はてなキーワード: 幸運とは
私から好きになって、ご飯とか誘って仲良くなるうちに、彼氏も好きになってくれたらしく、告白してくれました。
大好きなのですが、彼氏が性欲を見せるたびに、「長い目で見たヤリモクなのかな」と感じてしまいます。
結構性欲が強いみたいで、一人で毎日するらしいです。携帯にエロいイラストもいっぱい保存してました。AVもちゃんと買ってると言ってました。風俗にも一度行ったことがあると告白してくれました(私に誠実でいたかったらしい)。
彼氏的には、付き合ったらまあ程々の時間が経てばセックスできると思っていたようです。けれど、私はかなり保守的な古い女なので(おまけに処女)(ちなみに彼氏は童貞)、大学を卒業するまではセックスはしたくない、と言いました。その時点でかなりショックを受けてましたが、私の気持ちを尊重してくれることになりました。優しい人だと思います。
そして、いよいよ卒業の時期が迫ってきました。彼氏は最近ウキウキです。「二人きりになりたい」といいます。「卒業したらいいんだよね?」みたいな、確認もされました。
セックスしか頭にないのか?と感じてしまいます。なんだか、長い目で見たヤリモクなのではないか?それ目的で今日まで付き合ってきたのではないか?と疑ってしまいます。
ヤリモクでそんなに長く付き合えないだろう、と思われる方もいると思います。しかし、彼は端的に言ってモテません(彼の名誉のために言うと、彼に欠けた点が多いからモテないわけではないのです。ただ、なぜか今日までモテてこなかったのです。素敵な人です。これほど素敵な人がモテてこなかったことを私は幸運だと思っています)。モテないし、セックスのために努力をしようともしないので、別に一年私と付き合ってようが付き合ってなかろうが、セックスできないのです。ならば、私と別れてより早くセックスできる女性と出会える可能性を探るより、一年待てば確実にセックスにありつける私と付き合い続ける方が合理的だと判断したのでは、と思ってしまいます。
(風俗は一度行って違うな、となったらしいので、私と別れて風俗、という選択肢は彼にはないようです)
彼氏は私の試験の面倒も見てくれましたし、デートもたくさんつれていってくれました。電話もしたい、会いたいとたくさん言って、毎日甘い言葉をかけてくれます。ご飯もご馳走してくれて、プレゼントもくれます。すごく大事にしてくれていると感じます。けれどその全てがセックスのためだとしたら、性欲にしか繋がっていなかったとしたら、すごく悲しいです。
私だから、私のことが好きだから、すごくすごくセックスがしたくて、それしか考えられない、ならまだちょっと嬉しいです。けれど、セックスできるなら誰でもよかった、だとしたら、立ち直れないくらい辛いです。
私は男性と付き合ったことがないので、男性の性欲がわかりません。これは、彼氏の性欲は、男性なら当たり前のものですか?それとも彼氏は、誰でもいいからセックスしたいだけですか?
こんなことを思いながら彼氏に性欲を向けられ続けるのもしんどいので腹を割って話し合いたいのですが、もしヤリモクだとしてもようやくここまでこぎつけた彼氏が本音を言うわけもなく、そう疑ってる時点で私も彼が言っていることを信じられるはずもなく、そもそも疑っている私が男性の性欲を知らなさすぎるだけなのかもしれないと思うと聞くに聞けず……。
結構八方塞がりです。どうしたらいいのでしょう。大好きなので別れたくはないです。
笑うこともなく、泣くこともなかった。
誰かが笑っているのを見ると、どうして笑っているんだろう?とその理由を知りたがった。
誰かが泣いているのを目にすると、泣いている自分が悲しいから泣いているんじゃないか?と考えた。
感情的にはどこか冷めた部分があるというよりは、世界をそして自分自身を一歩引いた目で見つめていたのだと思う。
それでも人付き合いは得意であり、リアルはネットと違ってコミュニティにおける明確な境界線があり禁忌さえ侵さなければ問題ないことを早い段階から知っていたためだろう。
パーソナルスペースにしても個人差は誤差の範囲であり、それさえ理解していれば親しくなる距離を保つことで友好な関係を結ぶことは造作もなかった。
話を合わせるのも得意だった。
中身がない会話にとって、最も大事なことは共感することであると幼い頃から知っていたから。
くだらない学生生活を過ごし、変化が訪れたのは大学一年の時。ふとしたきっかけでフロイトを知ったことだった。
それから私は精神分析に傾倒し、在学中にはフロイト、ユング、エリクソン、レイン、ラカン等の著書を貪るように読み、入学早々に目指すべきものが決まったのは幸運だった。
私は患者からも同僚からも評判が良かった。理論を元にしながら患者一人ひとりに寄り添い、心の奥底にある痛みや葛藤を解きほぐしていくことに喜びを感じていた。仕事に誇りを持っていたし、何よりも自分の選んだ道が間違いでなかったことに安堵と誇りがあった。
そんな中、人の女性が私の診察室に現れた。第一印象は今でも明確に記憶している。彼女を目にしたとき、私は"美しいな"と心からそう思ったのだ。
憂いながらも静かで耽美な佇まいは、今にして思い返せば最初から私の心を掴んでいた。
彼女の境界性パーソナリティ障害だった。
最初の診察時、彼女は「心の中に空虚感が広がっていて、何をしても満たされない」と言っていた。
普段は静かで冷静に見えたが、時折突如として情緒的に爆発する瞬間があり、その度に彼女の心の奥深くに隠された傷が見え隠れした。
初期の診察では、他者との関係で極端な浮き沈みを感じているとも話していた。最初は私に対して深い信頼を示し、次第に依存的な態度を強めていった。
この症状の一環として、彼女は「分裂的な思考」にも悩んでいた。彼女の中では、人や物事が極端に良いか悪いかでしか捉えられない状態が続いていた。例えば、私が些細な言葉で彼女を否定したとき、彼女は自分を完全に無視されていると感じ、私を完全に敵視するようになった。逆に、私が彼女の要求を少しでも満たすと、過剰に感謝し、私を理想化する傾向があった。
また、彼女の自己同一性の不安定さも目立っていた。彼女は自分自身を「何者か」として確立することができず、様々な人物像を使い分けていた。ある時は非常に優れたキャリアウーマンのように振る舞い、また別の時には家庭的で無力な女性のように振る舞っていた。それが日々変わり、彼女自身もどこに自分がいるのか分からないという不安を抱えていた。
私が治療を続けていくうちに、彼女の情緒的な不安定さと対人関係における極端な反応の背景には、彼女の過去に深いトラウマがあることが浮き彫りになっていった。
彼女は幼少期に家庭内での不���定な環境や感情的な虐待を経験しており、それが後の人間関係に強く影響を与えていた。
彼女は過去の傷を癒すことなく、大人になり、人との関係を築く中で再びその傷を引きずっていた。
治療の進行とともに、彼女は時折「見捨てられる不安」に苛まれ、私を試すような行動を取ることが多くなった。例えば、些細な遅刻に対して「もう治療を続けられない」と言って、全てを放棄するかのように振る舞った。私が「これはただの遅刻だから大丈夫」と冷静に伝えても、彼女は「自分がどれほど無価値であるか」を強く感じ、感情的に反応した。
私が彼女の症状に真摯に向き合う一方で、次第に私は彼女の依存に取り込まれていき、自己を見失っていった。彼女の不安定な情緒と過剰な期待に応えることが私の役目だと感じ、その中で自分の存在が徐々に薄れていくのを感じていた。
次第に治療を超えた関係が深まっていき、私自身も感情的に巻き込まれ、彼女の病的な依存に応えようとし続けた結果、自己の境界を失い、無理に彼女の心の中で居場所を作り上げることになった。
結果的には治療が進むにつれて、私は彼女に惹かれていった。患者として向き合うべき立場であるにもかかわらず、次第にその感情が抑えきれなくなっていたのだ。
私たちは仕事を超えてお互いの存在に惹かれ合っていた。倫理的に許されないことだと分かりながらも恋に落ちてしまったのだ。
派手な式を挙げる必要もないと感じ、二人だけの静かな結婚生活を始めた。
お互いに愛し合い、支え合い、共に歩んでいる実感があった。
しかし次第に彼女の欲求が強くなり、彼女はますます症状を悪化させていった。
自己評価が低いため、私の愛情が不十分だと感じるとしばしば「私を愛していないの?」と問い詰めてきた。どんなに努力しても、彼女の不安を完全には取り除けず、むしろ私の精神状態も次第に悪化していった。
このような状態に私はついに耐えきれなくなり、心が壊れていった。精神科医として患者の心に寄り添い続けることができたはずなのに、自分自身の心はすでに病んでいた。
彼女との生活は次第に破綻を迎え、私の精神は疲弊していった。私は彼女に振り回され、彼女の望みを叶えようとするあまり、完全に自分を見失ってしまったのだ。
今は自分というものが何者なのか、自分が何をしたいのかがよく分からない。
精神科医として患者を支える立場でありながら、自分自身が心の中で迷子になっている。
今はもう廃業寸前だ。私の診療所は経済的に困窮し、患者も減り、ほとんど閉鎖状態に近い。
精神的にも追い込まれ何をどうすれば良いのか、先が全く見えない。彼女との関係は完全に破綻しながらも、離婚をすれば私は死ぬと言って全く聞き入れようとはしない。今ではお互いに冷え切っているのにも関わらず。
壊れた心の中でどう生きていけばいいのか、もうわからない。毎日何もせず惰性に過ごしている。
今は妻と顔を合わせるのがつらい。
それでもたまに夢を見る。
https://anond.hatelabo.jp/20250308152647
恥ずかしながら、若い頃は自分も元増田の彼氏のようなセックスをしていた自覚がある。いかに物理的な刺激で性的な快楽を得る/与えるかのゲームのように捉えていて、セックスを「コミュニケーション手段」ではなく「目的」として見ていた。しかし、実際にはセックスとはコミュニケーションの一形態であり、会話に「唯一の正解」がないのと同じように、セックスにも決まった正解は存在しない。(もちろん、お互いが不快にならないための基本的なルールはあるが。)
元増田はそうした点を彼氏に教育したというが、そうした機会を得られる人は少数派であり、幸運な事例なのではないかと思う。そこで、自分自身の認識がどのように変化したのかを振り返るとともに、皆はどうやって気付いたのかを知りたい。
自分の場合、セックスを「コミュニケーション」として認識するようになったのは、徐々に意識が変化していった結果であり、明確な区切りは難しい。しかし、最も大きな要因を挙げるとすれば、結婚によるセックスへの向き合い方の変化だったと思う。
結婚前と結婚後のセックスには、大きな違いがある。その一つは、結婚前は、デートというある程度特別な時間を共に過ごした上でセックスが始まることが多いのに対し、結婚後は日常生活の中で、突然セックスを始めなければならない という点だ。これは、言わば「十分な前戯(あるいは前前戯?)なしに挿入するようなもの」であり、前前戯が十分であれば、セックスそのものの満足度が多少低くてもなんとかなる場合がある。しかし、前前戯がない状態でセックス単体の満足度を高めようとすると、そのハードルは格段に上がる。
そこで、「夫婦にとってより良いセックスコミュニケーションの方法を見直し、確立する」か、「なんとなくどちらかが行為としてのセックスを面倒に感じるようになっていく」か——この分岐点が、その後の夫婦生活に大きな影響を与えるのではないかと思う。
