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浜黒崎仮停車場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浜黒崎仮停車場
停車中の列車と団体客(昭和10年代)
はまくろさき
HAMAKUROSAKI
東岩瀬 (2.6 km)
(2.3 km) 水橋
地図
所在地 富山県上新川郡浜黒崎村悪地野
北緯36度44分52秒 東経137度16分25秒 / 北緯36.74778度 東経137.27361度 / 36.74778; 137.27361座標: 北緯36度44分52秒 東経137度16分25秒 / 北緯36.74778度 東経137.27361度 / 36.74778; 137.27361
所属事業者 運輸省
所属路線 北陸本線
キロ程 245.2 km(米原起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1926年大正15年)7月3日
廃止年月日 1948年昭和23年)8月30日
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浜黒崎仮停車場(はまくろさきかりていしゃじょう)は、かつて富山県上新川郡浜黒崎村(現・富山市)にあった、国有鉄道北陸本線(現・あいの風とやま鉄道あいの風とやま鉄道線)の仮停車場廃駅)である。浜黒崎仮駅(はまくろさきかりえき)[1]浜黒崎駅(はまくろさきえき)[2]とも呼称され、毎年6月より9月半ばまで開設された[3]

当仮停車場の所在地は、現在の富山県道171号浜黒崎宮町線とあいの風とやま鉄道線の交叉地点である中井踏切の北東方面であったとされる[4]

歴史

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北陸本線浜黒崎仮停車場の夏季開設を行う旨を伝える新聞記事
当駅の位置を示す地図

当仮停車場は浜黒崎海水浴場に向かう人々に便宜を図るために設置された[5]。仮停車場とは恒久的な営業乃至通年営業を目的とせず、且つ営業キロが設定される駅をいう名称であり[6]1969年昭和44年)10月1日に営業キロを設定しない仮乗降場と共に臨時乗降場へ種別統合されるまで存在した停車場の一種であった[7]

1932年(昭和7年)7月15日浜黒崎村に富山競馬場が開設されると、河合自動車商会が運賃10銭の乗合自動車を当駅から競馬場まで運行するようになり、競馬場へのアクセス駅としても機能した[8]。この富山競馬場を巡っては、富岩鉄道が岩瀬港駅より発動機船によって曳航するだるま船を出し、富山電鉄バスが西町より直通するバスを運転し、寺田駅 - 水橋駅間の路線バスを延長運転するなど、各交通事業者による集客合戦が繰り広げられた[9]。こうした集客合戦は1939年(昭和14年)の富山競馬場最後の営業まで続けられたといわれる[9]

年表

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  • 1926年大正15年)7月3日:富山県上新川郡浜黒崎村大字悪地に開業する[10]。旅客、手荷物及び旅客附随小荷物の取扱を行う[10]。同告示に「停車場ノ開閉期日及取扱区間ハ関係停車場ニ之ヲ掲示ス」とある如く[10]、当仮停車場は常設の停車場ではなく、夏季のみ海水浴客のために開設される臨時駅であった[2]
  • 1942年昭和17年)4月1日:営業範囲を改正し、旅客附随小荷物の取扱を廃し、配達の取扱を行わない駅となる[11]
  • 1948年(昭和23年)8月30日:廃止[12]

駅構造

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単式ホーム1面1線であり、屋根はなく全長70メートル前後、幅は5メートルの地上駅であった[4]

利用状況

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年度 乗車数(人) 降車数(人)
昭和元年度 3,639 3,388
昭和2年度 5,006 4,859
昭和3年度 5,409 4,978
昭和4年度 6,508 5,975
昭和5年度 5,623 4,983
昭和6年度 5,892 5,690
昭和7年度 6,762 6,859
昭和8年度 4,660 4,607
昭和9年度 5,568 5,444
昭和10年度 5,239 4,831
昭和11年度 5,016 4,362
昭和12年度 3,854 2,987

隣の駅

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運輸省
北陸本線
東岩瀬駅 - 浜黒崎仮停車場 - 水橋駅

