はてなキーワード: 認識とは
婚約者の弁明を読むと返す金を作るために配信をすると加害者から嫌がらせがあったと言ってるけどどうなんだろうと思って調べてみたら、配信をするたびに借金を返せとコメントをされて配信ができなくなるのは視聴者も認識していたみたいだね
配信に嫌がらせをするな、という契約を借金をチャラにしようとしていると言って拒否してるのをみると、配信に嫌がらせをしていた動機に全く嫉妬がなかったのか、配信を荒らすことが借金を返す妨げになるという認識を持てなかったのか疑問ではある
https://anond.hatelabo.jp/20250316213514
この増田の話。
「テイカー気質ヤバすぎ」ってめっちゃ叩かれてるけど、女側から見た結婚って元々そういうもんだったのでは?
旦那の財布も収入も全部私のもの(少額の小遣いくらいは仕方ないから認めてやるか)、くらいの認識の女なんていくらでもいるだろ。正直に言えよ?
てか、それぐらいもらえなかったら、女側から見た「結婚のメリット is 何?」ってなるんじゃねえかな。
別に結婚しなくたって一人で生きていけるんだから、女からしたら、それぐらいもらえないと結婚する意味ねえじゃん。だから元増田だってこんなところでぴえんしてんだろ?
結局、結婚のコスパが悪いって話に帰結するんだよな。他人と暮らさなければならないっていうコストと、それに対するリターンが見合ってない。それは、男からしてもそうだよ。
そもそも人数が少ない、というか個人なので、一部にしか現れないって認識は正しい
スラム的な場があってそこに出る、と考えるのは誤り。
電話は、発信者の都合で一方的に割り込んでくるため、受信者の作業を中断させる。これは「タスク・スイッチング」のコストを伴い、研究によれば、一度中断された作業に戻るには平均で23分かかると言われている。
さらに、電話の内容は記録に残りにくく、言った・言わないの問題が発生しやすい。対して、メールやチャットツールを活用すれば、情報の可視化ができ、後から確認や検索も容易だ。
私の職場では、電話対応は「新人の仕事」とされていた。しかし、私は合理的な手段を用いれば、電話対応そのものを減らせるのではないかと考えた。
そこで、まず社内の通達メールを作成し、「現在、回線の不具合が発生しており、一時的に電話対応が難しくなっているため、メールでの連絡を推奨する」と通知した。
これにより、多くの取引先がメールでの問い合わせに移行し、結果として業務の可視化が進んだ。この時点では、私の行動は単なる効率化の試みであり、特に問題視されるものではなかった。
しかし、組織には「慣習を維持しようとする力」が働く。電話対応が不要になったことに気付いた一部の管理職が「本当に問題があるのか?」と疑問を持ち始めたのだ。
そこで私は、さらなる実験を行った。社内のネットワーク負荷を一時的に増やし、VoIP回線の品質を意図的に低下させたのである。
その結果、「どうも電話が不安定だ」という認識が広まり、正式に「可能な限りメールで連絡する」方針が打ち出された。私の狙いは成功した。
ところが、ある日、本社からの重要な電話が繋がらなかったことをきっかけに調査が入り、私の行為が発覚した。
私の行為は「組織の秩序を乱した」として厳しく咎められたが、私は今でも疑問に思う。
なぜ、本来非効率である業務プロセスを見直そうとしたことが、倫理的に許されないとされるのか?
私が批判されたのは、手法の問題か、それとも単に「新人の立場で慣習に異を唱えた」こと自体が問題だったのか?
