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乙川駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
乙川駅
駅舎(2018年6月)
おっかわ
Okkawa
CE05 亀崎 (2.6 km)
(1.8 km) 半田 CE07
地図
所在地 愛知県半田市乙川町112
北緯34度54分12秒 東経136度56分27秒 / 北緯34.90333度 東経136.94083度 / 34.90333; 136.94083座標: 北緯34度54分12秒 東経136度56分27秒 / 北緯34.90333度 東経136.94083度 / 34.90333; 136.94083
駅番号 CE  06 
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 武豊線
キロ程 12.8 km(大府起点)
電報略号 ツワ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
1,200人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日 1933年昭和8年)12月7日
備考
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乙川駅(おっかわえき)は、愛知県半田市乙川町にある、東海旅客鉄道(JR東海)武豊線である。駅番号CE06

大府駅武豊駅を結ぶ武豊線の中間駅(途中駅)の一つで、半田市中部の乙川地区に位置する。

歴史

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乙川駅は、1886年明治19年)の武豊線開通から40年以上経った1933年昭和8年)12月に開業した。1930年代前半に開通した知多鉄道(現・名鉄河和線)への対抗策として実施された気動車列車の運転開始・列車増便(1933年(昭和8年)8月実施)にあわせて新設された駅の一つである[1]

同時に開業した他の駅と同じく旅客専用の駅であったが、1944年(昭和19年)から貨物荷物の取り扱いを開始した。しかし他の武豊線の駅と同様に、1975年(昭和50年)に貨物、1984年(昭和59年)には荷物の取り扱いを終了し、開業時と同様の旅客専用の駅となったまま1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化を迎え、JR東海に継承されている。

中部国際空港(セントレア)開港前は当駅で分岐して知多半島を東西に横断し、現在の中部国際空港駅に至る空港連絡鉄道の新設が検討されていた[注釈 1][2][3][4][5]が、2005年(平成17年)2月17日の開港までには実現せず、開港から10年が過ぎた2015年(平成27年)現在も具体的な動きはない。これは、新たに敷設する区間が比較的長いという理由のほか、構想が浮上した1990年代当時は全線が単線非電化だった(2015年(平成27年)現在は全線が単線電化されている)上、最高速度も85km/hと遅く最大6両編成(20m級大型車両)までしか入線できないなど輸送力が小さかったため、当駅以北の既存区間の全面改良(複線化・電化・高速化ホーム延長などの輸送力増強)を含めた事業費が多額にのぼる(約1,000億円以上)とされたことが理由にある。結局、中部国際空港への連絡鉄道は名鉄常滑線の延伸のみが対象となり名鉄空港線として実現した[注釈 2]

年表

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貨物営業

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乙川駅は1933年(昭和8年)の開業時は貨物を取り扱っていなかったが、上記の通り1944年(昭和19年)4月1日より取り扱いを開始した。ただし全種別を取り扱うのではなく、専用線発着の車扱貨物に限定していた[6]。周囲の武豊線の駅と同じように、1975年(昭和50年)11月15日に貨物の取り扱いを終了している。

駅に接続する専用線は、駅の南側に工場がある輸送機工業のものがあった。専用線は同社が前身の中島飛行機半田製作所であった1944年(昭和19年)に敷設された[12]。同線は1970年の専用線一覧表[13]によれば、作業キロが0.7km、総延長キロが2.0kmであった。

駅構造

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相対式ホーム2面2線の地上駅単線区間上にある交換駅であり、列車の交換が可能である。

駅舎は1番線側にあり、2つのホームを結ぶ跨線橋が設置されている[14]。カインズホームなどがある2番線に出入口はない。大府駅管理の無人駅(駅員無配置駅)[14][15][16]。JR東海は2013年(平成25年)10月1日より当駅を含む6駅について「集中旅客サービスシステム(現・お客様サポートサービス)」を導入し、自動券売機自動改札機を整備した上で遠隔案内によって一括的に管理されるようになった[10][11]

のりば

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番線 路線 方向 行先
1 CE 武豊線 上り 大府名古屋方面[17]
2 下り 武豊方面[17]

利用状況

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旅客

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「愛知県統計年鑑」および「知多半島の統計」によれば、1日平均の乗車人員は以下の通りであった。