幸い、我々夫婦の場合は前者だったが、日本では 夫婦の約6割がセックスレス というデータがあることを考えると、我々は少数派のようだ。もちろん、夫婦ごとに特別な事情があるのは間違いない。しかし、「夫婦の半数以上が、セックスコミュニケーションの再構築に失敗している」とも言えるのではないか。
セックス以前の問題として、そもそもコミュニケーション能力の問題もある。元増田の例を見ても、セックスについてカップルが意識を統一するには、それ自体に十分な信頼関係が必要だ。
他にもこうした要因が絡み合い、セックスレスや非婚化、少子化といった社会問題にもつながっているのかもしれない。
だからこそ、「セックスがコミュニケーションだと気付いたきっかけ」 を共有することには意味があるのではないかと思う。皆がどうやって認識を改めることができたのか、ぜひ体験を聞かせてほしい。
自分も似たようなもんで、ただし増田よりも飼育歴だけは先輩だよ
声掛けはしたほうが絶対いいと思ってる、それから本当に「絶対に良い」のは、何をしゃべろうと高め・ゆっくり・声音に好意や愛情をにじませること、この3点
コロナ禍までは何をしゃべったらいいのかわからず必要な情報伝達しかしていなかったが、
コロナ禍以降、なんでも多めにしゃべるようにしたらてきめんに猫の態度が変わった
猫の認知能力はおそらく、あなたが暮らしているペットよりも低い
「ごはん」「おやつ」「おかわり」「猫草」など簡単な数語を除いては、人間の声音で感情を判断している
声掛けは、とりあえず実況が基本
「今、お水換えてあげるね」「今日は寒いから少し温めてあげようか?」「すぐ冷めちゃうけど…また温かいお水飲みたかったら言ってね」
「なあに?どうしたの?」(ついてこいという身振り)「なになに~」「ベランダ?猫草?」(にゃん!)「わかった、食べていいよー」
みたいな感じ。
褒めるときも語彙が少ないと思うのなら、分割したり部位を褒めたらいいと思う
「つやつやの羽が本当にきれいだね」「こんな純白のきれいな鳥が目の前に!私はなんて幸運な人間なんだろう」「もう一生分の幸運をもらったよ」「本当にありがとう」
「あなたがこの世にいてくれて本当にうれしい」「あなたがいなくなったらこの世はどんなに惨めな世界だろうか、長生きするんだよ」「健康で幸せでね」「飼い主も頑張るからね」「また美味しいものを一緒にたべよう」
「君は宇宙開闢以来、最高の鳥だよ…」「嘴本当にかっこいいね」「どうしよう!昨日もあんなに可愛かったのに、今日はもっと可愛さが増している」「君の唯一の欠点を言い当ててみせよう、完璧すぎて欠点がないことだよ」
部位を褒めろと書いたのに、次々違うことを思いついたまま書いてしまった
とりあえず、部位にわけると良い
たとえば近くに来て目が合うとする、
「きれいな目をしてるよね」「深い湖をのぞき込んでいるよう」「本当に癒される」「あなたの瞳はこの世のどんな高価な宝石よりもなお美しい…」「神秘的だ」
もういくらでも言える
これに全部、内心はどうでも、好ましい感情を盛りまくって好き好きという抑揚を乗せて言うんだ
それから顔を見てくる生き物なら、ゆっくりまばたきをするといいかもしれない
毎日好き、可愛い、大好き、今日もきれいだね、ふわふわだね、と言えばいい
それに天気の挨拶でも付け足せばいい「今日は晴れてるね、あなたの毛並みが映える」「今日は雪だから、おうちでゆっくりしようか、一緒にあったまろうね」
車は脚の速い人と遅い人を平等にしたとか
「中ぐらいの頭が良い人を、上の中くらいの人に近づけた」が近いと思うんだよね
常に80点くらいの答えを返すとしたら
50点の人も60点の人も80点の答えを出せるようになる
じゃあ90点の人はというと、AIを使わないから90点のままだ
ただし、AIを使えなくらいの知的レベルが低くなるとその恩恵が無くなる
これは
・AIを使いこなせない
・回答を信じすぎたり疑いすぎたりする、上手くジャッジできない、上手く回答と付き合えない
・そもそも面倒くさい
みたいな感じ
今後はそのボーダーラインを下げるための仕組みづくりを誰かがしていくんだと思う
AIに対しての知的レベルの高いインフルエンサーの反応がいまいち良くないとか、AIを褒めてる人が胡散臭い奴らばっかとか
テストの点数が良い上位者は「使えない」と良い、中途半端なやつが「コレは良い」って言ってるから
___________
自分が中の上みたいな位置にいるからすごくチャンスだと感じてるんだよね
天才を出し抜くには今しかないと思う、AIが賢くなりすぎて天才もAIを使い始めたらもう間に合わないし
AI使えなかった人も使い始めたら自分の立場が危うくなる(例えば学校で使い始めるとか)
この過渡期が何年続くかわからないけど(1年かもしれないし10年かもしれない)
コメントで駄文と宣っているアカウントがあるが、これは本当にその通りだと思う。
私自身は東京に住んで、都心でオフィス勤務をしているけど、そろそろ地元に戻ろうと思っている。
理由は東京にいるよりも地方にいる方が、可処分所得的にも時間的にも豊かな生活を送れる見込みが高いからだ。
私の体感的に、東京に暮らしている大半の人々にとって、東京で我慢してホワイトカラーをするよりも、
地方でブルーカラーをした方が、可処分所得的にも時間的にも圧倒的に豊かな生活ができる。
もちろん、ブルーカラー職に抵抗がなければ、という条件は付くけれども。
たぶん、はてなの多くの人々は、「東京でホワイトカラー」の暮らしが圧倒的に想像しやすくて、「地方でブルーカラー」の暮らしに対する解像度はそれほど高くないと思う。
もちろん、東京はイベントも人もコミュニティも多くて、自分から能動的に動けば、新しいものに簡単に出会える場所ではある。
地方にはそういう多様性は少ないし、流行に敏感な人、文化に最先端でありたい人にとっては、
東京にある「最先端の場所にいる安心感」が無くなる不安はあるかもしれない。
でも、そういう新しいものに出会える場所は物理的なものからデジタルに移行しているし、
