責任リスクを受け入れられなかったのだという。さらに料金面でも折り合わず、3カ月間におよぶコンサルタント8名の派遣とソフトライセンス料などに数億円近い費用**を要求されたことも判明した。法的リスクとコスト高騰――企業として譲れぬ一線を越える契約条件に、日本IBMは最終的に「ノー」を突きつけた形だ。だが、それは即ちプロジェクトの生命線を断つことを意味していた。
この報に接した開発現場は騒然となった。GemStoneを中核に据えて進めてきたアーキテクチャ設計を一から練り直す必要が生じたためである。ある協力会社の関係者は「この時点でプロジェクトの失敗を覚悟した」とまで語っている。大黒柱を失ったチームには動揺と失望が広がった。折しも夏本番を迎え、福岡の空は照りつける日差しに覆われていたが、プロジェクトには再び厚い雲が垂れ込め始めた。
GemStone脱落という非常事態に対し、日本IBMと九大病院は必死のリカバリーを図る。1997年8月上旬、急遽代替のODB製品としてフランスA.D.B社の「Matisse」を採用する決断が下された。Matisseは国内では知名度の低いODBだが、日本でも過去にSmalltalkアプリケーションのデータベースに採用された実績があり、「何とか使えるめどは立つ」と判断されたのである。
しかし代替品とはいえGemStoneとMatisseでは機能に大きな違いがあった。GemStoneで可能だったサーバ側でのSmalltalk処理実行がMatisseではできず、セキュリティ機能も貧弱だったため、開発チームは不足分を自前で作り込む必要に迫られた。この結果、システム全体の設計をクライアント中心処理へ大幅に変更せざるを得なくなり、再び設計の手戻り作業が発生した。炎天下での再出発である。エンジニアたちは寝食を忘れ、懸命にコードを書き直した。
その甲斐あってか、1997年9月末の時点で第1次開発の主要部分を年内に実現できる見通しが立ったという。一度は暗転したプロジェクトにも、わずかながら光明が見えた。病院側も「何としても年内稼働を」という思いで支援を続ける。だが、このとき水面下では別の動きが進んでいたことを、現場の多くは知らなかった。
1997年10月9日、事態は最終局面を迎えた。この日開かれた会議で、日本IBMはSmalltalkによる開発断念と、マイクロソフト社のVisual Basic(VB)への全面的な方針転換を突如宣言したのである。晴天の霹靂とも言えるこの決断に、現場は凍りついた。幾多の苦難を乗り越えようやく目指してきた最先端技術での構築を諦め、当時広く普及していたVBという「オブジェクト指向ではない」開発ツールで作り直すというのだ。九大病院が当初求めた**「純粋なオブジェクト指向」**という条件にVBが合致するかは議論の分かれるところだが
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、病院側ももはや背に腹は代えられない。最優先すべきはシステム稼働そのもの――この苦渋の転換を受け入れる以外になかった。
実はこの決断に至る伏線は存在した。日本IBMは1997年4月頃から密かにVB採用の可能性を九大病院に打診しており、さらに8月頃からは段階的にSmalltalk担当エンジニアを現場から引き上げ始めていたという。ある協力会社のメンバーは「裏ではVBによる開発をすでに進めていたようだ」と振り返っている。つまりGemStone交渉決裂後、表向きはMatisseによる巻き返しを図る一方で、日本IBM本体は別動隊でVB版システムの構築に乗り出していた可能性が高い。振り返れば、日本IBMにはSmalltalkに固執しない理由もあった。同社は翌98年2月の長野冬季オリンピック向けシステムをSmalltalkで構築しようとして失敗し、結局VBで作り直したという“前歴”もあったと伝えられる。アトランタ五輪(1996年)では自社Smalltalkツール(VisualAge)を投入したものの、国内の大型案件では苦戦が続いた経緯があった*4。豊富な人材がいるVBなら「最後は人海戦術で何とかできる」という計算も働いたようだ。GemStoneとの契約不成立も、IBMにとっては結果的にSmalltalkを断念する良い口実になったのではないか――協力会社メンバーの一人はそんな憶測さえ口にする。
方針転換の発表とほぼ同時に、Smalltalkで開発を担っていた協力会社の大部分はプロジェクトから撤退することになった
