はてなキーワード: 甘味とは
甘味はかんみでいいよな
若干身につまされる部分があったのでマジレスする。当方フリーランスプログラマ。経験と実績はそこそこあるほう。
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エンジニアは概し���、正論を武器にする。というか、正論で相手を殴れることを知っている。
というのも、プログラマの世界において攻撃力が設定されている武器は正論しかないからだ。マサカリと呼ばれることもある。
剣も、槍も、魔法も、祈りも、プログラマには通じない。マサカリだけがダメージを与えうる。
そもそも、コードは間違った書き方をすると動きさえしない。だからまず、プログラマは正しさに対してセンシティブになる。
そして、よしんば動いたとしても、質が低ければ地獄を見る。だが、質を担保するに当たっても「この変数名イケてなくね?」みたいな印象論は通用しない。「いや自分はイケてると思うんで」でおしまいになってしまうからだ。
この状況で通用するのは、権力を除けば、何をもってイケているとするかの論理や証拠しかない。それを示せねば質の低下に歯止めをかけられず、最終的に地獄を見るのは自分なのだから、必死にもなる。
それを何枚のオブラートで包み、どれくらいの砂糖を振りかけるかは、ひとえに相手をどの程度尊重しているかによる。
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そこで件のエンジニアの文章だが、これは性格が悪いのではなくて、敵意がこもっている。あなた(というかあなたのチーム)はエンジニアに敵視されている。
自分は割とオブラートも甘味料もたくさん用意があるほうで、雇用先からの定評もある。
のだが、あるプロジェクトでメンバーの一人にだけ、自分でもびっくりするほど、ものすごく冷淡に当たったことがあった。短くないプログラマ生活の中で、たった一度だけ。
なぜなのか考えてみたところ、どうやら経験や立場を踏まえた「期待値」を、その人が大幅に下回っていることが原因らしく思われた。
かなり経験年数があるという触れ込みのプロパーだったが、コードの質は思わしくなく、仕上げも雑だった。
経験によって培われるはずのプライドの欠如。アウトプットに対する頓着のなさ。自分へのしわ寄せ。それらに自分は腹を立てたのだと思う。
もう一つ、自分は「仕様で決まっているから」というやつが、あまり好きではない。
明らかによりよい UI、よりよい UX があるのに、それは仕様でもう決まっているから変えられないんだそうだ。あーあ。
仕様が素晴らしいのなら文句はない。だが、多くの場合そうではない。
そして「もう決まっている素晴らしくない仕様」を実現するのは退屈だ。素晴らしくないものをこの手で生み出すのは苦痛だ。
そういうプロジェクトでは、自分はどんどん無気力になっていき、オブラートも甘味料もカバンの奥にしまい込むようになる。
それらをどれだけ振りまいたって状況が良くなる見込みがないのなら、ただの浪費だからだ。
何を言いたいか、だいたい分かったと思う。
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ここから先は強いエスパーになるが、件のエンジニアチームの態度について、いくつか思い当たるところがある。
プログラマの書いたコードは原則としてレビューされる。最終的なアウトプットとして認められる前に、レビューを経る。
それは質を保つためには当然のプロセスである、とプログラマは考える。
翻って、あなたのチームは新人の書いた不備の多いメールを、チェックもせずにエンジニアチームに渡したわけである。
これはプログラマの世界で例えるなら、新人のプルリクをレビューもせずにマージすることに等しく、率直に言って「ありえない」レベルの無責任さだ。
第二に、エンジニアチームのヒエラルキーがおそらく最下層であること。
発注が雑だったとき、最後に地獄を見るのは誰か? たぶんあなたのチームではないだろう。
ケツを拭く側と拭かせる側は、普通は対等ではなく、友達みたいに話したりもしない。それを変えたいなら、努力すべきは誰だろうか?
また、ヒエラルキーが低いということは、決定権を持たないということだ。物事を変える力を持たないということだ。
例えばデザイナーチームは「ここイケてないんでもっとシュッとさせたほうがいいっすよ」という意見を通すことができて、エンジニアチームは「この仕様は技術的に難しくて、やっても性能でないし工数もかかりますよ」という訴えを聞いてもらえない、みたいな非対称性があったりはしないだろうか。
より強い決定権を持つ人々が、その職務、その責任を果たさず、ケツを拭かせにくる。
エンジニアチームにとってみれば、よそのチームがそういう風に見えてもおかしくない。それは敵意も抱こうというものだし、学習性無気力に陥ることもあるだろう。
プログラマの正論を破壊しうるチート能力がある。権力という。それを振るえば戦いにさえならず、正論とともに心を壊していく。
使う側は楽しいかもしれないが、用法・用量を守って正しくお使いください。
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もし本当にあなたが問題を解決したいなら、まず問題を発見しなければならない。
レッテル貼り的な性格分類というのは大抵間違っており、それに拠るべきではない。貧しいから心が荒むのであって、心が荒んでいるから貧しくなるのではない。
デザイナーチームとの良好な関係について言及されていたが、それはあなたが個人的に構築した限定的な関係性だろうか?
