コンテンツにスキップ

村田町

半保護されたページ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

むらたまち ウィキデータを編集
村田町
店蔵の並ぶ街並み
村田町旗 村田町章
村田町旗 村田町章
1961年5月16日制定[1]
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
柴田郡
市町村コード 04322-2
法人番号 5000020043222 ウィキデータを編集
面積 78.38km2
総人口 9,884[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 126人/km2
隣接自治体 仙台市名取市岩沼市柴田郡大河原町柴田町川崎町刈田郡蔵王町
町の木 マツ
町の花 モクセイ
町の鳥 キジ
村田町役場
町長 大沼克巳
所在地 989-1392
宮城県柴田郡村田町大字村田字迫6
北緯38度07分07秒 東経140度43分21秒 / 北緯38.11853度 東経140.72242度 / 38.11853; 140.72242座標: 北緯38度07分07秒 東経140度43分21秒 / 北緯38.11853度 東経140.72242度 / 38.11853; 140.72242
外部リンク 公式ウェブサイト

村田町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

村田町(むらたまち)は、宮城県柴田郡にある町。

概要

地誌『柴田郡村田郷風土記御用書出』(安永7年=1778年)によると、公家が京都から下向してこのあたりに暮らし、「お館様」」と呼ばれて16代を数えた後に村田氏が城に入ったとされる[2]。その村田城が築かれた室町時代に入ると、下野国小山氏に連なる九郎業朝(くろう なりとも)が合戦に敗れて奥州へ逃れ、村田に住んだのが嘉吉年間(1441年–1444年)とされる。姓を村田に改めて6代目の村田近重(ちかしげ)には男子がなかった。そこで永禄8年(1565年)、後嗣ぎとして伊達稙宗(たねむね=第14代)の九男宗殖(むねふゆ=万好斎[注釈 1])を迎え、村田氏は伊達氏の係累に入った[2]。西根荘村田郷の領地は村田町内の大字村田から同大字足立の辺りで、宗殖から7代にわたって治めた[2]

江戸時代の村田は水運を生かし仙南地方における紅花の集積地となり[3][4]、明治時代にはカイコを集めて各地へ出荷する中心地として栄えた[注釈 2]

中心市街地の村田は、「なまこ壁」を用いた「店蔵」(たなぐら)と呼ばれる土蔵造りの店舗と豪壮な表門とが並ぶ古い町並みが残っており[3][4]、7.4ヘクタールの区域が2014年(平成26年)9月18日付けで国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された[4][6][7]。」「みちのく宮城の小京都」[8]とも称される。

その他、「スポーツランドSUGO」を有しており[9][10]、町内の一地名である」「菅生」「SUGO」はモータースポーツ界では鈴鹿と並び知名度は高い[16]

地理

位置

宮城県南部に位置する。町の7割を緩やかな丘陵が占める。町の中心部は東・西・北の三方を山に囲まれた盆地であり、また市街地の東部を川(荒川)が流れるなど京都に類似した地形となっており、小京都と言われる所以の一つとなっている。

地形

河川

主な川

湖沼

主な湖

  • 村田ダム(人造湖)

人口

村田町と全国の年齢別人口分布(2005年) 村田町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 村田町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
村田町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 13,337人
1975年(昭和50年) 13,265人
1980年(昭和55年) 13,370人
1985年(昭和60年) 13,807人
1990年(平成2年) 13,632人
1995年(平成7年) 13,539人
2000年(平成12年) 13,166人
2005年(平成17年) 12,740人
2010年(平成22年) 11,995人
2015年(平成27年) 11,501人
2020年(令和2年) 10,666人
総務省統計局 国勢調査より

隣接自治体・行政区

宮城県の旗宮城県

歴史

近代

明治時代
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、村田本郷・足立村・薄木村・小泉村の計4か村が合併し、村田村が発足。
  • 1895年(明治28年)10月31日 - 町制施行し、村田町となる。

