青山貞
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青山 貞(あおやま ただす、文政9年9月3日(1826年10月4日) - 明治31年(1898年)11月22日)は、明治時代の内務官僚、華族、貴族院議員。通称、小三郎。
明治維新前
[編集]越前国に生まれる。福井藩の藩校明道館で教鞭を執り、藩主松平茂昭の侍読になった。文久元年(1861年)に藩より樺太の調査の命を受けた。先代藩主松平慶永に認められ、国事を司る。そして、新政府において慶応4年(1868年)2月、参与職内国事務局判事となり、同年閏4月に京都府判事となった。
明治維新後
[編集]明治2年(1869年)7月15日東京府権大参事となり、10月19日従五位に叙される。同年11月に東京府大参事なるが辞任。再び、明治3年(1870年)7月18日東京府大参事に任命され、明治4年(1871年)1月15日岩鼻県知事となる。同年10月、群馬県権知事(のちに群馬県権令、群馬県令となる)。明治6年(1873年)11月奈良県令、明治7年(1874年)1月司法大丞、明治10年(1877年)1月司法大書記官、明治19年(1886年)2月25日秋田県令(同年7月~地方官官制改正により秋田県知事)を務めた。そして、その功績により、明治20年(1887年)5月24日に男爵に叙任された[1]。明治22年(1889年)11月元老院議官に再任され(翌年10月20日迄)、明治23年(1890年)7月10日には、貴族院議員(没するまで)となり[2][3]、同年10月20日、錦鶏間祗候となる[4]。明治31年に73歳で没した。墓所は青山霊園。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1887年(明治20年)11月25日 - 勲三等旭日中綬章[7]
- 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[8]
- 1898年(明治31年)11月21日 - 勲二等瑞宝章[9]
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 国立国会図書館 憲政資料室・青山小三郎関係文書・履歴
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 青山(貞)家初代 1887年 - 1898年 |
次代 青山元 |