河原町 (鳥取県)
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かわはらちょう 河原町 | |||||
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廃止日 | 2004年(平成16年)11月1日[1] | ||||
廃止理由 |
編入合併 国府町、���部村、河原町、用瀬町、佐治村、気高町、鹿野町、青谷町 → 鳥取市[1] | ||||
現在の自治体 | 鳥取市[1] | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陰地方) | ||||
都道府県 | 鳥取県 | ||||
郡 | 八頭郡 | ||||
市町村コード | 31323-8 | ||||
面積 | 83.62 km2 | ||||
総人口 |
8,098人 (推計人口、2004年5月1日) | ||||
隣接自治体 | 鳥取市、郡家町、鹿野町、船岡町、三朝町、用瀬町、佐治村 | ||||
河原町役場 | |||||
所在地 |
〒680-1221 鳥取県八頭郡河原町大字渡一木277 (現・鳥取市河原町渡一木277) | ||||
外部リンク |
河原町(Internet Archive) 河原町(WARP) | ||||
座標 | 北緯35度24分10秒 東経134度12分08秒 / 北緯35.40275度 東経134.20211度座標: 北緯35度24分10秒 東経134度12分08秒 / 北緯35.40275度 東経134.20211度 | ||||
特記事項 | 旧町役場は鳥取市役所河原町総合支所となっている | ||||
ウィキプロジェクト |
河原町(かわはらちょう)は、鳥取県にかつてあった町である。八頭郡に属した。大国主の妻の一人である八上姫の出身地として知られ、またアユの町としても知られていた。本項では町制前の名称である河原村(かわはらそん)についても述べる。
2004年(平成16年)11月1日に鳥取市に編入合併し、町域は鳥取市河原町となった[1]。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1893年(明治26年)12月1日 - 八上郡三保村・久長村が合併して河原村が発足。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 河原村の所属郡が八頭郡に変更。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 河原村が町制施行して河原町となる。
- 1955年(昭和30年)3月28日 - 八上村・散岐村・国英村・西郷村と合併し、改めて河原町が発足。
- 2004年(平成16年)11月1日 - 鳥取市に編入[1]。同日河原町廃止。
教育
[編集]- 中学校
- 河原町立河原中学校(現・鳥取市立河原中学校)
- 小学校
- 河原町立河原第一小学校(現・鳥取市立河原第一小学校)
- 河原町立西郷小学校(現・鳥取市立西郷小学校)
- 河原町立散岐小学校(現・鳥取市立散岐小学校)
交通
[編集]鉄道
[編集]河原駅は郡家町(現・八頭町)の境界付近にあり、河原町内には位置していない。
道路
[編集]- 高速道路(2009年3月14日に開通)
- 一般国道
- 県道
- 道の駅
出身人物
[編集]- 下田光造(医学者、精神科医) - 鳥大・九大名誉教授。我が国の精神医学界に大きな足跡を残した。
- 下田勘次(政治家)
- 田中信義(実業家、政治家)
- 上原準三(弁護士、政治家) - 元米子市教育委員長
- 谷尾昂也(サッカー選手、FC神楽しまね所属)
- 前田昭博(陶芸家、白磁作家)
- 下田麻美(声優)
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 河原城
- 河原湯谷温泉
・あゆ祭り
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鳥取市役所河原町総合支所
- 河原町ホームページ(2004/12/10アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project