忠実屋
二代目シンボルマーク | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
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略称 | 忠実屋 |
本社所在地 |
日本 〒160 東京都新宿区歌舞伎町二丁目1番11号 林原第2ビル |
本店所在地 |
〒193 東京都八王子市初沢町1227番地4 (高尾店) |
設立 | 1954年(昭和29年)8月4日[1][2] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケットの経営 |
代表者 |
代表取締役会長 越智 琢一 代表取締役社長 谷島 茂之 |
資本金 | 125億9,400万8,607円 |
発行済株式総数 | 9,038万8,698株 |
売上高 | 321,912百万円(1993年度) |
決算期 | 2月28日[5] |
主要株主 |
ダイエー マルエツ |
関係する人物 |
高木国勝(第1次創業者) 高木夏子(第1次創業者の妻) 高木吉友(第2次創業者) 高木シン子(第2次創業者の妻、株保有者) |
特記事項:このデータは最終となる1994年分のデータを表記している。 |
株式会社忠実屋(ちゅうじつや、英: Chujitsuya Co., Ltd.)は、かつて首都圏を中心にスーパーマーケット等を展開していた日本の企業。東京都八王子市を発祥の地とし、東京多摩地域を中心に東京23区・埼玉県・神奈川県などに出店していた。
1994年(平成6年)3月1日にダイエーに吸収合併され、消滅した。
歴史
[編集]創業からスーパーマーケットのチェーンへ
[編集]1933年(昭和8年)10月に[6]高木国勝が八王子市本町10番地で[7]、「いろは屋」の屋号を借りて同店が製造した漬物や佃煮などを中心とする食料品店を開店したのがはじまりである[8]。
創業から2年ほどしたころから漬物などの一部を自店で製造するようになったこともあり、「いろは屋」の屋号の使用停止を求められた[8]。
そこで、クリスチャンであった高木国勝は、1937年(昭和12年)に新約聖書のヨハネの黙示録の2章10節「汝、死に至るまで忠実なれ。さらばわれ汝に生命の冠を与えん。」という一節から啓示を受け、「忠実屋」の屋号を用いることとした[8]。
1943年(昭和18年)に高木国勝が死去したことから妻の高木夏子が営業を継承した[7]。
1945年(昭和20年)10月に八王子市八幡町に店舗を移転[6]。
高木夏子は妹であった新子を養女とし、その婿養子として、戦友とコンニャク製造業を営んでいた旧姓・伊藤吉友を迎え、高木吉友とした[9]。
この高木吉友は、1947年(昭和22年)に家業の「忠実屋」を継承[8]。 1948年(昭和23年)8月に[10]資本金15万円で有限会社忠実屋に改組して法人化し[11]、社長に就任した[10]。
1959年(昭和34年)4月に横山町に支店を開設し[8]、翌年・1960年(昭和35年)9月1日に同支店をスーパーマーケットとした[12]。 1961年(昭和36年)6月に増築して新装開店した本店を含め、以降スーパーマーケットのチェーン展開を進めた[6]。
ダイエー傘下に 4社合併で消滅へ
[編集]大手スーパーのダイエーは、1980年代初めにも当社に提携・合併を打診していた[13]。
バブル崩壊後は売り上げが下落傾向にあった忠実屋だったが、1989年(平成元年)に秀和が忠実屋の株を大量に買い占める事件(忠実屋・いなげや事件)が発生した。後がなくなった忠実屋は、創業者の吉友の「自主独立を貫く」という強い意志を尊重するべく、他社との連携は一切していなかった。
1991年(平成3年)6月に吉友が心不全で死去すると事態は一変した。吉友の子息であり長男の高木國夫(当時副社長)が父の吉友の意思とは逆に、現実的な路線として他社との連携を取ることを認め、同年12月に大手スーパーのダイエーと資本・業務で提携することに合意した。ダイエーの中内㓛(当時)は「忠実屋から提携の申し入れがあり、すぐに決定した」と語った。
しかし過半数の忠実屋株を秀和が所有していたため、ダイエーは時期を見て同グループのマルエツと共に同社株の公開買い付け (TOB) を行って成功し、1992年(平成4年)3月1日に正式にダイエーの系列会社となった。筆頭株主はダイエーではなく、1772万7000株を取得したマルエツだった。これにより一連の事件は事実上の終焉を迎えた。
