Wikipedia:削除依頼/下位香代子
このページは以下にある削除依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは編集しないでください。
議論の結果、存続 に決定しました。
特筆性が判然としない研究者の記事。国会図書館サーチでは、科研費報告書と博士論文(同一タイトル)しかヒットしません。ciniiでは55件のヒットがあるものの、ほとんど共著論文で単著は10件とみえますが、このうち大会主催者としての挨拶や、プロジェクトの概要報告など1ページのものが3件、博士論文の内容の要旨及び審査の結果の要旨が1件含まれており、純粋に単著論文とみなせるものは2ページの短鋒も含め6件のみです。そのうち3件はフラボノイドに関するものですが、記事中には特にそれへの言及はありませんので、本人の研究の中心ではないのかもしれません。結局のところ、この人物の研究者としての特筆性は業績からは見出し難いと判断しました。--山田晴通(会話) 2012年7月9日 (月) 19:05 (UTC)[返信]
- 削除 依頼者票。--山田晴通(会話) 2012年7月9日 (月) 19:05 (UTC)[返信]
- コメント 受賞暦(平成7年 研究奨励賞)はあるようです。共著も同じ研究室の榊原啓之助教授とのものが多���ようですが、実際に当たってみないと主筆者を判断できません。なにより元記事がかなりしっかり書かれていることもあって、門外漢の私では加筆はためらわれます。存続寄りのコメントとして。--LudwigSK(会話/記録) 2012年7月10日 (火) 03:55 (UTC)[返信]
- 存続 IPユーザー氏の加筆により、受賞歴や選考委員を務めたこと等で重要な研究者と看做され特筆性があると充分に示されたものと考え、存続票を投じます。--LudwigSK(会話/記録) 2012年7月26日 (木) 08:40 (UTC)[返信]
- コメント 理系の研究者は共著論文が普通では?単著論文の数のみで理系の研究者の「特筆性」を計測することは無理があると思います。--むじんくん(会話)—以上のコメントは、むじんくん(会話・履歴)氏が[2012年7月10日 (火) 07:28 (UTC)]に投稿したものです(Akatsuki444(会話)による付記)。[返信]
- 保留 現在の段階でこの記事の特筆性の有無が判断できません。この件についてはもう少し時間をかけて判断した方がいいのではと思います。一応保留票にしておきます。--Azbstks1218です(私の会話ページはこちら) 2012年7月12日 (木) 03:35 (UTC)[返信]
- 削除 ウィキペディアは名鑑ではありませんの観点から、ケースE「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」として。たしかにこの方は研究者・教育者として着実に業績を挙げられているようですが、言ってしまえば大学教授職にある人でこの程度の業績をもっているケースはそう珍しくはないと言えます。WP:NOTDIRにはひとつの目安として「その人物が複数の(ネット上あるいは印刷物による)外部典拠で特集されているか」というのが挙げられていますが、その基準を満たしているとは評価しがたいです。この記事を立ち上げたのと同一人物と思しきeMobileユーザによって静岡県立大学の教員の方々の記事がやたら沢山作成されているようなのですが、こんなかんじで全国の大学の教員(国立大学の教授だけでも2万人)の記事が片っ端から作成されるという事態は歓迎すべきことではないと思います。記事作成の敷居は高く設定されるべきでしょう。--Kojidoi(会話) 2012年7月20日 (金) 19:35 (UTC)[返信]
- コメント 自然科学系の研究者の場合、研究室単位などチームによる研究が一般的であり、「純粋に単著論文とみなせるもの」の数を基準にするのは全く意味がないと考えます。むしろ単著で済んでしまうような軽微なものより、共同で執筆する重厚な論文のほうに重要な研究業績が含まれていることは、ままあります。自然科学でノーベル賞級の研究業績を挙げた人であっても、挨拶文や書評を除けば純粋��研究業績としての単著論文を発表することはほとんどないでしょう。人文科学や社会科学などは違うのかもしれませんが、同列視するのはさすがに無理があると思います。
- なお、参考情報として、「プロジェクト‐ノート:大学#大学教員の特筆性について」にて、発表された論文数を点数化し「合計点が100点以上」に満たない研究者は削除しよう、という提案が出されたしたところ、発表媒体のレベルや論文の内容が玉石混交なのに一律点数化するのは無理だと強い反対が出された、ということがありました。わたしは反対票を投じたくともコメントしかできませんが、「純粋に単著論文とみなせるもの」を基準とした削除依頼が成立するのであれば、このさき、依頼者は自然科学系の研究者の記事に対して片端から削除依頼を提出する気ではないかと危惧しております。
- また、この人物が所属する環境科学研究所(/生活健康科学研究科)については、「生態、環境学」分野での論文引用指数(論文が引用された比率)は日本国内の全大学/全研究機関中1位(2002年〜2006年・ISI-Thomson Scientific)です。そこの専攻長であっても削除対象なら、東京大学や京都大学クラスの学科長や専攻長であっても軒並み削除対象とされかねません。(もちろん、国内1位の研究機関であっても、海外の研究機関も含めてランキングすればもっと順位は落ちるでしょうし、国内1位の研究機関の長だったとしても、それが個人の特筆性と密接な関係があるのかどうかは別途議論が必要かもしれませんが。)--111.191.3.180 2012年7月22日 (日) 06:10 (UTC)[返信]
- 単著論文云々については同意します。論文点数化の提案も馬鹿げていたと思います。しかしそれらを排除してもなお、当該人物の特筆性が見えません。専攻長とか学科長というのは教授が持ち回りで担当する役職です。その職についた経歴があるからと言ってその人物が特筆すべき業績を上げたということにはなりません。--Kojidoi(会話) 2012年7月22日 (日) 06:29 (UTC)[返信]
