日置益
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日置 益(ひおき えき、1861年12月21日(文久元年11月20日) - 1926年(大正15年)10月22日)は、日本の外交官[1]。位階および勲等は正三位・勲一等。伊勢国(現在の三重県)出身。
経歴
[編集]伊勢国で日置伊右衛門の五男として生まれる。 1888年(明治21年)に東京帝国大学法科大学法律学科を卒業し、外務省に入る。
1905年(明治38年)、代理公使としてサンフランシスコに渡航したのち、仏僧釈宗演とともにワシントンでルーズベルト大統領と会見[2]。
1914年(大正3年)に中国公使に就任。同年12月3日、加藤高明外相は日置に対華要求を訓令する。翌1915年(大正4年)1月18日、大隈重信内閣は袁世凱に対華21カ条要求を行い、日置はその交渉担当となった。1921年(大正10年)から1923年(大正12年)、在ドイツ特命全権大使。1925年(大正14年)には北京関税特別会議に全権として出席。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 1891年(明治24年)12月21日 - 従七位[3]
- 1893年(明治26年)12月16日 - 正七位[4]
- 1900年(明治33年)9月21日 - 従五位[5]
- 1911年(明治44年)10月20日 - 従四位[6]
- 1916年(大正5年)12月1日 - 正四位[7]
- 1922年(大正11年)2月28日 - 従三位[8]
- 勲章等
- 1901年(明治34年)6月27日 - 勲五等瑞宝章[9]
- 1902年(明治35年)12月28日 - 双光旭日章[10]
- 1904年(明治37年)5月20日 - 勲四等旭日小綬章[11]
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章[12]
- 1916年(大正5年)4月1日 - 勲一等旭日大綬章[13][14]
脚注
[編集]- ^ 日置益、朝日日本歴史人物事典
- ^ 宗演 1907.
- ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
- ^ 『官報』第3142号「叙任及辞令」1893年12月18日。
- ^ 『官報』第5169号「叙任及辞令」1900年9月22日。
- ^ 『官報』第8502号「叙任及辞令」1911年10月21日。
- ^ 『官報』第1301号「叙任及辞令」1916年12月2日。
- ^ 『官報』第2871号「叙任及辞令」1922年3月1日。
- ^ 『官報』第5395号「叙任及辞令」1901年6月28日。
- ^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。
- ^ 『官報』第6265号「叙任及辞令」1904年5月21日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)
参考文献
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