5世紀
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千年紀: | 1千年紀 |
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世紀: | 4世紀 - 5世紀 - 6世紀 |
十年紀: |
400年代 410年代 420年代 430年代 440年代 450年代 460年代 470年代 480年代 490年代 |
5世紀(ごせいき)は、西暦401年から西暦500年までの100年間を指す世紀。
できごと
[編集]- 日本では倭国の古墳時代中期にあたる。各地で巨大な前方後円墳が築造され、地方とヤマト王権中枢双方の首長たちの祭祀儀礼が執り行われる。この世紀の倭国は朝鮮半島諸国間の紛争に活発に武力介入を行っていたことが、日本側と朝鮮半島側双方の歴史記録から伺われる。当時の5代に及ぶ治天下大王が東晋から南朝にかけての江南の王朝に盛んに朝貢して王号と官職を得ていたことが中国正史の記述に残されており、倭の五王として知られている。
- 北海道北部や東部では続縄文文化とは異質な海獣漁労民のオホーツク文化(中期)が拡大する。
- オーストロネシア語族のマレー系民族がアフリカ東部のマダガスカル島に定着する。
400年代
[編集]→詳細は「400年代」を参照
- 400年代初頭 - 大王クラスの大形前方後円墳が奈良盆地から大阪平野に移り更に巨大化する。
- 401年 - クチャの仏僧である鳩摩羅什が後秦の姚興に迎えられ長安に来訪。
- 402年
- 403年 - 桓玄が東晋の安帝から帝位を簒奪( - 404年)。
- 404年
- 倭軍がもとの帯方郡の地域に出兵し、高句麗軍に撃退される(広開土王碑)。
- コンスタンティノポリス大主教ヨハネス・クリュソストモスが追放される。
- この追放に伴う混乱で、皇帝コンスタンティウス2世に奉献された初代のハギア・ソフィア大聖堂は焼失する。
- 修道士テレマクスの死亡事故により西ローマ皇帝ホノリウスが剣闘士観戦を禁止し競技場を閉鎖。
- 405年
- 405年頃 - ヒエロニムスがラテン語訳聖書「ウルガータ」を完成させる。
- 406年 - ヴァンダル・スエビ・アラン人などの集団がライン川を渡りガリアに侵入(406年のゲルマン諸族のライン川渡河)。
- 408年 - 西ローマ帝国軍最高司令官スティリコが処刑される。
- 409年 - 北魏の道武帝が息子拓跋紹に殺害される。
410年代
[編集]→詳細は「410年代」を参照
- 410年
- 西ゴート人のアラリック1世がローマ市を占領し掠奪。西ローマ帝国の衰亡が決定的になる。
- ローマ軍が属州ブリタンニアから撤退し、西ローマ帝国のブリタンニア支配が終わる。
- 411年
- 413年
- 414年
- 西ローマ皇女ガッラ・プラキディアと西ゴート王アタウルフがナルボンヌで結婚。西ゴート人がイベリア半島に侵入。
- 高句麗の長寿王が広開土王(好太王)碑を建てる。
- 415年
- 416年 - 『日本書紀』では允恭天皇5年のこの年に地震が起きたと記録されている(允恭地震、日本最古の地震の記録)。
- 417年 - 東晋の劉裕が後秦を滅ぼし、一時的に洛陽・長安を奪還する。
- 418年
420年代
[編集]→詳細は「420年代」を参照
- 420年 - 東晋に代わり宋を建国した劉裕が皇帝(武帝)となる。
- 421年
- 425年
- (宋・元嘉2年)- 倭王の讃、司馬の曹達を遣わし、宋の文帝に貢物を献ずる(『宋書』倭国伝)。
- エフタルがバクトリア地方に侵入し、サーサーン朝と激突。
- 東ローマ皇帝テオドシウス2世によりコンスタンティノポリス大学(パンディダクテリオン)が創建される。
- 東ローマ皇帝テオドシウス2世の命により騎兵長官アスパルが西ローマ皇帝ヨハンネスを殺害。
