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阿蘇神社

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阿蘇神社

拝殿(2012年10月)
所在地 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
位置 北緯32度56分52秒 東経131度6分57.5秒 / 北緯32.94778度 東経131.115972度 / 32.94778; 131.115972座標: 北緯32度56分52秒 東経131度6分57.5秒 / 北緯32.94778度 東経131.115972度 / 32.94778; 131.115972
主祭神 健磐龍命
阿蘇都比咩命
ほか10柱
社格 式内社名神大1社、小1社)
肥後国一宮
官幣大社
別表神社
創建 (伝)第7代孝霊天皇9年
例祭 7月28日
地図
阿蘇神社の位置(熊本県内)
阿蘇神社
阿蘇神社
地図
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阿蘇神社(あそ じんじゃ)は、日本九州中央部、熊本県阿蘇市にある神社。古くは「阿蘓神社」とも記した(銘板が現存する)。

式内社名神大社1社、小社1社)、肥後国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社である。古代からの有力氏族である阿蘇氏大宮司を務め、現在も末裔である阿蘇���邑が大宮司を務める。

概要

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熊本県北東、阿蘇山の北麓に鎮座する。全国的にも珍しい横参道で、参道の南には阿蘇火口、北には国造神社が位置していると言われている[1]。中世の戦国期に肥後中部で勢力を誇示していた阿蘇氏と縁の深い神社である。現在の宮司(代表役員) は阿蘇惟邑(阿蘇氏#阿蘇大宮司[2]

祭神

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一の神殿(国の重要文化財、2012年10月)
二の神殿(国の重要文化財、2012年10月)

以下の12柱の神を祀り、阿蘇十二明神と総称される。

一の神殿(左手、いずれも男神)
  • 一宮:健磐龍命(阿蘇都彦命[3])- 神武天皇。たけいわたつのみこと。
  • 三宮:國龍神 (吉見神・彦八井神[4])- 二宮の父、神武天皇の。くにたつのかみ。
  • 五宮:彦御子神 (阿蘇惟人)- 一宮の孫。阿蘇大宮司家につながる[5]。ひこみこのかみ。
  • 七宮:新彦神 - 三宮の子。にいひこのかみ。
  • 九宮:若彦神 - 七宮の子。阿蘇神社社家につながる[5]。わかひこのかみ。
二の神殿(右手、いずれも女神)
  • 二宮:阿蘇都比咩命 - 一宮の妃。三宮の娘。あそつひめのみこと。
  • 四宮:比咩御子神 - 三宮の妃。ひめみこのかみ。
  • 六宮:若比咩神 - 五宮の妃。わかひめのかみ。
  • 八宮:新比咩神 - 七宮の娘。にいひめのかみ。
  • 十宮:彌比咩神 - 七宮の妃。やひめのかみ。
諸神殿(最奥、いずれも男神)
その他
  • 全国式内社祭神 3132座

歴史

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概史

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孝霊天皇(第7代)9年6月健磐龍命の子で、のちに初代阿蘇国造となる速瓶玉命(十一宮)が、両親を祀ったのに始まると伝える。阿蘇神社大宮司世襲し、この地方の一大勢力となっていた阿蘇氏は、速瓶玉命の子孫と称している。

国史では、「健磐竜命神」および「阿蘇比咩神」に対する神階奉叙の記事が見え、健磐竜命神は天安3年(859年)に正二位勲五等、阿蘇比咩神は貞観17年(875年)に従三位までそれぞれ昇叙された。

延長5年(927年)に成立した『延喜式神名帳では、肥後国阿蘇郡に「健磐龍命神社 名神大」および「阿蘇比咩神社」と記載され、健磐龍命神は名神大社に、阿蘇比咩神は式内小社に列している。

中世以降は肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の九州平定の際に社領を没収された。その後、改めて天正15年(1587年)に300の社地が寄進され、さらに、領主となった加藤清正熊本藩主として入国した細川氏によって、社領の寄進、社殿の造修が行われた。

明治4年5月14日1871年7月1日)、近代社格制度において国幣中社に列し、1890年(明治23年)に官幣中社1914年大正3年)に官幣大社に昇格した。 1931年(昭和6年)11月17日陸軍特別大演習参加後の昭和天皇が県内を巡幸。阿蘇神社も行幸先の一つとなる[7]

熊本地震により被災した阿蘇神社

2016年平成28年)4月16日に発生した熊本地震により、楼門拝殿が全壊、境内の3箇所の神殿も損壊した[8][9]。神社では、国、熊本県、阿蘇市の補助により2016年(平成28年)7月15日から「重要文化財阿蘇神社一の神殿ほか5棟保存修理工事(災害復旧)」として復旧工事を開始[10]。神殿3箇所は2019年(平成31年)3月に復旧工事が完了[11]、拝殿は2021年令和3年)7月に再建[11]、楼門は2023年(令和5年)12月7日に竣工祭が挙行され、主要社殿の復旧工事は完了した[12]。今後、塀や排水施設など周辺施設の工事を進め、2024年(令和6年)度中に全ての復旧工事を完了させる予定となっている[12]