たぶんそうではなく、最初から存在した空気感なのではないか。もしそうなら「なぜ良好なのか」を考えることが、おそらく良い出発点になる。
自分が予想するのは、デザイナーチームは「状況を変えうる立場」あるいは「ケツを拭かなくてよい立場」を得ている、ということだ。
そして、おそらくそれは会社構造あるいは製作プロセスに依拠している。だから、変えるならそこだ。
ヒエラルキー最下層のエンジニアチームに対して「お前らもっと愛想よくしろ!」と言うのは、きっと上手くいかない。
それは弱者への弾圧であり、反感を買い、かえって対立を深めかねない。だから、会議で議題に挙げるみたいなことは絶対にやるべきではない。
待遇というのは、コレ(掌を上に向けて親指と人差し指で輪を作るジェスチャ)のことではなくて、もう少しお互いにケツを拭き合い、もう少しお互いに地獄で苦しみ合えるようにする、という意味だ。
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プログラマの自分がこれを言うのはポジショントークに聞こえるかもしれないが、そういうつもりはない。
これでも真剣に考えたので、何かしら良いことを言えていれば幸いだ。
サイトによって調味料の種類も比率もバラッバラすぎてさっぱりわからんw
許容される幅が広いので、調味料は醤油、甘味(みりんや砂糖)、水があれば他はあってもなくても
比率は1:1くらいから始めれば失敗はしないし、濃い・薄いはリカバリ可能
くらいに解釈はしたが...
酢豚にパイナップルを入れる理由として、パイナップルの酵素により豚肉が柔らかくなるという説は、科学的に正しい面もありますが、実際の調理過程では効果が限定的であると考えられます。
パイナップルには「ブロメライン」というタンパク質分解酵素が含まれています。この酵素は確かに肉のタンパク質を分解し、柔らかくする効果があります。
酢豚の調理過程を考えると、パイナップルの酵素による肉の軟化効果は限定的であると言えます。なぜなら:
パイナップルの酵素が肉を柔らかくする効果は科学的に正しいですが、酢豚の調理過程ではその効果は限定的です。したがって、この説は完全な俗説とは言えませんが、実際の調理では大きな影響はないと考えられます。
パイナップルを酢豚に入れる主な理由は、むしろ以下の点にあると考えられます:
したがって、パイナップルを酢豚に入れる理由は、肉を柔らかくする効果よりも、味や栄養、文化的な側面にあると考えるのが妥当でしょう。
タクアンを使ったタルタルソースは、独特の風味と食感が楽しめて美味しいよ。タクアンの塩味と甘味が、タルタルソースの酸味やコクと絶妙にマッチ。
タクアンのポリポリとした食感がアクセントになり、通常のタルタルソースとは違った楽しさがあります。
アジフライやチキン南蛮など、和風の揚げ物との相性が抜群です。
おにぎりの具材や、卵焼きの具材としても美味しくいただけます。
タクアンとマヨネーズを混ぜるだけで簡単に作れるので、忙しい時にもおすすめです。
タクアンをみじん切りにする。
ボウルに、みじん切りにしたタクアン、マヨネーズ、レモン汁、塩コショウを入れ、よく混ぜ合わせる。
お好みで、ゆで卵やパセリのみじん切りを加えても美味しいです。
ゆず胡椒を加えて、爽やかな風味に。
これを読んだり、ブコメの反応を見ると、つくづく借金ある自分と結婚してくれた嫁さんに感謝しなくてはならないと思う。
借金をしなくなる生活になるまで5年、貯金ができる生活になるまでさらに5年、
やっと働かなくても1年くらいは生活できる程度にはお金はたまった。
まぁ今ある借金は家や車のローンなので、これはまぁ置いといてほしいものだが。
相手側に��うなりたいか、どうなっていきたいかがちゃんと定まっているのであれば、
時間はかかっても変わっていくことは望めると思う。
いきなり断つにもなかなか難しいものはある。
稼いだところで、稼いだ分使いたくなるから、
以上自分語りです。
ようするに、バカさが足りない
もちづきさんはカロリー取り過ぎが体に悪いことを知ってるぐらい「かしこい人」の娯楽であって、
つまり、もちづきさんコラボでは、コンビニでちょっと買いすぎて欲しい人に対して、全くリーチできていない
しかし現代日本では、ヤンキーに借金でヴェルファイアを買わせるように、
バカに身の丈を超える買い物をしてもらわなければ売上が立たない
