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2025-03-16

anond:20250316121711

ああ私も娘たちに「OKおかーさん!宿題終わったかタブレット制限時間伸ばして!」とかよく言われるわ。

選挙行ったらめちゃくちゃ人がいて体感30分以上待たされたんだけど

なんで期日前投票しないで日曜投票すんの?

期日前だったらすぐ入れるし待たされることもない。

当日に来るのが偉いと思っているのか、期日前を知らないのか、夏休み最後の日に宿題するタイプの人なのか、ラーメン屋と間違えて並んでるのか。

どちらにしろアホしかいないのだから当日は投票所を閉鎖して期日前のみにするべきである

2025-03-15

anond:20250315182459

ま○こ!馬鹿なこと言ってないでさっさと宿題終わらせなさい!!!

2025-03-14

精神科行ったら貴方は高IQで今まで何とかしてきたADHDだって診断された

最近仕事責任が増え、家族も持つようになりミスを繰り返したり色々限界を感じ始めていたので精神科に行ってみた

結果、タイトルみたいな診断をされた

そういうのってあるんだな

思い返せばそれっぽい症状は昔からあったが、能力で抑え込んでいたなという事案がたくさんあったなと

とはいえIQ130あるかないかくらいだが)

小学校の頃から宿題なんて一度も提出したことなかったが、テストで優秀な成績は取れていたので親や先生から小言は言われながらも大目に見てもらっていた

大学普通に本州にある旧帝に受かったので本当に誰から咎められることがなく、自分学生生活宿題を全くやらずに終わった

他にも、大学研究バイトやらサークルやらが忙しくなった時に途中でほっぽりだして卒業危機が迫っていたが泣きながら一月で論文書いて卒業できたし、優秀賞は取れなかったが次点だったと教授から言われた

仕事ぶっちゃけまらやらかししまくってるけど早期鎮火してきたから大ごとにはならなかった

から周りも今まで気づかなかったのだろうと

それが、最近プライベート含めてやることが増えとうとうキャパを超えてしまったのだろうと医師に言われた

ただ、治療法がないと困っていた

コンサータ自分が常備薬として飲んでいるものと相性が悪いらしく飲めず、ストラテラは車の運転をするのでなるべく出したくない

行動療法ってのもあるが君みたいに頭良い人は頭じゃわかってることをただ伝えるだけになるから意味はないだろうと

ただ、来年から新居を構え電車通勤できるようになるからそこからストラテラ飲んでみますか、といったところで話は落ち着いた

正直、もう生活の質落としてあるのか知らんけど今より楽な仕事を探すしかいかな、と思っている

しかし、新居といういらんもん買ってしまったがためにそれも無理そう

はぁ、今はただ来年から飲むであろうストラテラかいうの、効いてくれと願う毎日

2025-03-12

宿題とき

言い争いするのほんと嫌

anond:20250312113259

かに紅茶の話では権威勾配的な話は説明はできないな。

まあ合意は慎重に取れ、ちょっとでも相手の様子がおかしかったら合意ではないかもしれないことを疑えっていう程度の話だもんな。

まあそこまでは伝わるからあれはあれでいいんじゃないかね。

あるいは「俺の紅茶が飲めないって言うのか?」っていうのもダメだよねって話なのかもしんないけど。

まあ強い立場人間が弱い立場人間に対して、なんも別に強要もしてないし脅してもないのに…って戸惑う気持ちはわかる。

私がもし強い立場になったとして、きっと私も自分立場を利用するようなことはやっちゃう気はする。

子供宿題しない時に腹を立てて、「じゃあお母さんもなんもしない!ご飯も作んないもんねー!」とか言うのも強者から弱者への脅しだもんな。既にやってる。(この脅しは実行するはずもないので非常に良くない脅し)

まあ恋愛と違ってそれは相手のためなので説得もしやすいけどな。理解するかはともかく。

ともあれ全く立場が同じ状態恋愛するって意外に難しいよねー。

あるいは女性が完全に嘘をついている場合は…まあそれはリベンジポルノみたいなもんなのかな。

リベンジポルノが法的に守られているという理不尽っていうのはありそう。

それを証明する手段っていうのは必要だろうし、どのみちそうなると男女ともにそんな簡単に裏切るかもしれない信用ならない相手と体の関係を持つのは非常にリスクが高いってことは念頭に置いておいたほうがいいんだろうな。