- コメント LudwigSKsannさんの挙げている受賞歴以外にも幾つか賞をとっているようです。たとえば、わが国の農芸化学を代表するBiosci Biotechnol Biochemに論文を発表し、そちらが論文賞を受賞しているようです(この賞は年一回、数本の論文にのみ授与されます。発行しているのは公益社団法人日本農芸化学会(創立90年ほど。会員1万1000人超)です。少人数しか属していない出来立ての小さな学会とは違い、文字通り日本の農芸化学を代表する学会と考えられます。もっとも、今度は依頼者から「地理学に比べれば農芸化学など取るに足りない」などといわれるのかもしれませんが・・・。)Biosci Biotechnol Biochemに論文が載っただけの助教、ですとか、Biosci Biotechnol Biochemに論文が載っただけの大学院生、というなら特筆性があるのか疑問視されるのは当然でしょうが、大学教授でBiosci Biotechnol Biochemから論文賞を取れるだけの研究者、とすればかなり国内でも限られると思います。また、LudwigSKsannさんの挙げている受賞歴や、共著の書籍の冊数などを考えれば、残しておいてもよさそうかと。--以上の署名のないコメントは、111.191.52.5(会話)さんが 2012年7月24日 (火) 22:52 (UTC) に投稿したものです(山田晴通(会話)による付記)。[返信]
- コメント 「専攻長とか学科長というのは教授が持ち回りで担当する役職」とのことですが、ふつう専攻長とか学科長というのは教員による選挙で決めるのではないでしょうか。--以上の署名のないコメントは、111.191.52.5(会話)さんが 2012年7月24日 (火) 22:52 (UTC) に投稿したものです(山田晴通(会話)による付記)。(←すみません、学部長や研究科長と混同して返信してしまいました。学校によりますね。この文章は取り消します)--以上の署名のないコメントは、111.191.52.5(会話)さんが 2012年7月24日 (火) 22:54 (UTC) に投稿したものです(山田晴通(会話)による付記)。[返信]
- コメントまず、「Wikipedia:善意にとる」を踏まえて、111.191.52.5さんが以上の書き込みの問題点に気付かれていないという前提で、書かずもがなのことを書いておきます。
- コメントを残す場合は署名をお願いします。「Wikipedia:署名」をご一読ください。
- 学会から「論文賞」を受けたといった特筆性の証明となり得る事実は、典拠とともに記事に反映させてください。記事に書かれなければ特筆性の検討材料になりません。
- 「「地理学に比べれば農芸化学など取るに足りない」などといわれるのかもしれませんが・・・。」というのは、IP氏の誤った思い込みに過ぎません。ネットで検索すれば簡単に分かるように、日本地理学会は会員3千人ほどで、日本農芸化学会は会員1万人規模は後者の方がはるかに大きいですし、科研費の分配といった話になれば両者の規模の格差は一層拡大するでしょう。わざわざこういう書き方をしたのでは、「依頼者」=山田が地理学というマイナーな分野の研究者であることを、IP氏が悪意をもって揶揄しているように誤解されかねません。また、仮に山田自身がこれまでにWikipedia日本語版において、あるいは他のメディアにおいて、徒に事実に基づかず他の学問分野を蔑視するような発言をしているというのであれば、以上のように書かれても仕方ないと思いますが、事実はそうではないはずです。「Wikipedia:中立的な観点」すなわち、特定の観点に偏らないよう心がけること(POV)は、ウィキペディアに参加する上で尊重されるべき最も基本的な姿勢です。山田は偶々管理者権限をお預かりしていますし、自分の振る舞いにこの論点で問題が生じないよう慎重に編集作業に当たっております。もし、山田の編集や管理者としての作業に、POVに照らして不適切な事実があると疑われるようなら(自分の学問領域と比して他の学問領域を根拠なく軽視する、というのが事実であればそれに当たります)、具体的に問題点を指摘しWikipedia:コメント依頼などの制度を活用して、コミュニティの皆さんに意見を求めてください。
- 次に上記のコメントの後半(2つめのコメント)で提起されている論点について補足しておきます。
- ごく一部の教授会が機能していないような大学は別として、日本の大学では組織の代表は教授会で決定されますが、その方法は選挙によるものとは限りません。例えば、教授会に組織の長から次期の役職者が個別に、あるいは、役職者の体制が一括して提案され(しばしば、機械的なローテーションに基づいて)それを投票せず、異議なしのひとことで承認するといったこともあり得ます。すべての組織ですべての役職を選挙(投票)しているわけではありません。また、大学によっては学部長や研究科長も同様の例によるところや、中には教授会が事実上権限を持たず、学長や理事会��指名などによって学部長が決まる例も(少数ながら)ありますし、今後は増えていく可能性もあります。現に文部科学省の審議会は、「学部長選挙を廃止し、学長が直接、学部長を任命」することの提言を検討しています。--山田晴通(会話) 2012年7月25日 (水) 01:47 (UTC)[返信]
- コメント 「「「地理学に比べれば農芸化学など取るに足りない」などといわれるのかもしれませんが・・・。」というのは、IP氏の誤った思い込みに過ぎません」「わざわざこういう書き方をしたのでは、「依頼者」=山田が地理学というマイナーな分野の研究者であることを、IP氏が悪意をもって揶揄しているように誤解されかねません」について一言言わせていただきたいのですが。今回の削除依頼において、山田氏は「純粋に単著論文とみなせるもの」を基準として削除依頼を提出したと述べています。しかし、自然科学系の場合は圧倒的多数が共著論文であるため、「純粋に単著論文とみなせるもの」を基準にすることができるとは到底思えません。したがって、山田氏は自然科学系の論文ついてはあまり詳しくないかただとお見受けしました。