ダイエーの系列会社になったとはいえ、創業者の吉友が語っていた「自主独立を貫く」という方針で忠実屋は様々な対策を取るも、1993年2月期の利益は大幅減益という惨憺たる結果になり、社長の谷島は株主・社員に迷惑は掛けられないと、1993年6月にダイエーの中内に合併話を持ちかけた。ダイエーは当時、長期に渡り合併を模索していた九州のユニードダイエーと、沖縄で単独勢力で継続してきたダイナハとの3社合併を1994年に実行することを計画していた。ダイエーは、忠実屋も加えた4社での合併を決定。1994年3月1日に施行することを決定した。
合併の準備として、ダイエーのクレジットカード「OMCカード」を忠実屋でも使用可能にし、情報・店舗等の組織コードをダイエー基準に統一、物流センターの統一と配送地域の見直し、そして商号を忠実屋からダイエーへ変更する作業を行った。また、高木一族が所有する忠実屋株をダイエー側が取得し、ダイエーグループのサカエ(のちのグルメシティ近畿)に売却するなど、合併準備が着々と進んでいった。
合併まで約1ヶ月と迫った1994年(平成6年)2月3日に、忠実屋が長らく家電製品の取引を松下電器産業(現:パナソニック)と行っていたため、合併により存続することとなるダイエーが、松下電器産業の子会社であった東京松下ライフエレクトロニクス(現:パナソニック コンシューマーマーケティング)と取引契約に調印した[14]。 ダイエーと松下電器との間では、ダイエーが松下製品のテレビを破壊的な価格で販売する事にパナソニック創業者である松下幸之助が強く反発し、ダイエーもそれに反発する形で松下電器の製品を不買する運動を続けた過去があった(ダイエー・松下戦争)。この調印で約29年に渡る対立に終わりを告げ、両社和解となった。その後はダイエーグループでも段階的ではあるが松下製品を店頭に並べることとなり、忠実屋は両社の和解の仲立ちをしたこととなった。
1994年(平成6年)3月1日、ダイエーにユニードダイエー、ダイナハと共に吸収合併[15]。約59年の歴史に幕を下ろした。1993年(平成5年)12月の店舗数は73店舗であった[16]。合併後に忠実屋の系列会社はダイエーの系列会社に統廃合され完全独立した。
1996年(平成8年)3月1日にダイエーが松下電器産業(パナソニック)の製品の正式な取引を再開し、旧忠実屋以外の総合スーパーなどでの販売も行われるようになった[17]。
忠実屋が発行した商品券は現在でもダイエーの店舗で使用でき、ダイエーがイオングループ入りしたあとはイオンの店舗でも使用できる[18]。
その後、ダイエーが経営不振に陥り多くの店舗が閉鎖になる中で、忠実屋の1号店である八幡町店はダイエーからグルメシティに業態転換し、長い間営業を続けていたが、建物と店舗設備の老朽化により2019年2月28日をもって閉店し、八幡町店は約65年の歴史に幕を下ろした[19]。閉店に先立ち2016年には、地元八幡町の商店会と多摩美術大学の学生により「忠実屋八幡町店」時代の店舗を再現したジオラマも製作された[19]。
沿革
[編集]- 1933年(昭和8年)10月 - 高木国勝が、漬物店「いろは屋」から暖簾を借りる形で八王子市で創業[8][6]。
- 1937年(昭和12年)5月 - 漬物店「いろは屋」に暖簾を返上。忠実屋の商号を使用開始。
- 1943年(昭和18年)11月12日 - 高木国勝が肺結核で死去。高木夏子が経営を継承し、商売を継続。
- 1946年(昭和21年)10月 - 八王子市八幡町に商店を開設。戦争により中断していた商売を再開。
- 1948年(昭和23年)
- 1954年(昭和29年)
- 1956年(昭和31年)7月 - 天ぷら、鮮魚、中央(加工食品)、菓子、乾物の5部門を設立。
- 1959年(昭和34年)4月 - 化粧品・日用雑貨・衣料品の取扱いを開始[21]。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1965年(昭和40年)
- 1967年(昭和42年)
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)2月 - 八王子市椚田町に「コープ・ミート株式会社」を設立[24]。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)11月15日 - 株式会社ラルブロを設立[34]。
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