2025-03-10

妻(専業主婦)に養われている

やしな・う〔やしなふ〕【養う】
1 自分収入家族などが生活できるようにする。扶養する。「妻子を—・う」
2 衣食などのめんどうを見ながら育てる。養育する。「孫を大切に—・う」
3 食物を与えて飼う。「家畜を—・う」

出典:デジタル大辞泉小学館

年収950万円の夫(小遣い月2万円)と専業主婦の妻。二人の子どもが居る。

こういう状況では普通、「夫が妻子を養っている」というのだろう。しかし、私の場合、「妻に養われている」という表現が非常に実感と合っている。主に、上記の2と3の意味で。

あなた同意してくれるだろうか? 参考として、以下に、私のプロフィールを記そう。

38歳男性生活能力に難あり

一人暮らしをしていたときゴミ出しを一ヶ月以上にわたって忘れ続け、部屋中がゴミ袋まみれになるのが日常茶飯事だった。

※私は優良な市民なので、決められた曜日時間帯にしかゴミを出さない。しかし、チャンスは週に二日だけ、しかも早朝限定という条件は私には難しすぎた。だって、忘れたら終わりだし、ゴミ袋たちは部屋の景色と一体化しているので、そこに有っても全然気にならないし。

また当然、ベッドのシーツ洗濯するとか、トイレ掃除するとか、部屋に掃除機をかけるとか、ベランダ掃除するとか、棚のホコリはらうとか、あらゆる排水口を清掃するとか、そのようなタスクはすべて基本的意識の外にあり、衛生的にも大変挑戦的な環境生活を送っていた。

(しかし、きちんと風呂には入るし、歯も磨くし、衣服洗濯くらいはするので、こんな私でも知人から真人間に見えていたらしい)

こんな生活能力の欠如は、教育問題ではなく私の資質問題である。私の両親はまともなので、半年に一度くらい(遠方である)私の一人暮らしの部屋へ訪問しては大掃除を敢行してくれていた。なお、大掃除の主力は私の父であり、一般的な男女論は適用である

から通知表に「整理整頓ができない」とか「忘れ物が多い」とか書かれていた気がするので、たぶん脳機能に何か軽い問題があるのだと思う。宿題とかも全然出していなかった。

大人になるにつれ、忘れ物をしなくなるのではなく、忘れ物をしても上手くリカバリーする方法ばかり身につけてしまった。水道代とかを払い忘れてもすぐに止められてしまうわけではないということも学んだ。

食事もまあ、粗末なものだった。スーパーとかコンビニ惣菜を買って、全然美味しくないなあとか思いながら適当に食べていた。いまほど物価が高くない時分なのに、月に5〜6万円くらいは食費に使っていた気がする。

そんな私でも曲りなりに生活できているのは、もちろん収入があるからである。昨年の源泉徴収票確認したら950万円と書いてあった。同年代平均の2倍くらいは貰っているということになると思うので、これは大変ありがたい話だ。

なぜそんな高収入が得られているのかというと、それはもう、私が得意とする「過集中」の賜物である学生時代から、一日に10時間以上ぶっ通しでコーディングをしたり専門書を読んだり論文を書いたりすることを、なんの苦痛もなく実行することができた。というか、過集中状態で頭をフル回転させるのは単純に「気持ちいい」ので、集中できないと言う人の気持ち理解できないというのが正直なところである

こういう気質と、専門性の高い仕事研究開発職)が結びついた結果、仕事パフォーマンスだけは高い、生活能力皆無男性爆誕したというわけである。頑張って金を稼いでいるという実感は全く無い。こなすべきタスクや、出すべきアイデアが無数に存在するので、もぐら叩きのようにそれを一生懸命潰していっているだけであるたまたま、この「もぐら叩き」でハイスコアを出せる人間が周りにほとんど存在しないという事実だけに助けられている。

そんな私にとって、専門性の高い仕事をこなすよりも、家の中の仕事(いわゆる家事全般)をきちんとこなすほうが格段に難しい。というか、ひょっとしたら不可能なのではないかと思われる。子ども幼稚園に通うようになって、それを尚更強く感じるようになった。