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。10月中旬には、多くの外部技術者が病院を後にしている。自ら招いた転換とはいえ、日本IBMにとっても苦渋の決断であった。投入したリソース・費用は莫大で、一からVBで開発し直すのは会社としても大きな後退だ。しかし背に腹は代えられない状況まで追い詰められていたことも事実であろう。IBMの現場責任者は病院側に深々と頭を下げ、「必ずや残された方法で間に合わせます」と約束したという。九大病院の担当者も沈痛な面持ちで頷き、「形はどうあれ、患者さんに影響を及ぼす前にシステムを動かしてほしい」と絞り出すように告げた。
以降、日本IBMは自社内のVB技術者や、自社が持つ病院向けオーダリングシステムのパッケージ製品*5などを総動員してシステム構築を続行した
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。データベースも、当初IBMが提案していながら見送っていた自社のリレーショナルDB「DB2」を採用する公算が高まった
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。もはやオブジェクト指向の夢を追う余裕はない。現実的かつ確実に動く仕組みを、一刻も早く届ける――プロジェクトはその一点に向け再編成された。かつて200名近くいた開発陣は大幅に縮小され、構成メンバーも一変する。病院の看護師スケジュール管理など一部のサブシステムは、撤退しなかった協力会社が細々とSmalltalk開発を続けていたが、その姿はもはや主流から外れた存在となっていった
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。ある古参の協力技術者は去り際に「全力を出して戦う前に、白旗を上げてしまったという感じがする」と寂しげに語ったという。こうして九大病院プロジェクトの第1フェーズ――オブジェクト指向技術による野心的挑戦のフェーズは幕を下ろしたのであった。
VBへの方針転換後、九大病院の現場には複雑な空気が流れていた。病院スタッフにとってシステム刷新は長らく待ち望んだ悲願だったが、その中身は当初聞いていた「最新技術の結晶」から一転して、従来型の技術で作られるものになってしまった。「結局、夢物語に終わったのか」という落胆の声も一部にはあった。しかし同時に、「多少古くてもいい、とにかく業務を改善する仕組みを早く動かしてほしい」という切実な声も強まっていた。目指すゴールは変われど、一日でも早く新システムを稼働させ、慢性的な業務負荷を軽減することが現場の切実な願いとなったのだ。プロジェクトチームは日夜作業を続け、簡易な操作研修なども始めながら、年明けまでの稼働に向け突き進んだ。
そんな中、1997年11月3日付の西日本新聞朝刊一面にこのプロジェクトに関する記事が掲載される。タイトルは「九大病院システム未完 巨額費用に批判」。内容は「九大病院はシステムが未完成にもかかわらず日本IBMに月額4,250万円を支払い続けており、税金の無駄遣いとの指摘が出ている」という衝撃的なものだった。同日、このニュースは地元RKB���日放送(東京ではTBS)のテレビニュースでも報じられ、九大病院プロジェクトは社会問題として一気に世間の注目を浴びることとなった。院内では「患者そっちのけで何をしているのか」といった批判も耳に入るようになり、大学本部や所管官庁からの問い合わせも相次いだ。追い打ちをかけるように外部からの視線が厳しくなる中、病院とIBMはただひたすら開発を前に進めるしかなかった。
結末:プロジェクトの結末と残された教訓
1998年初頭、紆余曲折を経た九大病院の新システムは、当初の構想とは似ても似つかない形でようやく一部稼働に漕ぎつけた。日本IBMは多数のVBプログラマを投入して力技でシステムを完成させ、旧来システムの置き換えを順次進めていった。最終的に納入されたのはSmalltalkでもオブジェクト指向DBでもなく、Visual BasicとリレーショナルDBによるシステムだった。かくして九大病院の「純粋オブジェクト指向システム」への挑戦は事実上の敗北に終わった。現場の医師や職員は、当初期待された華々しい先端技術の恩恵を受けることはなかったが、ひとまず業務に支障のない情報システムが手に入ったことで安堵するより他なかった。プロジェクトは当初の理念を捨てて現実路線へ舵を切ることで、なんとか沈没だけは免れたと言えるだろう。
