はてなキーワード: 駅伝とは
1年生の時に好きだった担任が異動し、代わりに体育の先生がやってきた。
彼はすごく爽やかで熱血な先生だった。
自分の体育を受け持ってもらったような…気がする(記憶ポンコツ)
部活の友達と一緒に体育委員をやって、体育祭も先生と一緒に頑張った。
体育祭でピストル持った先生とピストルの後ろに黒板を置く体育委員(私)の写真が一番の思い出(それでいいのか?)
そこまでドキドキしたわけでもないけど、あこがれ?お気に入り?の先生でした。
そんな彼のご兄弟と3年の副担が数年後に結婚して、副担と彼は親族になりましたとさ。
(副担と彼が仲良すぎて怪しい噂もたっていたけどね)
あと、その彼はなんだかんだで地元の陸上ではとても偉い人になったようで、先日の駅伝の写真では市長さんと一緒に写ってました。お元気でなにより^^
今年で33になる婚活女子です。なぜか今日から出勤です。で、職場のテレビで箱根駅伝つけてたんですけど派遣できてる高卒非正規低収入弱者男性はそれ見ずにYouTubeでしょうもない幼稚な動画見てました。
弱者男性は高卒だから自分の母校が出なくて興味ないんでしょうね。ちゃんと勉強して大卒になってたら駅伝も楽しめたのに。まあ仮に興味なかったとしてもまともな社会人なら客先や上司との共通の話題づくりのために見るはずなんですけどね。そういうことも考えられないからいつまでも正社員になれないんでしょうね笑。あとそもそも結婚してたら普通正月は自分か嫁の実家で過ごすわけで、そういう場で普通見るはずなんですよね駅伝。駅伝見てないってことはつまり実家に帰省してない独身負け組ってことです。まあながながと書きましたが弱者男性はクソってことです。
子どものとき、自販機に並んでいる緑茶や水を見て心底「こんなの誰が買うんだ」と思っていた。
ジュースもサイダーもあるのにわざわざ緑茶を選ぶ意味が分からない。水を選ぶ奴に至っては狂人だ。
そう思っていたが、今になって自販機で選ぶのはもっぱら緑茶か水だ。ジュースやサイダーは喉がべたついてしまってとても選べない。
大人になったのかもしれない。
子どものとき、スーパーの中でも洗剤やシャンプーを置いているゾーンが一番つまらないと思っていた。
やっぱり「こんなの誰が買うんだ」と思っていた。
だけど今はシャンプーの補充をしなければいけないし放っておけば排水溝が詰まる。あのゾーンには意外と見どころがあると思う。
大人になったのかもしれない。
子どものとき、おせちのどのマスに並んでるやつも得体が知れなくて、ギリギリ味を想像できる栗きんとんと黒豆しか食べられなかった。
けれど、今年は大半をおいしく食べることができた。
それから子どものときに「映ってるものが全然変わらんし選手も走ったあと倒れるだけでおもんない」と思っていた駅伝までゆっくり眺めることができた。
大人になったのかもしれない。
こうしてみると、大人になるってのは「一見需要のないものもどこかの誰かにとってはありがたいものである」ということを知って、まだ需要のないものにも想像力を持てるようになることなのかもしれない。
それでも実はまだ、自販機のお汁粉を喜んで買う奴と、おせちにある大根とニンジンを酸っぱく細くしたのを喜ぶ奴の実在だけは信じられない。世界には本当にそんな奴がいるのだろうか。まだまだ大人になりしろがあって嬉しい。
母親が駅伝好きで毎年正月になるとテレビで流れてるんだけど全く興味が持てない。
何故なのか少し考えてみたんだけど、コンテンツとしてエンタメ性に欠けるんだよね。
ずーっと走ってるだけ。そんでたまに抜いた抜かれたが起こる。楽しそうに入ってる子がいたり、苦悶の表情を浮かべる子がいたり、その程度。画面にも展開にも変化がなさすぎる。
それぞれの選手も大学も私にとっては情報量に差がないから、どの大学が優勝しても「へー、◯◯が優勝したんだ」の◯◯に入る単語が変わるだけだし、抜いた抜かれたも同様だから、すべて同じ事象としてしか捉えられないんだよね。
「今年は第4区間で沿道から乱入した佐藤さん(52)が優勝しました!」ぐらいの波乱が起きないと面白くない。
あとはそうだな、衣装にオリジナリティがあったり、キャラがめっちゃ強かったりもしないし。少なくとも走ってる姿からは知り得ない。
もっと沿道から邪魔が入るなどSASUKE的な要素を取り入れたらどうだろう。
知らない人たちが、自分が楽しいと思わないことで盛り上がってるのって、近所の居酒屋で見ず知らずの大学生集団が内輪の飲み会して盛り上がってるのを見せられてるのとなんら変わらないんだよね。
自分で気が付いてないだけで、あるのかもしれないな。
勇気ってなんですか。何かに取り組んでいる他人を見て、自分もやってみようかなと思うことはある。
けど「勇気がないからできない」という精神状態は今ひとつわからない。
告白とか?でも過去の自分を省みてみると告白に必要だったのは、勇気ではなく、思考停止や勢いだ。
きっとあるんだろうな。駅伝に限らず、スポーツに勇気を貰う人は多いらしい。
彼らスポーツ選手は「勇気を与えたい」とよく言ってるから、自分も貰った経験があるんだろう。
私は走ってる人間を見てもなんら心が動かないし、スポーツにあまり気持ちが入らない。中高運動部だったにも関わらず。自分と関係ないしね。「頑張っている人が好き」ということもよくわからない。