主な自社プライベートブランド
[編集]- 忠実選品 - 食品のプライベートブランド[73]。
- 生活スタジオ - 1985年(昭和60年)10月15日発売開始[74]。基本的な機能を重視し、合理性を追求したプライベートブランド[75]。
- くらしの実 - 1985年(昭和60年)10月15日発売開始[74]。「こころによく効く、生活の空気」をキャッチコピーとした高品質でハイセンスなプライベートブランド[74]。家庭用品でスタートし、1986年(昭和61年)に食品が追加発売された[76]。
- 自然徳品 - 天然素材を主体とした自然な色合いのシンプルな商品のプライベートブランド[77]。
- エコノミープライス商品 - 食品や家庭用品などの低価格のプライベートブランド[78]。
- 素顔活菜 - 有機栽培・野菜のプライベートブランド[79]
- フランツ - 1980年(昭和55年)3月発売開始[80]。紳士肌着・アウターのプライベートブランド[80]。
- マーガレット - 1980年(昭和55年)3月発売開始[80]。婦人肌着・アウターのプライベートブランド[80]。
店舗ブランド
[編集]- 忠実屋 - SM(スーパーマーケット)・GMS(総合スーパー)業態。
- 忠実屋名店センター - ションピングセンター[81][82]
- ザ・プレイス - 忠実屋店舗より高級スーパーSM業態。販売革新
- 忠実屋フランツ - 忠実屋店舗よりハイグレードなGMS業態[83]。ロゴマークの製作は原田進が担当。
- DISPA(ディスパ) - ディスカウント業態[84]。吸収合併後、大半の店舗はDマートやトポスへと継承された。
- ナイス - コンビニエンスストア(30坪から40坪)とミニスーパー(75坪から150坪)で、フランチャイズチェーンを目指していた[85]。
- 生活自遊館ベネ - 園芸・ペットショップで、1986年(昭和61年)7月26日に1号店として伊勢原店を開設[62]。
- プラザ21 - DC系メンズショップ[86]
- スペース209 - ティーンズショップ[86]
- クランベリーハウス - ヤングレディスショップ[87]
- アンサンテ - 婦人服店[87]
- ラルブロ - 35から50歳を対象とする婦人服店として展開していたが、1986年(昭和61年)2月までに全店がクランベリーハウスへ業態転換して消滅することになった[61]。
- hobbyshop宝島
かつて存在した忠実屋店舗
[編集]東京都
[編集]八王子市
[編集]- FAM(八王子市横山町18-5[93]、1987年(昭和62年)3月27日[94] - 1994年(平成6年))
- 売場面積12,000m2[95]。
- 1985年(昭和60年)に閉店した八王子大丸[96](八王子市横山町)の建物を使用し、忠実屋子会社(サイドウォーク→ファム)が運営していたファッションビル。FAMは「FAMILY AFFECTION MARKET」の略。
- 80のインショップで構成された生活提案型の百貨店を標榜した店舗として開業した[94]。
- ヤング向け主体の品揃えで開業したが、開業初年度の売上が目標の100億円を大きく下回る約60億円に留まるなど、当初から業績不振に陥って主婦向けの品揃えへ転換することになった[94]。
- 1994年(平成6年)[96]、ダイエーへの吸収合併に伴い閉鎖。その後は長年空きビルとなっており、当時の黒須隆一八王子市長からも商店街衰退の象徴として問題視する発言がなされた[96]。2001年(平成13年)2月9日にダイエーが本館と別館の土地・建物を日本中央地所とセントラル地所に売却[97]。→詳細は「大丸 § 過去に存在した店舗」を参照
- 叶谷店(八王子市叶谷町876-3[117]、1975年(昭和50年)10月[117][118]25日 - 2014年1月31日)
- 大和田店(八王子市大和田町6-13-3[117]、1975年(昭和50年)11月[117]16日 - )
- 高尾店(八王子市東浅川町1227-4[111]、1978年(昭和53年)11月2日[119] - )
その他都内
[編集]多摩地域
[編集]- 三鷹市
- 調布市
- 府中市
- 中河原店(府中市住吉町1-33-2[117]、1974年(昭和49年)11月[117]27日 - 1994年(平成6年)2月15日)
- 売場面積1,490m2[136]
- 売上高(1976年(昭和51年)度)13億4155万円[91]
- 現在は、366リハビリテーション病院。[要出典]
- 町田市
- 日野市
- 東大和市
- 小金井市
- 稲城市
- 国立市
- 羽村市
東京23区
[編集]- 下北沢店(東京都世田谷区北沢2—20—17[152]、1971年(昭和46年)3月26日[152] - 2008年(平成20年)1月13日)
- 売場面積2,421m2[136]
- 売上高(1976年(昭和51年)度)27億494万円[109]
- ダイエー下北沢店→グルメシティ下北沢店→フーディアム下北沢店
- 赤羽店(東京都北区神谷3-12[154]、1982年(昭和57年)3月25日[154][155] - 2016年(平成28年)2月29日)→DISPA!赤羽店→Dマート赤羽店→ダイエー赤羽北本通り店→イオン赤羽北本通り店(2016年3月1日 - 2020年5月31日)
- 大崎店(1987年(昭和62年)2月1日[94][160] - 1991年(平成3年)5月1日営業譲受 - 2008年(平成20年)10月31日)
- フランツ東大島店(東京都江東区大島7-38-30[162]、1989年(平成元年)2月28日[163] - )
神奈川県
[編集]横浜市
[編集]- 三ツ境店(横浜市瀬谷区三ツ境7-1[169][170]、1977年(昭和52年)11月24日[169][171] - ?)
- 敷地面積約3,530m2[169]、鉄筋コンクリート造地下2階・地上2階建て[169]、延べ床面積約17,145m2[169]、店舗面積約10,991m2[169](直営約店舗面積7,730m2[169])、駐車台数約390台[169]。
- ジャスコと共同で「ジェーシータウン(株)」を設立して出店する計画であったが[172]、地元商店街の反対運動の結果として当社単独での出店となった[173]。
- 三ツ境駅から徒歩1分の住宅街に立地する駅前型ショッピングセンター「露木コミュニティーランド」(延べ床面積17,613m2、駐車台数約380台)の核店舗として出店した[170]。
- 売上高(1978年(昭和53年)度)63億4500万円[174]
- ダイエー三ツ境店→イオンフードスタイル三ツ境店
相模原市
[編集]- 淵野辺山王店[104][209] → 淵野辺本町店[195](相模原市渕野辺本町2-15-21[195](旧・淵野辺山王平912-2[104][209])、1975年(昭和50年)12月[104][210] - )
- 売場面積約1,444m2[104]。
- →グルメシティ淵野辺本町店
- 津久井店(津久井郡津久井町中野997-1[178]、1974年(昭和49年)11月21日 - 2011年(平成23年)5月8日)
- ナイス城山店(1988年(昭和63年)4月?日 - 2011年(平成23年)1月5日)
- →シヅオカヤ城山店→プライスセーバー城山店→グルメシティ城山店
座間市
[編集]平塚市
[編集]大和市
[編集]秦野市
[編集]その他
[編集]- 鴨宮店(小田原市鴨宮字宝町636-1[146]、1978年(昭和53年)4月12日[233] - 2015年(平成27年)1月25日)
- 売場面積1,250m2[146]
- →ダイエー鴨宮店→グルメシティ鴨宮店
- 敷地面積9,219m2[236]、地下1階・地上5階建て[236]、店舗面積13,355m2[236]、駐車台数約800台[236]
- 伊勢原駅から西へ約1.5㎞離れた国道247号沿いの鈴川工業団地の一角に開設された郊外型ショッピングセンターであった[237]。
- 室内プールやテニスコートなどを備えたスポーツ施設「マーガレットスポーツガーデン」を併設しており、東海大学系の東海体育指導に業務委託したスポーツ教室も運営していた[237]。
- →ダイエー伊勢原店→イオン伊勢原店(2024年(令和6年)1月31日閉店)[238]
埼玉県
[編集]さいたま市
[編集]- グルメシティ東浦和店→イオンフードスタイル東浦和店
- 北与野ショッピングセンターの店舗面積7,474m2[246]
- 北与野駅前北口第一種市街地再開発事業で建設された再開発ビル「アルーサ北与野」の核店舗として出店した[248]。
- 再開発ビル「アルーサ北与野B棟」は地下2階・地上8階建てで、敷地面積3,456m2、延べ床面積24,353m2[248]。
- ダイエーが合併で継承したが、1995年(平成7年)2月に撤退[249]。
川口市