私が退職することになった後も、電話対応の削減は組織の課題として残り続けていると聞く。
もし、私の行動がなければ、この議論すら生まれなかったのではないか。
昔、仕事で付き合いのあったシャッチョさん、それこそ女に融資してたけど、自分の名刺の裏に
と書いて渡していた。気に入ったクラブのお姉ちゃんとかにもそうしていた。
「こうして書いて渡しておくと、ちょっと金に困った時とか、とにかく臨時収入が欲しいなって時に必ずこのメモのことを思い出すんだよ。何回か思い出すようになったらこっちのもん」
そんな金出すならソープなり高級デリヘル使えば良いじゃんと思って、風俗の方がめんどくさくないんじゃないですかって聞いたら
「素人女が金のこと経由で俺のことを意識せざるを得なくなって向こうから連絡してくるっていうのがイイんだよ」
と最低なことを言っていたが、(あくまで本人に聞いた限りではあるが)本当に女から連絡してこない限りこっちからは手を出さなかったらしいし、普通に飯おごってそれなりの値段のホテルに泊まってセックスするだけだったらしいので、最低なエロ親父界隈という限定的な世界の中では奴はかなり紳士的な方だったんだなと認識を新たにした。
極めて雑な日記を書いたおかげでみんなの
怒りのコメント叡智が集まったぜ!「ブコメとトラバ含めて読んどいて」で友人へのアドバイスという目的は十分に達成できる。はてなーのみんなに感謝なんだぜ
横浜移住を考えている友人に向けた、中の人(都心勤務の西区住民。ただしみなとみらいではない。居住歴20年)からの所見。
多数の間違いや偏見があると思う。ブコメやトラバでつっこまれることで、錬成されることを期待してみる。(追記や再編集をガンガンやる予定)
・西区、中区(みなとみらいを擁する)→みんなが想像するヨコハマ。海に面した大都市のイメージ。ただし本牧を除く。
・鶴見区、都筑区、港北区(川崎属国エリア)→人口が爆発的に伸びた都内通勤族の街。子育て世代にうれしい商業施設が多い一方で、インフラが追いついていない。保育園の倍率が高く、車や人の渋滞に悩まされる地区。
・青葉区、緑区(だいたい町田)→小田急と東急が高度経済成長期からバブル期にかけて必死に開発した結果、小田急線や田園都市線の殺人的混雑に悩まされることに。横浜中心部とのアクセスが弱いため、横浜市民という自覚が薄い。
・旭区、瀬谷区、緑区、泉区(山と森)→神奈川県全体でも東高西低の格差が問題だが、横浜市内でも同様。このエリアは少子高齢化の傾向があり、横浜市の行政が正直手薄になっている感がある。もうちょい西に進んで大和市や海老名に住んだ方が幸せになれる。だからこそ花博で一発大きな花火をあげようとしているが、嫌な予感しかない。相鉄が代わって必死に都市開発をすすめており(そうしないと相鉄自身が死ぬ)、このエリアの住民はそうにゃんを尊師として崇めることになる。逆に言えば、都心へのアクセスを確保しつつ自然と暮らせる地区とも言える。
・それ以外(それ以外でまとめると怒る人が出てきそうだ)→元々は高度経済成長期に横浜都心部の郊外として発展したのち、インフラの老朽化や世代交代問題に直面しているエリア。目立った特徴はないが、特異なパラメータがないぶん平均的に住みやすいかも。
・東京都の場合は行政区ごとの差が大きいが、横浜市の区は市の出先機関。横浜市のあらゆる施策は横浜市全体に適用される。たまに混同している人を見かける。
・港区や江東区などのリッチな区の補助金と横浜市が比較されて「だから横浜市に住む奴は情弱」と言われたりするが、横浜市の場合は375万人を平等に扱わないといけない。
・住人が企業立地に対して多すぎるので、どうしても行政サービスは薄く広くなる。
・給食がその象徴。これから市内500の小中学校全てに給食を整えるのは永遠に不可能。仕方なくハマ弁で誤魔化している。誤魔化しではあるが、ハマ弁の内容は割とよくできており、給食化した方がたぶんQOLは下がる。
・東京の財政力が桁違いに強いので、教育費の無償化や住宅の補助金などで差があるのは事実。
・公園の遊具にその財政力の差が露骨に現れている。公園自体は多いもののどこも遊具がしょぼい。都内の友人近くの公園にいくと概ね横浜市より遊具が綺麗で充実している。
・まあその分都内は住宅が高いんですけど。都立大学(都民は学費無償)に進学しない限りペイできないのでは?