- ですので、私がいくら「わが国の農芸化学を代表するBiosci Biotechnol Biochemに論文を発表し、そちらが論文賞を受賞している」「日本の農芸化学を代表する学会と考えられます」などと反論したとしても、自然科学系に詳しくない方から見れば「農芸化学なんて単に農学から派生した学問でしょ?」「農芸化学なんて単に化学から派生した学問でしょ?」「地理学に比べれば、農学や化学から派生した一分野である農芸化学など取るに足りない」「そんな学問を代表する学会の学術雑誌に載ったとしても、特筆性の根拠になどならない」と指摘されるかもしれない、と思ったからそのように書いたのです。(そのものずばりが高等学校の科目名となっている地理学に比べ、農芸化学の場合は一般の方から見て認知度が高いとはいえません。字面のせいもあるのでしょうが、農学や化学の一派生学問と扱われることが非常に多く、自然科学系になじみのない人からみると非常に誤解されやすい分野といえます。)
- したがって、私は「(自然科学系にあまり詳しいとはいえない)依頼者から「地理学に比べれば農芸化学など取るに足りない」などと(「農芸化学をあまりご存じない方」によくありがちな誤解に基づいた反論を)いわれるのかもしれませんが・・・」と推測を書いたにすぎないのですが。決して「「依頼者」=山田が地理学というマイナーな分野の研究者であることを、IP氏が悪意をもって揶揄している」などということはございません。そもそもなのですが、私の「今度は依頼者から「地理学に比べれば農芸化学など取るに足りない」などといわれるのかもしれませんが・・・」という文章を読んだ場合、読者が「山田が地理学というマイナーな分野の研究者であることを」「悪意をもって揶揄している」文章だと感じるでしょうか? とてもそうは思えません。「自然科学系に詳しくない人から見たら、農芸化学は知名度があまり高いとはいえないから、『取るに足らない学問』だと勘違いされちゃうかもしれないなー」という私の推測というか心配を書いただけであり、「山田が地理学というマイナーな分野の研究者であることを」「悪意をもって揶揄している」文章ではないのは明らかです。山田氏の被害妄想というか、深読みしすぎというか、考えすぎとしか思えません。
- もし、私の文章の中に「地理学がマイナーな学問」などという主張があったというなら謝りますし、山田氏に対して悪意を持って揶揄するかのような部分があったというなら謝ります。しかし、私のコメント内に「地理学がマイナーな学問」だという主張もなく、山田氏に対して悪意を持って揶揄するかのような部分がないのであれば、山田氏は発言を取り消してください。「「依頼者」=山田が地理学というマイナーな分野の研究者であることを、IP氏が悪意をもって揶揄している」などという指摘は、たいへん不穏当な発言であり、耐え難い侮辱であると感じました。--114.48.26.193 2012年7月26日 (木) 08:56 (UTC)[返信]
- コメント困りましたね。いろいろ誤解を重ねられているように思うのですが、山田は曲がりなりにも地学系の学会にも多少は関わっており(東京地学協会、日本地球惑星科学連合の会員であり、土木学会の査読に非会員として協力したこともあります)、理系の世界も無縁ではありません。このことは公開されている山田の履歴からもご了解いただけることであると思います。自然科学者ではありませんが、人文系ないし社会科学系の研究者としては自然科学分野に理解をもっている自負もあるのですが、自然科学に無知であるかのように断じられるのは不徳の致すところと申し上げるよりほかありません。
- また、お書きになった文言は、「自然科学系に詳しくない人から見たら、農芸化学は知名度があまり高いとはいえないから、『取るに足らない学問』だと勘違いされちゃうかもしれないなー」という私の推測というか心配を書いただけであり、「山田が地理学というマイナーな分野の研究者であることを」「悪意をもって揶揄している」文章ではないのは明らかです。」といえるほど、意図が「明らか」であるとは思えません。テキストは常に多様な読み手によって多様な解釈に開かれています。私自身は上記の114.48.26.193さんの率直なご認識に、そんなお気持ちで書かれたのかあ〜と納得ができますが、「Wikipedia:善意にとる」がわざわざ掲げられているのは、コミュニティには誤読や過剰な深読みをする方々もおいでになることを前提に文章が書かれるべきであるからです。上記に文章をきちんと読んでいただければ、山田が指摘してるのは深読みの可能性であり、自分がそのように受け止めたとは述べておらず、不穏当な文言であるとも思いません。また、114.48.26.193さんを侮辱する意図はまったくありません。もしそのように114.48.26.193さんが誤読され、不愉快に思われたのであればそれは残念なことであるとは思いますが、撤回までする必要はないように思います。ご再考いただければ幸いです。--山田晴通(会話) 2012年7月26日 (木) 09:59 (UTC)[返信]
- コメントまず、「Wikipedia:善意にとる」を踏まえて、111.191.52.5さんが以上の書き込みの問題点に気付かれていないという前提で、書かずもがなのことを書いておきます。
- 単著論文云々については同意します。論文点数化の提案も馬鹿げていたと思います。しかしそれらを排除してもなお、当該人物の特筆性が見えません。専攻長とか学科長というのは教授が持ち回りで担当する役職です。その職についた経歴があるからと言ってその人物が特筆すべき業績を上げたということにはなりません。--Kojidoi(会話) 2012年7月22日 (日) 06:29 (UTC)[返信]
- 存続 依頼者の削除に関する基準に疑問があるので。IP氏が依頼者の中立性に疑念を持ったとしても頷けますね。この記事が削除されるべきだとするならば、依頼者がかなり以前からその存在を認識している筈の山田晴通はどうなんでしょうか?失礼ながら、単著なし、共著も下位氏より少ない、受賞暦なしですよね。第三者の評価といっても予備校のサイトだけ。私にはダブルスタンダードとしか見えないのですが、その辺の整合性について如何お考えなんでしょうか?--uaa(会話) 2012年7月25日 (水) 16:58 (UTC)[返信]