[編集]- 敷地面積約10,575m2[250]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[250]、延べ床面積約12,139m2[250]、店舗面積約16,835m2[250](直営店舗面積約9,478m2[250])、駐車台数約400台[250]。
- 1994年(平成6年)3月1日にダイエー川口店として新装開店した[252]。ミエルかわぐち[要出典]
- グルメシティ東川口店→ダイエー東川口店
その他
[編集]- 売場面積9,300m2[260]
- ダイエー鶴ヶ島店→POPOLA鶴ヶ島
- 延べ床面積12,751m2[145]、売場面積8,788m2[243]、売場面積8,788m2[243]、駐車台数約1,000台[111]。
- ダイエー狭山店となった[261]旧店舗建物改装後、2003年、キャッツアイ&レジャスポ狭山店が開店。[要出典]2022年8月31日閉店[262][263][264]→老朽化のため建物解体[要出典]
- 敷地面積約9,454m2[265]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋2階[265]、延べ床面積約12,139m2[265]、店舗面積約7,524m2[265](直営店舗面積約6,740m2[265])、駐車台数約500台[265]。
- ダイエー草加店
- 敷地面積8,584m2[268]、延べ床面積16,480m2[268]、売場面積7,633m2[146]、駐車台数約800台[111]。
- 松本商会がボウリング場跡地に建設した松本ビルへ出店していた[268]。鶴瀬駅西口から約500m西へ行った場所にあった[269]。
- 売上高(1978年(昭和53年)度)46億3200万円[270]
- 1994年(平成6年)3月1日にダイエー三芳店となった[271]
- 久喜駅前西口第一種市街地再開発事業で建設された再開発ビル「サリア」の核店舗として出店した[277]。
- 敷地面積約3,324.06m2[278]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階・地上6階建て塔屋2階[278]、延べ床面積20,651.224m2[278]、店舗面積10,500m2[279]、駐車台数約63台[278]。
- ダイエー久喜店[280]→クッキープラザ
千葉県
[編集]- Dマート木更津店
売場面積11,857m2[266]
- 店舗面積11,187m2[246]
- ダイエー五香店
山梨県
[編集]静岡県
[編集]- 清水店(清水市)
- ダイエー清水店となった[311]
海外店舗
[編集]実現しなかった店舗
[編集]東京都
[編集]埼玉県
[編集]千葉県
[編集]茨城県
[編集]海外店舗
[編集]合併後の旧忠実屋店舗
[編集]事業所
[編集]グループ企業
[編集]一部を列挙。社名は当時のもの。
スーパー
[編集]- 株式会社ナイス(新宿区歌舞伎町2-1-11[26]、1964年(昭和39年) - 1991年(平成3年)9月、シズオカヤに店舗経営譲渡) 新宿区
- 神奈川・鎌倉が発祥で、野村不動産の子会社として首都圏を中心に展開していた小型の食品スーパーマーケット野村ストアー。野村不動産が開発したマンションや住宅に出店をするも無理な出店が響き経営赤字となり、1983年に経営再建に協力してきた忠実屋が同社の株式を全て取得し傘下とした。
- 通常のスーパーよりも店舗面積が狭く大手スーパーに対抗できない為、店舗の運営が難しく、1991年9月1日に、赤字会社として整理されることとなりシズオカヤと統合し、当年度内に清算された。
- 荻原商事株式会社 → 株式会社シズオカヤ(新宿区歌舞伎町2-1-11[26]、1984年(昭和59年) - 2000年(平成12年)3月、セイフーと合併) 新宿区
- 詳しくは「グルメシティ関東」を参照。
- 新宿駅前の販売店が発祥で主に首都圏を中心に展開していたスーパーマーケット。拡大策が裏目に出て経営赤字となり忠実屋傘下に入った。忠実屋がダイエーと合併してからは単独勢力となるも2000年にセイフーと合併し消滅した。
- 株式会社 忠実屋静岡(1975年(昭和50年)12月[331] - 1980年(昭和55年)9月)
- 忠実屋の御殿場店��清水店を展開していた会社。
- 合弁会社チュウジツ・スーパーストア(1986年(昭和61年)[332] - ?)
