葛城 (スループ)
葛城 | |
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基本情報 | |
建造所 | 横須賀造船所[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 |
スループ[2][3](巡洋艦[4]) → 三等海防艦 → 二等海防艦[4] |
建造費 | 712,207円[2] |
母港 | 佐世保(最終時) |
艦歴 | |
起工 | 1882年12月25日[4] |
進水 | 1885年3月31日[4] |
竣工 | 1887年11月4日[4] |
除籍 | 1913年4月1日[4] |
要目(竣工時) | |
排水量 |
1,480英トン[4] 計画:1,476トン[2][1] 公試時:1,502英トン[3][5][6] |
垂線間長 | 201 ft 0 in (61.265 m)[2] |
最大幅 | 35 ft 0 in (10.668 m)[2] |
深さ | 21 ft 6 in (6.553 m)[2] |
吃水 | 計画:平均15 ft 3 in (4.648 m)[2] |
ボイラー | 高円缶 6基[1][7] |
主機 | 横置還働2気筒2段膨張レシプロ 1基[7][8] |
推進 |
3翼スクリュープロペラ1軸 x 79rpm[7] 直径4.267m、ピッチ5.334m[7] |
出力 |
計画:自然通風1,600馬力[7][8]、または1,622馬力[2] 公試:1,368馬力(実馬力)[7]、1,120馬力[5] |
帆装 | 帆面積:7,927平方フィート[2] |
速力 |
計画:11ノット[2]、または13ノット[8][7] 公試:11.5ノット[5]、または11.95ノット[7] |
燃料 |
石炭:定量150トン[2] 1904年:石炭満載142トン[9][5] |
乗員 | 1885年12月定員:250名[10] |
兵装 |
竣工時[2] 17cm砲 2門 12cm砲 5門 7.5cm砲 1門 1インチ機砲 4基 小口径機砲 2基 魚雷発射管 2門 |
搭載艇 |
以下の船種を各1隻[11] 30ftピンネース 36ftカッター 27ftホエールボート 26ftギグ 14ftディン��ー 28ft蒸気カッター |
その他 | 船体:鉄骨木皮[12] |
葛城(かつらぎ)は、大日本帝国海軍のスループ[2]。 艦名は、金剛山地にある葛城山にちなんで名づけられた[4]。
艦型
[編集]3本マストの汽帆兼用の鉄骨木皮スループ。
機関
[編集]「葛城」、「大和」、「武蔵」の3隻は姉妹艦であるが、それぞれのスクリューの翼形状を変えて試運転を行った[13]。
- 試運転成績:出力1,404馬力、速力11.96ノット[1]
結果「武蔵」のスクリュー形状が最適と判明した[13]。
また、これまでの艦は停泊中の使わない蒸気を利用した蒸留器を設置していたが、この3隻からは蒸化器及蒸留器を備え、常に真水を作ることができるようになった[13]。 ただし、その能力はわずか1日3.5トンだった[13]。
兵装
[編集]砲装は艦首方向から17cn克砲(旋回砲、両舷用)1門、12cm克砲(左右舷各1門)2門、17cn克砲(旋回砲、両舷用)1門、12cm克砲(左右舷各1門)2門、艦尾に12cm克砲(旋回砲、両舷用)1門の合計17cm砲2門、12cm砲5門を装備した[15]。 またその他に機関砲4基をシェルター甲板上の2番砲直前と4番砲後方に装備した[15]。 魚雷発射管は竣工時に装備せずに船体の発射管口は閉塞、発射管は後日装備となった[16]。
変遷
[編集]最終時までに帆装の簡素化、昇降式煙突を大型の固定式煙突に換装などが行われている[17]。
艦歴
[編集]建造
[編集]1883年(明治16年)12月25日に横須賀造船所(後の横須賀海軍工廠)で起工し[4]、 1885年(明治18年)3月31日午後5時30分に第一船台から進水した[16]。 従来の進水台はフランス式で滑台が1本だったが、「葛城」から滑台が2本の進水台を採用した[16]。 皇后が行啓の予定だったが中止、皇族や太政大臣夫妻などが参列した[16]。 1887年(明治20年)11月4日竣工[4]。 三等艦に定められた。
巡洋艦
[編集]初めは巡洋艦と呼称されていた。 1886年(明治19年) 12月28日横須賀鎮守府所轄水雷術練習艦附属の「葛城」は常備小艦隊に編入された[18]。 1890年(明治23年)8月23日に第一種と定められた。 日清戦争には、僚艦とともに大連・旅順・威海衛攻略作戦等に参加。1897年12月21日より測量任務となり、翌年から1912年にかけて日本近海の水路測量に従事した。
海防艦
[編集]1898年(明治31年)3月21日、艦艇類別等級標準が制定され、「葛城」は三等海防艦に類別された。 1900年(明治33年)10月6日、伊豆大島乳ヶ島で座礁し、11月8日から16日まで横須賀造船廠で修理を行った。 日露戦争に際しては、長崎港警備に従事した。