- 存続 依頼者の山田晴通さんの出される削除依頼にはこれまでも何度か異議を提出してきましたが、今回も十分に説得的な反論をいただけませんでした。私は、2012年7月10日 (火) 07:28 (UTC)のコメントにおいて(署名忘れをお詫びします)、理系の研究者の特筆性の判断基準について単著論文の数だけ見ても意味がないのではないかと指摘し、その後も他の方から同趣旨のご意見が提出されましたが、そのことに対する直接のお答えはいただいておりません。IP氏の指摘に対し一部の文言をことさらに取り上げご自身の研究分野である地理学を揶揄された曲解して反発されているのは、あまりスマートだと思えませんし、本件削除議論の本筋から逸脱していると言わざるを得ません。現時点では、依頼者の提示した基準に疑問があり、現状の記事を見る限り受賞歴や学内外での役職歴もあることから、削除には及ばないものと判断し、存続票を投じます。なお、Uaaさんがじゃあ山田晴通の特筆性はどうなのか、とおっしゃっていますが、これこそここで議論すべき話ではなく、ノートで提議するか削除依頼を提出するかすべき話です。--むじんくん(会話) 2012年7月25日 (水) 21:41 (UTC)[返信]
- コメント むじんくんさんのご指摘は本質的なものであると考えますし、お答えをしておくべきであると思います。おもな論点は2つあります。
- まず著書があるか、単著か共著か、といった形式的な業績評価が研究者の本質的な評価とストレートに結びつかないということは重々承知しております。その上で、従来のウィキペディアの議論においては、そうした形式的条件の根拠を示して議論をすることが重ねられてきたことを踏まえ、最初の削除依頼を提起しています。そのような見方が、ごくごく限られた有効性しかもたない物差しであることは承知した上で、それ以外に有効な尺度がなければそれを使うほかないという理由で提示している論点です。 それ以外に、この人物について何を判断の根拠とべきなのか、むじんくんさんのご意見を伺いたいですし、(単著の著作2冊程度...などという基準になじまない)理系の研究者について特筆性をどう判断すべきか、詳しくご意見を伺いたいと思います。
- とりあえずコメントでは、特筆性の根拠として「受賞歴や学内外での役職歴」が挙げられていますが、山田が削除依頼を提起した時点の版では、受賞歴や学外の役員歴の記述はありませんでした。記事の特筆性は、ある程度は将来の記事の成長の可能性も加味して判断すべきでありましょうが、基本的には記事中にその特筆性が記述されるべきです。実際、削除の議論を提起して以降、この記事の内容は充実してきていると思います。 むじんくんさんが特筆性の根拠とされる記述(山田の立場から見ても日本農芸化学会紀要の論文賞は評価に価すると思います:ただしそれだけで特筆性が担保されているのかといわれると疑問ですが)も、削除依頼の提起後に加筆されたものであり、削除依頼がなければこの人物の特筆性は示されていなかったのではないでしょうか。これまでにも、同様に削除依頼を出した事例において、山田は適切な加筆によって充実した記事について提起自体を取り下げて即時存続を求めることがしばしばありました。本件の人物については、十分な特筆性があると言い切れるか、依然として疑問が残りますので削除票は撤回しませんが、最初からこの程度の内容の記述があれば、グレーゾーンと判断して削除依頼を提起するまでにはいたらなかったかもしれないと思います。
- ちなみに、少なくともリアルな山田は、体型も性格も「スマート」とはほど遠いです。--山田晴通(会話) 2012年7月26日 (木) 05:25 (UTC)[返信]
- 早速にご回答いただきありがとうございます。直接の削除議論からはやや外れてきましたので、ノートに場所を移してお答えいたします。--むじんくん(会話) 2012年7月26日 (木) 06:30 (UTC)[返信]
- コメント むじんくんさんのご指摘は本質的なものであると考えますし、お答えをしておくべきであると思います。おもな論点は2つあります。
- コメント 今度は「山田の立場から見ても日本農芸化学会紀要の論文賞は評価に価すると思います」などと発言していますが、Bioscience, Biotechnology, and Biochemistryが「紀要」なわけがないでしょう。査読付き学術誌への論文掲載と「紀要」への論文掲載とでは、その評価にも大きな違いが生じるのは自明だと思います。なにゆえ査読つき学術誌を「紀要」呼ばわりなさるのか、その理由をお聞かせ願えるでしょうか。--114.49.58.59 2012年7月26日 (木) 15:24 (UTC)[返信]
- コメント 誤読のご指摘ありがとうございました。「Bioscience, Biotechnology, and Biochemistry」 の日本語版記事の記述に、前身誌の日本語名称「日本農芸化学会紀要」があったのを、現在も日本語名称はこの名称であるものと誤読しておりました。ちなみに、「紀要」の名称があるからといって「紀要」で説明されているようなものばかりでないことは、数は多くはありませんが、上記の前身誌の例でも、また(Google で "学会紀要" を検索すると明らかなように)そこそこの数の事例がありますことからも、ご理解いただけるのではないかと存じます。「呼ばわり」というのは、114.49.58.59さんの思い込みによる誤解であると思います。ご再考ください。--山田晴通(会話) 2012年7月27日 (金) 02:00 (UTC)[返信]
- コメント 今度は「山田の立場から見ても日本農芸化学会紀要の論文賞は評価に価すると思います」などと発言していますが、Bioscience, Biotechnology, and Biochemistryが「紀要」なわけがないでしょう。査読付き学術誌への論文掲載と「紀要」への論文掲載とでは、その評価にも大きな違いが生じるのは自明だと思います。なにゆえ査読つき学術誌を「紀要」呼ばわりなさるのか、その理由をお聞かせ願えるでしょうか。--114.49.58.59 2012年7月26日 (木) 15:24 (UTC)[返信]
