さらに前作「踊ろよ、フィッシュ」[注釈 12]については、「いろいろターニングポイントがあって、『踊ろよ、フィッシュ』[注釈 12]っていうのが87年のシングルなんだけど、これが、要するにCMのタイアップの仕切りが悪いとか、いろんなこともあって、あんまりヒットしなかったのよ。で、ライナーにも書いてあるように[注釈 3]、あの頃は割とリゾートミュージックっていうのがもてはやされていた。バブル前夜だから。で、達郎が元祖夏男。で、元祖夏男の山下達郎がやらなくてどうするんですかって。そういうのやりましょうって言われて、『……じゃあやろうかな』って作ったの」「それでね、今度はそれがあんまりはかばかしくないと。みんななんていうかって言うと、もう山下達郎も終わりだって。87年だから。4年目だからね」「『そろそろ陰りが出てきたね』って言われたの。『達っつぁん、ゆっくり落ちていこうよ』って。ゆっくり落ちていくっていうのは、すごい難しいことなんだよ。僕はゆーっくり上がった人間だから、ゆーっくり落ちれるだろうってさ。それが一番難しいことなんだ、日本の芸能界においては。ゆっくりさ、いかにスローに、いかに落ちぶれていくかって、それをみんなで必死に考えようって」「ここまでやれてきて、十分だって。だから、僕、自分の人生に関して不満ないの。ものすごく幸福な人生だと思ってるわけ、自分は。だから、本当はその辺のCM業界でやってるかもしれなくて、いまだにニューシングル出して、ベストでしょ? ベストが出ると思わなかったね。ムーンで」[2]という。そして「GET BACK IN LOVE」の制作意図について、「けどね、『踊ろよ、フィッシュ』[注釈 12]で終わるのは嫌だと思った。これ、俺、不本意なんだもん。売れないんだって。売れる売れないの問題だって。もうそろそろ限界だと思ってたの。87年にね。もうダメだろうなって。世の中も変わってるしね。それこそ、チューブが毎年夏だって言って、お株奪われましたね、みたいなさ。下手すると、さようならだけどさ。だけど、僕の中での、プロデューサー山下達郎としての自分を見るあれではね『君たちね、僕が失敗の原因じゃないんだよ』って。同じ終わるんでも、違うので終わりたいんだよね。『もう34の男が、こんな曲でヒットを出せると思ってるお前らがおかしい』って。これから、山下達郎が、もし君たちが言ってるようなヒットが出せるとしたら、バラードっきゃないんだって、もうそういう年回りだし、時代もそうなんだって。だから、絶対バラードしかないんだから、バラードでダメだったら、ダメだって言ってよって。だから、バラードやりたい、バラードやりたいってずっと言ってたら、『ゲット・バック・イン・ラヴ』の仕事持って来た。これ、力入ってんのよ。これで最後の一花咲かせたるぜって。これでベスト10まで入るとは思わなかったけどね。嬉しかった。だけど、自分の自己分析は、それほど間違ってなかったと思う」「これはね、『ゲット・バック・イン・ラヴ』のヒットが、すごい力になった。夏だ海だ達郎だっていうのやっぱり俺は続けなくてよかったっていう。あのまま、『フォー・ユー』[注釈 13]の路線でずっと行ってたら、もうない。だから、それをすごい自己分析に基づいた戦略的なものっていうね、見方をされるの。新聞記者なんかには。自分で自分を演出して、自分の行く道を決められて頭いいねって。だけど、そういうんじゃねえんだ。そういうんじゃなくて、音楽的なね、パッションなんだよ、もっと」[2]と答えていた。