- テオドシウス2世の甥ウァレンティニアヌス3世が西ローマ皇帝となる。
- 426年
- 427年
- 428年 - サーサーン朝支配下のアルメニア王国で王政が廃絶される。
- 429年 - ガイセリック率いるゲルマン系ヴァンダル族がジブラルタル海峡を越えて北アフリカに移動。
430年代
[編集]→詳細は「430年代」を参照
- 430年
- 430年頃
- 日本各地に巨大古墳出現する。馬具や甲冑、刀などの武器が副葬されるようになる。
- ベツレヘムで発見された最古のグルジア語碑文である「ビール・エル・クット碑文」はこの時期のもの。
- 431年 - エフェソス公会議でネストリウス派(のちの景教)が異端宣告される。
- 432年
- 433年 - 東晋の詩人謝霊運が刑死する。
- 434年
- アッティラがフン族の王となる。
- ローマ教皇シクストゥス3世によりローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が奉献される。
- 435年 - 西ローマ帝国が北アフリカの領土をヴァンダル人に譲り、ヴァンダル王国が成立する。
- 437年 - 西ローマ帝国将軍アエティウスがフン族を派遣し第一ブルグント王国を滅ぼす。
- 438年
- 439年
440年代
[編集]→詳細は「440年代」を参照
- 440-450年 - 千葉県市原市の養老川下流域の北岸台地上の稲荷台1号墳で出土した「王賜銘」鉄剣が房総の王に授けられる。
- 442年 - 沮渠氏により高昌国が成立。
- 443年
- (宋・元嘉20年)- 倭国王の済、宋に朝貢して、安東将軍倭国王とされる。
- スイス・フランス東南部に第二ブルグント王国が成立。
- 445年 - 北魏が鄯善国(楼蘭)を滅ぼす。
- 446年 - 北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。
- 449年 - エフェソス強盗会議が開かれる。
450年代
[編集]→詳細は「450年代」を参照
- 450年
- 450年頃 - アングロ・サクソン族がブリテン島に移住。
- 451年
- 452年
- 453年 - アッティラが急逝。フン族の後継者争いが起こり、息子のエラクが勝利する。
- 454年 - ネダオ川の戦いで、フン族の王エラクがゲピド族長アルダリックに敗北し、フン族の国家は崩壊する。
- 455年
- ヴァレンティニアヌス3世の暗殺による西ローマ帝国でのテオドシウス朝の断絶。
- ヴァンダル王ガイセリックがローマを占領し、ローマを略奪。
- 456年 ティカルの「嵐の空」王(シヤフ・チャン・カウィール2世)が亡くなる(神殿3,48号墓)。
- 457年 - 日本で雄略天皇が即位する。
460年代
[編集]→詳細は「460年代」を参照
- 460年 - 北魏で雲崗石窟の工事始まる。
- 462年 - 武寧王陵墓誌から百済武寧王はこの年に生まれたことが確認できる。
- これは『日本書紀』の雄略5年に武寧王が生まれたという記事と対応する。
- 463年
- 吉備氏の乱が起こる。
- コンスタンティノポリスにストゥディオス修道院が設立される。
- 468年 - バシリスクス司令官率いる東西ローマ帝国連合軍が北アフリカのボン岬の戦いでヴァンダル王国に��敗。
470年代
[編集]→詳細は「470年代」を参照
- 470年
- 471年
- 475年
- 476年 - ゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位され、西ローマ帝国が滅亡する。
- 帝位は東ローマ皇帝ゼノンに返上され、オドアケルはパトリキウスとしてイタリアを支配する。