近現代

昭和時代

現代

平成時代
令和時代

政治

行政

首長

歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 安積公 1889年(明治22年)4月23日 1894年(明治27年)4月15日
2 桜中荘次郎 1894年(明治27年)4月23日 1895年(明治28年)10月30日
歴代町長
昭和の合併以前
氏名 就任 退任 備考
1 桜中荘次郎 1895年(明治28年)10月31日 1899年(明治32年)7月1日 村長より留任
2 八島糾 1899年(明治32年)7月25日 1907年(明治40年)8月2日
3 田山孫八 1907年(明治40年)8月16日 1923年(大正12年)9月
4 大沼万兵衛 1923年(大正12年)10月16日 1932年(昭和7年)12月20日
5 升敏之助 1943年(昭和8年)1月24日 1941年(昭和16年)7月7日
6 武田恭次郎 1941年(昭和16年)7月8日 1946年(昭和21年)6月13日
7 善積康平 1946年(昭和21年)6月18日 1947年(昭和22年)3月31日 都市計画区域の策定[24]
8 大沼千吉 1947年(昭和22年)4月6日 1951年(昭和26年)4月4日
9 升健蔵 1951年(昭和26年)4月23日 1955年(昭和30年)4月19日
昭和の合併以後
氏名 就任 退任 備考
升健蔵 1955年(昭和30年)4月20日 1955年(昭和30年)5月24日 職務代執行者
1 大平良治 1955年(昭和30年)5月25日 1983年昭和58年)5月24日
2 大沼勘右衛門 1983年(昭和58年)5月25日 1991年(平成3年)5月24日
3 桜中良寿 1991年(平成3年)5月25日 1999年(平成11年)5月24日
4 佐藤洋治 1999年(平成11年)5月25日 2007年(平成19年)5月24日
5 佐藤英雄 2007年(平成19年)5月25日 2019年(令和元年)8月27日
6 大沼克巳 2019年(令和元年)8月28日 現職

町章

1961年昭和36年)5月16日制定。村田町の「む」を図案化したもので、村田町をめぐる「山」を上部にとり入れ、和と飛躍する恒久発展の姿を現した。

施設

警察

本部
駐在所
  • 村田駐在所

消防

本部
消防署
  • 村田出張所(村田町大字村田字西田56-1)

医療

主な病院

郵便局

主な郵便局
  • 村田郵便局
  • 沼辺郵便局
  • 菅生簡易郵便局

交流施設

対外関係

姉妹都市・提携都市

国内

提携都市
その他
  • 日本の旗陸前小京都「村田」として全国京都会議に加盟している。

海外

姉妹都市

経済

かつてのTDF工場

第一次産業

農業

第二次産業

工業

  • 村田工業団地(プラスエンジニアリング、竹内ハガネ商行、三丸化学、東邦メッキ、東亜工業、東北特殊鋼、他7事業所)を中心に、町内の各地で42社が操業。

第三次産業

商業

主な商業施設

金融機関

情報・通信

マスメディア

中継局

教育

宮城県村田高等学校

高等学校

県立

中学校

町立

小学校

町立
  • 村田町立村田小学校
  • 村田町立村田第二小学校
統廃合
  • 宮城県柴田郡村田町立村田第四小学校[26]

交通

ミヤコーバス村田駐在所
村田JCT

鉄道

町内を東北新幹線が通過しているが、鉄道駅は在来線を含め存在しない。鉄道を使用する場合の最寄り駅は、JR東日本東北本線大河原駅

バス

路線バス

村田町にはミヤコーバス村田駐在所があり、バスの結節点となっている。

道路

一般道

起業道路 - 改築のため土地を収用(町内の大字村田字西38、49、52、53宅地[27]

高速道路

  • E4東北自動車道:(蔵王町)- (25) 村田IC - (26) 村田JCT山形自動車道分岐) - 菅生PA -(仙台市太白区
  • E48 山形自動車道:(26) 村田JCT -(川崎町

