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有馬頼之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有馬頼之
ありま よりゆき
生年月日 1870年11月29日
没年月日 (1917-05-01) 1917年5月1日(46歳没)
所属政党 研究会
称号 従三位
勲三等
配偶者 有馬藤子
親族 義父・京極朗徹(丸亀県知事)
娘婿・綾小路護(貴族院議員)
義兄(義弟)[注釈 1]久我通久(貴族院議員)
義兄(義弟)[注釈 1]伊達宗陳(貴族院議員)
従兄・松平直之(貴族院議員)

在任期間 1902年6月13日 - 1917年5月1日
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有馬 頼之(ありま よりゆき、1870年11月29日明治3年10月7日[1]〉 - 1917年大正6年〉5月1日[1][2])は、明治から大正期の政治家華族貴族院子爵議員勲等は勲三等[2]

経歴

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久留米藩主・有馬頼咸の七男として生まれる[1][3]。旧吹上藩有馬家当主・瑤光院(鎮、有馬氏郁未亡人)の養子となり、1877年(明治10年)12月20日に家督を継承[1][3][4]1884年(明治17年)7月8日に子爵を叙爵した[5]

1886年(明治19年)ドイツ帝国に留学[2]1902年(明治35年)6月13日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6]、死去するまで在任した[2]。会派は研究会に所属した[7]

栄典

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親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 夫人の生年不詳

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 上巻』63-64頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』34頁。
  3. ^ a b 『大正過去帳』124頁。
  4. ^ 『人事興信録』第4版、あ27頁。
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、11頁。
  7. ^ 研究会所属貴族院議員録 : 創立より解散まで 19コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 『官報』第1024号「叙任及辞令」1915年12月29日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
吹上有馬家初代
1884年 - 1917年
次代
有馬聰頼