妻と出会わなければ、私は早々に身体を壊して、社会から(今生から?)リタイアしていた可能性も決して低くはない。

実際、独身時代、私は(未受診ではあるが)自律神経失調症ならびに適応障害と思しき動悸・下痢・腹痛・頭痛めまい耳鳴りなどの体調不良に見舞われていた。

※そんなときに優しくしてくれる女性(今の妻)が目前に現れ、それにより何が起こったかはご想像の通りである

妻に「養育」されている

妻は専業主婦として、家の仕事を素晴らしいクオリティでこなし続けてくれている。

見方によっては、妻が社会活躍する機会を奪っているという誹りを免れないと思うし、実際、子ども幼稚園に通い始めるまでの数年間、妻はほとんど自由時間を持てなかった(一人で食事をすることすらままならなかった)のだから、その厚意に甘え続けているのは人道に反する行いと言っても過言ではない気がする。

しかし、妻は自立した大人女性であり、彼女自身の信念に基づいて、二人の子どもと出来損ないの夫を養育してくれているのである。これは彼女選択であるのだから、同情とか憐憫とかというのはもちろん不適切であるように思える。

そう。実際、私は妻に「養育」されている。

美味しい食事毎日与え��もらい、清潔な衣服を用意してもらい、掃除の行き届いた家で生活させてもらっている。何かの支払いが滞ったりすることもないし、私自身で金銭管理する必要すらない。晴れた日には布団を干し、頻繁にシーツ洗濯し、水回りもピカピカである。食後にはデザート(主に果物)を出してくれるし、出勤時にはお弁当に加えてちょっとした間食も持たせてくれる。

私が出張に行く前には一緒に忘れ物チェックをしてくれるし、何やかんやと必要ものを買ってきてくれたりする。下着が傷んでいたら買い替えておいてくれるし、上着クリーニングに出してくれる。

一緒に服屋へ行って服を選んでくれるし、子どものついでに散髪してくれることもある。

それに、妻による教育のおかげで、昔は出来なかった家事が、私にも少しずつ出来るようになってきた。妻が家事を処理する速度のおよそ20%くらいしかパフォーマンスは出ないので、これは通常の夫に求められる最低スペック要件を満たしていない可能性が高いが、しかし私にとって大きな進歩であるとも言える。

いずれにせよ、こんな文章をここまで読んでしまった諸賢には、もう明らかであろう。

生活能力が皆無である私は、「妻(専業主婦)に養われている」のである

いまの世の中の流れには逆行しているかもしれないけれど、こんな夫婦も居るという一例として。

なお、この文章anond:20190118204653後日談である。妻とは今でも仲良しです。

 

追記anond:20250312181846

ヒマだから人間ろくなことをしない

だけど誰が権力者労働を強いることができるのか

ある日神が降りてきて「お前は空き缶を1000000個手で集めること」とか一人一人人生宿題を設定していかいか

2025-03-05

子供習い事フォローが大変

毎晩やってますよ。

大変って言っても15分くらいだけど、子供のやる気を損ねないように励ましながらやってますよ。

毎日だよ毎日

働いて夕飯作って習い事送迎して風呂入れてから毎日だよ!

そもそも親が運動神経センスありタイプではないから、多くは望まないけど、進級テストに落ち込む子供を見るのは胸が締め付けられるのよ。

から出来る限りのフォローをするのよ。

親は頑張ってんのよ!宿題も見るわよ!頭もいいとも悪いともいえないけど、やっぱりフォローしないと簡単に落ちるのよ!

いつまで続くのこのフォロー

頑張って生き残ってくれ〜!

