安奈淳
あんな じゅん 安奈 淳 | |
---|---|
本名 | 富岡 美樹(とみおか みき) |
生年月日 | 1947年7月29日(77歳) |
出生地 | 日本・大阪府池田市 |
国籍 | 日本 |
民族 | 日本人 |
身長 | 164センチメートル |
血液型 | B型 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 宝塚歌劇団、演劇、テレビドラマ、歌手 |
活動期間 | 1965年 - |
活動内容 |
1965年:宝塚歌劇団入団 1966年:星組に配属 1970年:星組トップスター就任 1974年:花組トップスター就任 1975年:『ベルサイユのばら』-アンドレとオスカル- 1978年:『風と共に去りぬ』 1978年:宝塚歌劇団を退団。 |
事務所 | Office Anna Jun |
公式サイト | 安奈淳公式サイト|株式会社Office Anna Jun |
主な作品 | |
演劇 ベルサイユのばら 風と共に去りぬ | |
備考 | |
宝塚歌劇団卒業生 |
安奈 淳(あんな じゅん、1947年〈昭和22年〉7月29日 - )は、日本の女優、歌手。元宝塚歌劇団星組・花組トップスター。
大阪府箕面市出身と池田市出身の2つの説がある[1][注釈 1]。本名は富岡 美樹(とみおか みき)。身長164センチメートル、血液型B型。愛称は「オトミ」「ミキ」。
略歴
[編集]- 両親が宝塚ファンで、子供の頃から宝塚入りをするように言われ、月に1度宝塚公演を観に行っていた[2]。小学4年の時に人生初の男役となる、白雪姫の王子を演じた。
- 1963年梅花中学校を卒業し、宝塚音楽学校に入学[2]。
- 1965年宝塚歌劇団に入団。51期生。同期に華かおり(MBSの河田直也アナウンサーの母)、高宮沙千(元雪組トップ娘役)がいる。入団時の成績は54人中8位[3]。初舞台公演の演目は花組公演『われら花を愛す/エスカイヤ・ガールス』[3]。
- 1965年12月8日、雪組[3]に配属。その後、星組[3]に異動。
- 1970年、鳳蘭と共に星組男役ダブルトップに選ばれた[注釈 2]。相手役の娘役トップ大原ますみを加えて「ゴールデントリオ[4]」と称された。
- 1973年、『浮舟と薫の君』の薫の君で、本公演の初主演だった。
- 1974年、花組へ組替、退団した甲にしきの後任として花組男役トップスターになる。相手役には当初は上原まり、1977年からは北原千琴も加わった。
- 1975年、『ベルサイユのばら』で演じたオスカル役は大きな当たり役となり、第1期ベルばらブームを築く[2]。月組の榛名由梨・星組の鳳・雪組の汀夏子とともに「ベルばら四強」と呼ばれた。1975〜76年までの2年弱、月組から組替えとなった榛名と男役ダブルトップ体制であった。
- 1978年宝塚バウホールのこけら落とし公演『ホフマン物語』で主演。同年7月31日[3]、花組・東京宝塚劇場公演『風と共に去りぬ(スカーレット篇)』を最後に13年間在籍した宝塚を退団。退団直前に母が58歳で死去したが、公演のため葬式に出られなかったという。
- 退団後は東宝演劇部に所属し、舞台、テレビドラマに活躍の場を広げた[2]。
- 1993年、芸名を安南 潤(読み同じ)に改名していたが、1998年に上記芸名に戻している。
- 2000年、膠原病の一種であるSLEで倒れ、長期の療養生活を余儀なくされた。
- 2002年に『風と共に去りぬ』の演技指導で社会復帰への準備開始。その後は少しずつ舞台復帰し、コンサートやディナーショーで活躍している。2005年の花組公演『エンター・ザ・レビュー』では歌唱指導をつとめた。
- 2005年、第14回日本映画批評家大賞のミュージカル大賞を受賞。
- 60歳を過ぎた頃(2007年辺り)にSLEから回復し、大好きなフランスのシャンソンの曲で構成されたコンサート『ジャック・ブレルは今日もパリに生きて歌っている』で復帰[5]。
- 2011年、『DREAM TRAIL 〜宝塚伝説〜』の大阪公演期間中に怪我をしたため、途中休演を余議なくされた[6]。
- 2012年、第33回松尾芸能賞・優秀賞を受賞。
- 2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年記念で創設された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り[7][8][9]。前述の『ベルばら四強』とされる安奈・鳳・榛名・汀の四名は全員殿堂入りを果たしている[10]。
- 2019年12月 ヤマハホールにて芸能生活55周年記念リサイタルを開く。
- 2020年 書籍「安奈淳スタイル」(自伝 エッセイ)を出版。
