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アリシア・モリク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリシア・モリク
Alicia Molik
アリシア・モリク
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地 同・アデレード
生年月日 (1981-01-27) 1981年1月27日(43歳)
身長 182cm
体重 72kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1996年
引退年 2011年
ツアー通算 12勝
シングルス 5勝
ダブルス 7勝
生涯通算成績 560勝422敗
シングルス 346勝248敗
ダブルス 214勝174敗
生涯獲得賞金 $3,185,805
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2005)
全仏 3回戦(1999・2006)
全英 3回戦(2003・04)
全米 3回戦(2001・03)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(2005)
全仏 優勝(2007)
全英 ベスト4(2007)
全米 ベスト8(2005)
優勝回数 2(豪1・仏1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 2回戦(2001)
全仏 ベスト8(2004)
全英 準優勝(2004・07)
全米 準優勝(2004)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 8位(2005年2月28日)
ダブルス 6位(2005年6月6日)
獲得メダル
女子 テニス
オリンピック
2004 アテネ シングルス

アリシア・モリクAlicia Molik, 1981年1月27日 - )は、オーストラリアアデレード出身の女子プロテニス選手。2004年アテネ五輪で女子シングルスの銅メダルを獲得した選手である。4大大会でも、女子ダブルスで2005年全豪オープン2007年全仏オープンの2勝があり、混合ダブルスでは3度の準優勝があった。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス6位。WTAツアーでシングルス5勝、ダブルス7勝を挙げた。身長182cm、体重72kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。日本語では「アリシア・モリック」と表記されることも多い。

来歴

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1996年にプロ入り。1998年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップオーストラリア代表選手となり、オリンピックは2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪の2大会連続で出場した。2003年1月に地元オーストラリア・ホバートの大会で女子ツアーのシングルスに初優勝。長い間地味な存在の選手だったが、オリンピック直前の2004年8月第1週にスウェーデンストックホルムで行われた大会でツアー2勝目を果たすと、アテネ五輪でも波に乗って勝ち進み、シングルス準々決勝で日本杉山愛を 6-3, 6-4 のストレートで破った。準決勝ではフランス代表のアメリ・モレスモに 6-7, 3-6 で敗れ、準決勝敗退選手の2人で争われる「銅メダル決定戦」に回ったが、そこで当年度の全仏オープン優勝者アナスタシア・ミスキナを 6-3, 6-4 で破り、モリクが女子シングルスの銅メダル獲得選手となった。

オリンピックをはさんで、モリクは2004年ウィンブルドン全米オープンで2大会連続の混合ダブルス準優勝を記録した。パートナーはどちらも、同じオーストラリアの先輩選手トッド・ウッドブリッジであった。その後、彼女は10月末に室内コートの大会で2週連続優勝を成し遂げ、スイスチューリヒ大会の決勝では当年度のウィンブルドン優勝者マリア・シャラポワルクセンブルク大会の決勝ではディナラ・サフィナを破った。

2005年度は年頭にオーストラリアシドニーの大会でツアー5勝目を挙げる。その後、全豪オープンでアリシア・モリクは選手経歴のハイライトを迎えた。シングルスでは自己最高の準々決勝でリンゼイ・ダベンポートに 4-6, 6-4, 7-9 の大激戦で敗れたが、ロシアスベトラーナ・クズネツォワとペアを組んだダブルスで雪辱を果たし、決勝でダベンポートとコリーナ・モラリューのペアを 6-3, 6-4 で破って4大大会初優勝を決めた。全豪オープン終了後、モリクはシングルスで自己最高の「8位」にランクされ、オーストラリア出身の女子テニス選手としてウェンディ・ターンブル以来の世界ランキングトップ10入りを果たした。

