静岡鉄道静岡市内線
表示
静岡市内線 | |
---|---|
概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:静岡駅前 終点:安西 |
駅数 | 8駅 |
運営 | |
開業 | 1922年6月28日 |
廃止 | 1962年9月15日 |
所有者 | 静岡鉄道 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 2.0 km (1.2 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 直流600 V 架空電車線方式 |
停留場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
静岡市内線(しずおかしないせん)は、かつて静岡県静岡市(現・静岡市葵区)内の静岡駅前と安西を結んでいた静岡鉄道(静鉄)の路面電車。
もともとは静岡清水線の一部として、1922年に静岡駅前 - 鷹匠町(現在の新静岡)間が開業。その後、順次延伸し、1929年には静岡駅前 - 安西間が全通した。かつては安西から鷹匠町より静岡清水線経由で清水相生町(現在の新清水)を経て清水市内線の港橋までの系統と静岡駅前 - 鷹匠町間の系統で運行されており、静鉄成立後も現在の静岡清水線区間を地方鉄道に変更後、翌年に分離するまで三線を総じて「静岡線」と称していた[1]。1962年廃止。
路線データ
[編集]※路線廃止時点のもの。
- 路線距離:2.0km
- 軌間:1067mm
- 電化区間:全線(直流600V)
歴史
[編集]- 1922年(大正11年)6月28日 東海道線静岡駅と鷹匠町駅間の連絡のため、静岡電気鉄道の手により開通
- 1925年(大正14年)8月5日 鷹匠町 - 中町間開業
- 1926年(昭和元年)12月29日 呉服町 - 安西間開業
- 1929年(昭和4年)4月1日 中町 - 呉服町間開通で全通
- 1943年(昭和18年)5月15日 静岡電気鉄道、藤相鉄道、中遠鉄道などが戦時統合して静岡鉄道となる
- 1945年(昭和20年)12月1日 静岡清水線が地方鉄道法による鉄道に変更され、法規上分離される
- 1946年(昭和21年)3月21日 呉服町 - 安西間休止
- 1946年(昭和21年)12月27日 静岡駅前 - 呉服町間の運行となり、静岡清水線と完全分離
- 1949年(昭和24年)7月10日 呉服町 - 安西間再開
- 1962年(昭和37年)9月15日 全線廃止
駅一覧
[編集]静岡駅前駅 - 新静岡駅 - 県庁前駅 - 中町駅 - 呉服町駅 - 金座町駅 - 茶町駅 - 安西駅
接続路線
[編集]車両
[編集]※廃止時点のもの
- モハ51 - 53 : 1925年日本車輌製、清水市内線から転入
- モハ55 - 59 : 1929年日本車輌製、旧番号モハ70 - 74、4輪単車からボギー車に改造
51 - 53は静岡市内線廃止時に車体のみ個人・幼稚園に売却。55 - 59は清水市内線に転属し、うち56、57の2両は同線廃止まで使用された。
脚注
[編集]- ^ 和久田康雄『日本の市内電車 -1895-1945-』成山堂書店、2009年、185-189頁。
参考文献
[編集]- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。
- 奥田愛三「静岡鉄道〔電車線〕」『鉄道ピクトリアル』No. 140、交友社、1963年1月、pp. 67。
- 吉川文夫・道村博・宮松丈夫「またひとつトロリーラインは消えた 静岡鉄道秋葉線」『鉄道ファン』No. 17、交友社、1962年11月、pp. 55-59。