国道

県道

主要地方道
一般県道

道の駅

観光

商家町村田

名所・旧跡

重要伝統的建造物群保存地区
主な城郭
  • 村田城跡 現城山公園
主な神社
  • 白鳥神社 奥州の蛇藤、縄文けやき、大銀杏、白樫などの巨木群 パワースポット
主な寺院
  • 龍島院 京都「詩仙堂」の庭園美を呈した池泉鑑賞式庭園
  • 願勝寺 悲恋の恋塚伝説
主な遺跡
主な史跡

観光スポット

文化・名物

スポーツランドSUGO

祭事・催事

主な祭事
  • 城山公園 桜まつり(4月)
  • 奥州の蛇藤まつり(5月第2日曜日)
  • 宗高公まつり花火大会(8月17日
  • 布袋まつり(10月 体育の日の前日[28]
主な催事
  • むらた 町家の雛めぐり
  • 小京都むらた写真展
  • 蔵の工芸市
  • そら豆まつり(6月第2日曜)
  • みやぎ村田町蔵の陶器市
  • 蔵ing村田 新そばまつり

名産・特産

  • 地酒(日本酒)
  • 納豆
  • 味噌
  • そら豆加工品(うどん、コンニャク、アイス、サブレ、ケーキなど)
  • 陶器
  • ガラス細工
  • 草木染
  • 日本画、石板画

スポーツ

モータースポーツ

出身関連著名人

出身著名人

ゆかりの著名人

参考文献

脚注の典拠。主な執筆者、編者の順。

  • I. IWATA、K. SAITO「全日本ツーリングカー選手権JTCC第3大会(SUGO)から」『自動車工学』第46巻第9号、鉄道日本社、1997年8月、198-201頁、doi:10.11501/3271589国立国会図書館書誌ID:000000010207-d3271589 
  • 大友 利郎(著)、日本特産農産物協会(編)「みちのく宮城の小京都 村田のそらまめと加工品づくり(宮城県)」『豆類時報』第36号、2004年9月、1, 9-13(図巻頭1p)、国立国会図書館書誌ID:7090170 
  • 「「金銭教育」は生き方の教育:宮城県柴田郡村田町立村田第四小学校」『月刊教育ジャーナル』第32巻第4号、学習研究社、1993年7月、44-48頁、doi:10.11501/6050539国立国会図書館書誌ID:000000006741-d6050539 
  • 「村田町 村田〔宮城県〕」『日本の町並み : 歴史文化遺産』 下巻、苅谷勇雅西村幸夫 編著、山川出版社、2016年3月、8-10頁。全国書誌番号:22708819 国立国会図書館書誌ID:027157870ISBN 978-4-634-15082-9
  • 建設省(著)、大蔵省印刷局、日本マイクロ写真(製作)(編)「告示 / / 建設省」『官報』第6680号、1949-04-21(昭和24年)、207(コマ番号2)、doi:10.11501/2963222国立国会図書館書誌ID:000000078538-d2963222 
  • 国土交通省都市局都市計画課 監修 ほか「第5節 伝統的建造物群保存関係」『都市計画法令要覧』平成27年版、ぎょうせい、2014年9月。国立国会図書館書誌ID:025806918 ISBN 978-4-324-09873-8
  • K. SAITO「全日本ツーリングカー選手権(JTCC):第3・4戦(SUGO)から」『自動車工学』第45巻第9号、鉄道日本社、1996年、198-201頁、国立国会図書館書誌ID:000000010207 

K. SAITO「フォーミュラニッポン(第6戦)(SUGO)から」『自動車工学』第45巻第11号、鉄道日本社、1996年10月、186-189頁、doi:10.11501/3271577国立国会図書館書誌ID:000000010207-d3271577 