・川崎市との行政サービスの格差についてはゲフンゲフン。あっちは製鉄所と発電所もってるもんな〜うらやましいな〜
・とはいえ、さいたま市や千葉市と同等レベルの福祉レベルはキープしている。賄うべき人口から考えれば相当がんばっている。
・なので「特別市」という政令指定都市を超えた枠組みを作り、神奈川県からの独立を目��んでいる。
・鉄道通勤については東京〜横浜間のアクセスはJR3路線、東横線、京急線と多数あり、どこかの路線がグモっても家に帰れる。JR東海道線は朝の通勤ラッシュが殺人的だが、それ以外は(都心通勤ソルジャーからみれば)常識的なレベル。
・田園都市線はもうダメです。こんなこと言ってごめんね。でも本当です。
・地下鉄については当たり前だが東京が圧倒的。横浜は代わりにバスで市内移動を賄うことになる。
・自動車について。平均的に道路が都心と比べると広くて運転しやすい。ただし横浜町田IC周辺とR1の保土ヶ谷橋交差点はものっそ渋滞するので、このエリアを通過するような生活圏の選択は避けた方が良い。
・首都高とNEXCO中日本の境界があり、高規格バイパスも交差しているので高速道路網の把握が難しい。ジャンクションを間違えるのは横浜市民あるある。
・横浜市は元々神戸市みたいに丘陵と海が近いエリアだったのを埋め立ててきた歴史があるので、埋立地とそうでない箇所の高低差がすごい。「横浜は坂が多い」と言われる所以。
・この坂のエリアは崖崩れが起きやすい。横浜市の最大の地理的弱点だと思う。
・そして単純に坂のある地域は住みにくい。子供がキックボードやストライダで死にかける。
・ハザードマップを見ると崖くずれ注意のエリアが点在しており、この付近の住民は大雨のたびに避難指示発令に悩まされる羽目になる。
・埋立地のエリアも大きく2つに分かれており、昭和以前に技術の未熟な西区や中区の中心地(横浜駅〜関内エリア)を埋め立てたところは海抜が低く、地盤が弱く、大雨の時の内水や液状化の恐れがある。ここに住む増田は大雨のたびに毎回ヒヤヒヤしている。ただ横浜市にとってこのエリアは経済と行政の中心地なので、必死に土木工事をして改善中。
・みなとみらいエリア(新しい埋立地)は十分な高さの盛り土、地盤改良、排水設備が揃っており、内水や液状化の心配は少ない。ただみなとみらいエリアはコンビニが少なくOKストアーが殺人的に混雑する(ハザードマップ関係ない話題)。
・山手や浅間台、野毛山エリアのような高台エリアはハザードマップ的には最強。ただし地価も最強。
・まとめると 坂の上 > 新しい埋立地 > 古い埋立地>>> 坂
・住宅が都心よりも安い(除く高台エリア)割に、横浜駅エリアや関内エリアの文化施設や商業施設を利用でき、夜間人口も少ないので川崎属国エリアのような教育戦争に巻き込まれることがない。カーシェアリングやLUUP、UBERなどサービスも充実しているので、自宅に必要な機能を都市のなかにアウトソーシングできる。
(今夜追記する)
・西区、中区は引き続きオススメだが、地価が上がっちゃったからな…
・二俣川駅の南側。新横浜線ができてアクセスが大きく改善し、相鉄がジョイナスを作ったので買い物もしやすくなった。こども自然公園というバカでかい公園がある。まだ世の中的には「免許を更新しにいくところ」で認識が止まっているので狙い目。