- 2020年3月20日、21日 書籍出版記念コンサートをイイノノールで開催。
- 2021年9月 初のビジュアル本「70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った」を主婦の友社より出版。
- 2021年9月8・9日 オリジナルリサイタル「Bouquet d'espoir~希望の花束をあなたに~」を内幸町ホールで2日間開催。
- 2022年5月 銀座ヤマハホールで「Anniversary Concert 75th」を開催。
- 2022年7月 宝塚ホテルで「Anniversary Lunch Show 75th」を開催。ゲスト榛名由梨。
- 2023年3月 三越劇場にて三越創業350年記念コンサート「MEMORIES」を開催。
- 2023年9月 新宿文化センター大ホールにて、宝塚OGによるチャリティーコンサート「いのちの木陰」を企画開催。ゲスト佐良直美。
- 2024年6月 よみうり大手町ホールにて「Final Solo Concert 77th ~Profitons la vie!~ 」を開催。
人物
[編集]生い立ち
[編集]サラリーマンの父と母と2つ下の妹の4人家族で、箕面市桜井で17歳まで過ごす [2]。幼い頃は大人しい性格でよく家で絵を描いたり、『少年少女世界文学全集』という本を読んで過ごしていた。また父がジャズが大好きだったことから、自宅で自然とドリス・デイ、ジュリー・ロンドン、レナ・ホーンなどのレコードを聴いていた[11]。本人は先述の家族で観に行く宝塚の舞台を楽しみにしていたが、当時はタカラジェンヌを目指すことは考えていなかった。当時好きだったタカラジェンヌは、寿美花代[2]。
親の勧めで小学校高学年から宝塚コドモアテネに通い、受験対策のためのバレエや声楽や日本舞踊を教わり始める[2]。中学校に進学するとレッスンで忙しくなり、修学旅行や卒業式にも出れないほどだった[注釈 3]。進路に迷うこともあったが、父親の「娘をタカラジェンヌにしたい」という強い思いが後押しとなり、その後中学時代に宝塚音楽学校を受験して合格した[2]。
音楽学校入学後の生活について本人は、「同期生とは本当に楽しく和気あいあいと過ごした」とのこと[2]。また「今では考えられないでしょうが、当時の宝塚音楽学校は自由な校風でした」とも語っている[注釈 4]。翌1964年に本科生の頃の文化祭で上演した『人格者』という演目では、主演の男役に選ばれた[2]。
榛名由梨について
[編集]本人によると、1975年に演じた『ベルサイユのばら』の配役は当初の予定ではオスカル役が榛名由梨でアンドレ役が安奈だった。前年の『ベルサイユのばら』で榛名が初代オスカル役を演じた[注釈 5]ことから、1975年版も引き続き同役に選ばれた[2]。
しかし、安奈は「オスカルとアンドレが並んだ時に、自分より背の高い榛名がアンドレを演じた方が見た目のバランスがいいのでは?」と考えた。脚本を担当した植田紳爾に配役を相談した[注釈 6]ところ、「それもそやな」と言われてオスカル役を安奈、アンドレ役を榛名で演じることが決まった[2]。
榛名は宝塚では安奈の2期上の先輩だが、この共演をきっかけにそれ以来“人生の友”として親しくなった。安奈の母が病で亡くなった際舞台の仕事で帰れなかったが、電話で話を聞いた榛名が安奈の代わりに実家に駆けつけた。榛名は家族のように葬儀の準備を取り仕切り、母に死化粧までしてくれたという[注釈 7]。
闘病
[編集]SLEと当時の治療による副作用
[編集]53歳の時、激しいむくみと呼吸困難に襲われて緊急入院し、SLE(全身性エリテマトーデス)[注釈 8]を発症したことが判明[13]。安奈の場合は特に肝臓の機能が急激に低下し、一時は身近な人たちが葬儀を考えるほど深刻な状態だった。当時体重は60kgあったが検査により、体内に大量の水が溜まっていることが判明。10日間ほどかけて少しずつ余分な水を抜いていくと、実際の体重は38kgだった[5]。
治療により一命はとりとめたものの薬の副作用で鬱状態になり、その後約10年間に渡り入退院を繰り返した[2]。他にも味覚障害、幻覚、幻聴に襲われ、思考力にも影響が出たが、60歳の頃に特効薬ができたことで症状が落ち着いていった[14]。
その他の病気
[編集]- 37歳の頃に髄膜炎を患う[1]。
- 47歳の頃から手足の指が白くなるレイノー症状が現れる[1]。
- 55歳の時に白内障にかかり手術を受けた[1]。
- 65歳の頃にウォーキング中に胸痛が走り、検査してもらうと心臓弁膜症にかかっていることが判明した[1]。
- 68歳の時に右腎臓に初期の腎臓がんが見つかり、手術で腫瘍を切除した[15]。
SLE回復後の生活