- 477年 - 倭国が宋に朝貢する(『宋書』順帝紀)。これより先、興没し、弟の武立つ。
- 478年 - 倭王武が宋に入貢して上表する。「父祖の功績と父兄の志を述べ、高句麗の無道を糾弾し、自ら開府儀同三司と称し、正式の任命を求める。宋の順帝武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」とする(『宋書』順帝紀、『宋書』倭国伝)。
- 479年
480年代
[編集]→詳細は「480年代」を参照
- 480年 - ダルマティアの支配者で西ローマ皇帝でもあったユリウス・ネポスがスパラトゥムで暗殺される。
- 481年
- 482年 - 東ローマ皇帝ゼノンが「ヘノティコン(統一令)」を発布。
- 484年
- 485年 - 北魏の馮太后の摂政のもと孝文帝が均田制を実施する。翌年には三長制を実施。
- 486年 - ソワソンの戦いで、クロヴィス1世がガリア北部を支配していた西ローマ系軍閥シアグリウスを破る。
- 487年 - 高車が柔然の支配から脱してジュンガリアに建国。
- 488年 - 東ローマ皇帝ゼノンがエデッサの学院閉鎖を命じ、教師と学生はニシビスへと移動する。
- 489年 - イゾンツォの戦いとヴェローナの戦い。
- 東ゴート族長テオドリックがオドアケルに勝利しイタリア各地に進出。
490年代
[編集]→詳細は「490年代」を参照
- 490年 - ラヴェンナ包囲戦( - 493年)。
- 491年 - 北魏で山西省大同にある懸空寺が創建される。
- 493年 - 東ゴート人の族長テオドリックがオドアケルを暗殺し東ゴート王国を建国。
- 都はラヴェンナで、この時期にサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂やアリウス派洗礼堂を建立する。
- テオドリック王はフランク王クロヴィス1世の娘オードフレダを王妃とし、娘二人を西ゴート王やブルグントに嫁がせる。
- 494年 - 北魏の孝文帝が平城(大同)から洛陽に遷都。
- 496年
- 498年
- 499年
500年代
[編集]→詳細は「500年代」を参照
- 500年前後 - ベイドン山の戦いでブリトン人がアングロ・サクソン人を打ち破ったか。この事件がアーサー王伝説の起源となったか。
- 500年 - 倭軍が新羅の長嶺鎮を攻め陥落させる。新羅の炤知王が死去し、智証王が即位。
- 500年頃
- 5世紀後半から6世紀前半
- 朝鮮半島南部の前方後円形墳(長鼓墳)が作られる。
- 5世紀末から7世紀
文化
[編集]人物
[編集]地中海世界
[編集]フン族の帝国
[編集]ゲルマン諸王
[編集]- アラリック1世(360年 - 410年)- 西ゴート王国国王(在位395年 - 410年)・ローマ市を陥落させ略奪。
- ガイセリック(389年頃 - 477年)- ヴァンダル王国国王(在位428年 - 477年)・属州北アフリカを占領。
- オドアケル(433年 - 493年)- ゲルマン系スキリア族出身の傭兵隊長・西ローマ帝国を滅ぼしイタリアを支配。
- テオドリック(454年 - 526年)- 東ゴート王国初代国王(大王)(在位493年 - 526年)・オドアケルを滅ぼす。
- クローヴィス1世(466年 - 511年)- メロヴィング朝フランク王国初代国王(在位481年 - 511年)・カトリックに改宗。
西ローマ帝国とその周辺
[編集]- ヒエロニムス(340年頃 - 420年)- キリスト教神学者・聖書(ウルガタ)の翻訳者。ローマ教皇ダマスス1世に近侍。
- プルデンティウス(348年 - 405年以降) - キリスト教ラテン詩人・「プシュコマキア(魂の闘い)」「シュンマクス駁論」などの詩がある。
- ホノラトゥス(350年頃 - 429年) - ガリアのアルル大司教・東方修道制を手本にレランス修道院を設立。