・鶴見川の氾濫で形成された平野のあたり。具体的には港北、新羽、北新横浜、大倉山、綱島。広大な平野なので「坂の横浜」とは無縁。昔はそれこそ内水の心配があったが、いまは日産スタジアム(という名の貯水池)が俺たちを守ってくれる。地価は高い。
・センター北とセンター南。もはやセンターの意味を知る住民は少なめ。地下鉄が2路線あり、第三京浜と東名の両方が使える。ここも地価は高め。
・星川。保土ヶ谷というとマイナスイメージしかないがなぜか星川だと急にイケてるイメージになる。
・蒔田駅と南太田駅に挟まれた領域。蒔田公園が素晴らしい。歴史的経緯から外国の人も多い。
・なんか細かく地区ごとに書いてくとキリがないな。
すまんかった。横浜の良いところは「手薄な行政を補ってあまりある民間の活力」だと思う。
・賑やかな商店街が多数あり、ローカルなお店探しは永遠に楽しめる。
・半官半民、NPO的な施設も充実している。息子が発達が遅めなのだが、近所に発達支援施設がすぐに見つかったのは助かった。
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
愚痴です。
私26歳、彼氏34歳。お互いほぼ合意済の既定路線みたいなもんだったが、この度改めてプロポーズを受け結婚することになった。
結婚後の家、家計、両者のお小遣い額、妊活の認識等々今まさに色々話し合いをしているところだけど
そりゃあね、独身時代の貯金は家計に入れずにそれぞれの財産にするっていうのは一般的にも法律的にも正しいのは知ってます。
知ってるけどね、彼氏の給料と生活スタイルからしてそれなりに貯めてるだろうとは予想付くし、実際彼も「まあ有るには有る」って言ってるし。
その上ね、私が去年までピーピー言いながら奨学金返してたのも彼は知ってるわけですよ。
彼氏自身は国立大学だけど親に出して貰ってたから奨学金無いし、給料自体だってお互い知ってんだから、彼氏も全部事情は分かってるはずなんですよ。
でも、結婚式と新婚旅行の費用は結婚後二人で貯めたいし、独身時代の貯金は「お互い自分で使おうよ」ということらしい。
繰り返すけど、もちろん法律的にも世間一般的にも彼氏の方が正しいのは分かってるよ。
独身時代の貯金よこせっていう彼女なんてネットではフルボッコ扱いなのも分かってる。
でもね、彼氏は自分が彼女よりだいぶ稼ぎが良いのも知ってるし、私の貯金がカスッカスなのも分かってるはずなのに。
それなのに、結婚式ですら貯金から出す気が一ミリも無いんだってハッキリ言われたのが、もう本当に言葉に出来ないくらい悲しい。
お小遣い制にしたことで結果的に家計も彼氏の方がだいぶ負担してくれることになった。
妊娠したら専業主婦にするかどうかも私に合わせるよとも言ってくれた。
本当に私にはもったいないくらいの男です。
でも今後の結婚生活で「あー夫は数百万貯金有るし多少贅沢しても余裕なんだろうな」「貯金有るのに結婚式の費用折半したんだな」と頭によぎるのがしんどい。
ずっとモヤモヤしながら暮らすのは辛いよ。
なぜだ?30代の支持率で自民が国民民主、れいわに負ける…“減税”を求める若者の声を「無視」自民・立民"オールドパーティ"
https://news.yahoo.co.jp/articles/8a52f4f180db353bddd8fc5e08be591ca7f09151
まず、「チー牛」とか「弱者男性」みたいな侮辱ワードが本当に減ってるかって話だけど、実際はそんなに減ってない可能性が高い。
じゃあ、なんで減ったように感じるのか?