1911年(明治44年)11月7日に佐世保を出港[19]、 太平洋沿岸の海流測定を行い[20]、 12月26日、佐世保に帰港した[21]。 1912年(明治45年)4月2日11時に佐世保を出港[22]、 三島附近の錘測などを行った[23][24]。
1912年(大正元年)8月28日、等級改定で三等が廃され二等海防艦に等級が変更される。 翌1913年(大正2年)4月1日に除籍され[4]、 艦艇類別等級表からも削除された[25]。 6月12日に売却訓令が出され、11月1日に55,316.880円で佐世保市橋本政吉へ売却が報告された[26]。 その後に長崎で解体された[15]。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- (心得)松岡方祇 少佐:1886年12月28日 - 1887年10月27日[27]
- 松岡方祇 大佐:1887年10月27日[27] - 1889年4月17日
- (心得)平山藤次郎 少佐:1889年4月17日 - 1889年8月29日
- 平山藤次郎 大佐:1889年8月29日 - 1890年1月10日
- (心得)窪田祐章 少佐:1890年1月10日 - 1890年5月13日
- (心得)有栖川宮威仁親王 少佐:1890年5月13日 - 1890年8月11日
- 有栖川宮威仁親王 大佐:1890年8月11日 - 1890年9月24日
- (心得)町田実隆 少佐:1890年9月24日 - 1890年10月16日
- 町田実隆 大佐:1890年10月16日 - 1891年12月14日
- 佐藤鎮雄 大佐:1891年12月14日 - 1893年1月25日
- 島崎好忠 大佐:1893年1月26日 - 1893年5月15日
- (心得)小田亨 少佐:1894年4月14日 - 1894年12月19日
- 小田亨 大佐:1894年12月19日 - 1895年11月18日
- 高木英次郎 大佐:1895年11月18日 - 1896年4月1日
- 迎敦忠 大佐:1896年4月1日 - 1896年7月28日
- (心得)梨羽時起 少佐:1896年8月13日 - 1896年12月3日
- 梨羽時起 大佐:1896年12月3日 - 1897年4月17日
- 徳久武宣 大佐:1897年4月17日 - 1897年10月1日
- (心得)友野雄介 少佐:1897年10月1日 - 1897年12月1日
- 友野雄介 中佐:1897年12月1日 - 1897年12月27日
- 武井久成 大佐:1897年12月27日 - 1898年3月1日
- 加藤重成 中佐:1898年3月1日 - 1898年10月1日
- 大井上久麿 大佐:1898年10月1日 - 1899年3月22日
- 有川貞白 中佐:1900年3月14日 - 1900年7月4日
- 伊東吉五郎 中佐:1900年7月4日 - 1901年2月4日
- 加藤重成 大佐:1901年2月4日 - 1901年3月13日
- 和田賢助 中佐:1901年10月4日 - 1902年10月6日
- 池中小次郎 中佐:1902年10月6日 - 1903年2月3日
- 宇敷甲子郎 中佐:1903年2月3日 - 1903年10月23日
- 坂元宗七 大佐:不詳 - 1905年12月12日
- 橋本又吉郎 中佐:1905年12月12日 - 1906年10月12日
- 山口九十郎 中佐:1907年2月28日 - 1907年9月28日
- 西垣富太 中佐:1908年2月20日 - 1908年9月25日
- 志摩猛 中佐:1908年9月25日 - 1909年10月1日
- 土田粂太郎 中佐:1910年4月20日 - 1910年9月26日
- 九津見雅雄 中佐:1910年12月1日 - 1912年12月1日
姉妹艦
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d #日本近世造船史明治(1973)428-433頁、「内国製艦艇表(試運転成績)」
- ^ a b c d e f g h i j k l m #日本近世造船史明治(1973)352-355頁、「艦艇表(計画要領)」
- ^ a b #海軍軍備沿革p.49
- ^ a b c d e f g h i j k 日本海軍艦船名考 1928, p. 55「57 葛城 カツラギ Katuragi.」
- ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)下巻p.282、戦役従軍艦艇及其の最近高力運転成績。
- ^ 『日本の軍艦第5巻』『大日本帝国軍艦帖』によると1,502トン。
- ^ a b c d e f g h #帝国海軍機関史(1975)上巻p.373(第二巻三一頁)
- ^ a b c #日本近世造船史明治(1973)368頁。
- ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.263、戦役中艦艇石炭搭載成績表
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.168、明治18年12月25日(丙72)扶桑外十八艦定員
- ^ #M19公文備考物件乾巻2/艦船需用(1)画像35
- ^ #日本近世造船史明治(1973)296頁。
- ^ a b c d #日本近世造船史明治(1973)369頁。
- ^ #全艦艇史(1994)p.145、写真No.0296の解説。
- ^ a b c #海軍艦艇史2巡洋艦(1980)p.23、写真No.2020の解説
- ^ a b c d #海軍艦艇史2巡洋艦(1980)p.22、写真No.2019の解説
- ^ #全艦艇史(1994)p.482、写真No.1197の解説。
- ^ #M19公文類聚15/大和艦外四艦々隊編入及所轄ヲ定ム。#M19公文類聚15/大和葛城は常備小艦隊、天城孟春は横須賀鎮守府
- ^ #M45-T1公文備考20/軍艦葛城太平洋沿岸海流測報告画像7、第一区域内測量経過
- ^ #M45-T1公文備考20/軍艦葛城太平洋沿岸海流測報告画像2、太平洋沿岸海流測報告。
- ^ #M45-T1公文備考20/軍艦葛城太平洋沿岸海流測報告画像36、行動一覧表
- ^ #M45-T1公文備考162/測量作業報告(1)画像5、軍艦葛城測量事業摘要報告(明治四十五年四月分)
- ^ #M45-T1公文備考162/測量作業報告(1)画像8-9、軍艦葛城測量事業経過一覧表(明治四十五年四月分)
- ^ #M45-T1公文備考162/測量作業報告(1)画像29-30、軍艦葛城測量事業経過一覧表(明治四十五年五月分)
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 74頁。◎大正二年四月一日(達六六) 艦艇類別等級別表中軍艦ノ欄内「鈴谷」「葛城」ヲ、驅逐艦ノ欄内「文月」「皐月」「漣」「卷雲」「敷波」「霞」ヲ、水雷艇ノ欄内「第三十號」「第二十五號」「第五十五號」「第五十六號」「第五十七號」「第三十一號」「第三十二號」「第三十六號」「第三十七號」「第三十八號」「第三十九號」「第四十號」「第四十一號」「第四十三號」「第四十四號」「第四十五號」「第四十六號」「第六十二號」「第六十三號」「第六十四號」「第六十五號」ヲ削ル。
- ^ #T2公文備考22/亡失、売却及撤去、処分(3)画像49-50、大正2年11月1日佐鎮第17号の91。
- ^ a b 『官報』第1301号、明治20年10月28日。
参考文献
[編集]- 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
- アジア歴史資料センター [1]
- 「大和艦外四艦々隊編入及所轄ヲ定ム」『公文類聚・第十編・明治十九年・第十五巻・兵制四・庁衙及兵営・兵器馬匹及艦船』、JACAR:A15111159500。
- 「横須賀鎮守府所轄大和艦葛城艦ハ常備小艦隊ニ常備小艦隊所轄天城艦孟春艦ハ横須賀鎮守府所轄ニ定ム」『公文類聚・第十編・明治十九年・第十五巻・兵制四・庁衙及兵営・兵器馬匹及艦船』、JACAR:A15111159700。
- 「艦船需用 66丁(1)」『明治19年 公文備考 物件 乾 巻2』、JACAR:C06090783500。
- 『明治45年~大正元年 公文備考 艦船20 巻46/軍艦葛城太平洋沿岸海流測報告』。Ref.C08020066000。
- 『明治45年~大正元年 公文備考 水路地理気象 巻162/測量作業報告(1)』。Ref.C08020216800。
- 『大正2年 公文備考 艦船3 巻22/亡失、売却及撤去、処分(3)』。Ref.C08020260400。
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 「海軍軍備沿革」、海軍大臣官房、1921年10月。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
- 海軍文庫『大日本帝国軍艦帖』 - 国立国会図書館デジタルコレクション(海軍文庫、1894年)NDLJP:845238
- 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 造船協会『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。
- 福井静夫『海軍艦艇史 2 巡洋艦コルベット・スループ』KKベストセラーズ、1980年6月。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡Ⅰ』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
- 『官報』