- ノラのパウリヌス(353年頃 - 431年) - イタリアのノラ司教・元老院議員・詩人として『歌謡三一』などの作がある。
- アウグスティヌス(354年 - 430年)- キリスト教神学者・北アフリカのヒッポ司教・著作に『告白』『神の国』がある。
- ペラギウス(354年 - 420年/440年) - キリスト教神学者・その主張は異端とされる(ペラギウス主義)。
- オロシウス(生没年不詳)- イベリア出身の司祭・キリスト教神学者・アウグスティヌスの弟子・歴史書『異教徒に反論する歴史』を執筆。
- マクロビウス(生没年不詳) - ローマの著述家。『「スキピオの夢」注釈』や『サトゥルナリア』のほか著作を残す。
- マルティアヌス・カペラ(365年 - 440年)- ローマの著述家。著作に自由七学芸を選別した『文献学とメルクリウスの結婚』がある。
- フラウィウス・スティリコ(365年 - 408年) - 西ローマ帝国の将軍・西ゴート族を締め出し帝国の維持に奔走・皇帝の命で暗殺される。
- ��トリキウス(387年? - 461年) - アイルランドで宣教した司教。もとはウェールズ出身のケルト人。「アイルランドの使徒」と呼ばれる。
- ガッラ・プラキディア(390年頃 - 450年) - 西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の母・ラヴェンナのガッラ・プラキディア廟堂を建立。
- レオ1世(390年 - 461年) - ローマ教皇(在位440年 - 461年)。マントヴァの会見でアッティラのイタリア侵攻を制止。
- フラウィウス・アエティウス(391年頃 - 454年) - 西ローマ帝国の将軍・パトリキ・カタラウヌムの戦いでフン族に勝利するが暗殺される。
- サルウィアヌス(400年頃 - 470年/480年) - ガリア出身の司祭・キリスト教神学者・『神の支配について』を執筆。
- リキメル(405年? - 472年)- 西ローマ帝国のゲルマン系将軍・パトリキ・最末期の西ローマ皇帝を改廃する。
- ゲノフェーファ(ジュヌヴィエーヴ(聖人))(419年/422年 - 502年/512年) - ガリアの修道女・フン族の攻撃からパリを守った聖女とされる。
- シドニウス・アポリナリス(431年頃 - 489年) - トゥール司教。末期ラテン語詩人を代表し「書簡」や「頌詩」を残す。
- ゲラシウス1世(? - 496年) - ローマ教皇(在位492年 - 496年)。皇帝アナスタシウス1世宛書簡で聖俗並立の「両剣論」を唱える。
- ロムルス・アウグストゥルス(460年 - 511年以降) - 西ローマ帝国最後の皇帝(在位475年 - 476年)。オドアケルに廃位され追放される。
- アンブロシウス・アウレリアヌス(5世紀後半) - ブリトン人指導者・アングロ・サクソン人と戦いアーサー王伝説の原型となったと言われる。
東ローマ帝国とその周辺
[編集]- ヨハネス・クリュソストモス(349年頃 - 407年)- キリスト教神学者・コンスタンティノポリス総主教・三成聖者の一人。
- アエリア・エウドクシア(? - 404年) - 東ローマ皇帝アルカディウスの皇后・ヨハネス・クリュソストモスの追放に大きな影響力を持った。
- モプスエスティアのテオドロス(350年頃 - 428年)- キリスト教神学者・ネストリオスの師・その著作が三章問題で異端とされる。
- マロン(? - 410年) - キリスト教の修道士・シリアのアンティオキアで活躍・のちに単意論を唱えるマロン派の祖とされる。
- メスロプ・マシュトツ(360年 - 440年) - キリスト教神学者・アルメニア文字を考案し聖書のアルメニア語訳を行う。
