長谷川透
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長谷川 透(はせがわ とおる、1897年(明治30年)4月[1] - 1977年(昭和52年)6月13日[2])は、日本の内務官僚。官選宮崎県知事。
経歴
[編集]京都府出身。長谷川吟之助の二男として生まれる[1]。第三高等学校を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。農商務省に入り工務局属となる。その後、内務省に転じた[1][3]。
以後、福井県理事官、愛媛県理事官、内務省社会局事務官兼内務事務官、同社会局書記官・社会部職業課長[4]、同大臣官房文書課長などを経て、1937年6月、大阪府書記官・総務部長に就任[1]。
1939年9月、宮崎県知事に就任。1941年1月に退官し、大日本産業報国会労務局長に就任[1]。戦後、公職追放となった[3]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]参考文献
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