最近のセブンの上げ底弁当叩きを見ているとわかるが、基本的にネットで炎上に参加する人はバカだ
バカはセブンを使わない。セブンは頭いい人が買い物する店だから、セブンを知らないのである
(たとえば実際にセブンで弁当を買うならチルド弁当だが、チルド弁当の存在を彼らは知らない)
ローソンやファミマは、ちゃんとバカにリーチする商品を提供できている
ローソンの何を売ってるのかよくわからないパッケージへの刷新とか、ウインナー乗っけただけ弁当とか、
ファミマの身体への悪さだけを訴えかけてくる味とか、特大カップの甘味とか
ああした施策によって、ローソンファミマはバカに馴染みやすくなっている
セブンは、ああいう本当にバカ向けな方向で、大きく出遅れていると言わざるをえない
ジャニーズや韓流では上品すぎるし、エリックサウスコラボでは頭が良すぎる
もちづきさんコラボはもっとダメだ。あれはバカを見て笑いつつ反省するような極めてヴォークな内容だ
もっとイーロンやトランプにおもねった方向でないと、バカにはリーチしない
ところてんといえば黒蜜と法律で決まっているのに、酢醤油で食べる奴がいる
だから俺は、ところてんを酢醤油で食べる奴をひとまとめにして、戦争を仕掛けた
俺たち黒蜜派は「ところてんは甘味である」という一点で団結し、各地で布教活動を展開した
「和のスイーツとしての伝統を守れ!」と叫びながら、黒蜜をたっぷりかけたところてんを配布する
子供たちは喜び、年寄りは懐かしみ、一部の酢醤油派すら「案外悪くないかも」と言い出した
これは勝てる——そう確信した矢先、奴らが動いた。
「ところてんの酸味を活かすなら、甘ったるい黒蜜よりさっぱりした酢醤油が理にかなっている」という理屈を並べ、さらには「関東では酢醤油が主流」というデータを盾に、各地で支持を広げていった
あのピリッとした刺激がクセになる者が続出し、戦況は膠着した。
決着をつけるには、一大決戦しかない
俺たちは、全国のところてん好きが集う「ところてんサミット」に乗り込むことを決めた
黒蜜派と酢醤油派、どちらが正義かを決める最後の戦いが、今、幕を開ける——
(バッドエンド③)
むかしむかし、遥か東の海に浮かぶと伝えられる幻の島、蓬莱。そこには、神々が人々に授けたとされる不老不死の秘宝――「玉の枝」が存在すると語り継がれていました。幾多の冒険者や賢者たちが、その実を求めて数々の困難に立ち向かい、永遠の命への夢を追い求めたというのです。
現代のとある小さな町に暮らす青年、拓海もまた、幼い頃に祖母から聞いたこの伝説に心を奪われていました。日々の忙しさに流されながらも、彼はふとした瞬間に「本当の宝」とは何かを考え、誰もが見逃しがちな小さな奇跡に気付くことの大切さを夢見ていたのです。
ある晴れた日のこと、拓海は都会の喧騒を離れ、静かな田舎の風景を求めて足を運びました。目的は、偶然にも祖母の話に出てきた古い果樹園。そこには、伝説の一端を垣間見るかのような、どこか神秘的な輝きを放つ木々が立ち並んでいました。風に揺れる枝先に、まるで宝石のような実がたわわに実っているのを見たとき、拓海の心は高鳴りました。
手に取ったのは、みずみずしい緑色に輝く房。包み込むような甘い香りと、口に含んだ瞬間に広がる優しい甘味。その正体は、他ならぬ―シャインマスカットでした。驚きとともに、拓海は悟りました。何世紀にもわたって語り継がれた「蓬莱の玉の枝」とは、決して遥かなる神話の産物ではなく、私たちの日常に息づく、自然が織りなす小さな奇跡だったのです。
この発見は、拓海に大切な真実を教えてくれました。人は永遠や不老不死という幻想を追い求めるあまり、目の前にあるかすかな輝きを見失いがちです。しかし、実際のところ、日々の暮らしの中にこそ、本当の宝は隠されているのです。シャインマスカットのひと房に込められた瑞々しさと甘美な味わいは、まるで「今ここに生きる」ことの尊さを物語っているかのようでした。
こうして、拓海は故郷へと戻り、かつての伝説が持つ本来の意味――日常の中の美しさや小さな喜びを大切にすること――を胸に刻むようになりました。人々は皆、遠い夢や大いなる奇跡を追い求めるものですが、もしかすると、最も輝く宝は、私たちのすぐそばに、シャインマスカットのように静かに実っているのかもしれません。
まず、品種が異なるかもしれない。
こう言う栗は、向いたときに渋皮が鬼皮と一緒に向ける品種をつかっている。これは中国栗で、日本の品種とは異なり、風味が違う。