[編集]SLEから回復し歌のレッスンを開始した直後、シャンソン系のシンガー・ソングライターであるジャック・ブレルの歌を歌う機会に恵まれた。安奈にとって彼の歌は衝撃を与え、60歳を過ぎた頃にその聖地と言われるベルギーのブリュッセルにあるジャック・ブレル記念館に訪れ、たくさんのパワーをもらったという[2]。現在(2020年)は、通院と薬の投与を続けながら芸能活動を行っている[1]。
60代の頃はSLEは回復したものの、その後かかった病気や薬の関係で食事制限で色々と食べられないものがあった。しかし、内臓の数値が安定した70代になってからは、食事制限がなく何でも食べられる幸せを感じながら日々の食事を楽しんでいる[13]。
SLE患者にとって強い日差しが大敵であることから、その後も外出時はできるだけ肌を露出しないなど夏場の過ごし方に気をつけている。また、他にも普段から水分補給や質の良い睡眠などにも意識して生活している[16]。
その他
[編集]- 中学時代は絵を描くのが好きで、音楽学校受験のためのレッスンを受けながらも内心絵描きとか舞台装置を作る人になろうかと迷った時期もあった。また当時は目立つことがとにかく苦手で、洋服も地味なものが好きだった[5]。
- 中学1年生の頃に『オンリー・ユー』で有名なプラターズにハマり、親と一緒にコンサートを聴きに行ったことがある。本人によると「開演前にロビーを歩いていた所コンサート関係者に声をかけられ、その時の舞台で花束贈呈の役を任された」という[11]。
- 座右の銘は「立つ鳥跡を濁さず」[15]。
- 35歳の時に一般男性と結婚したが、3年後に離婚している[1]。
- 宝塚歌劇団出身女優である乙羽信子や淡島千景からは、退団後も舞台などで共演した時に家族のように可愛がってもらったという[12]。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
[編集]初舞台・雪組時代
[編集]星組時代
[編集]- 3月27日 - 4月24日『シルクロード』沙悟浄/テムジンの弟ハウチン/放浪の王子アラト(宝塚大劇場)
- 12月2日 - 12月21日『安寿と厨子王』公卿藤原師道。新人公演:厨子王(初主演)。『タカラヅカ'69』(宝塚大劇場)
星組トップ時代
[編集]1970年
- 1月30日 - 2月25日『星の牧場』蜂飼いのクラリネット。新人公演:モミイチ。『オー!ビューティフル』(宝塚大劇場)
- 5月29日 - 6月29日『いのちある限り』『ノバ・ボサ・ノバ』ルーア神父(宝塚大劇場)
- 8月27日 - 9月28日『我が愛は山の彼方に』武将チャムガ。『マイ・ブロード・ウェイ』(宝塚大劇場)
- 1月1日 - 1月27日『いつの日か逢わん』『愛のコンチェルト-ある小さな星のお話-』(宝塚大劇場)
- 7月1日 - 7月27日『美しき日本』『さすらいの青春』(宝塚大劇場)
- 11月2日 - 11月30日『花の若武者』-弁慶と牛若- 牛若。『アラベスク』(宝塚大劇場)
- 12月2日 - 12月12日『ミルテの花-クララシューマンの恋-』『シャイニング・ナウ!』(全組合同)(宝塚大劇場)
- 3月24日 - 4月25日『花かげろう』茨木童子。『ラ・ラ・ファンタシーク』エメラルドの女王、スター・サファイア(宝塚大劇場)
- 8月29日 - 9月27日『この恋は雲の涯まで』忠衡/ケレイト(宝塚大劇場)
- 12月5日 - 12月23日『浮舟と薫の君』薫の君(トップとしての本公演・初主演)。『ゴールデン・サウンド』(宝塚大劇場)
- 2月28日 - 3月21日『ロマン・ロマンチック』汀夏子とルンペン夫婦(雪組特出)(宝塚大劇場)
- 4月26日 - 5月23日『虞美人』(花組特出)(宝塚大劇場)
- 9月28日 - 10月29日『アン・ドウ・トロワ』-ファンタジア・タカラヅカ-(花組特出)(宝塚大劇場)
花組トップ時代
[編集]- 3月1日 - 3月25日『夢みる恋人たち』レオ。『ボン・バランス』(宝塚大劇場)
- 7月3日 - 8月12日『ベルサイユのばら』-アンドレとオスカル- オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ(宝塚大劇場)
- 1月1日 - 2月14日『風と共に去りぬ』スカーレット・オハラ(宝塚大劇場)
- 4月1日 - 4月23日『ホフマン物語』(宝塚バウホール)
- 5月26日 - 5月30日『サヨナラにリボンをかけて』(宝塚バウホール)
宝塚歌劇団退団後の主な活動
[編集]演劇
[編集]- 砂の花 - 若き日の成吉思汗より - (1977年)
- 百年目の幽霊(1979年)
- 南太平洋 (1979年) - 主演
- 王様と私(1980年)- アンナ・レオノーウェンズ