- コメント学会賞を受賞歴を存続判断の拠り所にする意見が出ていますが、大いに疑問です。BBBの受賞対象となったのは下位氏ではなく、別の人が筆頭筆者です。下位氏の名前は7番目に登場します。こういう場合、その仕事を実際に進めたのは筆頭筆者、そのスーパーバイザーが最後の筆者。中間に登場する「筆者」は、データを提供したとか技術支援したとか、限定的に関与しているの過ぎないのが普通です。調べてみると当該論文はどうやら博士論文作成の一環として実施した研究を論文にして投稿したもののようです。この仕事はその元大学院生氏の業績であって、下位氏自身の特筆性を物語る業績と見るのは相当無理があるでしょう。ましてやBBB誌のインパクトファクターは1をちょっと超える程度で、「わが国の農芸化学を代表」しているにしては寂しい数値です。日本環境変異原学会の方も、失礼ながらそれほど高名な学会には見えません。学会賞の類は大小問わずどこの学会でもたいてい授与していますが、受賞歴云々を言うならノーベル賞とまでは言わないまでも、その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというものでないと不足だと思います。--Kojidoi(会話) 2012年7月28日 (土) 04:12 (UTC)[返信]
- コメント 「受賞歴云々を言うならノーベル賞とまでは言わないまでも、その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというものでないと不足」とのことですが、あまりにも極論でしょう。政治化の記事でいえば「元首級や首相級以外は全て消せ」といっているレベルの話しであり、賛同できません。たとえば、恩賜賞、日本学士院賞、日本学術振興会賞、日本IBM科学賞といった賞は「その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというもの」とはいえませんし、文化勲章、文化功労者といった栄典も「その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというもの」とはいえないでしょう。しかし、恩賜賞受賞者クラスや文化勲章受章者クラスであれば、はっきりいって即時記事作成してもかまわないレベルだと思います。「恩賜賞 (日本学士院)」の「歴代受賞者」欄を見ると、その赤リンクの多さに唖然とするばかりですが、今後はこれらの学者も当然収録していくべきだと思います。ウィキペディア日本語版の政治家やAV女優の記事の基準に比べ、学者の記事の基準があまりにも高くなりすぎているのではないか。--114.49.48.63 2012年7月28日 (土) 05:39 (UTC)[返信]
- 当該人物がそういった賞に値するほどの人物だというなら、その論拠を持って出直してきてください。ほんとうにそうなら特筆すべき文化人として立稿も考えられないではないですが、それほどの人物ならそれ以前にその業績にふさわしい賞を別に受賞しているんじゃないですかね。そうでないなら当該記事の削除議論とは無関係です。
- また、再度言いますがウィキペディアは名鑑ではありません。赤リンクが多かろうが何も問題はありません。学者の記事の基準が高すぎるのではなく、AV女優の基準が低すぎるだけです。
- さて、上で山田さんからも苦言を呈されていますが、本題と関係ない話題、それも当てこすりか邪推の所為としか思えない話題を次々持ちだして論点を拡散するのは止めてください。常軌を逸した告知テンプレートといい、井戸端での細かい議論の乱発といい、すべてemobileのIPであるところを見ると、あなたはこの記事の初版執筆者ですよね。そろそろあなたに対するコメント依頼が必要ではないかと考えつつあるところです。--Kojidoi(会話) 2012年7月28日 (土) 08:28 (UTC)[返信]
- コメント 「山田さんからも苦言を呈されていますが、本題と関係ない話題、それも当てこすりか邪推の所為としか思えない話題を次々持ちだして論点を拡散するのは止めてください」とのことですが、本題と関係ない話題や邪推を繰り返しているのは山田氏だとしか思えませんが、いかがですか。
- 私「もっとも、今度は依頼者から「地理学に比べれば農芸化学など取るに足りない」などといわれるのかもしれませんが・・・。」⇒山田氏「山田が地理学というマイナーな分野の研究者であることを、IP氏が悪意をもって揶揄しているように誤解されかねません」
- 農芸化学が知名度がないため、重要性や特筆性にご理解いただけないかと危惧してのコメントであり、地理学がマイナーなどと揶揄する発言でないのは明らか。明らかに曲解。
- Kojidoi氏「専攻長とか学科長というのは教授が持ち回りで担当する役職」⇒私「専攻長とか学科長というのは教員による選挙で決めるのではないでしょうか」⇒山田氏「ごく一部の教授会が機能していないような大学は別として、・・・」
- 私は山田氏が発言するよりも前に「学校によりますね。この文章は取り消します」と述べ発言を取り消したにもかかわらず、山田氏が長講釈を開始。Kojidoi氏の発言が誤りであるのは明らかですが、だからといってここで山田氏がここまで詳細に述べる必要があるでしょうか。私も自分の発言を取り消していますし、論点がずれていると思います。
- 私「山田氏の本来の目的は、記事「山田晴通」を削除することにあるのでしょうか?」⇒山田氏「山田の意図をどう解釈されようともそれはご自由ですが、少なくとも小谷野敦氏はまったく異なる理解をされているようです・・・」
- 山田氏が当記事をはじめとする学者関連の削除依頼を短期間で連発されているため、ご自身の記事の削除を望んでいるのか質問したところ、全く無関係の小谷野敦氏の編集内容を持ち出す。