- ヒュパティア(370年? - 415年)- エジプトの女性数学者・天文学者・新プラトン主義哲学者・キリスト教徒に虐殺される。
- アレクサンドリアのキュリロス(376年 - 444年)- キリスト教神学者・エジプトのアレクサンドリア総主教。ネストリオスの論敵。
- エウテュケス(380年頃 - 456年頃) - キリスト教神学者・コンスタンティノポリスの大修道院長。その主張は単性論とされる。
- ディオスコロス(? - 454年) - キリスト教神学者・エジプトのアレクサンドリア総主教。エフェソス強盗会議でエウテュケスを支持。
- ソクラテス・スコラスティコス(380年頃 - 439年以降) - 歴史家・エウセビオスの著作に続く4世紀から5世紀の『教会史』を執筆する
- ネストリオス(381年? - 451年?)- キリスト教神学者・コンスタンティノポリス総主教。その主張は異端とされる(ネストリウス派)。
- 登塔者シメオン(390年頃 - 459年) - キリスト教の修道士・シリアで柱頭行なる修行に励み、それを記念して聖シメオン教会が建てられる。
- テオドレトス(393年頃 - 457年頃) - キリスト教神学者・キュロス主教・『教会史』『敬神者列伝』がある・三章問題で断罪される。
- エデッサのイバス(? - 457年頃) - キリスト教神学者・ペルシアのマリス宛て書簡による三章問題で断罪される。
- テオドシウス2世(カリグラフォス)(401年 - 450年) - 東ローマ帝国の皇帝(在位408年 - 450年)・「テオドシウスの城壁」や法典を整備。
- アスパル(? - 471年) - 東ローマ帝国のゲルマン系軍司令官・ヴァンダルやフンと戦う・マルキアヌス帝やレオ帝の擁立に力があった。
- パニウムのプリスクス(410年/420年 - 472年以降) - 東ローマ帝国の外交官・歴史家・テオドシウス2世の命でフン族のアッティラと会見し記録を残す
- プロクロス (412年 - 485年) - アカデメイア学頭・新プラトン主義哲学者・伝統継承者(ディアドコス)の別名があり『神学原論』を執筆。
- 偽ディオニシウス・アレオパギタ(生没年不詳) - キリスト教神学者・プロクロスの影響を受け『天上位階論』『神名論』『神秘神学』を執筆。
- イベリアのペトル(413年頃 - 491年) - イベリア王国の王子・神学者・新プラトン主義を教義に導入・偽ディオニュシオス文書の執筆者説あり。
- アカキオス(? - 489年)- キリスト教神学者・コンスタンティノポリス総主教。皇帝ゼノンに「ヘノティコン」発布を勧めローマ教会と対立。
- ゼノン(426年 - 491年) - 東ローマ帝国の皇帝(在位474年 - 491年)・東ゴート王テオドリックにオドアケル討伐を命じる
- ゾシモス(活躍時期490年頃 - 510年頃) - 官僚・歴史家・『新しい歴史(ヒストリア・ネア)』は帝政ローマ後期の重要資料。
西アジア
[編集]南アジア
[編集]- チャンドラグプタ2世(生没年不詳) - インドのグプタ朝第3代の王(在位376年 - 415年)・グプタ朝の最盛期・法顕『仏国記』では「超日王」と記す
- クマーラグプタ1世(生没年不詳) - インドのグプタ朝第4代の王(在位415年 - 455年)・ナーランダ僧院設立・デリーの鉄柱を建立
- バルトリハリ(生没年不詳) - インドの文人・文法学者として『ヴァーキヤ・パディーヤ』が、詩人として『三百頌(離欲・処世・恋愛)』がある
- カーシャパ(? - 495年) - スリランカの王(在位477年 - 495年)・父王ダートゥセーナを倒しシーギリヤに王宮を営む
- ブッダゴーサ(5世紀) - スリランカの僧・パーリ語経典に注釈をつけシンハラ語の解説を行った・著作に『清浄道論』がある