- 屋根の上のバイオリン弾き(1980年) - ホーデル(次女)
- 一絃の琴(1981年)
- 生きていく私(1983年)
- スイート・チャリティー(1983年) - チャリティ・ホープ・ヴァレンタイン 主演
- 酔いどれ公爵 (1985年) - ジュスティーヌ
- レ・ミゼラブル (1989年・1991年) - ファンティーヌ
- 絵島疑獄(1991年)
- 唐人お吉(1994年・1996年)
- ジャック・ブレルは今日もパリに生きて歌っている(2004年)
- サウンド・オブ・ミュージック (2005年) - マリア・ライナー 主演
- 銀座浪漫派物語(2009年) - 主演
- DREAM TRAIL 〜宝塚伝説〜 (2011年)
- イヴ・モンタン 〜彼を憎んだ女と男〜(2011年)
- 姉妹たちの庭で (2011年)
テレビドラマ
[編集]- 黄金の日日 第47,48話(1978年、NHK) - ツル 役
- 御宿かわせみ 第1話「水郷から来た女」(1980年、NHK)
- 土曜ワイド劇場
- 松本清張の地方紙を買う女(1981年、ANB系) - 潮田芳子 役
- 温泉 (秘) 大作戦3(2006年、ABC系) - 佐久間環 役
- 銀河テレビ小説 二度のお別れ(1985年、NHK)
- 影の軍団 幕末編 第8話「殺しの鈴は闇に鳴る」(1985年、KTV系) - お春 役
- 大都会25時 千草警察事件ファイル 第4話「よみがえる殺意! 復讐はタンゴにのって」(1987年、ANB系)
- 火曜サスペンス劇場(NTV系)
- 明智小五郎シリーズ 蜘蛛男(1989年11月、TBS、東阪企画)
- はぐれ刑事純情派 2000年スペシャル「安浦刑事、韓国へ飛ぶ!釜山港へ帰る女・父と娘、遙かなる帰郷」(2000年1月1日、ANB系)
- 月曜ミステリー劇場 警視庁三係・吉敷竹史シリーズ1(2004年12月、TBS) - 染谷萌子
- À Table!〜ノスタルジックな休日〜(2024年放送予定、BS松竹東急) - 高梁浩子 役[17]
その他の番組
[編集]- ラジオ深夜便「母を語る」(NHKラジオ)2012年5月22日
ほか多数
CM
[編集]ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]# | 発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 |
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東宝レコード | ||||
1st | - | 安奈淳の世界 | AX-8045 | |
2nd | ラヴ・レター | AX-8098 | ||
CBS ソニー | ||||
3rd | 1977年 | 小椋佳との出逢い | 25AN-245 | |
4th | ありがとうさようなら | 25AN-482 | ||
5th | 2020年10月 | 私の好きな歌 mes chères chansons |
DVD
[編集]# | 発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 |
---|---|---|---|---|
1st | 2022年5月 | Bouquet d´espoir ~希望の花束をあなたに~ | DVD | |
2nd | 2022年7月 | 安奈淳 Anniversary Concert 75th | ||
3rd | 2024年10月 | 安奈淳 Final Solo Concert 77th | DVD |
参加作品
[編集]著書
[編集]- 人生はうまくできている -病気になって見えたこと- (2004年、グラフ社、ISBN 4766208463)
- 安奈淳スタイル(2020年、A PEOPLE、 ISBN 4909792112)
- 70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った(2021年、主婦の友社、ISBN 4074490889)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 本人のフェイスブックでは池田市と明記されている。
- ^ 本人は後年「当時の私は歌も踊りも“及第点を取れていたかな?”という感じで突出した才能もなかったから、選ばれたのが不思議でした」と回想している[2]。
- ^ 安奈によると、中学校の担任教師が偶然にも宝塚ファンだったため、レッスンに理解を示してくれたとのこと。ある時は、「授業は受けなくてもいいからレッスンを頑張りなさい」と言われたという