1日平均の乗車人員の推移
年度 乗車人員 出典・備考
1950年度 769人 [18]
1951年度 948人 [19]
1952年度 910人 [20]
1953年度 954人 [21]
1954年度 920人 [22]
1955年度 880人 [23]
1956年度 948人 [24]
1957年度 993人 [25]
1958年度 989人 [26]
1959年度 1,025人 [27]
1960年度 1,150人 [28]
1961年度 1,093人 [29]
1962年度 1,054人 [30]
1963年度 1,133人 [31]
1964年度 1,117人 [32]
1965年度 1,164人 [33]
1966年度 1,148人 [34]
1967年度 1,202人 [35]
1968年度 1,148人 [36]
1969年度 1,009人 [37]
1970年度 910人 [38]
1971年度 853人 [39]
1972年度 814人 [40]
1973年度 803人 [41]
1974年度 848人 [42]
1975年度 854人 [43]
1976年度 870人 [44]
1977年度 806人 [45]
1978年度 768人 [46]
1979年度 753人 [47]
1980年度 667人 [48]
1981年度 616人 [49]
1982年度 584人 [50]
1983年度 542人 [51]
1984年度 508人 [52]
1985年度 513人 [53]
1986年度 482人 [54]
1987年度 509人 [55]
1988年度 535人 [56]
1989年度 480人 1950年度以降最低値[57]
1990年度 644人 [58]
1991年度 694人 [59]
1992年度 765人 [60]
1993年度 805人 [61][62]
1994年度 885人 [63][62]
1995年度 882人 [64][62]
1996年度 814人 [65][66]
1997年度 798人 [67][66]
1998年度 767人 [68][69]
1999年度 771人 [70][71]
2000年度 773人 [71]
2001年度 820人 [71]
2002年度 837人 [72]
2003年度 860人 [72]
2004年度 870人 [72]
2005年度 921人 [73]
2006年度 1,002人 [73]
2007年度 1,079人 [73]
2008年度 1,102人 [74]
2009年度 1,049人 [74]
2010年度 1,069人 [74]
2011年度 1,019人 [75]
2012年度 1,012人 [76]
2013年度 1,680人 1950年度以降最大値[76]
2014年度 1,123人 [77]
2015年度 1,160人 [78]
2016年度 1,136人 [79]
2017年度 1,169人 [80]
2018年度 1,178人 [80]
2019年度 1,200人 [81]
2020年度 965人 [82]
2021年度 1,025人 [82]
2022年度 1,052人 [82]

貨物・荷物

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1950年度から1975年度(1975年11月取扱廃止)までの貨物の取扱量(発送および到着トン数)と、1972年度から1983年度(1984年2月取扱廃止)までの荷物の取扱量(発送および到着個数)は以下の表に示すとおりに推移していた。

貨物取扱量・荷物取扱量の推移
年度 貨物 荷物
発送 到着 発送 到着
1950年度 3,728t 4,285t
1951年度 4,031t 10,304t
1952年度 1,797t 4,513t
1953年度 2,602t 9,689t
1954年度 3,571t 9,623t
1955年度 2,008t 5,060t
1956年度 6,743t 6,215t
1957年度 5,454t 10,001t
1958年度 2,999t 5,145t
1959年度 3,571t 8,485t
1960年度 5,097t 3,959t
1961年度 2,782t 2,231t
1962年度 4,202t 2,625t
1963年度 5,299t 1,254t
1964年度 4,718t 862t
1965年度 3,288t 410t
1966年度 6,064t 817t
1967年度 5,549t 1,739t
1968年度 5,897t 1,571t
1969年度 2,475t 1,723t
1970年度 598t 281t
1971年度 6,272t 384t
1972年度 679t 1,760t 5,747個 2,833個
1973年度 6,638t 338t 5,512個 2,849個
1974年度 6,867t 231t 5,149個 2,878個
1975年度 2,825t 102t 3,717個 2,722個
1976年度 3,319個 2,553個
1977年度 3,359個 2,527個
1978年度 3,156個 2,475個
1979年度 2,814個 2,800個
1980年度 2,604個 2,606個
1981年度 1,822個 2,653個
1982年度 1,193個 2,521個
1983年度 316個 2,010個
※出典は乗車人員の推移に同じ。