脚注

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  1. ^ 鉄道省、『北陸』、1938年(昭和13年)3月、鉄道省
  2. ^ a b 富澤藤太郎、『北陸旅行案内』、1926年(大正15年)10月、鉄道評論社
  3. ^ 金澤運輸事務所編、『北陸めぐり』、1933年(昭和8年)10月、金澤運輸事務所
  4. ^ a b 浜黒崎郷土史編纂委員会、『浜黒崎の近現代』、2000年(平成12年)9月、富山市浜黒崎自治振興会
  5. ^ 矢野吉彦、『競馬と鉄道 あの”競馬場駅”は、こうしてできた(交通新聞社新書122)』(105頁)、2018年(平成30年)4月、交通新聞社(ISBN:978-4-330-87718-1)
  6. ^ 石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅰ』(36頁)、1998年(平成10年)10月、JTB(ISBN:4-533-02980-9)
  7. ^ 石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅰ』(37頁)、1998年(平成10年)10月、JTB(ISBN:4-533-02980-9)
  8. ^ 矢野吉彦、『競馬と鉄道 あの”競馬場駅”は、こうしてできた(交通新聞社新書122)』(143頁)、2018年(平成30年)4月、交通新聞社(ISBN:978-4-330-87718-1)
  9. ^ a b 矢野吉彦、『競馬と鉄道 あの”競馬場駅”は、こうしてできた(交通新聞社新書122)』(142から144頁)、2018年(平成30年)4月、交通新聞社(ISBN:978-4-330-87718-1)
  10. ^ a b c 大正15年鉄道省告示第106号(『官報』4158号、1926年(大正15年)7月3日、内閣印刷局)
  11. ^ 昭和17年鉄道省告示第62号(『官報』第4561号、1942年(昭和17年)3月26日、大蔵省印刷局)
  12. ^ 昭和23年運輸省告示第240号(『官報』第6488号、1948年(昭和23年)8月30日、大蔵省印刷局)

参考文献

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  • 『官報』4158号、1926年(大正15年)7月3日、内閣印刷局
  • 富澤藤太郎、『北陸旅行案内』、1926年(大正15年)10月、鉄道評論社
  • 鉄道省編、『(昭和二年版)鉄道停車場一覧 附関係法規 線路図運賃早見表』、1927年(昭和2年)11月、鉄道教育会
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和元年度 第一編 運輸 經理 職員 保健』、1928年(昭和3年)4月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和二年度 第一編 運輸 經理 職員』、1928年(昭和3年)12月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和三年度 第一編 運輸 經理 職員』、1930年(昭和5年)1月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和四年度 第一編 運輸 經理 職員』、1930年(昭和5年)11月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和五年度 第一編 運輸 經理 職員』、1931年(昭和6年)12月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和六年度 第一編 運輸 經理 職員』、1932年(昭和7年)12月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和七年度 第一編 運輸 經理 職員』、1933年(昭和8年)12月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和八年度 第一編 運輸 經理 職員』、1934年(昭和9年)12月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和九年度 第一編 運輸 經理 職員』、1935年(昭和10年)12月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和十年度 第一編 運輸 經理 職員』、1936年(昭和11年)12月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和十一年度 第一編 運輸 經理 職員』、1938年(昭和13年)1月、鉄道省
  • 鉄道省編、『鉄道統計資料 昭和十二年度 第一編 運輸 經理 職員』、1939年(昭和14年)1月、鉄道省
  • 鉄道省編、『昭和九年十二月十五日現在 鉄道停車場一覧』、1935年(昭和10年)3月、川口印刷所出版部
  • 鉄道省、『北陸』、1938年(昭和13年)3月、鉄道省
  • 『官報』第4561号、1942年(昭和17年)3月26日、大蔵省印刷局
  • 『官報』第6488号、1948年(昭和23年)8月30日、大蔵省印刷局
  • 石野哲輔、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』、1998年(平成10年)10月、JTB
  • 浜黒崎郷土史編纂委員会、『浜黒崎の近現代』、2000年(平成12年)9月、富山市浜黒崎自治振興会

関連項目

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