コミュ症とかコミュ症っぽい立ち振舞って、「それも君の個性だよ」的な考えが模範だけど、それって「お前には直すべき所があるけど、お前の人生がどうなろうと関心が無いから一切教えないよ」というとても残酷な考えなんだよね。元増田に適切なアドバイスをくれる人がいたのは本当に幸運。
唐突だけれど、私はもうすぐ死のうと思っている。理由は簡単で自己表現だ。こうしないと世間の誰も私の苦しみに気付きもしないで素通りしていくばかりなので、世間様に目いっぱい迷惑をかけてこれから死ぬのだ。いえい。
まずプロフから。私の名前は■■■■■と明かさないが漢字五文字で、少し変わった名前だった。これが原因で小中といじめられて高校では無視をされ、大学に行ったはいいものの当然ながら社不なのでひとりぼっちで何も出来ず社会からの矢を一身に受けて内蔵はこぼれて血まみれなのだが、ライフラインは助けに来てくれないのでずっと視界は赤いままなのだ。うえん。
んで、何を書きたいんだっけ。
そうそう、私がこうして自己表現に至ったその理由を、電子のどっかに書いておきたいのだ。すでに糞尿以下の汚物と化したインターネッツを私の駄文でさらに汚してやりたいと、まあそういう意図趣旨目的でつらつらつらりと文字を打っている。
まず小・中学校のいじめについて解説しよう。でも長々と書いたら飽きられそうなので端的にまとめるね。殴られ蹴られ盗まれ突き落とされ殴られ殴られ落とされ濡らされまた盗まれたのだ。オーソドックスないじめである。でも問題はクソの教師にあると思っていて、アイツらは自分たちは偉いみたいな顔をしておいて所詮は地方の駅弁大学教育学部をなんとか卒業した程度のバカなので、平気で権力を慮っていじめを見て見ぬふりしやがるのだ、クソが。
ある日のこと、いつものようにホウキの尖った部分で男子数人に身体中を叩かれていた私は、後ろのほうの男子が笑いながら金属バットを取り出したあたりで『妄想代理人』を思い出し、命の危険があると抵抗してそのうちのひとりを殴って逃げ出したのだ。それでどうなったかというと、学校に呼び出された。
「お前、A(私が殴った子)を殴ったって本当?」
私は黙ってうなずいた。
先生は怒鳴るように言った。
「なにがあっても暴力は駄目でしょ。A、たんこぶ出来てたわよ。Aに謝りなさい」
私は身体中に痣をこさえ、目の周りは黒ずんで鼻血を出していたが、先生にそれは見えなかったらしい。ちなみに先生は今も教員として学校にいて、私の呼ばれない同窓会に大切な恩師として呼ばれているらしい。
まあそういう色々があった私はどうしても小・中学校の連中と同じ高校は嫌だったので死ぬ気で勉強して県で一番頭のいい奴らが集まる高校に進学した。
私を殴る以外に能のなかった出来損ない連中はその辺のヤンキー校に行って無事にヤリマンヤリチンに変化したと聞くが、私はこの進学校でようやく普通の生活が送れるとワクワクしたものだった。
でも小・中で受けた傷は思いのほかキツくて、私は人間を目の前にすると何も喋れないようになってしまった。体が強ばるんだよね。んでいつの間にやらやっぱり一人よ。クラスラインは私抜きで作られてた。ウケる。
嫌になってきたな。
でもがんばって大学に進学した私は徐々に人と接するように努力したこともあって人間恐怖症を克服しかけるのだけれど、それが今になってどうして死ななきゃならんのかと言うと、それは先日、人生で初めて愛の告白を受けたからなのである。
は?なんだよクソリア充がと思うかもしれないけど、私は告白されて死ぬほど気持ち悪くかんじてしまった。相手はすごく良い奴で顔も悪くないし勉強もできるという私にとってはもったいねいくらいの人だったけれど、ドン引きしてしまったのだ。そしてその理由を今まで考えていて、ふと思い当たった答えが私の死ぬ理由だったり。つまりは私は、もう誰からの褒め言葉も愛の言葉も、嘘にしか捉えられなくなってしまったのである。
私を貶したり悪くいう言葉しか信じられないのだ。罵倒して蔑んで嘲笑して殺すような言葉以外は全部偽物に思えるのである。それはあの地獄の九年間を経て学習したことで、人に過度に期待すると裏切られたときのダメージが半端なくて、それから身を守るためには全員を疑ってかからなくてはいけなくて、だから誰が私のことを愛してくれてもそれは多分全部欺瞞にしか見えなくて、ああ、とそこで絶望が去来。私はもう、苦しむ以外の道しか残されていないのでした、ちゃんちゃん。
よく未来には希望があるとかほざく奴がいるけれど、そんなものは私にはねーのである。
死ね。
なんつーか全然書ききれてないしダイジェストにもほどがある人生の概略だったけど、実はもっと色々な困難がまだまだあって、語りだしたらキリがないのでもうこの辺で手打ちにするけれど、いやさ、もうね。絶望ったならないですよ。こんな文章を書きながらもね、私はこれまで受けてきたささやかな励ましの言葉や暖かい言葉を思い出す訳ですが、それでもやっぱり、そういう言葉ってなんというか、弱者に施しを与えて悦びを得ているんだとか、そういう邪推をしてしまうんですよ。いや、邪推ってことは分かってるんですよ?論理では理解してるんですけど、心が受け付けてくれないんですよ。
もう無理なんですよ。
これから私はね、一生幸せになれないんです。そんななかで、かつて私を殺し続けた某さんたちは幸せに結婚して子供を産んで――って着々と平凡でけれど堅実な幸福を掴んでいくわけですよ。私を殺した事実など一切忘れて。
疲れちまった。
まあすぐに死ぬことはないだろうけど、なんか美味いラーメンでも食って、幸福に少し近い状態になったらそれで満足して、私はきっと死ぬんだと思うます。
んでね、何が言いたいかっていうと、みんなには自覚して欲しいんだよね。
みんなって、恵まれてるんだよね。
愛してくれる家族がいて、
守ってくれる大人たちがいて、
支えてくれる恋人がいるわけでしょ?
