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村越向栄

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村越 向栄(むらこし こうえい、天保11年11月2日1840年11月25日) - 大正3年(1914年4月18日)は、江戸時代末期から明治にかけての教育者、江戸琳派日本画家江戸出身。通称、撲。不必庵、欣々と号す。

略伝

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父・村越其栄より絵を習う。慶応3年(1867年)其栄が亡くなると、すぐに「東耕堂」を引き継ぎその堂主となった。明治6年(1873年学制頒布により「私立村越小学校」(通称「村越学校」)と改称する。明治15、17年(1882年、84年)第一回、第二回内国絵画共進会に「光琳派」の画家として出品する。明治28年(1895年)向栄は村越学校の経営を手放す。学校は明治43年(1910年)大洪水被害によって廃校になるまで地域の教育を担った。

向栄はその後絵に本腰を入れ、地域の商家や地主など旦那衆と交わり、その経済力や教養、人的交流を背景に活発な文化活動を行った。明治31年(1898年)に起工された清亮寺(足立区日ノ出町)の本堂修繕の寄進者名を記した扁額を揮毫。明治39年には酒井道一酒井抱一の孫弟子で雨華庵四世)、稲垣其達(父其栄の師・鈴木其一の門人)、野沢堤雨(抱一高弟・池田孤邨の弟子)と共に四皓会を結成する。同年、帝室技芸員岸光景が入門。大正3年75歳で没。戒名は不必庵向栄日欣居士。墓所は谷中本通寺だったが、その後谷中霊園を経て、現在は東京都立八柱霊園に移っている。

代表作

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  • 八橋図屏風 (個人蔵) 紙本銀地著色 六曲一隻
  • 十二カ月花卉図屏風 (足立区立郷土博物館蔵) 紙本著色銀地押絵貼 六曲一双 明治39年(1906年)頃 足立区登録有形文化財(絵画)
  • 四季草花人物図屏風(足立区立郷土博物館蔵) 絹本著色銀地押絵貼 六曲一隻
  • 千住製絨所絵馬 (荒川区ふるさと文化館蔵) 一面 荒川区登録有形文化財(歴史資料) 明治10年(1877年

参考資料

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  • 展覧会図録 『平成二十二年度企画展 千住の琳派 ─村越其栄・向栄父子の画業─』 足立区立郷土博物館、2011年
  • 真田尊光 「新出の其栄・向栄作品の紹介」『足立区立郷土博物館紀要』第33号、2012年3月、pp.1-11