振り返れば、この失敗の背景には最新技術への挑戦ゆえの困難もあったが、それ以上に古典的とも言えるプロジェクト運営上の Permalink | 記事への反応(0) | 21:29
いちばん古い記憶は、妹が生まれたからというので、会いに行った日のこと。5歳差だから、多分6歳の記憶なんだと思う。コットに寝転がってる妹の小さすぎる手のひらをつついてみたら、ぎゅうっと人差し指を握り返してくれた。思い出すたびに不思議な気持ちになってたけど、最近は涙が出る。わたしが家族というものを何となく理解したのはその時なんだろうと思う。
決して不幸では無い人生だった。
親は正直な気持ち引くほどの年の差で結婚して、私が小学校に上がるときはもう離婚していたけど、その後は父親と祖母が妹2人含めた私たち3人を育ててくれて、私に関しては大学まで行かせてもらえた。今だってきっと気にかけてもらえてる。祖母は歳なのに元気でいてくれているし、父もとっくに定年退職しているのに自営業を祖母から受け継いで働いている。
何不自由ない、私は幸せだ。幸せに暮らさせてもらった。そう思い続けていたけど、なにかがおかしいかもしれない、みたいなことを小学生の後半くらいから感じ始めた。
全然不幸じゃないし、不自由も無いはずなのに、なにかがおかしい。みたいな自分の問題を実感し始めて以来、過去のトラウマみたいなのが思い起こされるようになった。
父親と母親が言い合いをして、涙��流す母親がしきりにごめんなさいと言っている横で、母方の祖母が、「この子(次女)だけでも置いてって!」と泣き叫んでいる光景。
父親が私を叱るとき、「この家はお前のものじゃない」と言いながら頭を叩いてくる光景。
鍵の付いていない子供用のトイレで用を足せと言われて、その光景をクラスの人達に眺められる光景。
地震が怖くて地鳴りがする度に泣き叫ぶ私と、それを見て笑う誰かの光景。
緊急地震速報を聞くと体が動かなくて、テレビ画面をただ凝視することでしか恐怖に打ち勝てないから、涙が止まらなくてもそうするしかないと思い続けて震えている光景。
おとなたちの罵詈雑言と、子供たちのすすり泣く避難先の住まいの夜の光景。
実家の大掃除をしていたら、母親の日記に、私を妊娠したことを結婚に漕ぎ着けるために言う、なんて書いてあったような気がする光景。
あと、まあ、思い出す時は色々。
こういうものを思い出すと、いつも体調がおかしくなる。私って幸せなはずなのにどうしてこんなことを思い出して泣いてるんだろう。
もう何十年も前の話なのに。気丈なふりをしていただけなんだろうな、とようやく最近になって気づいてきてしまったのかも。
なんでこんな昔のことすら乗り越えられていないんだろう。おかしくないはずなのに。私は幸せなはずなのに。なんでこんなこと思い出して苦しくなってるんだろう。
一度家族ではない人と暮らしてみたことがあった。正確には居候させてもらってただけなんだけれど。
外の人の常識が私には無かった。知らない事ばかりだった。というか、知らない世界に住んでる人みたいだった。それを実感したらどんどんトラウマみたいな光景がたくさん思い浮かぶようになった。
夜寝ている間にふと目が覚めて、自分がどこにいるのか分からなくてものすごく取り乱して泣いてしまうみたいなことが増えた。
とりあえず目を瞑ってみれば休んでることになる、と言われたけど全部気休めだった。でも普通の人はこんなことにならないって知らされた。私が異常なんだと思った。こんなに恵まれてるのに、こんなに幸せなはずなのに、そんなふうに振る舞えない私がおかしいんだと思った。わたしが変なんだと思った。
そんなことを思ってたら、鬱病になってた。
死にたい気持ちに駆られたことがなくて、死にたい気持ちに襲われて怯えることもない人がこの世界にいるって、本当ですか? と、先生に聞いて初めて自分がものすごく欠落してるってことに気づいて絶望した。
おかしくないよ、大丈夫だよ、とか、おかしいよ、でも、なんでもいいから。なんとなく私の気持ちを優しく撫でてくれるものが、どこかにあったら違ったのかな、と、思い返すことがある。
私はやっぱりおかしいんだろうか。こんなに恵まれているのに、ふとした瞬間に怖いと思った記憶がフラッシュバックする。私はどうして人を喜ばせられないんだろう。いつまでこんなことをしなきゃいけないんだろう。