それってね、普通じゃないんですよ。
あなたは幸運にも私みたいな生き方をしなかった。失敗や不幸もあったかもしれないけど、私みたいに全部ダメにはならなかった。
恵まれているんですね、皆さんは。
だからこう、なんていうか。
あとこれだけ覚えといて。
私は苦しかった。
右から左に流れてくる選択肢を否定することで選んでる気分になるんだね
他人のなにかに文句をつけることで自分の存在を確認できるくらいに希薄で
自分の感情をさらけ出そうとしてもなにもない所から辛うじてだれかの成功談にすり合わせる
自分が出来もしない事やろうともしない事を高潔だからみんなしていこうなとリーダーを気取って
なにも失う気がないのになにかを得ようなんてのは、他人の押し付けた選択肢だらけで
汚部屋のゴミ屋敷になった自分の中になにかを得る機会があったとしても入るわけないじゃん
他人の何が嫌いとかこれが許せないとかこうあるべきだとかこうしていればいいのに
なんて嫉妬の怨嗟が産まれてくる事こそが生産だと思って埋めてきた心の隙間を
開放しないとなんにも得られるものを入れるスペースがないじゃないか
認めてもらえないものや評価をしてもらえないものをあなたにあげたいと誰が思う?
自分だって差し出したものが否定され酷評されたら、いやな思いを抱いて手を引くでしょう?
なぜ反発することで、それほどの人だからもっといいものを差し出そうと相手が考えるなんて想像するのかしら
他人を認めたり評価をしたり手を差し伸べたり多少の犠牲を払ったりするのはもったいなくて恥ずかしいかもしれないけど
それを差し出して交換しないとなんにも得られないのは、与える側になったら自分がどう判断するか考えたらわかることじゃない
たまに無償で配られ回ってくる幸運を期待して、常日頃我慢していこうねという宣言は
一体なんのためにしているのかしら
今はまだ生成AIが使い物にならないので大丈夫だが、概ね1年半後に地獄が訪れるだろう。
出力と理解度がチグハグなので卒論指導に困る、というのは非常に上澄みの意見だと思う。インフルで熱に浮かされていてもわかる。良い環境だよ。
大切なことなので強調しておきたいが、この悩みが出るということは、とても良い環境で研究されている、真面目で真摯な方なのだろう。頭がさがる。
こういった研究室やゼミに所属できた人は幸運だと思う。その幸運を活かすことなく、ただ漫然と生成AIを使うのはとても勿体無いことだとも思う。
https://anond.hatelabo.jp/20250203224000
とはいえ、地獄が訪れるのはこれからだ。今から準備しておきたい。
現状の生成AIは「(嘘を嘘と見抜ける人でないと)使うのが難しい」からだ。
数学の問題がどれだけ解けるか、というのはベンチマークとして使われているからで、実用的とは言い難い。
また、何が欲しいのかがよくわかっていないまま曖昧な内容を入れて、欲しい出力物が得られるほど、コーディング能力も高くはない。
話題沸騰中のDeep Researchも、何をどう調査したくてどんな限界があるのかわかり、かつ、それが正しいか確認できる人にしか使えない。
卒論指導の話題も、ある意味で「どうやってググればお目当てのソースコードが探せるか」だけに特化した学生が増えた、と類似の話題で現状の延長線上と言える。
(逆説的に、卒論レベルのコーディングで詰まる学生が出るということは、生成AIはまだ使い物になっていない、ということだ)
今の生成AI界隈で猛烈に進んでいることは、「アインシュタインにタイプライターを打たせるな」という状況だ。
アインシュタインの方がタイプライターを早く打てたとしても、秘書にタイピングさせた方が良い。
(絶好調なら)自分の方が絶対に上手くやれるが、まあ生成AIでもそこそこやるやないか、という人は今でも十分使えている。
その代わり、タイピングみたいに頭空っぽにしてやれていた息抜きの仕事がなくなって、常に自分にしかできないことを要求されるようになるわけだけど……
生成AIが使い物になり出してからが地獄だ。性能的には半年〜1年程度で到達すると思う。
そして、日本企業は予算のつかないポッと出のものに即応できるほど柔軟な裁量を持っていないので、導入が決定された次の半期からスタートになる。
(多くの日本企業の次の上半期に話題になり、下半期に検証が行われ、次の上半期に根回しが行われて、その次の下半期からスタート)
場合によっては、ソフトバンクのパッケージ導入、という形がとられても何ら不思議ではない。
そこで見られるのは、繰り返し繰り返し現場が苦渋を舐めさせられてきた、コンサルタントへの対応だ。
コンサルが有効に機能する現場を見た人もいると思うが、共通するのは「外部の権威を導入することで、スムーズに物事を運ぶ」ではなかっただろうか?
