川越進
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川越 進(かわごえ すすむ、1848年6月20日(嘉永元年5月20日)- 1914年(大正3年)11月16日[1])は、明治時代の政治家。現在の宮崎県宮崎市生まれ。鹿児島県議会議員・同議長、宮崎県議会議長を経て、衆議院議員(5期)。宮崎県が鹿児島県に併合されていた時代に宮崎県分県(再置)運動を導き、「宮崎県の父」と称される。
経歴
日向国清武郷の飫肥藩士の家に生まれる。宮崎県加納村戸長、宮崎県訓導、同出仕となるが[1]、宮崎県は鹿児島県に編入されてしまう。それに伴い、川越は鹿児島県に出仕する。西南戦争では薩摩軍に従軍した[2]。薩摩軍敗北後、川越は鹿児島県会議員、同副議長、同議長、同常置委員となる[1]。鹿児島県議時代は宮崎県の再設置運動に力を尽くし、川越が同議長の際にそれを可決し、宮崎県の再設置を成し遂げた[2]。宮崎県再設置に伴い宮崎県議会が置かれ、川越は議長に就任、同常置委員、北那珂郡長を経て[1]、1890年の第1回衆議院議員総選挙に立憲自由党から立候補して当選する[3]。以来当選5回を数えた。衆議院議員は1912年まで務めた。
このほか日州燐礦肥料会社社長を務めた[1]。
脚注
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
外部リンク
- 川越 進|宮崎県郷土先覚者
- みやざきの101人 - ウェイバックマシン(2023年5月28日アーカイブ分)
- 川越進とは-コトバンク