停車列車

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乙川駅には、全列車が停車するが、2018年(平成30年)3月のダイヤ改正まで運行されていた快速列車は停車しなかった。

駅周辺

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乙川駅から見たパワードーム半田

バス路線

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駅北東側交差点付近に「乙川駅前」バス停があり、半田市中心部にある名鉄知多半田駅からJR半田駅、半田市役所、当駅、一ノ草病院前を経て同市北部にある日本福祉大学半田キャンパスを結ぶ知多乗合(知多バス)の半田北部線が利用できる。一部の知多半田方面行きのバスは知多半田から先、青山駅常滑駅を経て常滑市民病院まで直通している。

その他

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2駅南側にある武豊線東成岩駅から衣浦港中央埠頭にある半田埠頭駅へ至る衣浦臨海鉄道半田線1975年(昭和50年)に開業したが、当初の計画ではこの乙川駅から中央埠頭を経て東成岩駅へ接続し、実際に開業した新半田駅と半田埠頭駅に加えて「新乙川駅」を開設する予定であった[83]

隣の駅

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東海旅客鉄道(JR東海)
CE 武豊線
区間快速・普通
亀崎駅 (CE05) - 乙川駅 (CE06) - 半田駅 (CE07)

脚注

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注釈

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  1. ^ 名古屋方面と空港の連絡のみならず、将来的には武豊線 - 名鉄三河線 - 愛知環状鉄道愛知環状鉄道線を結ぶことで新空港から2005年日本国際博覧会(愛知万博)会場へのアクセスルートとしたり、新空港と東海道新幹線三河安城駅ミニ新幹線で結ぶことも検討されていた。
  2. ^ 名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)名古屋臨海鉄道南港線愛知環状鉄道愛知環状鉄道線三河上郷駅付近から分岐し、三河安城駅を経て武豊線乙川駅に至り、前述の延伸区間に至るルートも連絡鉄道線の候補に挙がっていたが、いずれも実現しなかった。