人は自分に都合のいい情報を優先的に記憶するし、都合の悪い情報はスルーしがち。
最上あいの件があった後で、「そういえば最近あんまり聞かないな」と思うと、それに意識が向いて、実際はまだ使われてるのに「減った!」と感じる。
以前は「チー牛」や「弱者男性」ってワードを気にしてたけど、最上あいの件があったことで、それ以外の話題に意識がいくようになった。
例えば、「この件の影響でどうなるんだろう?」みたいな考えが強くなって、今まで気にしてた侮辱ワードに対する感度が鈍った可能性がある。
「お? もしかして社会がちょっと弱者男性に優しくなったんじゃね?」みたいな希望を無意識に探してる。
つまり、「あれだけ話題になったんだから、さすがに叩くのはやばいと思ったやつが多いはず!」というポジティブな解釈をしたくなる。
でも、実際はネットの流行り廃りがあるだけで、特に状況が変わったわけじゃない。
最上あいみたいな、いわゆる「陽キャ・イケイケ」側の人間がダメージを受けたことで、「もしかして世の中の流れが変わるかも?」って期待しちゃう。
「これで弱者男性に対するヘイトも減るんじゃね?」っていう願望が、現実の認識を歪めてる。
ネットの流行りは移り変わるし、自分が見るコンテンツやフォローしてるアカウントの傾向がちょっと変わっただけで、「あんまり見なくなった」と感じることはよくある。
もしかしたら、本人のタイムラインやおすすめの傾向が変わっただけで、実際にはそんなに変わってない。
結論として、「侮辱ワードはそんなに減ってないけど、減ったと感じてるのは心理的なバイアスのせい」ってことになる。
個人的に気になるテーマだから読みたい気持ちはあるのに、日々増田を追ってるとAI文体と認識した時点で読み飛ばす癖がついてて目が滑って全く読めない
何卒宜しくお願いします
市場価値、格差、性的資本というワードが並び、なるほどそんな見方もあるよなと
「男性の非モテの苦しみは女性の労働問題と同質」の賛否は脇に置いても、なんだか説得力あるように感じる文章だなと感心したり
マッチングアプリの男女格差はたしかに確認できるなと首を縦に振る
ロマンスについて語っているのにまるで新聞の経済枠の記事のようだ
賛否はともかくこの経済記事風な現代恋愛事情の解説文がすーっと入ってくる
これが人気エントリに上がっているということは、わりと多くの人の世界観に沿う形で理屈が表現されている
これが現在の生産体制にどっぷりつかった私たち日本人の思考様式なのか
そして労働力も性も結婚もなんでもかんでも商品にして解体していく資本主義の顛末か
よく考えてみてほしい
性はわりと早い段階で経済に組み込まれてきたとはいえ、恋愛や結婚が市場として認識されるようになったのはほんの数十年のことだ。
大規模な市場が形成されるはるか以前から私たちは恋愛しもしくは恋愛せずにセックスし、子供をそして家庭を作ってきた
だというのに「経済」みたいな新参者に、男と女の関係性の理屈が乗っ取られてしまった
すべての価値を貨幣に変換していった結果がこれだよ、なんてことだろう
ではこのエントリで問題としている非モテをどうしたらいいのだろう
これに関しては私が焦点を当てているポイントではないけれど書いてみる
それはもう一度恋愛市場なるものから男女の関係を下して社会に埋め込み直すしかないだろう
それは「いいなづけ」かもしれないし「お見合い」かもしれないし「政略結婚」かもしれないし「村の掟」かもしれない
しがらみを復活させて、意に反するものは駆け落ち同然で市場に飛び出せばいい
男女当人同士の好意や行動力があてにならないのなら、外部がもっともらしい理由をつけてやるしかない
恋愛が存在しても良いが、性的な好意とは関係なしに結婚は存在しうるしむしろ歴史を通してそっちがメジャーだったよと
非モテ個人の意識改革でなんとかなるのだろうか、なんともならない気がする