- 株式会社サイドウォーク(八王子市横山町18-51984年(昭和59年) - 2000年(平成12年)3月、セイフーと合併) 新宿区? - 1991年(平成3年)2月に経営不振により清算[71])
- 八王子の百貨店「ファム」と東京・大崎の高級スーパー「ザ・プレイス」を運営していた会社。1991年度の整理会社の対象となり、百貨店のファムは閉店し、専門店ビル「ファム」として同名の会社が設立され運営にあたっていた。ザ・プレイスについては同年5月に忠実屋が吸収し忠実屋に業態転換された。
- 株式会社ファム(1991年(平成3年) - ?)
- 専門店ビル「ファム」を運営・管理をしていた会社。
- マーガレット商事株式会社 → 株式会社 忠実屋(1951年(昭和26年)2月17日[333] - 1976年(昭和51年)3月[333])
- 額面変更のために(初代)株式会社 忠実屋を吸収合併した(2代目)株式会社 忠実屋[333]。
専門店運営
[編集]- 株式会社サンロベール(? - 1994年(平成6年)(平成6年)9月にボンテと合併[335])
- 店内でパン屋を運営していた会社[336]。忠実屋がダイエーと合併したことによりダイエーグループで同業のボンテと合併し消滅した。
- 首都圏地域スパー本部(1983年5月 - 1989年7月、カスミ系の関東地域スパー本部に営業権を譲渡)
- コンビニエンスストア部としてスパーを運営していた会社。その後、地価高騰の煽りでチェーン組の拡大が難しいと見て、1989年7月1日付けで忠実屋と同じ中堅スーパーでカスミ系の関東地域スパー本部に営業権を譲渡した。
- 株式会社マーガレットシューズ → 株式会社アクセル(新宿区歌舞伎町2-1-2[26]、1983年(昭和58年)9月[334] - 1994年(平成6年)12月1日にロベリアを吸収合併し、社名を「ロベリア」に変更[339])
- 株式会社バビロ(? - 1994年(平成6年)9月にアシーネに吸収合併[340])
- CD・書籍を取り扱っていた会社。忠実屋がダイエーと合併したことによりダイエーグループで同業のアシーネ(後に未来屋書店に吸収され同社のブランドとなる)と合併し消滅した。
- 株式会社 忠実屋電器(? - ?)
- 「電器担当部」を設置して、忠実屋本体に業務が移管された[341]。
食品・外食
[編集]- 株式会社ロイヤルクック(? - ?)
- 株式会社日本シーフード(? - 1991年(平成3年)2月に経営不振により清算[71])
- 海鮮料理の「タイガーシーフードレストラン」の4店を運営していた店舗。営業不振により1991年(平成3年)1月末で店舗自体の営業を全て終了。同年2月末で会社も清算された。
印刷・企画・ディベロッパー
[編集]金融
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関連項目
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広報資料・プレスリリースなど一次資料
[編集]- ^ 『7月28日(金)「イオンスタイル赤羽」グランドオープン』(PDF)(プレスリリース)イオンリテール株式会社、2023年6月16日 。2023年12月31日閲覧。
- ^ “〜津久井地区最大級の商業施設として生まれ変わります〜『ダイエー津久井店』 のオープンについて”. 株式会社ダイエー 2024年3月8日閲覧。