ところが、テニス経歴のピークにあった時にモリクは慢性の前庭神経炎(英語:vestibular neuronitis)に見舞われ、4月過ぎからトーナメントで早期敗退が多くなった。これは内耳性の疾患で、この病気に冒されると、テニスに必要な視野とバランスの確保が難しくなる。モリクは発病後も体調の様子を見ながら何度かトーナメント出場を試みたが、結局うまくゆかず、しばらく病気療養のためテニスツアーへの参戦を断念する意向を表明した。

アリシア・モリクは2006年5月からツアーに本格復帰を果たし、10月の「ジャパン・オープン」にも出場した。2007年全仏オープンで、モリクはマラ・サンタンジェロイタリア)と女子ダブルスのペアを組み、決勝で杉山愛&カタリナ・スレボトニク組を 7-6, 6-4 で破って優勝した。モリクにとっては、病気からの復帰後初のタイトル獲得で、2005年全豪オープン以来2つ目の4大大会女子ダブルス優勝になった。この後ウィンブルドンの混合ダブルスでヨナス・ビョルクマンスウェーデン)とペアを組んだ準優勝がある。

2度目のオリンピック出場となった2008年北京五輪では、シングルスは1回戦でスペイン代表のマリア・ホセ・マルティネス・サンチェスに 1-6, 1-6 で完敗し、ケーシー・デラクアと組んだ女子ダブルスでも1回戦でイタリア代表の���ラビア・ペンネッタ&フランチェスカ・スキアボーネ組に 4-6, 4-6 で敗退している。

オリンピック終了後の2008年9月4日、アリシア・モリクは27歳で現役引退を表明したが、2009年8月に現役復帰を発表し、選手活動を再開した。2011年全豪オープンが最後の公式試合となった。

2011年2月にモリクは結婚し、2012年1月に第1子の長男を出産した[1]2013年からフェドカップのオーストラリア代表監督を務めている。

WTAツアー決勝進出結果

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シングルス: 9回 (5勝4敗)

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大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (1–0)
ティア II (1–1)
ティア III (1–1)
ティア IV & V (2–2)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2003年1月12日 オーストラリアの旗 ホバート ハード アメリカ合衆国の旗 エミー・フレージャー 6–2, 4–6, 6–4
準優勝 1. 2003年4月6日 アメリカ合衆国の旗 サラソタ クレー ロシアの旗 アナスタシア・ミスキナ 4–6, 1–6
準優勝 2. 2003年4月20日 ハンガリーの旗 ブダペスト クレー スペインの旗 マギ・セルナ 6–3, 5–7, 4–6
準優勝 3. 2004年3月22日 オーストリアの旗 ウィーン クレー イスラエルの旗 アンナ・スマシュノワ 2–6, 6–3, 2–6
優勝 2. 2004年8月8日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード ウクライナの旗 タチアナ・ペレビニス 6–1, 6–1
優勝 3. 2004年10月24日 スイスの旗 チューリッヒ ハード (室内) ロシアの旗 マリア・シャラポワ 4–6, 6–2, 6–3
優勝 4. 2004年10月31日 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク ハード (室内) ロシアの旗 ディナラ・サフィナ 6–3, 6–4
優勝 5. 2005年1月15日 オーストラリアの旗 シドニー ハード オーストラリアの旗 サマンサ・ストーサー 6–7(5), 6–4, 7–5
準優勝 4. 2005年2月21日 カタールの旗 ドーハ ハード ロシアの旗 マリア・シャラポワ 6–4, 1–6, 4–6

ダブルス: 16回 (7勝9敗)

