新平郡
表示
新平郡(しんへい-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。後漢末から唐代にかけて、現在の陝西省咸陽市一帯に設置された。
概要
[編集]194年(興平元年)、安定郡の鶉觚県と右扶風の漆県を分離して、新平郡が立てられた[1]。新平郡は雍州に属した。
北魏のとき、新平郡は涇州に属し、白土・爰得・三水・高平の4県を管轄した[3]。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、新平郡は廃止され、その管轄県は豳州に直属するようになった。606年(大業2年)、豳州は廃止され、その管轄県は寧州に移管された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、寧州は北地郡と改称された[4]。618年(義寧2年)、北地郡の新平県と三水県を分割して、新平郡が置かれた。
同年(武徳元年)、唐により新平郡は豳州と改められた。725年(開元13年)、豳州は邠州と改称された。742年(天宝元年)、邠州は新平郡と改称された。758年(乾元元年)、新平郡は邠州と改称され、新平郡の呼称は姿を消した[5]。
僑置新平郡
[編集]南北朝時代、新平郡の本土が敵対する王朝の統治下にあったとき、僑郡の新平郡が置かれた。
471年(南朝宋の泰始7年)、南兗州に新平郡が置かれ、江陽・海安の2県を管轄した[6]。
東魏のとき、新平郡は西郢州に属し、岳安・安城の2県を管轄した[3]。