自分趣味とか忘れてしまったわ。子育て楽しす。

寒いので御自愛下さい。

2025-03-02

大手で良かった

最近業務量が増え、集中できない日々が続いていた

その結果なのかわからないが、あまりにもケアレスミスが多くなってしまいとうとう上司に酷く怒られてしまった

自覚はあるので、パワハラだ!とかそういう怒りはないのだが、ただただ申し訳ない…

そんなとき、ふと社内サイトを見ていたら何でも相談室みたいなものを見つけた

何でもと言いつつ、よくよく読むとどうやらメンタルになりそうな人へのカウンセリング時間らしい

希望すれば精神科医とも面談できるとのこと

そこそこ人気らしく、次の日にすぐ相談できるとはいかないのだが、予約しようと思った時点から3週間後の予約を取ることができた

しか無料

まだ実際に話していないので何とも言えないが、そのサイトコメントを読んでみると病院への斡旋もしてくれるらしい

正直、まだADHDなのかわからないが何かしらの治療ができたら嬉しいな、と思っている

とりあえずその機会を作ってくれるのは大手からだろうな、と大学生活、就活など色々うまく行ったことに今感謝している

普段は周囲からも人当たりが良いとよく言われ、コミュ症的な要素がなかったから周りから指摘されることもなく今まで気づかなかった

ただ、よくよく思い返すとドリル的な宿題は一切やらなかった(テストの成績で親と教師を納得させた)し、ADHDのきらいは昔からあったのかもしれない

どう診断されるのか、そもそも診断されるのかもわからないが、来週相談会がある

小学生からの話も含めて、何もかも正直にさらけ出そうと思う

そして、さらけ出せる場があって良かったなと心から思っている

2025-02-26

Claude 3.7 sonnetに小説を書かせてみた

### キッチンの向こう側

わたし大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。

葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。

大学教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

彼女、いつも一人だね」

後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。

父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃からキッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたし記憶の一部になっていた。ザクザク野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくとき真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。

「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。

「閉めるよ。わたしには、お父さんみたいな腕はないから」

父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理数学も、バランス大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。

大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。

アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境心機一転たかたからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。

夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。

母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。

料理、してる?」と母が聞いた。

インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。

「お父さんが聞いたら、怒るわね」

そうだった。父は、わたし料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっとから学んでおけばよかったと後悔していた。

五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたし図書館で多くの時間を過ごすようになった。

図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。

図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。

「君、いつも同じ本を読んでるね」

ある日、司書鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。

料理本が好きなの?」

「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形自分違和感を覚えた。

「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」

何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。

七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館必死勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。

大丈夫?」隣の席の女の子が小声で聞いてきた。

首を横に振ると、彼女心配そうな顔をした。

試験終わったら、一緒にお茶でもどう?」

の子名前は、里奈といった。同じ文学部学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。

「実は、前からしかたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」

彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対タイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。

「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。

「そうだったんだ」と彼女は言った。特別言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。

その日から里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分大学生活の一部になれたような気がした。

八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。

「使ってみる?」と母が言った。

わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議安心感があった。

「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」

それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすポイントが書かれていた。父は、いつかわたし料理を教えることを想定していたのだ。

そのノートを持って、わたし台所に立った。まずは簡単出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香り台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。

「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。

夏休みが終わり、大学に戻ったときわたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。

「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈笑顔を見て、少し自信がついた。

後期の授業が始まりわたし文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。

図書館では、鈴木さんにわたしの変化を指摘された。

最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」

料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。

「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」

十月になると、大学学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー

学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特にわたしが作ったさつまいもスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密レシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。

喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。

「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」

わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」

彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」

「父の店です」とわたしは答えた。

彼の名前健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理ファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。

学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたし料理相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。

「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」

それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理材料との対話だ」と。

十一月になると、寒さが増してきた。大学教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりメモが書かれていた。

図書館仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的和食技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。

「君、将来は何をしたいの?」とある日、鈴木さんに聞かれた。

わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います

「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの

十二月大学冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。

「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈提案した。彼女健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。

「でも、年上だし、忙しいかも」とわたしは迷った。

「聞いてみなきゃわからないでしょ」と里奈は言った。

思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。

クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別メニューを考えた。前菜スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。

里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」

健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワイン花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。

三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたし料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。

乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」

グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。

「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」

その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。

里奈は、わたし健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。

夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。

「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食技法を、現代視点解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」

わたしは驚いて言葉が出なかった。

「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」

その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。

「考えさせてください」とわたしは言った。健太笑顔で頷いた。

「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」

その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチン料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたし料理を褒めてくれる夢。

朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」

年が明け、大学では卒業論文テーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。

指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」

健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。

「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」

それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。

春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。

図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」

里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」

公演の日、わたし健太を誘って一緒に観に行った。里奈舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。

「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」

その言葉に、顔が熱くなった。

五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたし料理の上達を喜んでくれた。

「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。

「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。

あなたがやりたいなら、手伝うわ」

その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。

「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」

母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」

一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたし料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。