- むじんくん氏「理系の研究者は共著論文が普通では?単著論文の数のみで理系の研究者の「特筆性」を計測することは無理があると思います」⇒私「自然科学系の研究者の場合、研究室単位などチームによる研究が一般的であり、「純粋に単著論文とみなせるもの」の数を基準にするのは全く意味がない」⇒山田氏一切答えず⇒むじんくん氏再度答えるよう促す⇒山田氏「単著か共著か、といった形式的な業績評価が研究者の本質的な評価とストレートに結びつかないということは重々承知しております」「(単著の著作2冊程度...などという基準になじまない)理系の研究者について特筆性をどう判断すべきか、詳しくご意見を伺いたい」
- 山田氏は理系の研究者について「(単著の著作2冊程度...などという基準になじまない)」と重々承知していたにもかかわらず、削除依頼の根拠として「純粋に単著論文とみなせるものは2ページの短鋒も含め6件のみ」を挙げている。理系の研究者にとって単著論文の数が意味がないとわかっていながら、それを理由に削除依頼を出すという確信犯的行為。
- むじんくん氏「一部の文言をことさらに取り上げご自身の研究分野である地理学を揶揄された曲解して反発されているのは、あまりスマートだと思えません」⇒山田氏「リアルな山田は、体型も性格も「スマート」とはほど遠いです」
- 全く無関係。論外。
- むじんくん氏「自然科学系では研究発表の形式として、共著での発表が原則ですので、単著の著書や論文の数のみで判断することは、そもそも妥当でない」⇒山田氏「人文/自然系という単純な対立構造が持ち込まれていますが、「自然科学系では研究発表の形式として、共著での発表が原則」と言い切ってしまうと自然科学の中の分野による慣習の差異を塗りつぶすことにつながりかねない」
- むじんくん氏が「自然科学系について単著論文数で特筆性を判断するのは無理があるよ!」と指摘したのに対して、山田氏が「自然科学系であっても単著論文が原則の分野だって存在するよ!」と反論している構図ですが、明らかに論点がずれています。仮に自然科学系で単著論文が原則の分野が存在するとしても、自然科学系全てが単著論文が原則だというわけではないのですから、単著論文数で判断するのが無理なことに変わりはありません。論点は「自然科学系において、単著論文数で特筆性が判断できるのか?」のはずで、「自然科学系において、単著論文が原則の分野は存在するのか?」ではありません。山田氏の反論は明らかにかみ合っていないと思います。
- いずれにせよ、私の発言を曲解し、自分の専攻をマイナーだと揶揄されたなどと言いがかりをつけてきたり、全く関係ない小谷野敦氏の話題を持ち出してきたり、自分の体型について発言し始めたり、と議論かく乱使用としているのは(無自覚なのかもしれませんが)山田氏であるのは明らかです。また、単著論文数で判断できないと事前にわかっていながら、単著論文数を理由に削除依頼を提出するなど、整合性を欠く言動が見られますし、論点をずらそうとしているのも明らかです。--114.48.163.117 2012年7月28日 (土) 13:55 (UTC)[返信]
- コメント 「山田さんからも苦言を呈されていますが、本題と関係ない話題、それも当てこすりか邪推の所為としか思えない話題を次々持ちだして論点を拡散するのは止めてください」とのことですが、本題と関係ない話題や邪推を繰り返しているのは山田氏だとしか思えませんが、いかがですか。
- コメント 「受賞歴云々を言うならノーベル賞とまでは言わないまでも、その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというものでないと不足」とのことですが、あまりにも極論でしょう。政治化の記事でいえば「元首級や首相級以外は全て消せ」といっているレベルの話しであり、賛同できません。たとえば、恩賜賞、日本学士院賞、日本学術振興会賞、日本IBM科学賞といった賞は「その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというもの」とはいえませんし、文化勲章、文化功労者といった栄典も「その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというもの」とはいえないでしょう。しかし、恩賜賞受賞者クラスや文化勲章受章者クラスであれば、はっきりいって即時記事作成してもかまわないレベルだと思います。「恩賜賞 (日本学士院)」の「歴代受賞者」欄を見ると、その赤リンクの多さに唖然とするばかりですが、今後はこれらの学者も当然収録していくべきだと思います。ウィキペディア日本語版の政治家やAV女優の記事の基準に比べ、学者の記事の基準があまりにも高くなりすぎているのではないか。--114.49.48.63 2012年7月28日 (土) 05:39 (UTC)[返信]
- 「井戸端での細かい議論の乱発」というのは、現在山田氏も参加されている井戸端の複数の議論のことですね。Kojidoi氏のおっしゃるとおり、「Wikipedia:井戸端/subj/伝記記事の「略歴」セクションは不要との風潮」は私が提起したセクションです。また、こちらの削除依頼で発言しているIPも、私です。ただ、脚注の段組についての議論は私ではありません。1段なのか2段なのか3段なのかは分量や分野によっても違うでしょうし、一律統一などできるはずがなく見た目の問題も絡むため、ナンセンスな議論。また、初版についても私ではありませんが、B.B.B.に関連する記述を加筆したのは私です。--114.48.163.117 2012年7月28日 (土) 13:55 (UTC)[返信]
- >関係ない話題や邪推を繰り返しているのは山田氏だとしか思えませんが、いかがですか。
いや、どう見てもそれはあなた一人でしょう。山田さんは仕方なく反応を返しているだけだ。無視すればしたで対話拒否とか言われかねないですからね。で、論文賞の対象論文が別の人の業績であるとの私の指摘への反論や、下位氏が恩賜賞だか文化勲章だかの受賞者に比肩するほどの特筆すべき人物であることの論拠はないのですか? わけのわからん反論を返している間があったら、とっとと本筋の反論をしてください。--Kojidoi(会話) 2012年7月28日 (土) 14:19 (UTC)[返信]- コメント本件の削除依頼を含め、山田の編集姿勢が問題をはらむものであるという論点については、この削除依頼の本題から逸脱しているおそれが強くなっています。自らコメント依頼を提出しましたので、関連する議論は「Wikipedia:コメント依頼/山田晴通」でお願いいたします。--山田晴通(会話) 2012年7月28日 (土) 17:47 (UTC)[返信]
