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二宮文造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二宮文造
にのみや ぶんぞう
生年月日 1920年1月1日
出生地 香川県高松市
没年月日 (2006-01-27) 2006年1月27日(86歳没)
死没地 香川県高松市
出身校 東北帝国大学(現・東北大学)中退
所属政党 (公明政治連盟→)
(公明党→)
(公明→)
公明党
称号 参議院永年在職議員

選挙区 全国区
当選回数 4回
在任期間 1962年7月8日 - 1986年7月7日
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二宮 文造(にのみや ぶんぞう、1920年大正9年〉1月1日[1][2] - 2006年平成18年〉1月27日)は、日本政治家香川県高松市出身。東北帝国大学法文学部中退。参議院議員(4期)。

経歴

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香川県高松市錦町に生まれた[1]。1941年(昭和16年)早稲田大学専門部政治経済科を卒業[3]1944年昭和19年)東北帝国大学法文学部を中退した[1][2]。同年、朝日新聞東京本社に入社し、前橋支局勤務、札幌支局勤務を経て政治経済部記者となり、1951年(昭和26年)に退社した[1][2]

1959年(昭和34年)高松市議会議員に当選[1][2]1962年(昭和37年)7月1日、第6回参議院議員通常選挙全国区から無所属で立候補し、初当選する[4](以降、連続4期在任[1][2][3])。参議院法務委員長、地方制度調査会委員、国土総合開発審議会委員などを務めた[3]

1967年(昭和42年)2月、公明党参議院議員団長に就任する。1970年(昭和45年)公明党参議院議員団長を退任し、公明党副委員長に就任する。1986年(昭和61年)6月、国会閉会と同時に政界を引退する[2]。任期満了直前の国会で永年在職表彰[3]。ほぼ同時に公明党副委員長も退任。

2006年(平成18年)1月27日脳溢血により、高松市内の病院において死去[5]。86歳没。

役職歴

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  • 公明党参議院議員団長
  • 公明党副委員長

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『香川県人物・人名事典』163頁。
  2. ^ a b c d e f 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』469頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』376頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』548頁。
  5. ^ 二宮文造氏死去 元公明党参院議員 Archived 2015年2月10日, at the Wayback Machine. - 共同通信2006年1月27日配信記事。

参考文献

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  • 『香川県人物・人名事典』四国新聞社、1985年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
大川清幸
日本の旗 参議院法務委員長
1985年 - 1986年
次代
太田淳夫