日本の栗は食味に特化して品種改良・選別が行われてきていて、和栗と言われる品種だが、こういったものは剥いちゃいました系にはあんまり使われないと思われる。
(ぽろたんと言う、和栗の系統ながら渋皮がむけやすい品種もあるが、味は一段落ちると言う評価が一般的なようだ)
ただ、天津甘栗と言われる、中国からの輸入栗を前提としたもののなかなら、品種はかわらないかもしれない。
さらに、加工が異なるかもしれない。
栗の甘さはデンプンが分解されてどうなるかなので、収穫後の追熟をどうやったかと、反応が進みやすい温度で、緩やかに加熱した方が甘くなる。
ただ、緩やかにのんびり調理すると、生産性が落ちるわけで、そこのバランス。緩やかに焙煎した栗の方が甘味はつよい、はず。
切れ目を入れてあってすぐ食べれる系の商品は、生の栗を選別してから焙煎し、皮にヒビを入れて、高温で処理した後、レトルトパッケージに入れて加熱している。これは高温で処理するのでそこでも違いがあるかも。
休日は「○○カフェが有名らしいから行ってみたい!」とか「ここショート動画で見て美味しそうだから行ってみたい!」
とのことで付き合わされている。変な趣向を凝らしたケーキとかを写真に撮ってはインスタにアップしている。
いや、こう…面白いか?
何が面白いのかわからん。怖い。見るべきポイントというか、楽しむべきポイントがわからん。
甘味か?インスタの素材収集なのか?俺との会話なのか?どっかに一緒に行くというアクティビティでカフェが丁度いいというだけなのか?
この喫茶店は夏目漱石だか太宰が通ってて~みたいなのを水道橋に住んでいる時に聞いてへえ~ってなったようなアレなのか?
なんだ。なんなんだこの趣味は。
誰か教えてくれ。
生成AI(※)嫌いが多い
たまたまSNSで見知らぬ人とちょっと絡みが発生しそうになって、プロフ見に行ったらAI嫌いの人だった
配信とかもやってる人みたいで、ちょっとアーカイブ再生してみたら、おばさんとしか思えない声、喋り方だった
いや、おばさんが悪いんじゃないけど、自分の中のおばさん(とかおばさん入口の女子)って、一番、自然でないものを拒むイメージがある
ほとんどがうちの母と母に影響受けまくった姉の印象だけど
母は早逝したので姉のそれは別口かもしれないが
寂しかったのもでかいとおもうが、変な宗教っぽやつ、プラッチックの密封容器、洗剤とか色々ハマりつつ
旨味調味料を嫌い(そのくせ昆布もかつお節もケチるので旨味が無い料理を作る。塩も控える)、無農薬に惹かれ(売ってなかったり高かったら普通に野菜買う)、肉より魚を選びがち(そのくせ生協の合鴨とかは買う。魚に関しては今自分も魚好きなので子供時代の自分との相性)。自然っぽさがあればそれでよく、夏場はそうめんばっかりで(好きだからいいけど)、めんつゆは普通に売ってるやつ。(こだわりのやつとか売ってなかったか見つけれなかったか)
馬鹿でしかないとは思うが、自分も何か否定的な情報が流れてくると、自然ぽさが少ないものは他と比べて避けようと思ってしまうし(コーヒーは避けないが、甘味料とかはだめかなと思ってしまう)、
自然信仰みたいなのはあるのだろうなと思う。ポッと出のものよりも何千年と人類が使って来たもののほうが信頼度が高い気がする。(実際気がするだけで、検証すらしてないもののほうが多かったりするのだろうが)
自分はたまたま仕事がコンピュータに関連深い業種で、学部は化学とか(触りだけ)つまんでて、避けようと思った時に、ちょっと考えることが出来るので、変なこだわりは少ないほうだとは思うけど、
わかった上で気休めでも根拠がないけど安心っぽいとか、逆に根拠はないが体にいいっぽいに倒れることは多いし、よほどのことでないかぎりは、そういう気休めとかもあったほうが生きていきやすいんだろうなと思うし、話のネタが他にあんまりなかったりするのもでかいのかもなぁ
※ 生成AIって言い方もよくないのかもしれない
AIなんてそもそも何かは作るもので、コンピュータもそんな感じだ。出力がないと意味がないんだし、動いたら何かは出るんだし。
賢そう、怖そうみたいなイメージついちゃってんのかも。はちみつとか(作ってるわけじゃないけど)ハチの巣とか(作ってるけど何に使えるか知らない)みたいにもっと人間に使役してるとか、人が強奪してるみたいなニュアンスだったら嫌悪感減るのかも?