これ、「実現したいことは明確だけど社内政治でうまく行かねえからゴリ押ししたい」って、社内に主導者が居た場合で、コンサル主導ではなかったはずだ。
コンサル主導で迷走するのは、そもそも何をしたいのかも良くわかっていないし、何ができたらゴールなのかも定義できないからだ。
今後、何のビジョンも専門性もない数多くの管理職やゲートキーパーが、生成AIという専属コンサルタントを盲信するようになる。
現時点では「Grokはこう言っていた」とか「ChatGPTはこう言っている」という指摘の仕方をするのは馬鹿扱いされている。
情報が古いし、間違いもあるし、そもそも幻視(作話)するから適切な使い方ができない人にとっては使い物にならない。
でも、もう人類の大半よりは賢いし、コーディング能力も高く、辻褄を合わせるのも上手だ。
そして残念ながら日本企業の管理職は専門性が最も優れた人がなるわけではないので、管理職よりも専門性に優れて間違えない生成AIは生まれてしまう。
彼ら彼女らにとって、自分よりも賢く正しいことを言うのであれば、そこを区別するのは出力物の量だけになる。
今でも専門性を軽視し、人頭いくらでしか計算しない管理職は山ほどいる。
コンサルの意見を鵜呑みにし、まずはやってみようという軽い言葉で、大量の今後使わない仕事が生まれるのも良く見る光景だ。
それでもまだ現場が耐えられたのは、概ねコンサルもどブラックで、ゴリゴリ書類やらパワポやらを持ってくる超馬力を見ていたからだ。
あれだけクソミソに叩かれた電通が(叩かれる理由は同意できるし擁護はできないが)現場で一定の信頼が置かれるのは、彼らは絶対にケツを持ったからだ。
認めたくないが、そこには超人的な仕事量をこなすサラリーマンに対する畏敬の念があった。
それが、低コストかつ(人間に比べれば)即時回答する、コンサルタントが常に横につくようになるわけだ。
管理職は今後気軽に言い放つようになる。
「これ、生成AIが出してきたアイデアなんだけど、それぞれ資料ちゃんと作ってきてよ。Geminiにやらせればすぐでしょ。明日までね」
ある朝出勤前に、調査検索系の生成AIに「XX業界における現在のトレンドと、今後の展望、注力すべき事業分野についてまとめて」と指示を出す。
日経新聞では私の履歴書だけ読んで、職場についてコーヒーを淹れて自席に戻ったら、生成AIの結果に目を通して、事業分野の気になった点をピックアップする。
そして、部下にこう言えば良い。
「XXという事業分野が有望そうで、アイデア3つほど選んでおいたから、事業計画と取れそうな市場の規模、売上高と黒字化までのストーリー作ってきて」
何の誇張もなく、今でもそういうベンチャーは大勢あるが、極端に増える。
人当たりが良くどんなに酒を飲んでも酔わず、あたかもすでに儲かっているかのように皮算用をしてみせる資金調達兼ビジョナリーと、
生成AIを始めとするあらゆる自動化ツールを使って事業を形にするワンマンアーミーとのタッグでのベンチャーが急増すると思う。
(実際には「バグだらけだけど一応動くプロトタイプ」を生成AIで作って資金調達に成功し、そこに群がるギークたちがAIが書いたコードを延々メンテ&デバッグする光景だと思うが)
でも、既存の日本企業はそんなに組織体系を大きく変えない(変えられない)ので、それを実施するのは部下になるのだ。
日本企業では不思議なことに、資料作成者が資料に対して責任を負う。
その資料を採用した人も、その資料を採用して方針を決めた人も、その資料を採用して決めた方針にGOを出した人も、責任を問われることはない。
だから、生成AIが作成した資料を取りまとめて上司に提出する人間が、常に最終的な責任を負う。そう、キミやワタシだ。
いやいや、俺らだって業受とか派遣とかに資料作ってもらったりするじゃん。そうだね。
でも彼らの責任を問うても無駄だ。だって俺たちが率先して切ったりするじゃん。今更責任だけ負えとは言えない。
まともな人間であれば、レビューはきちんと行うし、レビュー漏れはレビュー実施者の責任だと理解している。
そういう常識的な上司がいれば理想的だ。でもそんな理想郷ばかりじゃない。
より一層、言質をとって記録に残すのが重要になる。
すこし前まで、嘘松系インフルエンサーのアカウントをフォローしてた。10個前後。
どうせ嘘だけどまあ嘘だって分かってるし、話として面白いからええやろぐらいのつもりで。
嘘松は燃えやすいから、炎上待ちのヲチ目的も兼ねてるし…と自分に言い聞かせてた。
でも去年の今ぐらいに職場でこんなことが起こった。
言われて確認してみると、たしかにところどころ固有名詞が仕事とは無関係のものにすり替わっていた。
「この○○○○って、ドラマの××××に出てくる会社じゃないですか?」
そんなバカな。と思いながら確認してみると、たしかに同僚の言う通りだった。
その××××というドラマは、俺もずっと見ていた。
俺の職場に近い業種を舞台にしたお仕事もので、親近感があったからだ。
とはいうものの、そのドラマに登場する、言うまでもなく架空の企業名を仕事の書類にうっかり書き込んでしまった?
そんなことがあり得るのだろうか?
