鹿児島市立病院
鹿児島市立病院 Kagoshima City Hospital | |
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情報 | |
前身 | 鹿児島市立診療所 |
標榜診療科 | 診療科の項を参照 |
許可病床数 |
566[1] ↓ 574[1] |
機能評価 | 一般500床以上:Ver6.0 |
開設者 | 鹿児島市 |
管理者 | 坪内博仁(院長) |
地方公営企業法 | 全部適用 |
開設年月日 | 1940年4月1日 |
所在地 |
〒890-8760 |
位置 | 北緯31度34分29.1秒 東経130度32分32.8秒 / 北緯31.574750度 東経130.542444度座標: 北緯31度34分29.1秒 東経130度32分32.8秒 / 北緯31.574750度 東経130.542444度 |
二次医療圏 | 鹿児島 |
PJ 医療機関 |
鹿児島市立病院(かごしましりつびょういん)は鹿児島県鹿児島市上荒田町にある公立の病院。1940年4月1日に鹿児島市立診療所として設立される。
臨床研修指定病院。鹿児島県災害拠点病院に指定されており、鹿児島県の基幹災害医療センターである[2]。
電停名称、バス停名称の『市立病院前』の市立病院は当院の事を指す。
沿革
[編集]1893年(明治26年)に鹿児島県から私立鹿児島病院の無償貸与を受け、鹿児島市立病院として設置したが、1907年(明治40年)に病院本館の改築費の捻出が出来ず鹿児島県に返還され、以後鹿児島市は病院を設置しなかったが、1940年(昭和15年)4月に鹿児島市社会事業協会が南林寺町に所有していた診療所を買収し、鹿児島市立診療所を設置した[3]。この診療所は、後に鹿児島市立病院の前身となる。
1945年(昭和20年)4月11日に患者数の増加により鹿児島市立病院に改称したが、同年6月17日の鹿児島大空襲により病院が焼失し、上竜尾町の野元病院跡に移転したものの、7月31日の空襲により移転先も焼失した。その後、尾畔病院分院の一部に仮病院を置き、終戦後は鹿児島市役所本庁舎に仮診療所が置かれた[3]。
1948年(昭和23年)に加治屋町に治療棟1棟、病棟1棟が設置され移転した[4]。その後1962年(昭和37年)に病棟の一部改築及び新築工事が竣工した[5]。
病院施設の老朽化や、駐車場が手狭であり交通渋滞が発生していたことを踏まえ、鹿児島市は2012年(平成24年)に上荒田町の日本たばこ産業鹿児島工場跡地を購入し、鹿児島市交通局の��車施設と共に移転することになった[6]。 この新病院は屋上にドクターヘリが離着陸可能なヘリポートを設置するなど救命救急センター機能を拡充しており[1][7]、2015年(平成27年)5月1日に開院した[8]。
また、同日に救急車や警察車両の先導された鹿児島市交通局の市営バスにより新生児を含む、入院患者102名を旧病院から新病院まで移送した[8]。
旧市立病院の建物は2017年(平成29年)2月までに解体された。跡地には2018年(平成30年)1月13日から2019年(平成31年)1月14日まで、鹿児島市明治維新150年の事業の一環であるNHK大河ドラマ・『西郷どん』の大河ドラマ館が開館していた[9]。その後跡地は整備され、2020年(令和2年)10月23日、加治屋まちの杜公園として供用を開始した[10]。
移転前の病院にはヘリポートがなかったため、浜町ヘリポートまでの移動用として日産・ジュークをベースにしたドクターカーを導入した。移転後は通常のドクターカーとして使用している。
年表
[編集]- 1940年(昭和15年)4月 - 鹿児島市社会事業協会から診療所を買収し、南林寺町に鹿児島市立診療所を設置する。
- 1945年(昭和20年)
- 1948年(昭和23年) - 加治屋町に移転。
- 1952年(昭和27年) - 鹿児島市立病院に産院及び鹿児島市立乳児院を併設[11]。
- 1962年(昭和37年) - 病棟の一部改築及び、病棟(地下1回、地上4階)の新築工事が竣工した。
- 1976年(昭和51年)
- 2011年(平成23年)12月 - ドクターヘリを導入[13]。
- 2014年(平成26年)10月1日 - 鹿児島県内で初のドクターカー運用を開始[14]。(運航は鹿児島市消防局)
- 2015年(平成27年)5月1日 - 病院施設を上荒田町に移転[8]。
診察科
[編集]医療技術科
[編集]- 看護科
- 薬剤科
- 臨床検査技術科
- 病理診断科
- 放射線技術科
- リハビリテーション科
- 専門センター
- 総合周産期母子医療センター
- 救命救急センター
- 脳卒中センター
新生児センター
[編集]1976年、日本で初めてとなる五つ子誕生。これを契機として1978年に新設された(ベッド数40床)。2000年10月1日に大規模改築工事が完了。総面積1,200m2、ベッド数80床(NICU36床、その他44床)であり、公立病院の新生児病棟では日本一の規模、NICU病床数は全病院中で日本一である。
1980年には2度目の五つ子を誕生させている。
新生児専用ドクターカー「こうのとり号」を保有する。
建造物
[編集]- 敷地面積 44,632m2 、延床面積 52,606m2 、高さ 41m(地上8階)
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 林国広(2015年4月17日). “敷地広く最新機器整備、新市立病院を公開 鹿児島、来月1日開院”. 朝日新聞(朝日新聞社)
- ^ 県内の災害医療体制の状況 (PDF) - 鹿児島県、2015年5月6日閲覧。
- ^ a b 鹿児島市史Ⅱ p.633
- ^ 鹿児島市立病院 病院概要 - 鹿児島市立病院、2015年5月6日閲覧。
- ^ 鹿児島市史Ⅱ p.634
- ^ 鹿児島市史Ⅴ p.727
- ^ 柳瀬成一郎(2015年5月1日). “閉院式:加治屋町の鹿児島市立病院が 上荒田町に移転”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c 鹿児島市立病院新病院が移転、入院患者を移送 - 南日本新聞(2015年5月2日掲載)、2015年5月6日閲覧
- ^ 鹿児島市ホームページ
- ^ 鹿児島市ホームページ
- ^ a b 鹿児島市史Ⅳ p.652
- ^ 鹿児島市史Ⅳ p.689
- ^ 鹿児島市史Ⅴ p.725
- ^ 林国広(2014年10月2日). “県内初、ドクターカー発進 鹿児島市が暫定運用、救命率の向上に期待”. 朝日新聞(朝日新聞社)