他言語ではどうなんだろう
二人でお酒を少し飲んで2万5千円くらいのとこ。地方都市です。
湯葉の上にウニを乗せ自家製のポン酢醤油のジュレがかかっている。湯葉の優しい甘さとウニの濃厚さが合っている上にジュレがウニの濃さをさっぱりさせバランスを取ってくれている。1品目から居酒屋とは違う…
塩、わさび、土佐醤油とお好みで。ハタは5日間寝かせたらしい。刺身ってそんなに持つのか。甘味が強くもっちりしていて美味しい。アオリイカはねっとりしているが隠し包丁が入っていて噛み心地が良い。思わずあまーい!と言いたくなる。それぞれ3切れずつしかなかったけど全部塩で食えば良かったと後悔。刺身って塩で食う方が美味いのか…
特に工夫なく半分に切って上から自家製のポン酢醤油のジュレをかけただけ。なーんだ、と少しがっかりして食べたらさ1品目のポン酢醤油に比べ味が段違いに濃い、柑橘の味と香りが界王拳使ったんか?と言わんばかりに段違い。生牡蠣特有の生臭さが吹き飛んで美味い。パートナーは生の貝食えない人だったのに食ってるよ…
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和食屋でレバーパテと思ったら看板商品らしい。レバーパテの上に栗のコーヒー煮を乗せ最中で挟んであり手で食べた。臭みもクセを取り払われてただただレバーの旨味しかないパテに栗の味が上乗せされるんだけどコーヒーのかすかな匂いと味がくど過ぎないよう止めてくれてるのよね~。こんなん至福すぎる。あと5個くれ…。季節によってイチゴだったりマンゴーだったりするらしい。
なにコレ?里芋じゃん。違うわ、里芋のねっとり感そのままに甘みが強くなってるわ。里芋よりスクールカースト上位に位置してたわ。里芋すまんな…
個人的ベスト。なんで脂と油を組み合わせてさっぱりと脂の旨味を純粋に堪能できるんだよ、意味分からん。行者ニンニクのおかげ?舌の上は確かに油まみれなのになぜかさっぱり感を感じてしまう。脳がバグったな…
若竹煮と同じ出汁に勢子ガニの内子と外子、身を混ぜて炊いたカブの上からかけたもの。プチプチ感やらカニの旨味が加わった出汁の旨さやら炊いたカブの上品な味がそれぞれ邪魔せず美味しく頂きました。贅沢な料理だな、が真っ先に浮かんだ感想です…
太平洋側でもアカムツ(のどぐろ)って獲れるのね。切り身に何度か熱した油をかけ、その後炭火で焼いたため皮がパリパリ、かつ半生状態のため脂が乗りに乗ったアカムツが最高の状態で味わえる。和食の魚料理ってよく焼きしかないと思っていたけど半生もあるのね。よく焼きの焼き魚は滅べと思ってしまった…。いや、鮮度によって仕方ないのは分かってますけど。
と言っても鍋ではなく信州牛プレミアムを割り下でレアに煮て、半熟の黄身を添えお皿に盛って提供される。こんなの旨いに決まってるじゃないですか。案の定旨味が脳天を突き抜けていきましたよ。
締めの一品。今まで食べたいくらの醤油漬けは醤油味が強すぎる、舌がツンツン刺激されるんだよ、今出してくれたいくらのように醤油が強すぎずいくらの美味しさを引き立たせる脇役くらいにしてくれ。醤油が違うのか、出汁の割合が違うのか分からんけど腹いっぱいだったのに思わずおかわりしてしまうほど美味しかった。あっさりしたいくらの醤油漬けってなかなか無いよね。
和食って素材勝負なとこあるし、高い店言っても大して変わらないだろ、と少しみくびっていた過去の自分を恥じてしまうくらい美味しかった。
また行こ。