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結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2000年1月16日 オーストラリアの旗 ホバート ハード ベルギーの旗 キム・クライシュテルス イタリアの旗 リタ・グランデ
フランスの旗 エミリー・ロワ
2–6, 6–2, 6–3
準優勝 2. 2003年6月15日 イギリスの旗 バーミンガム アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ ベルギーの旗 エルス・カレンズ
アメリカ合衆国の旗 メイレン・ツー
5–7, 4–6
準優勝 3. 2003年8月23日 アメリカ合衆国の旗 ニューヘイブン ハード スペインの旗 マギ・セルナ スペインの旗 ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
アルゼンチンの旗 パオラ・スアレス
6–7, 3–6
準優勝 4. 2004年4月5日 アメリカ合衆国の旗 アメリアアイランド クレー スイスの旗 ミリアム・カサノバ ロシアの旗 ナディア・ペトロワ
アメリカ合衆国の旗 メガン・ショーネシー
6–3, 2–6, 5–7
優勝 1. 2004年6月19日 イギリスの旗 イーストボーン スペインの旗 マギ・セルナ ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ
ロシアの旗 エレーナ・リホフツェワ
6–4, 6–4
優勝 2. 2004年8月8日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード オーストリアの旗 バルバラ・シェット スイスの旗 エマニュエレ・ガグリアルディ
ドイツの旗 アンナ=レナ・グローネフェルト
6–3, 6–3
優勝 3. 2004年11月7日 アメリカ合衆国の旗 フィラデルフィア ハード
(室内)
アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド 南アフリカ共和国の旗 リーゼル・フーバー
アメリカ合衆国の旗 コリーナ・モラリュー
7–5, 6–4
優勝 4. 2005年1月29日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート
アメリカ合衆国の旗 コリーナ・モラリュー
6–3, 6–4
優勝 5. 2005年2月21日 カタールの旗 ドーハ ハード イタリアの旗 フランチェスカ・スキアボーネ ジンバブエの旗 カーラ・ブラック
南アフリカ共和国の旗 リーゼル・フーバー
6–3, 6–4
準優勝 5. 2005年3月5日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ スペインの旗 ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
アルゼンチンの旗 パオラ・スアレス
7–6, 2–6, 1–6
優勝 6. 2005年3月21日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド
オーストラリアの旗 レネ・スタブス
7–5, 6–7(5), 6–2
準優勝 6. 2006年5月27日 トルコの旗 イスタンブール クレー インドの旗 サニア・ミルザ ベラルーシの旗 アナスタシア・ヤキモワ
ウクライナの旗 アリョーナ・ボンダレンコ
2–6, 4–6
準優勝 7. 2007年2月24日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ ジンバブエの旗 カーラ・ブラック
アメリカ合衆国の旗 リーゼル・フーバー
6-7, 4-6
準優勝 8. 2007年5月26日 フランスの旗 ストラスブール クレー 中華人民共和国の旗 孫甜甜 中華人民共和国の旗 鄭潔
中華人民共和国の旗 晏紫
3–6, 4–6
優勝 7. 2007年6月12日 フランスの旗 全仏オープン クレー イタリアの旗 マラ・サンタンジェロ スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク
日本の旗 杉山愛
7–6(5), 6–4
準優勝 9. 2007年8月12日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス ハード イタリアの旗 マラ・サンタンジェロ チェコの旗 クベタ・ペシュケ
オーストラリアの旗 レネ・スタブス
0–6, 1–6

4大大会ダブルス優勝

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  • 全豪オープン 女子ダブルス:1勝(2005年) [パートナー:スベトラーナ・クズネツォワ]
  • 全仏オープン 女子ダブルス:1勝(2007年) [パートナー:マラ・サンタンジェロ]
  • ウィンブルドン 混合ダブルス準優勝:2度(2004年・2007年) [パートナー:トッド・ウッドブリッジ → ヨナス・ビョルクマン]
  • 全米オープン 混合ダブルス準優勝:1度(2004年) [パートナー:トッド・ウッドブリッジ]

4大大会シングルス成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 通算成績
全豪オープン 1R 3R 1R 1R 1R 4R QF A 3R 2R A 1R 2R 13–11
全仏オープン 3R 1R 1R 1R 1R 1R A 3R 1R A A 1R A 4–9
ウィンブルドン 1R 2R 2R 1R 3R 3R A 2R 2R A A 2R A 9–9
全米オープン 1R 2R 3R 2R 3R 2R 1R 1R 1R A A 1R A 7–10

脚注

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外部リンク

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