「ありがとう」わたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」

大学に戻ると、夏休み計画を立て始めた。健太が、料理取材地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。

「行きます」とわたしは即答した。健太は嬉しそうに笑った。

「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」

あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理文学という、二つの世界を行き来しながら、わたし自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。

キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。

そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理言葉。どちらも、人の心に届けるための手段わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり

2025-02-25

旅行は好きなんだが

荷造りをする時間や移動時間交通費宿泊費、土日に家事ができなかった分の宿題といった必要コスト

旅先で感じる解放感や好奇心他所で美味しいものを食べる幸福感などプラスの得られるメリットを天秤にかけると

どうしてもマイナスに傾いてしまうので実行に移せないのです

2025-02-23

anond:20250223051450

よくいうよ

 

最初から女の意見は聞かないと決めていて、その理由を探しているだけじゃないか

 

宿題しようと思ってたのにお母さんに宿題しなさいって言われたからもうしない、っていってるガキと同じだね。最初からしないことを決めてるわけだ

 

フェミといって女の意見を軽視することを決めているのはお前自身でお前自身問題なんだよね

 

お前は最初から女の意見価値がなく聞かないと決めている差別主義者だよ

2025-02-13

anond:20250213163835

少なくとも

もし1時間の時給なら、13:00〜13:59と表記すべき

じゃないことはわかってくれてそうでよかった

あとは宿題

2025-02-09

anond:20250209205559

男は宿題しなくてもいいけど女だけに押し付けられたJAPAN

anond:20250209205559

流石に出産宿題を同列に並べるなよ

男は宿題無しの差別国かよ

anond:20250209204109

宿題やりたいと思える環境を作らなかったママが悪い!

ホロコースト否定

ホロコースト否定派の気持ち

多分戦後の「戦後の話を老人に聞こう」みたいなやつで強制的レポート書かせられたり戦争経験者の老人から「俺たちは苦労したのにお前らは甘えて暮らしてるだけのクズだ恥を知れ」って遠回しにディスられたり、楽しみにしてた修学旅行の行き先が死人の持ち物とか毛髪が大量に飾ってある資料館とかでケロイド写真を事前の了承なく見せられたりして「事前に了承取れよ」的な憎悪が溜まってるんやろうなわかるで。

 

あとなんか自由に書けと言われつつ100%戦争否定レポート以外認めません。みたいな宿題出されたり。

 

正直家が貧乏な子って楽しい修学旅行戦後学習かにされると、他の旅行には行けないんだから残酷すぎるよなあ。唯一の旅行体験がそれって。

2025-02-05

anond:20250203224000

僕は計算結果が欲しいわけじゃないの.教育の機会として,君にやってもらってるの.

大学教員がこんなこと言ってる時点でだいぶ渋い。

90年代以降発展した学習科学は、良い学びの場をつくるのはどうしたらよいかについて、さまざまなことを示唆している。

そのひとつが、学習者が効率がよく、かつ本質的学習機会を与えるためには、ただ学習のためにつくられた嘘のタスクではなく、その学習者が所属している共同体にとって実質的意味がある、本当の仕事を与えるべきである、ということである

まり、この教員がどうすればよかったかというと、どんなに簡単なことでもいいので、この教員研究にとって本当に必要仕事を振ればよかったのではないか

それが、本当の意味での学習の機会を与えるということだ。

嘘のタスクを振るとどうなるか。

その学生がどれだけ無能でも、「課題」がこの教員にとって実質的意味を持たないことくらい理解している。

くわえて、人間というのは与えられたタスクをできるだけ効率的にこなそうとする生き物である

この2つが組み合わさった結果、「便利なツールを使って最短でそれっぽい答えを引っ張ってくる」学生ができあがるわけである

だってそうしたって実質的に誰も困らないんだから。(教員が最終的に「可」をくれさえすれば)

計算問題宿題電卓でやる小学生なんかが出来上がるのもほぼ同じ仕組みである

学習者本人には、「学習目標」なんてわかりゃしない、だってそれは学習を終えた者だけが持っている視点なのだから

この問題Web一般に普及してからというものGoogle検索ウィキペディアコピペなど形を変えて繰り返されてきた問題である。(Webに限らず、印刷コンピュータなど新しいテクノロジが登場するたびに同じようなことが起こったであろう)

しかし、学習科学においては一応の回答がでている問題でもある。

もちろんその理論にかなった実践継続することは容易なことではないが、教員のみなさまにおかれましてはぜひとも頑張ってほしい。

多分教育のやり方を変える必要があるんだろうな.そして,それは本当の意味教育ではなくなるんだろうな,と思う気がする.

なにを教育だと思っていらっしゃったのかはわからないが、本当の意味で人に学習機会を与えるとはどういうことかをわかっている人類はまだまだすくない。

共に学びましょう。

ショートアンサーとしてはこんな感じだが、ロングアンサーが読みたい人は 産業図書「状況に埋め込まれ学習: 正統的周辺参加」あたりを読みましょう。

統合失調症疑似体験

しかすると不適切かもしれないので増田に。

疲れて寝落ちする寸前に、取り止めのないことが頭に浮かぶことがある。

中には支離滅裂なことがある。たとえば「猫が飼いたいけどバイト倉庫確認から筋トレしよう」みたいな何の繋がりもないことだったり、「はやく学校いって宿題しなきゃ」みたいなほんとにありそうなことだったり。私はバイトではないし、学生でもないのに、だ。

おそらく白昼夢の類なのかもしれない。不思議なことに、それが頭に浮かんでいる時は、それが事実だと思い込んでいる。

我に返った瞬間、全部おかしいことに気づくのだけれども。

そういえば、統合失調症の人は、あとから考えると明らかにおかしいのに、妄想に頭を占拠されている間はそれが現実のように思��てしまっていた、というのがあるけれど。

もしかしてこんな感じなのかな、と思ってしまった。

考えてみれば、夜に夢を見てる間も、その夢が素っ頓狂な内容であっても、見てる間は真実のように思い込むことが多い。

彼らはもしかして、起きてる時にも夢をみてしまったりしてるのかな、なんてことを少し思った。

2025-02-04

anond:20250204221509

赤羽マンション?!

あのコこぉんなビルにぃ、

部屋かりちゃってぇ、

住んでるよォ!

…毎週?!門限をやぶって

大学校でも嘆いてる

最終家庭教師のボク

「来週の参観日に間に合うように、

宿題しろベイビー!ほら!」

送金だって毎月にサン10マンじゃパパかわいそう

早熟なボクから教えたいコトがある♡

妻も俺も自分のほうが家事負担が多いと思ってる。

共働き給料は同じ。帰る時間もだいたい同じ。

・朝食の準備。材料自分で買う。肉か魚焼く。

ゴミ集めからゴミ出し

・家にいるとき食器洗い

・夕食後の子供の果物を用意する

風呂を洗う

休日掃除機をかける

・干す必要がある自分洗濯

・土曜出勤平日休みなので、家にいるときは夕食も作る。

PTAとかは俺が優先。俺の都合が悪い時は妻が行く。

・夕食の準備(週2~3回は総菜)

子供の分含めて洗濯

休日の昼食

子供の持ち物、宿題チェック

・土曜にワンオペになりがち。

すれ違い

家事時間は多分俺のほうが長い。

でも身支度の時間家事とすると、多分妻のほうが長くなる。化粧に15分かかるとか、風呂時間も髪乾かすのも時間がかかるし、妻の買い物は長い。

俺は家事をしている時間以外は自室にいる。リビングには俺の居場所がない。これも妻からすると不満。俺だけ子供から逃げてるように感じるらしい。

から見ると、俺が晩飯も用意しろって感じだと思うけど、そこまでしなくてもいいよな。月に4、5回妻が残業とか飲み会ときは俺が晩飯も用意してるし。

2025-02-03

anond:20250203123427

講義型の授業なら動画でええやろ

教師宿題管理質問の応答だけやっとけや

anond:20250203122906

人間教師宿題管理とか人間しか出来ないことやればいいよね。

質問に答えるのもブラインドタッチまず覚えさせて、基本的AIに聞いたほうがいいだろう。

2025-02-02

anond:20250202233916

具体的にどんな場面でそういうのを見る?

例えば宿題をみたらすぐ「わかんない」って放棄する感じ?

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