神階

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※表記内容は、左から順に、(1) 和暦での日付、(2) 西暦ユリウス暦)換算での日付(丸括弧内)、(3) 神階(例:従四位下)と勲位・勲等(例:勲五等)(※リンク先は参考となる人間の位階と勲位・勲等)、あれば添え書き、(4) 神名もしくは社名(鉤括弧内)、全角スラッシュの後、(5) 出典

「健磐龍命神」に対する神階奉叙の記録
「阿蘇比咩神」に対する神階奉叙の記録

境内

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楼門(重要文化財、2012年10月)
還御門、楼門、御幸門(全て国の重要文化財)と横参道(2012年10月)
縁結びの松(2013年3月)

東向きに還御門、楼門、御幸門があり、境内には社殿が3棟ある。「日本三大楼門」に数えられる楼門は、高さが18mあり、神社では珍しい仏閣の様式で建てられた二層楼山門式である[1]

  • 願掛け石 - 拝殿の右手、古代より神石として伝承保存されている。時期は不明だが、参拝者たちが石に3回なでてから、願い事を唱える様になり、近年パワースポットとされている[1]
  • 縁結びの松 - 謡曲高砂の松」に因んだ、同名の松。男性は左から2回、女性は右から2回まわるとご利益があるとされる[1]
  • 教育二関スル勅語」の記念碑 - 明治二十三年十月三十日、明治天皇が建立。熊本県出身の第二代内閣法制局長官井上毅枢密顧問官元田永孚らが起草した教育勅語の記念碑は、阿蘇神社の「せのび石」の隣に建てられている。

祭事

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年間祭事

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  • 踏歌節会
  • 節分祭
  • お神楽
  • 春の卯の祭
  • 風祭り
  • 御田植神幸式
  • ねむり流し神事
  • 秋祭り

御田植神幸式

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御田植神幸式は「おんだ祭り」とも呼ばれる。この祭りは「ウナリ」という頭に唐櫃を乗せた女性達の姿が印象的といわれる。かつては泥打ち(のろうち)が行われていたが、現在は大筋では変化はない。

前日には「遷座祭」として、4つの神輿に神々が移される。一の神輿には一宮、二の神輿には二宮、三の神輿には男性神(三、五、七、九、十一、十二宮)、四の神輿には女性神(四、六、八、十宮)と阿蘇十二神がすべて神輿に移される。次いで「例祭」として、28日に御田植神幸式が行われる。昼前に出発し、一の仮屋(御旅所)に昼過ぎに到着する。仮屋には神饌が供えられる。祝詞奏上、直会(なおらい)が行われ、酒を飲み食べる。駕与丁(かよちょう)が御田歌を歌ったのち、神輿を担いで回る。その時神職氏子たちが神輿の屋根をめがけて早苗(未成熟な苗)を投げる。屋根に早苗が多く乗ると豊作になるという。二の仮屋に進み、同じ神事を行なったのち、本社に戻る。式が終わると歌い納めが行われる。そして神職が成就祭を行う。翌29日には再び「遷座祭」として阿蘇十二神が神殿に戻される [15]

文化財

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重要文化財(国指定)

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一の神殿(手前)と三の神殿(右奥)(2012年10月)
牡丹造短刀(全体)
 
牡丹造短刀(柄部)
  • 阿蘇神社 6棟(建造物) - 2007年(平成19年)6月18日指定。
    • 一の神殿(附 棟札2枚1組) - 江戸時代末期、天保11年(1840年)造営[16]
    • 二の神殿 - 江戸時代末期、天保13年(1842年)造営[17]
    • 三の神殿 - 江戸時代末期、天保14年(1843年)造営[18]
    • 楼門 - 江戸時代末期、嘉永2年(1849年)造営[19]
    • 神幸門 - 江戸時代末期、嘉永元年(1848年)造営[20]
    • 還御門 - 江戸時代末期、嘉永元年(1848年)造営[21]
  • 牡丹造短刀(工芸品) - 1906年(明治39年)指定。第二次世界大戦後、連合軍によって接収された。以後の所在は不明[* 1]
  • 太刀 銘 長光(工芸品) - 1909年(明治42年)指定。同上。

重要無形民俗文化財(国指定)

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  • 阿蘇の農耕祭事 - 1982年(昭和57年)1月14日指定[22]

選択無形民俗文化財(国選択)

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  • 阿蘇の御田植 - 1970年(昭和45年)6月8日選択[23]

他の阿蘇神社

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九州を中心として日本全国に約450の分社がある。また、男成神社・小一領神社・宮原両神社・国造神社なども当社の系統である。

矢村社・矢村神社

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矢村社(やむらしゃ)・矢村神社とは、阿蘇神社の主神である健磐龍命阿蘇氏に関係する神社の一つで、山都町など阿蘇周辺に点在している。