- ^ 授業に乗り気でない時は、学校を抜け出して池でボートに乗ったり、動物園に行ったこともありました。でも誰にも咎められることはなかった」と回想している。
- ^ この時は、初風諄が演じたマリー・アントワネットを主人公とした物語だった。
- ^ 安奈は、それまでの演目で配役について意見したことは一切なく、この時が初めてだった。
- ^ 安奈は後年、「しかもその時エレベーターに棺が入らず、榛名さんが直接母の遺体を抱きかかえて運んで下さったそうです。本当にありがたく思っています。葬儀の後、妹は私に『榛名さんへのご恩を一生忘れない』と言っていました。私も同じ思いです」と感謝の言葉を述べている[12]。
- ^ 一般的には関節、筋肉、腎臓、心臓、肺など全身の機能が障害を受ける難病とされる。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g “「元宝塚のトップスター・安奈淳、余命3日から奇跡の回復…膠原病との壮絶な闘い」より安奈淳の歩み”. スポーツ報知のネット記事 (2020年8月31日). 2022年1月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 週刊現代2022年1月22日号「私の地図」・安奈淳p80-82
- ^ a b c d e 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』pp.70-71(阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日)。ISBN 9784484146010
- ^ 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』p.139(阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日)。ISBN 9784484146010
- ^ a b c “「私は私。ただ今日を、生きるだけ」安奈淳さんVol.1”. 暮らしとおしゃれの編集室 (2020年11月9日). 2022年1月15日閲覧。
- ^ 安奈淳がけがのため「DREAM TRAIL〜宝塚伝説〜」を休演(シアターガイド、2011年2月8日)
- ^ “「宝塚歌劇の殿堂」”. 宝塚歌劇団. 2019年9月28日閲覧。
- ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2023年4月16日閲覧。
- ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。
- ^ “宝塚歌劇の殿堂” (PDF). 宝塚歌劇団. 2023年4月16日閲覧。
- ^ a b “スペシャルインタビュー「今、かぐわしき人々」第90回:安奈淳さん(女優)”. ウェブマガジン「frag lab」(フレグラボ) (2020年12月7日). 2022年1月24日閲覧。
- ^ a b “スペシャルインタビュー「今、かぐわしき人々」第90回:安奈淳さん(女優)”. ウェブマガジン「frag lab」(フレグラボ) (2020年12月7日). 2022年1月24日閲覧。
- ^ a b “安奈淳「全身性エリテマトーデス、心臓弁膜症、がん…病のトリプルパンチを受けて、体の声を聞く大切さを知った」”. 婦人公論.jp (2021年9月21日). 2022年1月15日閲覧。
- ^ “安奈淳「全身性エリテマトーデス、心臓弁膜症、がん…病のトリプルパンチを受けて、体の声を聞く大切さを知った」”. 婦人公論.jp (2021年9月21日). 2022年1月15日閲覧。
- ^ a b “安奈淳「全身性エリテマトーデス、心臓弁膜症、がん…病のトリプルパンチを受けて、体の声を聞く大切さを知った」”. 婦人公論.jp (2021年9月21日). 2022年1月15日閲覧。
- ^ “安奈淳「全身性エリテマトーデス、心臓弁膜症、がん…病のトリプルパンチを受けて、体の声を聞く大切さを知った」”. 婦人公論.jp (2021年9月21日). 2022年1月15日閲覧。
- ^ “市川実日子×中島歩の料理ドラマ「À Table!」続編に芋生悠、神野三鈴、安奈淳、矢代朝子”. 映画ナタリー. ナターシャ (2024年6月13日). 2024年6月13日閲覧。
- ^ “越路吹雪37回忌、トリビュートアルバム&メモリアルコンサートに宝塚OGら”. ステージナタリー. (2016年10月26日) 2016年10月26日閲覧。
関連項目
[編集]- 大阪府出身の人物一覧
- サントス・アンナ(舞台女優。元ボンボンブランコのメンバーで、名前が安奈に由来する)