- >関係ない話題や邪推を繰り返しているのは山田氏だとしか思えませんが、いかがですか。
- コメント 「いや、どう見てもそれはあなた一人でしょう。山田さんは仕方なく反応を返しているだけだ」といっていますが、それが事実でないことは上を見れば明らかです。誰も話題にしていない小谷野敦氏の件を最初に持ち出したのは山田氏ですし、学部長云々の話は最初にKojidoi氏が「専攻長とか学科長というのは教授が持ち回りで担当する役職」などと虚偽を主張し始めたので山田氏が解説をする羽目になったのですし(私はKojidoi氏の誤りを指摘しましたがその後すぐに発言を取り消していますから、ノータッチです)、むじんくん氏の指摘に対して体型の話題を持ち出したのは山田氏のほうからです。「山田さんは仕方なく反応を返しているだけだ」といっていますが、自分から話を持ち出しておいて仕方ないも何もないですし、私は全く関係していないときにもそのような話がなされています。そんなことは履歴を見ればすぐにわかることですから。「いや、どう見てもそれはあなた一人でしょう。山田さんは仕方なく反応を返しているだけだ」なんて事実とことなることをいってもすぐにばれてしまいますよ。--114.48.64.124 2012年7月30日 (月) 06:22 (UTC)[返信]
- いやあ、ここまで妄言を恥ずかしげもなく上塗りできるとは大したものですね。どちらの言い分が的を射ているかは、大抵の人には明白だと思いますよ。で、本筋に対する反論はないのですね。では私としては自分の主張を維持するまでです。--Kojidoi(会話) 2012年7月30日 (月) 13:19 (UTC)[返信]
- コメント 「いや、どう見てもそれはあなた一人でしょう。山田さんは仕方なく反応を返しているだけだ」といっていますが、それが事実でないことは上を見れば明らかです。誰も話題にしていない小谷野敦氏の件を最初に持ち出したのは山田氏ですし、学部長云々の話は最初にKojidoi氏が「専攻長とか学科長というのは教授が持ち回りで担当する役職」などと虚偽を主張し始めたので山田氏が解説をする羽目になったのですし(私はKojidoi氏の誤りを指摘しましたがその後すぐに発言を取り消していますから、ノータッチです)、むじんくん氏の指摘に対して体型の話題を持ち出したのは山田氏のほうからです。「山田さんは仕方なく反応を返しているだけだ」といっていますが、自分から話を持ち出しておいて仕方ないも何もないですし、私は全く関係していないときにもそのような話がなされています。そんなことは履歴を見ればすぐにわかることですから。「いや、どう見てもそれはあなた一人でしょう。山田さんは仕方なく反応を返しているだけだ」なんて事実とことなることをいってもすぐにばれてしまいますよ。--114.48.64.124 2012年7月30日 (月) 06:22 (UTC)[返信]
- コメント さて、いろいろな議論の中で特筆性ありとして存続を主張される側のおもな論点は、最後に存続票を投じられたLudwigSKさんが理由とされている「Pユーザー氏の加筆により、受賞歴や選考委員を務めたこと等で重要な研究者と看做され特筆性があると充分に示されたものと考え、存続票を投じます」というコメントに集約されると思います。つまり、「受賞歴」と「選考委員」が特筆性の根拠となるかという点を、特筆性の証明にならないという立場から検討してみます。
- 「受賞歴」とあるのは、日本環境変異原学会研究奨励賞(1995年)、日本水処理生物学会論文賞(2000年)、BBB論文賞(2010年)の3件かと思いますが、最初の1件は若手の奨励賞であり、優れた研究者のエピソードのひとつではあっても、それによって研究者の特筆性が支えられるものではないと思います。日本水処理生物学会論文賞の受賞対象となった論文「環境微生物を用いたコメットアッセイ操作条件の実験的検討 / Applicability of Environmental Microorganisms to Alkaline Single Cell Gel Electrophoresis (Comet) Assay」は、6名の連名で、著者名は50音順でもABC順でもなく下位氏は5人目の著者となっています。また、BBB論文賞の受賞対象となった論文「環境微生物を用いたコメットアッセイ操作条件の実験的検討 / Applicability of Environmental Microorganisms to Alkaline Single Cell Gel Electrophoresis (Comet) Assay」は、9名の連名で、著者名は50音順でもABC順でもなく下位氏は7人目の著者となっています。連名論文が学会の論文賞を受賞したのが事実であるとして、それが下位氏の特筆性を十分に立証するとまでいえるのでしょうか? ちなみに、静岡県立大学 食品栄養科学部 食品生命科学科大学院 生活健康科学研究科食品分子工学研究室のサイトにあるトピックスのページでは、「加藤綾子さんが論文賞を受賞」の見出しでこの受賞を伝えており、筆頭著者の業績という観点がここでは貫かれています。一般的に、共著論文は、50音順、ABC順などで著者名を並べる場合以外には、貢献度の大きい者を先頭に(筆頭著者)、以下、貢献度が下がる順に指名を並べていくことが一般的であると思います(農芸化学分野のこれとは異なる独自の習慣があるということであれば話は別ですが)。下位氏が、優秀な同僚(日本水処理生物学会論文賞の筆頭著者である岩堀惠祐氏)や、教え子(BBB論文賞の筆頭著者である加藤綾子氏)を持った恵まれた方であることは、これらの受賞歴からよく分かりますが、それによって下位氏の特筆性が証明されていると言えるのでしょうか?