  • K. SAITO「全日本GT選手権シリーズ第5戦(SUGO)から」『自動車工学』第45巻第14号、鉄道日本社、1996年12月、178-181頁、doi:10.11501/3271580国立国会図書館書誌ID:000000010207-d3271580 
  • K. SAITO「モータースポーツ:全日本GT選手権第3戦SUGO GTチャンピオンシップから」『自動車工学』第48巻第10号、鉄道日本社、1999年8月、196-199頁、doi:10.11501/3271618国立国会図書館書誌ID:000000010207-d3271618 
  • 「グラビア:「栄光のゴール」へ:ル・マン24時間耐久レース—レンズは国境を越えた「'82世界報道写真展」から—総合レジャースポーツランド SUGOで鉄道博覧会」『サンデー毎日』第61巻31(通号3368):1982年7月18日、毎日新聞出版、1982年7月、doi:10.11501/3370006国立国会図書館書誌ID:000000009518-d3370006 
  • 志間泰治第25集、宮城県教育委員会 (東北自動車道関係遺跡発掘調査概報 白石市・柴田郡村田町地区)〈宮城県文化財調査報告書〉、1972年、2-頁。doi:10.11501/2526449国立国会図書館書誌ID:000001282824 
  • 清水和夫「清水和夫のNSX、国内サーキット攻略法
    • Tーサーキット英田
    • 大分阿蘇レーシングパーク(オートポリス)
    • 筑波サーキット
    • 仙台ハイランドレースウェイ
    • スポーツランドSUGO
    • 鈴鹿サーキット
    • 富士スピードウェイ
    」『Motor fan』別冊、三栄書房、1993年5月、96-104頁、doi:10.11501/2304104国立国会図書館書誌ID:000000023171-d2304104
     副題『知的好奇心を満たす自動車総合誌』。
  • 『10 years Sugo : 菅生の10年と世界のレース』菅生、1985年6月。 ISBN 4-381-07526-9
  • 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、141頁。ISBN 9784816922749 
  • 村田町史編纂委員会『村田町史 通史編』(宮城県柴田郡村田町、1977年)
  • 村田町生涯学習課 編「4 村田の歴史」『村田町村田修理・修景の手引き』宮城県村田町、2024年1月19日https://www.town.murata.miyagi.jp/kosodate/bunkazai/dento_hozonchiku/hozonkeikaku_kaisestu/file/04.pdf2024年9月23日閲覧 

関連資料

発行年順。脚注に未使用。

青柳・今泉・大槻・養賢堂文庫和漢書目録
  • 熊澤 正興『武将感状記』 10巻、崇高堂河内屋八兵衞、菅生堂河内屋宇兵衞〈近代正説碎玉話〉、1716年。国立国会図書館書誌ID:000121021 24cm、和古書・漢籍3冊。図書館古典籍類所蔵資料目録、代替資料無し『養賢堂文庫』叡智の杜Web(宮城県図書館)
  • 畠山 郡興、穗積 尚古『大友真鳥実記』 14巻、菅生堂河内屋宇兵衞、1737年。国立国会図書館書誌ID:000120871 24cm、和古書・漢籍5冊。国立国会図書館古典籍類所蔵資料目録、代替資料無し『青柳文庫』叡智の杜Web(宮城県図書館)
  • 宮城 清行、佐野 利有 編『和漢〓法 9卷』菅生堂河内屋茂八、1764年。国立国会図書館書誌ID:000121188 23cm、和古書・漢籍7冊。図書館古典籍類所蔵資料目録、代替資料無し『養賢堂文庫』叡智の杜Web(宮城県図書館)
  • 斉藤良雄、八巻睦夫 編『菅生ふるさと史 : 年表・史料』菅生地区公民館、1999年8月。国立国会図書館書誌ID:000002814231 村田町(宮城県)

脚注

注釈

  1. ^ 父、伊達稙宗は長享2年生まれ、永禄8年没(1488年–1565年)。宗殖の兄の孫が伊達政宗
  2. ^ 重要伝統的建造物群、種別1:商家町。選定年月日:2014.09.18(平成26.09.18)選定基準1:(一)伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの[4]、『都市計画法令要覧』(2014年8月1日時点(平成26年)の情報[5])。
  3. ^ 大字支倉のうち、字櫛挽・字道海・字道海前山の全部と、字東湯沢の一部。