けれども経済が伝統的コミュニティを破壊しつくした日本でそういう文化を復活させるのにはいったい何百年かかるのだろう
男女の非モテを集って地方で協働で畑仕事でもしてもらい収穫の時期にはイベントでもしてお酒を交わして豊作を祝う
もしかするとその共同生活のなかで自然な形で恋愛が生まれるかもしれない
解決のスピードを重視するなら労働と同じく市場原理に任せるのに行政が待ったをかけて修正していかないといけないのかもしれない
たとえばマッチングアプリの運用に法を介入させて「市場競争力が弱い男女を近距離でランダムに組み合わせ、とりあえず3カ月双方の好意に関わらずお付き合いする」といったルールを導入したらどうだろう。
どうガバナンスを利かせるのかもそうだし、人権や色々な問題が生じそうではある
それとこのエントリの本人に言うのなら
非モテの苦しみなるものは社会が良しとする価値判断軸を内面化した結果生じているものだと認識したらどうだろうか
それに縛られているとしたらそんなのもったいない、他者の評価なんて適当で個別的で絶対性のないものに振り回される必要はないんじゃないだろうか
異性パートナーに恵まれないだけで友人や家族がいるのなら、今ある他者を大事にしてみればいいのではないだろうか
ともかく
手段でしかない労働とその対価の貨幣がこうも私たちの意識ウェイトを占め思考のありかたに影響を与え、恋愛に限らず人間のもっとも基本的な生態に脅威を与えている倒錯した現実は認識しておいた方が良い
どうしたって社会に規定されてしまうのが私たちだけれども、今の社会のありかたが最終形でもなければ真理でもないし、ほかの形もありうるんだよということを頭にとどめておいて損はない
「mama」が世界共通なのは、赤ちゃんが発しやすく、母親がそれを自分の呼び名として受け入れたからやで。
世界中で「母親」の呼び名が「mama」のような発音で共通しているのは、人間の発話の生理的な特性によるもんや。
生まれたばかりの赤ちゃんは、まだ口の筋肉を複雑に動かせへん。でも、唇を閉じてから開くだけで出る「m」や「b」、「p」の音は簡単に発音できる。さらに、「a」は口を開くだけで出せるから、自然と「ma-ma」や「ba-ba」みたいな音が出てくる。
実際に、世界中の言語を見てみると、「mama」に似た母親の呼び名がようけ���る:
言語の系統が違うのに、こんだけ似てるのは偶然ちゃうねん。これは、赤ちゃんが自然と発する音を親が「母親の呼び名」として受け入れたからや。
赤ちゃんが「ma-ma」「ba-ba」みたいな音を出したとき、母親は「呼ばれた!」って思って、それを「お母さんのことや」と認識する。結果として、「mama」が母親の呼び名として定着したんやな。
同じ理由で、「papa」や「baba」みたいに父親を指す言葉も似通っとる:
• 日本語:パパ
これも、赤ちゃんが発しやすい音やから世界中で共通しとるんや。
「mama」が世界中で共通するのは、赤ちゃんが発しやすい音やし、それを母親が自分の呼び名として受け入れたからや。これは文化や言語を超えて、人間の生理的な特性が生み出した現象なんやで。
みたいなやつ。
「も」じゃないんですよ。
「若い女性のために自分もこんなことやってるよ、連帯だよ」っつう話なのかもしれませんが、やってることが男とはまったく違いますよね。
あなたがた女性は、「女性に寄り添って安心させられる存在」なんですよ。
男は違う。
「女性に恐怖を与えないようその場から自然に直ちにいなくなるべき存在」なんですよ。
そりゃ目的は同じですけど、求められる行為が全くの逆なんですよね。
自分が咳払いで目の前を歩く人間を安心させられる存在だったら…と思うことだってありますよ。
でもできないんですよ、男に生まれた以上は。
それでも、女性の受けている実害や恐怖を思えば、自分の心の摩耗なんて、比べるべきもないものとして、生きていけますよ。
ただあなた方とは違う。
そこだけは認識しといてほしいです。