1653年
年
1653年(1653 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 16世紀 - 17世紀 - 18世紀 |
十年紀: | 1630年代 1640年代 1650年代 1660年代 1670年代 |
年: | 1650年 1651年 1652年 1653年 1654年 1655年 1656年 |
他の紀年法
編集カレンダー
編集できごと
編集- 4月4日 - 11月15日 - 日本・江戸時代:玉川兄弟が玉川上水を開削(1654年通水開始)
- 4月20日 - イングランド共和国:オリバー・クロムウェル、クーデターでランプ議会(長期議会)を解散。7月4日にベアボーンズ議会を召集。
- 9月26日 - 西日本一帯(九州西部から中国地方西部)が暴風雨に襲われた。徳川家綱の事蹟を記録した「厳有院殿御実紀・巻六」の承応二年八月の項に、“十三日”として“肥後熊本、洪水の注進あり。八万四千百六十石程その害蒙り。人畜多く溺死せりとぞ”。また“廿六日”として“安芸広島。長門の萩。このほど洪水の注進あり”。と記されている[1]。この暴風雨により、特に熊本では多くの死者が出た。広島市付近でも被害は大きく、死者約5,000人[2]。
- 12月12日 - イングランド共和国:オリバー・クロムウェル、ベアボーンズ議会を解散。12月16日に『統治章典』が公布され護国卿となる(-1658年)。
- ムガル帝国:タージ・マハル竣工。
誕生
編集→「Category:1653年生」も参照
- 2月17日 - アルカンジェロ・コレッリ、作曲家、ヴァイオリニスト(+ 1713年)
- 4月2日 - カンバーランド公ジョージ、デンマーク王クリスチャン5世の弟、イングランド女王アンの夫(+ 1708年)
- 5月8日 - クロード・ルイ・エクトル・ド・ヴィラール、スペイン継承戦争を指揮した軍人(+ 1734年)
- 6月1日受洗 - ゲオルク・ムッファト、作曲家(+ 1704年)
- 7月5日 - トーマス・ピット(Thomas Pitt)、貿易商人(+ 1726年)
- 7月25日 - アゴスティーノ・ステッファーニ、聖職者、外交官、作曲家(+ 1728年)
- 9月1日受洗 - ヨハン・パッヘルベル、作曲家、オルガニスト(+ 1706年)
- 月日不明 - 近松門左衛門、劇作家(+ 1725年)
- 月日不明 - フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ(François Pétis de la Croix)、東洋学者(+ 1713年)
死去
編集→「Category:1653年没」も参照
- 1月1日(承応元年12月2日) - お楽の方(宝樹院)、徳川家光の側室、徳川家綱の母(* 1621年)
- 2月19日 - ルイージ・デ・ロッシ、作曲家(* 1597年頃)
- 2月21日(承応2年1月24日) - 愛姫(陽徳院)、伊達政宗の正室(* 1568年)
- 3月24日 - ザムエル・シャイト、作曲家(* 1587年)
- 5月26日 - ロバート・フィルマー、イングランドの政治思想家(* 1588年)
- 6月1日 - リチャード・ディーン(Richard Deane)、軍人(* 1610年)
- 7月10日 - ガブリエル・ノーデ、人文学者、司書(* 1600年)
- 7月21日(承応2年6月27日) - 伊奈忠治、関東郡代(* 1592年)
- 9月3日 - クラウディウス・サルマシウス(Claudius Salmasius)、古典学者(* 1588年)
- 月日不明 - アルテミジア・ジェンティレスキ、女性画家(* 1593年)
脚注
編集- ^ 国立国会図書館・近代デジタルライブラリー「続国史大系 第11巻・徳川実紀 第3編・厳有院殿御実紀 巻六・承応二年八月 90頁~91頁」、 細川藩政史研究会編「熊本藩年表稿 74頁:承応2年」、大田報助編「毛利十一代史 第1冊・巻之四・泰厳公記・承応二:243頁」、広島市編「広島市史 第1巻・浅野氏時代(玄徳院)・第四節 承応の洪水と明暦の大火 363頁:承応の洪水」、小倉一德編、力武常次+竹田厚監修「日本の自然災害・第Ⅱ章 記録に見る自然災害の歴史・2.近世の災害 84頁:西日本暴風・洪水」[1]
- ^ 伊藤和明『明日の防災に活かす災害の歴史〈3〉安土桃山時代~江戸時代』小峰書店、2020年4月7日、12頁。ISBN 978-4-338-33703-8。