桂林郡
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桂林郡(けいりん-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。秦代から南北朝時代にかけて、現在の広西チワン族自治区桂林市一帯に設置された。
概要
[編集]紀元前214年(始皇33年)、秦が逋亡人(逃亡した罪人)・贅壻(貧家出身の入り婿)・賈人(商人)を動員して南方の陸梁の地を奪取し、桂林郡・象郡・南海郡の3郡を立てた[1]。
秦が滅亡すると、趙佗が桂林郡と象郡を攻撃して併呑し、自立して南越武王を称し、南越国を建国した[2]。
紀元前111年(元鼎6年)、漢の武帝が南越国を滅ぼし、桂林郡の故地に鬱林郡が立てられた[3]。
274年(鳳凰3年)、三国の呉が鬱林郡を分割して桂林郡を立てた[4]。
晋のとき、桂林郡は広州に属し、潭中・武豊・粟平・羊平・龍剛・夾陽・武城・軍騰の8県を管轄した[5]。
南朝宋のとき、桂林郡は中溜・龍定・武熙・陽平・安遠・程安・威定の7県を管轄した[6]。
南朝斉のとき、桂林郡は武熙・騰渓・潭平・龍岡・臨浦・中留・武豊・程安・威定・潭中・安遠・安化・龍定の13県を管轄した[7]。
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、桂林郡は廃止されて、桂州に編入された[8]。