疑問に思いつつも、とにかくその場は平謝りで切り抜けて、即座に書類を修正することで事なきを得た。
単なるミスなら叱責や嘲笑を受けるだけで済むが、俺のは内容が内容だ。
職場では自然と、腫れ物に触れるような扱いを受けることになった。
上司はやんわりと、俺に通院を勧めてきた。
具体的な指定こそなかったものの、行先が精神科であることは明らかだった。
俺は若年性アルツハイマーの診断も覚悟して、近所のメンクリへと向かった。
さすがに珍しい症状らしく、専門家といえどもすぐには原因の特定もできなかった。
だが3度目の診察の時に、世間話としてポロッと、嘘松アカウントをフォローしていることを語ったところ、
医者は突然目を輝かせて「それです!」と叫んだ。
何がそれなのか一瞬理解できなかったが、俺の病気の原因は嘘松にある、と医者は主張しているらしかった。
理屈や病名はよく覚えていないが、なんでも「事実のように語られた嘘」に触れ続けていると、
言われるがままに嘘松アカウントのフォローを全て外し、それからフィクション系コンテンツの接種もしばらく絶ってみたところ、
それこそ嘘のように。
職を失う間際で助かった幸運と上司のアドバイスに感謝し、それ以来俺は以前よりも真面目に働くようになった。
かつての俺と同様に、今も軽い気持ちで嘘松をフォローしたり嘘増にマジレスしたりしている人は多いだろうが、
悪いことは言わない、今すぐやめた方がいい。
俺の場合は症状が軽いうちに専門家の診断を受けることができたので回復したが、嘘情報の摂取が完全に習慣化してしまうと、
現代医療の力では現実世界に引き戻すことができなくなるらしい。
たかが嘘松のせいで人生を棒に振るのは、あまりにもバカバカしいだろう。
かつてこの国では、
先週末なんだけど、都内のターミナル駅歩いてた。家電量販店行こうとおもって。
週末だけに人は沢山だし、工事もしてるので警備員や作業員の方も多い。
ちょうど路面にタクシーが停まって、おっさん(じいさん?)が降りてきたんだ。
降りてすぐ、腕を前にした前傾姿勢で一直線で私の方に凸撃してきた。こんなに人たくさんなのに。
あ、これ通り魔的なやつ?私、刺される?と思ったら、膝の力が抜けて、踵からつま先に荷重移動、そして
ひらりと凸撃を避けられた。本当に幸運だったが、おっさんはビル工事の警備員の前に倒れ込んで動かない。
もしかして、急な体調不良だった?怖くて確認できなかったし、近づいて刺されたら洒落にならないと思って
その場から逃げてしまった。私自身は触ってすらない、何もしてない。
だが、これで良かったのか?なにかすれば良かった?冷や汗出たし、本当に怖かった。
人類ってどうやって終わるんだろうな、という疑問を解消するには不老不死になるしかない
(お前が生きてると終わらないというツッコミはなし)
いくつか予想はしているし、みんなが思ってる事象をまとめておきたい
負ける側がいれば勝つ側もいるのでどちらかが残る
終わるとしたら核兵器で相討ち、みたいな状態だがそれでも地球上から人類が消え失せるには核兵器なんて全然威力が小さい
文明衰退の引き金になって次第に衰えていくことはあっても直接の原因にはならない
戦争と同様に大打撃を受ける可能性はあるし遠因にはなりえるがウイルスで絶滅はしない
全球凍結まで行けば十分あり得る
太陽活動の衰退で徐々に(数千年とかで)氷河期に移行すると多分生き残る
かなり高い確率でこれ
人間なんてたかだか数万年なので巨大隕石に遭遇しておらず、たまたまそれまでの間だけ生かしてもらってるだけの存在
まぁ太陽系が隕石の少ない時代になってきているのは確かだと思うが、それでも全然多い方なので本格的な知的生命体は人類絶命後の次の生命体だと思ってる
火星のテラフォーミングは絶対間に合わないのでコロニー作るしかないが
そのためには軌道エレベーターが必須で、こいつの建設目処が立ってないからやっぱり人類は隕石で絶滅する
幸運なことに、不老不死でなくてもこれを見ることができる可能性はある
上述の戦争・ウイルス・隕石あたりで技術的再興が不可能になって徐々に数を減らし数百年ぐらいかけて絶滅する
人類は進化の過程で子供を残すために科学技術のサポートを必要としてしまっているので
2,3世代ぐらいはどうにかなるが5〜10世代ほどかけて徐々に数を減らして絶滅する
宇宙の大半は未解明だし判明していることもほとんど恒星に関することだから惑星とかのチンケな存在がどうやって最後を迎えるかは分からない
もしかしたら惑星間でブラックホールが太陽系に飛んできて地球を連れ去るかもしれないし
とにかく宇宙は何も分かって無いしスケールがでかすぎるし長すぎるので
この辺を上手く切り抜けても最終的には太陽が膨張して地球が飲み込まれるし
コロニー作ってそいつをイオンドライブで推進させて白色矮星とか目指すしかないけどエネルギー問題がどうしようもない
宇宙編は確か核戦争で地上には住めなくなって、地下で暮らし始めたけどAI暴走して大陸間で核兵器撃ち合って絶滅、だったはずで
まぁ衰退からの戦争で死ぬってパターンだとは思うが最後の戦争で死ぬってのはちょっと無いかなと思ってる
平均温度40度って相当高いのと、そうなっても極地付近では生きて行けそうなので絶滅まではいかないんじゃないかと
100年スケールぐらいで気候変動するなら人類は対処すると思う
問題になるのは食糧問題とそれによる戦争、からの科学文明の衰退かなぁ
そもそも観測可能な宇宙に終わりがあるのかどうかすら人類は知ることができないだろうし
どうなったら宇宙が終わりなのかすら分からない(3次元的に無が到来するかもしれないが感知できない)
確かに、太陽が燃焼終了したら白色矮星になるはずなので、それまでのあいだコロニーで適切な距離を保てばいけるような気がする
やっぱり人類はさっさとコロニー作らないと詰むのでイーロンマスクはちまちまロケット打ち上げてないで軌道エレベーターの建設に着手してほしい
女性が地方から流出しているとかで、Xでは激ヤバ地方から脱出し、そこを叩くエピソードで溢れかえっている。
かつては増田もそうだった。増田もまた地方で生まれ育ち、東京に出た人間であり、地元の中学にいたヤンキーとか、地元にいた時代遅れな大人たちを未開の文明人としてボロクソに叩いていた
その考えが変わったのは、東京の貧困世帯の実態を知るようになってからだ。東京の貧困世帯は、地元とあまり変わらないように感じた。東京にも激ヤバ価値観があったのだ。
さらに、地方であっても私立の学校では東京の中上流くらいの価値観で動いていることも分かった。ネットで地方は地獄だと叩いている人は、高校に入ったら同じような価値観の子が多くて楽になったと言っていることが多い。中学まで公立だった人が多いように思う。あの地獄は地方だからではなく、単に貧しかったからではないのか。貧しい人たちが多く集まるコミュニティが、辛かったという話ではないのか。自分は幸運にもそこから抜け出せただけで、貧困から抜け出せないで苦しんでいる人が、今も地元に残って貧しさの中でヤンキー価値観で連帯しているのではないか。
幸運にも貧困から抜け出せただけの自分が、彼らを叩く正当性を得たような気になっていた。恐ろしく醜悪な行為だ。だから後悔している
氷河期世代ってさ、パッと聞いたら「めっちゃ不幸じゃん」って思われがちだけど、底辺にとってはむしろ幸運だよね。
だってさ、自分の人生うまくいかないのを「時代が悪かったせい」って言い訳できるんだよ?
