水本勝己
オリックス・バファローズ ヘッドコーチ #88 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県倉敷市 |
生年月日 | 1968年10月1日(56歳) |
身長 体重 |
180 cm 102 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト外 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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水本 勝己(みずもと かつみ、1968年10月1日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。右投右打。
経歴
[編集]現役時代
[編集]倉敷工業高では強打の捕手として鳴らし、3年次の1986年に夏の甲子園出場。1日目第3試合の1回戦・対秋田工業高戦において1-11で敗れて初戦敗退[1]。
高校卒業後は、社会人野球の名門・松下電器に進み、潮崎哲也ともバッテリーを組む。チームは3年連続で都市対抗野球大会に出場した[1]。(本人は2年目のみ登録されるが、試合出場はなし)[2]
1989年秋に、倉敷工業高の先輩である片岡新之介を頼って広島東洋カープの入団テストを受験し合格、同年オフにドラフト外で入団した。
1991年のシーズン終了後にわずか2年の早さで現役を引退した[1]。
現役引退後
[編集]引退後は、広島のブルペン捕手として長年チームを陰で支えた。
2007年シーズン途中、ブルペンコーチ補佐(ブルペン捕手兼務)に就任。
2011年、事実上の三軍監督となる「三軍統括コーチ」に就任した。
2014年9月には、二軍監督の内田順三が翌2015年から読売ジャイアンツ(巨人)の二軍打撃コーチに就任するため辞任したことを受け、秋季教育リーグのフェニックス・リーグで二軍監督代行として指揮を執った[3]。2015年3月10日に一軍総合コーチの永田利則が体調不良のため入院した際には、その間���代役を二軍監督の高信二が務め、水本が二軍監督代行を務めた[4]。
2016年、前任の高が一軍ヘッドコーチに就任したことに伴い二軍監督に昇格。就任1年目の2016年はウエスタン・リーグ5連覇を達成したソフトバンクから24ゲーム差の4位と低迷した。
2017年には中日ドラゴンズ、ソフトバンクとの熾烈な優勝争いを制して1991年以来26年ぶりのウエスタン・リーグ制覇に導き、10月7日にKIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎で行われたファーム日本選手権では5-2で巨人を破り、巨人・内田二軍監督との「師弟対決」を制して初のファームチャンピオンへと導いた。その後は2020年まで二軍監督を務め、2020年限りで退団した。
11月26日、2021年よりオリックス・バファローズの一軍ヘッドコーチに就任することが発表された[5]。背番号は88。
2022年8月27日、新型コロナウイルス感染のため休養となった中嶋聡監督に代わり、プロ野球史上初となる“元NPB球団在籍選手かつ一軍公式戦未出場者による監督代行”として一軍の指揮を執り、同日の対埼玉西武ライオンズ戦(京セラドーム大阪)で6-0と勝利し、1968年に阪神タイガース監督を務めた藤本定義[注 1]以来、“プロ野球一軍公式戦出場経験のない監督”として54年ぶりの勝ち星を記録した[6]。
2023年も一軍ヘッドコーチとして続投。6月13日からは体調不良の中嶋監督に代わって再び監督代行として指揮を執り[7]、緒戦の対阪神戦を白星で飾る[8]など2カード6戦5勝1敗の好成績でまとめ上げた。
人物
[編集]投手陣から信頼され、特に佐々岡真司と仲が良く佐々岡のお気に入りだったらしい。
市民球場での試合前に、立ち上がりの悪い投手や雰囲気に飲まれるタイプの投手には、スタンド下のブルペンからグランドへ移動して、緊張をほぐすなど気をつかっている。
打撃不振の金本知憲や新井貴浩(当時広島在籍)の早出特打ちにはいつもアドバイスを送り、投手陣だけでなく、野手陣からの信頼も厚い。
チーム関係者からは曲がったことの嫌いな人間で、若手にもベテランにも平等に接することが出来る人物と評した[9]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 64(1990年 - 1991年)
- 100(1992年 - 2006年)
- 89(2007年 - 2020年)
- 88(2021年 - )
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 藤本定義は職業野球(プロ野球)選手経験そのものがなく、1936年にアマチュアチーム(東京鉄道管理局〈現在のJR東日本硬式野球部〉)監督から転じて第3代東京巨人軍監督に就任している。
出典
[編集]- ^ a b c 【野球】カープ2軍を26年ぶりVに導いた指揮官の正体は・・・ デイリースポーツ 2017年10月7日
- ^ - 都市対抗野球大会60年史
- ^ 「広島の内田2軍監督が辞任 水本2軍コーチが代行」『産経ニュース』産経デジタル、2014年9月24日。2014年10月4日閲覧。
- ^ 「広島・永田1軍総合コーチが体調不良で入院、高2軍監督が代役」『スポーツニッポン』2015年3月10日。2015年3月10日閲覧。
- ^ 「コーチ就任のお知らせ」『オリックス・バファローズ』2020年11月26日。2020年11月26日閲覧。
- ^ 「オリ 水本監督代行が“歴史的白星” 1軍出場経験ない指揮官54年ぶり 宮城がプロ初完封で導いた」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2022年8月27日。2022年8月27日閲覧。
- ^ 「オリックス 中嶋監督の体調不良で水本ヘッドが監督代行に 13日から「関西ダービー」阪神3連戦」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2023年6月13日。2023年6月16日閲覧。
- ^ 「【オリックス】水本ヘッド 2度目の監督代行 ウイニングボールは「由伸に渡したよ。関係ないもん」」『東スポWeb』東京スポーツ新聞社、2023年6月13日。2023年6月16日閲覧。
- ^ 首位広島の陰に現役時代実績ゼロ2軍監督の存在 デイリースポーツ 2017年5月5日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE