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川口民一

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川口 民一(かわぐち たみかず、1931年昭和6年〉7月23日[1] - 2022年令和4年〉5月30日[2])は、日本政治家岩手県雫石町長(2期)や岩手県議会議員(1期)を歴任。

来歴

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岩手県岩手郡雫石町出身[1]。旧制岩手県立盛岡農学校(現・岩手県立盛岡農業高等学校)卒[注 1]。卒業後の1949年御所村役場に入る[3](のち合併で雫石町役場勤務)。1971年雫石町議会議員に当選[4]。4期務め、副議長[5]、議長を務めた[6]

1986年、雫石町長選挙に立候補し、現職を破って当選[7]1989年鶯宿温泉開発(株)社長と雫石町観光協会会長に就任した[1]。雫石町長は2期務め、1994年の町長選挙で元岩手県議会議長の川口善弥に敗れた[8]1998年の町長選挙に立候補したが現職の川口善弥に敗れた[9]

1999年の岩手県議会議員選挙岩手郡選挙区から自由党公認で立候補して当選した[10]2002年の雫石町長選挙に立候補したが元岩手県議会議員の中屋敷十に敗れた[11]

2009年第45回衆議院議員総選挙民主党から比例東北ブロック単独26位で立候補するも落選。比例単独25位の山口和之理学療法士)までが当選となり、次点(繰り上げ当選順位1番目)となる[12]。しかし、2012年10月5日に民主党を除籍となり、比例名簿からも削除された。10月9日に民主党比例東北ブロック選出の和嶋未希山形県酒田市長選挙に立候補するため辞職[13]したことに伴い、同月19日に繰上補充の選挙会が開かれ[14]、選挙時の名簿では川口より下位であった渡部一夫が同月22日に繰り上げ当選となった[15][16][17]。川口は同年の第46回衆議院議員総選挙日本未来の党から比例東北ブロック単独16位で立候補したが落選した[18]

2022年5月30日、前立腺がんのため、盛岡市内の病院で死去[2]。90歳没。

脚注

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注釈

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  1. ^ 「旧制岩手農卒」とする資料があるが、卒業年次からみて校名は「盛岡農学校(盛岡農)」が正しい。

出典

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  1. ^ a b c 『岩手人名大鑑』117頁
  2. ^ a b “川口 民一氏”. 岩手日報. (2022年6月1日). オリジナルの2022年6月5日時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/RJ0Qe 
  3. ^ 『岩手県人物・人材情報リスト 2017』58頁。
  4. ^ 『雫石町史 第2巻』340頁。
  5. ^ 『雫石町史 第2巻』347頁。
  6. ^ 『雫石町史 第2巻』345頁。
  7. ^ 『岩手年鑑 昭和63年版』33頁。
  8. ^ 『岩手年鑑 平成8年版』36頁。
  9. ^ 『岩手年鑑 平成12年版』21頁。
  10. ^ 『岩手年鑑 平成12年版』14頁。
  11. ^ 『岩手年鑑 平成16年版』15頁。
  12. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』57頁。
  13. ^ 2012年(平成24年)10月12日『官報』第5904号「国会事項」
  14. ^ 2012年(平成24年)10月16日中央選挙管理会告示第12号「平成二十一年八月三十日執行の衆議院比例代表選出議員選挙東北選挙区における欠員による繰上補充の選挙会の場所及び日時に関する件」
  15. ^ 2012年(平成24年)10月22日中央選挙管理会告示第15号「平成二十一年八月三十日執行の衆議院比例代表選出議員選挙東北選挙区における名簿届出政党等に係る欠員による繰上補充による当選人の住所及び氏名に関する件」
  16. ^ 小沢氏系候補を除籍=繰り上げ後の離党阻止-民主 時事ドットコム 2012年10月6日
  17. ^ 渡部一夫氏が衆院・民主会派入り 日本経済新聞 2012年10月22日
  18. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』58頁。

参考文献

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  • 『岩手年鑑 昭和63年版』岩手日報社、1987年。
  • 『雫石町史 第2巻』雫石町、1989年。
  • 『岩手年鑑 平成8年版』岩手日報社、1995年。
  • 『岩手人名大鑑』岩手日報社、1996年。
  • 『岩手年鑑 平成12年版』岩手日報社、1999年。
  • 『岩手年鑑 平成16年版』岩手日報社、2003年。
  • 『岩手県人物・人材情報リスト 2017』日外アソシエーツ、2016年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。