1893年の相撲
表示
1893年 こちらもご覧下さい |
---|
各年のスポーツ |
1891年 1892年 1893年 1894年 1895年 |
競輪 |
1891年 1892年 1893年 1894年 1895年 |
サッカー |
1891年 1892年 1893年 1894年 1895年 |
自転車競技 |
1891年 1892年 1893年 1894年 1895年 |
相撲 |
1891年 1892年 1893年 1894年 1895年 |
日本競馬 |
1891年 1892年 1893年 1894年 1895年 |
バスケットボール |
1891年 1892年 1893年 1894年 1895年 |
バレーボール |
1891年 1892年 1893年 1894年 1895年 |
野球 |
1891年 1892年 1893年 1894年 1895年 |
■ヘルプ |
1893年の相撲(1893ねんのすもう)は、1893年の相撲関係のできごとについて述べる。
本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[1]
- 興行場所:本所回向院
- 1月12日より晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[2]
- 興行場所:本所回向院
- 5月29日より晴天10日間興行
- 11月場所(三都合併相撲)[3]
- 興行場所:難波新地金刀比羅神社
- 晴天10日間興行
誕生
[編集]- 1月26日 - 小牛田山金太郎(最高位:前頭2枚目、所属:伊勢ノ海部屋、+ 1964年【昭和39年】)[4]
- 2月24日 - 大潮又吉(最高位:関脇、所属:陸奥部屋、+ 1964年【昭和39年】)[5]
- 3月5日 - 福柳伊三郎(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、+ 1926年【大正15年】)[6]
- 3月5日 - 大岬伝左衛門(最高位:十両筆頭、所属:二十山部屋、+ 1926年【大正15年】)
- 3月16日 - 友ノ浦喬次(最高位:前頭7枚目、所属:出羽海部屋、+ 1971年【昭和46年】)[4]
- 4月10日 - 千葉ヶ嵜俊治(最高位:大関、所属:二十山部屋、+ 1933年【昭和8年】)[7]
- 4月11日 - 駒泉徳治郎(最高位:前頭2枚目、所属:井筒部屋、+ 1959年【昭和34年】)[8]
- 7月19日 - 鶴ヶ濱増太郎(最高位:小結、所属:中立部屋→荒磯部屋、+ 1939年【昭和14年】)[9]
- 8月26日 - 豊國福馬(最高位:大関、所属:井筒部屋、+ 1942年【昭和17年】)[10]
- 10月15日 - 初代木村光之助(元・幕内格行司、所属:高砂部屋、+ 没年不明)
- 11月1日 - 清瀬川敬之助(最高位:関脇、所属:熊ヶ谷部屋→楯山部屋、+ 1967年【昭和42年】)[5]
- 12月10日 - 浪泉藤市(最高位:十両3枚目、所属:振分部屋、+ 1965年【昭和40年】)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 酒井, pp. 122–124.
- ^ 酒井, pp. 124–126.
- ^ 酒井, pp. 126–127.
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 46頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 42頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 44頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 40頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 41頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 48頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 49頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。