  • 浜の館」にある矢村社(矢村神社、熊本県山都町城平、矢部高校隣接) - 阿蘇氏と密接な関わりがある神社で、阿蘇氏が矢部郷にて居城(居館)を作る際に矢を放ち、落ちた場所に建てたもの。現在は、弓矢の神様として祀られている。
  • 高森阿蘇神社 - 矢村社又は矢村大明神と称し、高森阿蘇神社の名は、明治以降に使用されはじめたものである。
  • 阿蘇神社の北方約2kmのところに小さな社があり、ここを矢村社と読んでいる。この社は、手野にあった健磐龍命の本拠地を宮地に移したところ。矢を射て場所を決めた逸話は、浜の館にある矢村神社と類似している。

現地情報

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所在地
  • 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
交通アクセス
  • 鉄道
    • 九州旅客鉄道豊肥本線宮地駅から徒歩約18分(1.4km)
    • 宮地駅より九州産交バス阿蘇医療センター行き及び宮地循環阿蘇駅前行きに乗車し「阿蘇神社前」下車徒歩3分(280m)
    • 阿蘇駅より九州産交バス内牧循環阿蘇駅前行き及び宮地循環阿蘇駅前行きに乗車し「阿蘇神社前」下車徒歩3分(280m)
※循環バスは宮地駅からでも乗車可能であるが、内牧循環阿蘇駅前行きは既に「阿蘇神社前」を通過済みのため、この便に乗っても阿蘇神社には行けない。

脚注

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注釈

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  1. ^ 本物件は、文化庁編『国宝・重要文化財総合目録』(第一法規、1980)ほか、戦後刊行の重要文化財目録では「補遺」の部に収録され、「戦後連合国軍により接収され返還されていないもの」に分類されている。次項の長光も同様。

出典

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  1. ^ a b c d 2010年12月25日号『くまにち あれんじ』(熊本日日新聞社)、1面「すがすがしき朝 清澄なる時間を選ぶ一の宮町」(文・北園佳代)より
  2. ^ トップに聞く! 震災からの復旧事業に取り組み、文化と歴史を守り続けて地域住民の心の支えになる。 宗教法人 阿蘇神社(あそじんじゃ) 宮司(代表役員) 阿蘇惟邑(あそこれくに)氏 : 取引店/熊本銀行 宮地支店 CiNii
  3. ^ 古事類苑. 神祇部30』(1637頁)。
  4. ^ 古事類苑. 神祇部30』(1638頁)。
  5. ^ a b c 九州の神社:熊本県・阿蘇神社(阿蘇市)”. www.kyushu-jinja.com. 2019年11月11日閲覧。
  6. ^ 阿蘇神社”. 個人サイト. 玄松子の記憶. 2012年10月5日閲覧。を参考に記載。
  7. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮��、2016年9月30日、71頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  8. ^ 重要文化財の「楼門」など全壊 熊本・阿蘇神社朝日新聞 2016年4月16日
  9. ^ a b あしたへ 〜阿蘇神社・火振り神事 再生の炎〜”. 日本の祭り. ダイドードリンコ (2017年4月20日). 2018年1月13日閲覧。
  10. ^ 重要文化財阿蘇神社一の神殿ほか5棟保存修理宗教法人阿蘇神社発行のリーフレット 2019年9月
  11. ^ a b 阿蘇神社復旧、7年8カ月の軌跡 熊本地震で甚大な被害 7日に楼門の「竣工祭」”. 熊日電子版. 熊本日日新聞社 (2023年12月6日). 2023年12月7日閲覧。
  12. ^ a b 阿蘇神社の主要社殿が復旧完了 国重文の楼門「竣工祭」 熊本地震から7年8カ月で”. 熊日電子版. 熊本日日新聞社 (2023年12月7日). 2023年12月7日閲覧。
  13. ^ "阿蘇神社の火振り神事". 阿蘇阿蘇!ドットコム. 2008年1月10日. 2008年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月13日閲覧
  14. ^ 炎で祝う神の婚礼 〜阿蘇神社火振り神事〜”. 日本の祭り. ダイドードリンコ (2006年4月2日). 2018年1月13日閲覧。
  15. ^ 岡田[2013:220-222]
  16. ^ 一の神殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  17. ^ 二の神殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  18. ^ 三の神殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  19. ^ 楼門 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  20. ^ 神幸門 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  21. ^ 還御門 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  22. ^ 阿蘇の農耕祭事 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  23. ^ 阿蘇の御田植 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  24. ^ 2018年版山都町町勢要覧・資料編(山都町)

参考文献

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関連図書

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  • 安津素彦・梅田義彦 編 監修『神道辞典』神社新報社、1968、新版1990
  • 白井永二・土岐昌訓 編『神社辞典』東京堂出版、1979、新版1997
  • 鈴木喬『熊本の神社と寺院』熊本日日新聞社、1980
  • 高木盛義『くまもと史跡散歩』熊本新評社、1982
  • 『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社編、1982
  • 阿蘇惟之編 『阿蘇神社』学生社、2007 - 編者は第91代宮司
  • 島村史孝『阿蘇惟之さんの聞き書き 火の国 水の国』西日本新聞社、2010

関連項目

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外部リンク

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