ほら、「私が底辺なのは時代が悪いだけ!」って開き直れるわけよ。
それって楽だよね。
「時代さえ違ってたら勝ち組だったし!」って胸張って言えちゃう。
実際には証明しようがないけど、言ったもん勝ちじゃん?
未来の自分を勝手に「もしも成功者」みたいに妄想できるのって、ある意味ポジティブだよね。
それに、これって自分を美化するのにちょうどいいんだよね。
「俺の才能、氷河期世代のせいで埋もれちゃったわ~」とか言えるわけでしょ?
なんか、自分の欠点とか努力不足も全部「環境が悪かった」で片付けられるの、めっちゃ都合良くない?
周りから同情もされるかもだしさ。
正直、氷河期世代ってこの他責思考っぷりがちょっと異常じゃない?
なんでもかんでも時代のせいにしちゃうの、見ててちょっと笑えるっていうか。
何時まで「国が悪い」「社会が悪い」「女が悪い」って他責し続ける気なんだよ。
蛇に噛まれる夢を見たんだけど、
これが正月初夢だったらなんかもっと縁起が良かった感倍増できたかも知れないけれど、
細ーい緑色の蛇が飛び付いてきてーって感じ。
夢だから痛くないんだけど、
服のところに牙が引っかかってそこでぶら下がっているのよね。
私はノーダメージ。
でもなんとか振りほどく音して前を見たらまた同じような欲しい緑色の蛇がやってくるの!
今何かどっかで見たことあるような蛇だと良く思いだしてみたら、
『ゼルダの伝説知恵のかりもの』のかりものの蛇のロープにそっくりなの。
そのゲームはもう周回するほどではないなってところで1回クリアしちゃってからはやっていないけれど、
なんか思い出すとその蛇だったかも知れないロープのことだったわ。
あれ結構序盤で使いまくって敵を倒しに行ってもらってたので、
私が逆にその蛇の「ロープ」に襲われる夢だったのかしら?
まあこじつけだけど。
ちょうど今年の夢の干支が蛇なので、
夢調べしてみるけれど
なんか調べるページによっては
意味が逆のことを言っていたりして、
どれを信じたらいいの?って感じになっちゃわない?
で、
そこでChatGPTちゃんなのよ。
でもChatGPTちゃんに訊いたとて解答はなんかマイルドでどちらとも言い難い
良くもあり悪くもあり、
結局夢は何を信じていたらいいのかよく分からなくなってきたわ。
私的にはまあ一富士二鷹三茄子級の縁起物で蛇出てきてわーいって感じで良いと思っていいのかしら?ってところが落としどころよね。
その占いが載っている新聞なり雑誌なりのその媒体を読み終わったころには
すっかり何が書いてあったっけ?って忘れているものじゃない?
ほんのその占いコーナーをチラッと見た瞬間だけの幸福というかまあ当然逆の幸運じゃないこともあるけれど、
すぐに忘れちゃいがちよね。
そんで
そんなの街中に暮らしていたらヨットなんてヨットど見かけないわよね。
ラッキーアイテムとかもあれ何を根拠にって思うことがあるけれど、
うーん、
でもそんなラッキーアイテムも占いの良い悪いと同じようにすぐに忘れちゃうけどね。
ああいう占いを1日握りしめて信じて過ごしている人って本当にいるのかしら?
悪いことあったらどうすんの?
金運アップって書いてあったらロト6買うの?
あの通りに素直に生きている
生きていけるってのも逆に言うと羨ましい次第だわ。
もし私の緑色の蛇の夢が蛇注意!の暗示だったら、
どう街中で蛇に注意したらいいのかしら?って思うし、
仮にAIに凄い計算式でその計算を算出させて遭遇率を割り出してみたら
美事に計算叩き出してくれた答えはかなり信憑性のある確率よね!
蛇の方に気を付けた方がいいみたい。
それを暗示するかのように、
試しに「香港の蛇スープの話題がラジオで流れてくる確率」を凄い計算式でAIに算出させてみたら、
その確率で流れてきた香港の蛇スープの話題はかなりレアだったんじゃない?
ラジオでその蛇スープの話題を聞いただけでもポイントついたってカウント計上して欲しいわ!
それでラッキーアイテムの蛇スープを回収したってことにして欲しいの、
うふふ。
チキンが挟まっているサンドイッチでたんぱく質が摂れますよ!ってウリのサンドイッチ。
新登場だったので、
思わず手に取って食べちゃったわ。
もちろんお会計を済ませたあとでよ。
美味しくいただきました。
昨日は珍しくミカンがあったので、
その1つを皮を剥いて輪切りにして、
ほんのり蜜柑のかおりかしら?
ミカンウォーラーもう1つぐらいミカン追加してもよかったかも。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!