出典

  1. ^ 町章制定について”. 宮城県村田町. 23 October 2013閲覧。
  2. ^ a b c 村田町生涯学習課 2024, p. 3, 「2 村田の歴史:古代〜中世」
  3. ^ a b 金森崇之「文化審答申:村田の蔵や門の町並み、重要伝統的建造物群に 国の文化審、保存地区選定を答申」『毎日新聞』毎日新聞社、2014年5月17日。
  4. ^ a b c d 【主情報】名称:村田町村田”. 国立国会図書館WARP事業. 文化庁. 2021年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月23日閲覧。
  5. ^ ぎょうせい 2014, 「第5節 伝統的建造物群保存関係」
  6. ^ 「平成26年9月18日文部科学省告示第133号」平成26年(2014年)文部科学省”. 法庫2. 文部科学省. 2024年9月23日閲覧。 “一三三:9月18日:伝統的建造物群保存地区を重要伝統的建造物群保存地区に選定する件”
  7. ^ 苅谷、西村 2016, pp. 1, 8–10, 「巻頭:図」、「村田町 村田〔宮城県〕」
  8. ^ a b 大友 2004, pp. 9–13
  9. ^ 『サンデー毎日』 1982, doi:10.11501/3370006
  10. ^ 清水 1993, pp. 96–104
  11. ^ K. SAITO 1996, pp. 198–201
  12. ^ K. SAITO 1996, pp. 186–189
  13. ^ K. SAITO 1996, pp. 178–181
  14. ^ I. IWATA & K. SAITO 1997, pp. 198–201
  15. ^ K. SAITO 1999, pp. 196–199
  16. ^ 『自動車工学』(鉄道日本社、1952-2016年)第45巻[11][12][13]、第46巻[14]、第48巻[15]
  17. ^ 『日本災害史事典』 2010, p. 141
  18. ^ a b 『東北自動車道関係遺跡発掘調査概報』 1972, pp. 2-
  19. ^ 宮城県遺跡地名表, 「7014村田字西原、丘陵斜面(集落、縄文・平安、畑、縄文土器、土師器、須恵器、鉄製品)」
  20. ^ 宮城県遺跡地名表, 「7022東足立遺跡(乗越遺跡)ひがしあしたて(のりこし)村田町足立字乗越他、丘陵斜面(集落、縄文後・晩・弥生・平安、畑、縄文土器(金剛寺・大洞B)、石器、弥生土器、土師器)」
  21. ^ 「II 東北自動車道と関係遺跡」[18]、「III 各遺跡の発掘調査概報」[18]
    • 岩渕康治「(10)西原遺跡」121頁[19]
    • 佐々木安彦「(11)東足立遺跡」133頁[20]
  22. ^ 建設省 1949, 「第322号 / 宮城縣村田都市計画区域」
  23. ^ 建設省 1949, p. 207, 「第323号」
  24. ^ 都市計画法第1条の規定により、宮城県村田町を都市計画区域とする。昭和24年4月21日 建設大臣益谷秀次[22]。都市計画法第2条第1項の規定によりて、宮城縣柴田郡村田町の区域をもって宮城県村田都市計画区域とする。建設大臣益谷秀次[23]
  25. ^ 「姉妹都市提携一覧」(姉妹都市提携データ)
  26. ^ 『月刊教育ジャーナル』 1993, pp. 44–48
  27. ^ 大蔵省印刷局; 日本マイクロ写真(製作), eds (1931-05-20). 土地收用公告. “道路改築柴田郡村田町長(宮城県)”. 官報 (大蔵省) (1314): 499(コマ番号5). doi:10.11501/2957782. 国立国会図書館書誌ID:000000078538-d2957782. 
  28. ^ 村田町布袋まつり保存会(地域産業推進課): “蔵の町むらた布袋まつり”. web.archive.org. トップ > イベント. 村田町役場 (2013年12月13日). 2013年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月23日閲覧。


関連項目

外部リンク