- ティルヴァッルヴァル(生没年不詳) - 南インドの詩人・思想家・タミル文学を代表する箴言詩集『ティルックラル』を残す
東アジア
[編集]五胡十六国
[編集]- 鳩摩羅什(350年 - 409年、一説に344年 - 413年) - 亀茲国出身の訳経僧・五胡十六国の後秦で仏典を漢訳
- 姚興(366年 - 416年) - 五胡十六国の後秦の第2代皇帝(高祖)(在位399年 - 416年)・華北に覇を唱える・鳩摩羅什の庇護者
- 赫連勃勃(381年 - 425年) - 五胡十六国時代の夏の初代皇帝(在位407年 - 425年)・後秦から独立し長安を占領・暴君でも有名
東晋
[編集]- 慧遠(334年 - 416年) - 東晋の僧・中国念仏宗の祖・廬山に白蓮社を結成し『沙門不敬王者論』を残す
- 法顕(337年 - 422年) - 東晋の僧・グプタ朝のインドからスリランカなど各国を歴訪・『仏国記』を残す
- 陶淵明(365年 - 427年) - 東晋末から南朝宋の詩人・田園詩を得意とし「帰去来の辞」や「桃花源記」を残す
- 桓玄(369年 - 404年) - 東晋の軍人・政治家・司馬道子政権を倒し安帝より禅譲を受けるが劉裕に制圧される
- 謝霊運(385年 - 433年) - 東晋末から南朝宋の詩人・山水詩を得意とし作品に「登池上樓」を残す
- 范曄 (398年 - 445年) - 東晋末から南朝宋の政治家・歴史家として『後漢書』を撰述
- 陸修静(406年 - 477年) - 東晋末から南朝宋の道士・道教経典の整理を行い『三洞経書目録』にまとめる
南朝
[編集]- 劉裕(363年 - 422年)- 南朝宋の初代皇帝(武帝)(在位420年 - 422年)
- 文帝(407年 - 453年) - 南朝宋の三代皇帝(在位424年 - 452年)・その治世が「元嘉の治」
- 何承天(370年 - 447年) - 南朝の思想家・数学者・天文学者・南朝宋の歴史を整理し元嘉暦を編纂した
- 裴松之(372年 - 451年) - 南朝の政治家・歴史家・陳寿の『三国志』に注をつけたことで知られる
- 劉義慶(403年 - 444年) - 南朝宋の王族・政治家・���学者として『世説新語』を著す
- 顧歓(420年頃 - 483年以後) - 南朝の道士・「夷夏論」を執筆して外来宗教の仏教を批判し中国の伝統を擁護
- 蕭道成(427年 - 482年) - 南朝斉の初代皇帝(高帝)(在位479年 - 482年)
- 祖沖之(429年 - 500年) - 南朝の天文学者・数学者・発明家・円周率の計算や大明暦の編纂で知られる
- 武帝(440年 - 493年) - 南朝斉の二代皇帝(在位482年 - 493年)・その治世が「永明の治」
- 沈約(441年 - 513年) - 南朝斉から梁の文学者・政治家・「竟陵八友」の一人・『宋書』の編纂に当たる
- 蕭子良(460年 - 494年) - 南朝斉の皇子(竟陵王)・文人集団「竟陵八友」を庇護・著作に『浄住子浄住法門』がある
- 謝赫(生没年不詳) - 南朝斉から梁の画家・評論家・画論書『古画品録』を著し顧愷之の画論を発展させた「画の六法」を提言
北朝
[編集]- 拓跋珪(398年 - 409年) - 北朝北魏の初代皇帝(道武帝)(在位371年 - 409年)
- 太武帝(408年 - 452年) - 北朝北魏の第3代皇帝(在位423年 - 452年)・魏武の法難(廃仏)を実施する
- 孝文帝(467年 - 499年) - 北朝北魏の第7代皇帝(在位471年 - 499年)・平城から洛陽に遷都し漢化政策を行う
- 馮太后(文明皇后)(442年 - 490年) - 北朝北魏の文成帝の皇后・続く献文帝・孝文帝で垂簾聴政を行い均田制や三長制を導入
- 寇謙之(365年 - 448年) - 北朝北魏の道士・新天師道の開祖・自ら「太平真君」と称し北魏太武帝に廃仏を勧める
- 崔浩(381年 - 450年) - 北魏の漢人宰相・寇謙之とともに廃仏を実行・漢化政策が鮮卑の反発を招き誅殺される(国史の獄)
- 曇曜(生没年不詳) - 北魏の僧侶(沙門統)・太武帝の廃仏以後の仏教を復興・雲崗石窟寺院を造営し五体の仏像を安置したことで有名
- 李安世(443年 - 493年) - 北朝北魏の政治家・孝文帝時代に土地制度改革を奏上し均田制を導入する
柔然
[編集]満州
[編集]- 好太王(374年 - 412年) - 高句麗の第19代の王(在位391年 - 412年)・朝鮮半島諸国や倭国の外交史資料「好太王碑」でも有名
- 長寿王(394年 - 491年) - 高句麗の第20代の王(在位413年 - 491年)・百済の蓋鹵王を攻め滅ぼす・98歳の長寿でも有名
朝鮮半島
[編集]- 蓋鹵王(? - 475年) - 百済の第21代の王(在位455年 - 475年)・高句麗の侵攻により首都慰礼城を攻められ王は戦死する
- 慈悲王(? - 479年) - 新羅の第20代の王(在位458年 - 479年)・高句麗に急襲された百済を救援に向かうが成功せず
日本
[編集]架空のできごと
[編集]- 5世紀 - 西ローマ帝国支配下のガリア(フランス)。羊飼いの少女アストレと青年セラドンは純粋に愛し合っていたが、あらぬ誤解からアストレはセラドンを拒絶してしまう。絶望したセラドンは川に身を投げ自殺を図るが、森の妖精ニンフに救われ一命を取り留める。(オノレ・デュルフェの小説『アストレ』。これを映画化したのがエリック・ロメール監督作『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』)。
- 5世紀 - 現在のブルターニュ地方にコルヌアイユという国があり、グラドロン王が支配していた。聖コランタンにより王はキリスト教に改宗したが、娘のダユーはそれを良しとせず、新たに海に面した都イスを建造し移り住んだ。イスの支配者となったダユーは海行く船から富を略奪し、その豊かな富で享楽に溺れ、この地は背徳のはびこる都となっていった。コランタンは弟子の聖ゲノルにイスの人々を改悛させようとするもかなわず、ダユーが悪魔にそそのかされて水門が開けられると、この都はダユーとともにみるみる水没し、海の奈落に沈んでいった(ブルターニュ民譚集『バルザス・ブレイズ』他の「イスの伝説」)。
- 5世紀 - 6年6週と6日もの間、シモン(登塔者シメオン)は砂漠の柱で修行に励む。柱の上で一心不乱に祈りを捧げるシモンの前に、魔女や豪勢な食料を持った悪魔が現れては甘言を弄し堕落を促す。その誘惑に負けまいとしつつも、朦朧とした意識からついにシモンは塔から降りてしまう。(ルイス・ブニュエルの映画「砂漠のシモン」)。
- 448年 - ローマ皇帝デキウス治世下の251年、迫害されていたキリスト教徒の若者7名が、小アジアのエフェソス近郊の洞窟に閉じ込めら��る。以来、彼らは深い眠りに落ち196年の歳月が経った。東ローマ皇帝テオドシウス2世が治めるこの年に洞窟の封鎖は解かれ、彼らは覚醒し、キリスト教がローマ帝国の国教に変わっていたことに驚く。(ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』ほかの「七人の眠り聖人伝説」)。
- 478年 - 丹波国余社郡筒川の人である瑞江浦島子が海へ船を出し、沖合で釣りをしていたところ、巨大な亀を釣り上げる。その亀が美女に姿を変えたので、浦島子はその美女を妻とし、二人でともに海へ入り、蓬萊山へ至って仙境を見て回ったと言う(『日本書紀』雄略紀22年条。最古の「浦島太郎伝説」)。
関連項目
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