出典

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  1. ^ 『新修半田市誌』本文篇中巻、353-358頁
  2. ^ 中日新聞1993年3月27日朝刊3面3頁「中部新空港 鉄道アクセスで4案 中経連委整備構想 道路網も広域化図る」
  3. ^ 中日新聞1995年2月16日朝刊1面1頁「中部新空港の鉄道アクセス 開港時は名鉄常滑線活用 愛知県が8路線調査 段階整備の方針」
  4. ^ 空港アクセスの地下利用に関する基礎研究 - 土木学会 pp.237
  5. ^ 平成9年第1回常滑市議会定例会会議録(第2号) - 1997年(平成9年)3月6日(木曜日)
  6. ^ a b c d e f g h i 『停車場変遷大事典』2、115頁
  7. ^ a b c d 『武豊線物語』、23-25・185頁
  8. ^ “「通報」身延線甲斐常葉駅ほか36駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 3. (1985年3月27日) 
  9. ^ “21駅を停留所化 高山線など3線 約60人削減、4月実施 名鉄局”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1985年3月28日) 
  10. ^ a b 武豊線 集中旅客サービスシステムの使用開始について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2013年8月22日。オリジナルの2016年9月25日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20160925014905/https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000019252.pdf2020年12月19日閲覧 
  11. ^ a b 武豊線への集中旅客サービスシステムの導入について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2012年11月15日。オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20160304135832/http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000016734.pdf2020年12月19日閲覧 
  12. ^ 『武豊線物語』
  13. ^ 「昭和45年版の全国専用線一覧表」(『トワイライトゾーンMANUAL』12に収録)
  14. ^ a b 『東海道ライン全線・全駅・全配線』、26・47頁
  15. ^ 『東海旅客鉄道20年史』、732頁
  16. ^ https://web.archive.org/web/20181105213818/http://www.geocities.jp/jrcu_nagoyatihon/gyoumu/gyoumu218.pdf
  17. ^ a b 駅構内の案内表記。これらはJR東海公式サイトの各駅の時刻表で参照可能(駅掲示用時刻表のPDFが使われているため。2015年1月現在)。
  18. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和27年度刊、326頁
  19. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和28年度刊、310頁
  20. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和29年度刊、329頁
  21. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和30年度刊、305頁
  22. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和31年度刊、303頁
  23. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和32年度刊、319頁
  24. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和33年度刊、335頁
  25. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和34年度刊、379頁
  26. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和35年度刊、292頁
  27. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和36年度刊、261頁
  28. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和37年度刊、325頁
  29. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和38年度刊、297頁
  30. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和39年度刊、299頁
  31. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和40年度刊、263頁
  32. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和41年度刊、239頁
  33. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和42年度刊、262頁
  34. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和43年度刊、192頁
  35. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和44年度刊、196頁
  36. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和45年度刊、204頁
  37. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和46年度刊、228頁
  38. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和47年度刊、237頁
  39. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和48年度刊、217頁
  40. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和49年度刊、214頁
  41. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和50年度刊、221頁
  42. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和51年度刊、225頁
  43. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和52年度刊、217頁
  44. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和53年度刊、231頁
  45. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和54年度刊、233頁
  46. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和55年度刊、221頁
  47. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和56年度刊、227頁
  48. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和57年度刊、239頁
  49. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和58年度刊、223頁
  50. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和59年度刊、223頁
  51. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和60年度刊、241頁
  52. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和61年度刊、235頁
  53. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和62年度刊、223頁
  54. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和63年度刊、223頁
  55. ^ 『愛知県統計年鑑』平成元年度刊、225頁
  56. ^ 『愛知県統計年鑑』平成2年度刊、223頁
  57. ^ 『愛知県統計年鑑』平成3年度刊、225頁
  58. ^ 『愛知県統計年鑑』平成4年度刊、229頁
  59. ^ 『愛知県統計年鑑』平成5年度刊、221頁
  60. ^ 『愛知県統計年鑑』平成6年度刊、221頁
  61. ^ 『愛知県統計年鑑』平成7年度刊、239頁
  62. ^ a b c 『知多半島の統計』平成9年版、46頁
  63. ^ 『愛知県統計年鑑』平成8年度刊、241頁
  64. ^ 『愛知県統計年鑑』平成9年度刊、243頁
  65. ^ 『愛知県統計年鑑』平成10年度刊、241頁
  66. ^ a b 『知多半島の統計』平成11年版、46頁
  67. ^ 『愛知県統計年鑑』平成11年度刊、241頁
  68. ^ 『愛知県統計年鑑』平成12年度刊、239頁
  69. ^ 『知多半島の統計』平成12年版、46頁
  70. ^ 『愛知県統計年鑑』平成13年度刊、240頁
  71. ^ a b c 『知多半島の統計』平成15年版、46頁
  72. ^ a b c 『知多半島の統計』平成18年版、114頁
  73. ^ a b c 『知多半島の統計』平成21年版、43頁
  74. ^ a b c 『知多半島の統計』平成24年版、43頁
  75. ^ 『知多半島の統計』平成25年版、43頁
  76. ^ a b 『知多半島の統計』平成27年版、43頁
  77. ^ 『知多半島の統計』平成28年版、43頁
  78. ^ 『知多半島の統計』平成29年版、43頁
  79. ^ 『知多半島の統計』平成30年版、43頁
  80. ^ a b 『知多半島の統計』令和元年版、43頁
  81. ^ 『知多半島の統計』令和2年版、43頁
  82. ^ a b c 『知多半島の統計』令和5年版、43頁
  83. ^ 『新修 半田市誌』本文篇中巻、538頁

参考文献

[編集]
  • 半田市『新修 半田市誌』 本文篇中巻、半田市、1989年。 
  • 名取紀之、滝沢隆久 編『トワイライトゾーンMANUAL』 12巻、ネコ・パブリッシング、2003年。ISBN 978-4-7770-0048-7 
  • 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6 
  • 東海旅客鉄道『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年。 
  • 川島令三『東海道ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270014-6 
  • 河合由平『武豊線物語』交通新聞社、2009年。ISBN 978-4-330-04609-9 
  • 愛知県編 『愛知県統計年鑑』各年度版
  • 知多統計研究協議会編 『知多半島の統計』各年版

関連項目

[編集]