名尾良孝
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名尾 良孝(なお りょうこう[1][2]、1917年(大正6年)3月18日[1] - 1991年(平成3年)5月6日[1])は、日本の弁護士[1][3]、政治家。元参議院議員(2期)。父は内務官僚で、秋田県知事(官選)を務めた名尾良辰。
来歴
[編集]青森県青森市生まれ[1]。名尾良辰の四男[4]。1921年に浦和に移り[1]、浦和中学を経て、1921年に中央大学法学部卒業[1]。
戦後に弁護士を開業する[1][4]。1959年、埼玉県議会議員に当選[1]。以来連続6期在任する[1]。在職中には埼玉県議会議長を務めた。その後1980年の第12回参議院議員通常選挙に自民党公認で埼玉県地方区(1986年の参院選は埼玉県選挙区)から立候補し初当選。鈴木派→宮沢派に属した。法務政務次官、参議院内閣委員長、同商工委員長、自由民主党埼玉県支部連合会会長、埼玉菊花連盟顧問などを歴任した。
参議院議員2期目途中となる1991年5月6日、投身自殺。74歳没。病気を苦にしていたという。
人物
[編集]住所は浦和市仲町2丁目[1][2]。趣味はゴルフ、テニス、狩猟、読書[3]。
政策
[編集]公約は政治倫理の確立と自主外交、自衛力の整備充実、エネルギー問題の解決と経済の安定である[3]。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 名尾家
- 妻・伊勢子[4]
- 親戚
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 和田兵樹『埼玉を演出する男たち 政治編』りくえつ、1980年。
- 『埼玉年鑑 昭和58年版 人名録・企業総覧』埼玉新聞社、1982年。
- 『国会画報 25(10)』麹町出版、1983年。
- 大森映『日本の財界と閨閥』1988年、学芸書房、P170~173、P259~261
- 佐藤朝泰『門閥 旧華族階層の復権』1987年、立風書房、P425~437
- 埼玉県議会史編さん委員会編『埼玉県議会史 第14巻 資料編』埼玉県議会、1995年。
- 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』2001年、立風書房、P150~160、P181~192
関連項目
[編集]議会 | ||
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先代 倉田寛之 |
参議院商工委員長 1990年 - 1991年 |
次代 岩本政光 |
先代 岩本政光 |
参議院内閣委員長 1987年 - 1988年 |
次代 大城眞順 |