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松井直吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松井 直吉
人物情報
生誕 (1857-08-14) 1857年8月14日安政4年6月25日
美濃国大垣(現・岐阜県大垣市
死没 (1911-02-01) 1911年2月1日(53歳没)
東京府東京市牛込区市谷加賀町(現・東京都新宿区市谷加賀町)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京開成学校化学科(中途海外留学)
コロンビア大学鉱山学科
子供 元太郎(長男)、文次郎(次男)、秀三郎(三男)、ゆき(長女・木村恵吉郎妻)、山上八郎(八男)
学問
研究分野 化学
研究機関 東京大学理学部
帝国大学工科大学
第三高等中学校
帝国大学農科大学→東京帝国大学農科大学
学位 哲学博士(コロンビア大学・1880年)
理学博士(日本・1888年)
学会 東京化学会、農学会
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松井 直吉(まつい なおきち、1857年8月14日安政4年6月25日) - 1911年明治44年)2月1日)は明治時代の日本化学者理学博士

第三高等中学校京都大学の前身の一つ)教頭、文部省専門学務局長、東京化学会(日本化学会の前身の一つ)会長、東京帝国大学東京大学の前身)農科大学長・総長を歴任した。

略歴

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その他

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  • 少年期から学力優秀であったという。また多趣多芸であり、書画骨董にも精通していたという。
  • 絵を描くのが得意であり、精通していたという。フェノロサとも親交があったという。

以上のことから文展審査員となっている。

家族

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弟は国文学者和田万吉

また、松井は8男8女の計16子をもうけているが、8男で山上家の養子となった山上八郎は、日本の甲冑についての研究で知られている。

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ 『官報』第6729号、明治38年12月4日。
  2. ^ 『官報』第6739号、明治38年12月15日。
  3. ^ a b c 新聞集成明治編年史. 第十四卷』p.370
  4. ^ 『官報』第907号「叙任及辞令」1886年7月10日。
  5. ^ 『官報』第5141号「叙任及辞令」1900年8月21日。
  6. ^ 『官報』第4651号「叙任及辞令」1899年1月4日。
  7. ^ 『官報』第5395号「叙任及辞令」1901年6月28日。
  8. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  9. ^ 『官報』第7499号「叙任及辞令」1908年6月26日。

関連文献

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  • 東京帝国大学農科大学教授正四位勲二等理学博士松井直吉旭日重光章加授ノ件」(国立公文書館所蔵 「叙勲裁可書・明治四十四年・叙勲巻一」)
  • 古在由直 「理学博士松井直吉君略伝」(『東京化学会誌』第32帙、1911年)
  • 横井時敬 「鳴呼学長松井直吉君」(『農学会報』第104号、農学会、1911年3月)
    • 大日本農会編纂 『横井博士全集 第五巻』 横井全集刊行会、1925年7月
  • 松井直吉」(内尾直二編輯 『第三版 人事興信録』 人事興信所、1911年4月)
  • 松井直吉」(杉浦秋次郎編纂 『岐阜県郷土偉人伝』 岐阜県郷土偉人伝編纂会、1933年12月)
  • 「化学研究の開拓者 松井直吉」(唐沢富太郎著 『貢進生 : 幕末維新期のエリート』 ぎょうせい、1974年12月 / 唐沢富太郎著 『唐沢富太郎著作集 第4巻 貢進生 人生・運命・宗教』 ぎょうせい、1990年10月、ISBN 4324016259
    • 「松井直吉 : 化学研究の開拓者」(唐沢富太郎編著 『図説 教育人物事典 : 日本教育史のなかの教育者群像 中巻』 ぎょうせい、1984年4月)

外部リンク

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公職
先代
鈴木宗泰
教頭心得
日本の旗 第三高等中学校教頭
1887年 - 1890年
次代
(欠員→教頭廃止)
学職
先代
(新設)
日本の旗 東京帝国大学農科大学
1897年 - 1911年
帝国大学農科大学長
1890年 - 1897年
次代
古在由直
先代
桜井錠二
桜井錠二
久原躬弦
長井長義
中沢岩太
東京化学会会長
1910年 - 1911年
1905年 - 1906年
1899年 - 1902年
1893年 - 1894年
1881年 - 1883年
次代
高松豊吉
高山甚太郎
高松豊吉
高松豊吉
桜井錠二