筆岡村
表示
ふでおかむら 筆岡村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 善通寺町、吉原村、与北村、筆岡村、竜川村→善通寺市 |
現在の自治体 | 善通寺市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 香川県 |
郡 | 仲多度郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,277人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 善通寺町、吉原村、四箇村 |
村長 | 溝口安治[1] |
筆岡村役場 | |
所在地 | 香川県仲多度郡筆岡村大字弘田288番地[1] |
座標 | 北緯34度14分15秒 東経133度45分46秒 / 北緯34.237556度 東経133.762861度座標: 北緯34度14分15秒 東経133度45分46秒 / 北緯34.237556度 東経133.762861度 |
ウィキプロジェクト |
村役場はその後解体され、敷地は善通寺市立筆岡公民館になっている。
歴史
[編集]- 1890年(明治23年)2月15日 - 町村制施行に伴い、多度郡中村(なかむら)、弘田村(ひろたむら)が合併し、筆岡村が発足[2]。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 多度郡が那珂郡と合併し、仲多度郡となる。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 善通寺町・吉原村・与北村・竜川村と合併して善通寺市が発足し、仲多度郡より離脱。
人口
[編集]単位:人[3]
年 | 男 | 女 | 計 |
---|---|---|---|
明治33年(1900年) | 1,321 | 1,280 | 2,601 |
明治34年(1901年) | 1,422 | 1,385 | 2,807 |
明治35年(1902年) | 1,427 | 1,381 | 2,808 |
明治36年(1903年) | 1,468 | 1,395 | 2,861 |
明治37年(1904年) | 1,422 | 1,408 | 2,830 |
明治38年(1905年) | 1,427 | 1,422 | 2,449 |
明治39年(1906年) | 1,492 | 1,455 | 2,947 |
明治40年(1907年) | 1,514 | 1,430 | 2,944 |
明治41年(1908年) | 1,559 | 1,475 | 3,034 |
明治42年(1909年) | 1,462 | 1,405 | 2,867 |
明治43年(1910年) | 1,525 | 1,454 | 2,979 |
明治44年(1911年) | 1,516 | 1,454 | 2,970 |
明治45年(1912年) | 1,525 | 1,491 | 3,016 |
明治36年・明治38年は計算があわないが、原文ママ
昭和2年(1927年)末2,722人[2]
戸数
[編集]単位:戸[3]
年 | 戸数 |
---|---|
明治33年(1900年) | 495 |
明治34年(1901年) | 509 |
明治35年(1902年) | 530 |
明治36年(1903年) | 542 |
明治37年(1904年) | 545 |
明治38年(1905年) | 550 |
明治39年(1906年) | 582 |
明治40年(1907年) | 581 |
明治41年(1908年) | 589 |
明治42年(1909年) | 562 |
明治43年(1910年) | 555 |
明治44年(1911年) | 536 |
明治45年(1912年) | 526 |
歴代村長
[編集]- 原 成造(明治23年(1890年) - 明治43年(1910年))
- 福崎祐市(明治43年(1910年) - 大正4年(1915年))
村会議員(明治後期)
[編集]『善通寺市史』第3巻から作成
年 | 議員名 | 備考 |
---|---|---|
明治23年(1890年) |
乾 昇平 |
十二名 |
明治26年(1893年) |
乾 千太郎 |
四名新ニ議員トナリ。以前十二名ヨリ四名ノミハ新議員ト交代セリ |
明治29年(1896年) | 松本 仲太 | 新ニ議員トナリテ交代セリ |
明治30年(1897年) | 構口 菊治 | 新ニ議員トナリテ交代セリ |
明治31年(1898年) | 亀野 敏三郎 | 新ニ議員トナリテ交代セリ |
明治32年(1899年) |
長谷川 榮吉 |
三名新ニ議員トナルテ交代セリ |
明治41年(1908年) |
高口 公三郎 |
四名新ニ議員トナリテ交代セリ |
明治43年(1911年) |
瀬川 政治 |
四名新ニ議員トナリテ交代セリ |
名所・旧跡
[編集]- 筆ノ山[4]
- 雲氣神社(雲気神社) - 弘田町にある郷社。源頼政が射た矢を埋めたという矢塚がある[2]。
- 春日明神 - 雲氣神社にあり[2]。
- 木熊野神社
- 圓通寺(円通寺) - 弘田町にある寺院。真宗興正派興正寺の末寺。本尊は無量寿仏。香川正貫が出家し西心として天和2年(1682年)に創建した[2]。
- 甲山寺 - 弘田町にある寺院。医王山多宝院善通寺の末寺。本尊は薬師如来。四国霊場88か所の第74番札所。空海が弘仁(810年〜824年)中に創建[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 四国新聞社 1953, p. 272.
- ^ a b c d e f 梶原猪之松 1930, p. 645.
- ^ a b 善通寺市教育委員会市史編さん室 1994, p. 4.
- ^ 香川県仲多度郡 1918, p. 986.
参考文献
[編集]- 香川県仲多度郡 編『仲多度郡史』仲多度郡善通寺町、1918年1月15日。doi:10.11501/1085743。 NCID BN10791123。OCLC 56038456。
- 梶原猪之松 編『古今讃岐名勝図絵』高松製版印刷所、高松市、1930年10月20日。doi:10.11501/1177091。 NCID BB0651263X。OCLC 673493820。
- 四国新聞社 編『香川年鑑』 昭和29年、四国新聞社、高松市、1953年10月20日。doi:10.11501/2940066。 NCID BB10788678。OCLC 673819408。
- 善通寺市教育委員会市史編さん室 編『善通寺市史』 第3巻、善通寺市、1994年12月25日。 NCID BN03387616。OCLC 675458909。