- 「選考委員を務めた」とあるのは、静岡県磐田市の財団法人食品農医薬品安全性評価センターが出している望月喜多司記念賞の選考委員を務めたことを指しているようです(平成23年度 (第26回) 望月喜多司記念賞候補者推薦要領)。下位氏のほかに選考委員を務めたのは、赤堀文昭、三森国敏、松本一彦の3氏です。さて、ここまでの記述で赤リンクはどれくらいあるのでしょうか。特筆性のない組織が授与している賞の選考に当たったことがあることはある研究者の特筆性を支えるのでしょうか? ネット上には望月喜多司記念賞受賞者の一覧があります。この受賞者の中に既に特筆性が認められた、ウィキペディア日本語版に記事がある方はどれくらいおいでなのでしょうか? 試みに、第24回(平成21年度)以降、最近3年間のすべての受賞者の氏名を列挙し、リンクを張ると次のようになります。上野民夫、横井喬、山口勇、藤村真、米山弘一、古田賢次郎、宮下正弘、吉田隆延、牧野俊彦、浅見忠男、田村廣人、永堀博久、横山淳史、稲生圭哉、水沼章、塩月孝博、冨澤元博、種谷良貴、山根久和。こうした方々へ贈る賞が無意味であるなどと主張するつもりは毛頭ありませんが、その賞の選考に関わることが特筆性を支えるとは考えにくいのではないでしょうか?--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 09:39 (UTC)[返信]
- 受賞者の氏名を列挙したら赤リンクだらけだから特筆性が無いとは言えないでしょう。本来あって然るべき記事がまだ立項されていないとも考えられます。そもそも、賞の軽重とか言い出したらキリがないですね。逆に、こんなに長々と「特筆性に価する賞ではない」的な意見を展開してまで削除するような記事ではないと思いますね。かつては「大学教授だから」って理由だけで存続になってたのに、何時から「その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというものでないと不足」だなんて基準が出来たんですか?一部の人が勝手にそう思ってるだけでしょう。削除に必死になる人達の思考回路が理解できません。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 11:07 (UTC)[返信]
- コメント 「かつては「大学教授だから」って理由だけで存続になってた」というのは事実なのですか? もしそうであったなら、「ウィキペディアは大学教員に関しては名鑑です」というような状況だったということなのでしょうか。私はまだ3年余りしか編集経験がありませんので、それ以前のことは存じておりません。いつごろまで、「かつて」のような状態があったのでしょうか? ご教示いただければ幸いです。--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 11:25 (UTC)[返信]
- それこそWikipedia:削除依頼/Love solfege#山田晴通ですよ。「教授なので博士論文なり学術誌への寄稿なりは十分に書けるはず」なんて意見で存続になってますね。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 11:38 (UTC)[返信]
- コメントそうでしょうか? この議論では「とりあえず加筆待ち。教授なので博士論文なり学術誌への寄稿なりは十分に書けるはず。」という意見がありますが、「「大学教授だから」って理由だけで存続」を主張しているわけではなく、業績を加筆できるのではないかという予測を述べている意見ではありませんか? 説得力があるのは存続票は、むしろその次に出されていた意見、「大学入試センター委員教科科目第一委員会委員、教科用図書検定審議会委員というのは特筆すべき事柄と判断できます。」であるように見えますが、いかがでしょう。いずれにせよ、「Wikipedia:削除依頼/Love solfege#山田晴通」の議論は「「大学教授だから」って理由だけで存続に」なった事例ではありませんね。もっと適切な事例をお示しいただかないと、「かつては「大学教授だから」って理由だけで存続になってた」が誤った記述であるように思われます。より適切な事例をお示しください。--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 12:42 (UTC)[返信]
- それこそWikipedia:削除依頼/Love solfege#山田晴通ですよ。「教授なので博士論文なり学術誌への寄稿なりは十分に書けるはず」なんて意見で存続になってますね。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 11:38 (UTC)[返信]
- コメント 「かつては「大学教授だから」って理由だけで存続になってた」というのは事実なのですか? もしそうであったなら、「ウィキペディアは大学教員に関しては名鑑です」というような状況だったということなのでしょうか。私はまだ3年余りしか編集経験がありませんので、それ以前のことは存じておりません。いつごろまで、「かつて」のような状態があったのでしょうか? ご教示いただければ幸いです。--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 11:25 (UTC)[返信]
- 受賞者の氏名を列挙したら赤リンクだらけだから特筆性が無いとは言えないでしょう。本来あって然るべき記事がまだ立項されていないとも考えられます。そもそも、賞の軽重とか言い出したらキリがないですね。逆に、こんなに長々と「特筆性に価する賞ではない」的な意見を展開してまで削除するような記事ではないと思いますね。かつては「大学教授だから」って理由だけで存続になってたのに、何時から「その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというものでないと不足」だなんて基準が出来たんですか?一部の人が勝手にそう思ってるだけでしょう。削除に必死になる人達の思考回路が理解できません。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 11:07 (UTC)[返信]
- 「大学教授だからって理由だけで存続」というのは大げさな表現だったかもしれませんが、「教授なので記事の成長は充分に見込める」という存続理由は認められていたことは確かですよね。その辺をあなたは考えずに性急な削除依頼や管理者として削除処理しているんじゃないかっていうことなんですよ。大学入試センター委員教科科目第一委員会委員や教科用図書検定審議会委員は特筆すべき事柄であり、日本フードファクター学会理事や財団法人食品農医薬品安全性評価センター評議員は特筆性なしという基準がどこから出てきたんだかも分かりませんね。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 12:58 (UTC)[返信]
- コメント実際に当時判断した当事者ではありませんので、断定的なことまでは承知しておりませんが、文部科学省の本省の仕事(教科用図書検定審議会委員)や、独立行政法人(大学入試センター)の仕事と、民間の財団法人や任意団体の学会の仕事の違いは考慮されるのではないかと思います。--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 13:45 (UTC)[返信]
- 「大学教授だからって理由だけで存続」というのは大げさな表現だったかもしれませんが、「教授なので記事の成長は充分に見込める」という存続理由は認められていたことは確かですよね。その辺をあなたは考えずに性急な削除依頼や管理者として削除処理しているんじゃないかっていうことなんですよ。大学入試センター委員教科科目第一委員会委員や教科用図書検定審議会委員は特筆すべき事柄であり、日本フードファクター学会理事や財団法人食品農医薬品安全性評価センター評議員は特筆性なしという基準がどこから出てきたんだかも分かりませんね。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 12:58 (UTC)[返信]
(上の発言の補足)こういうことを言うと、すぐにWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは名鑑ではありませんを持ち出す人が出てくるでしょうが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんというのもありますね。それ以前に、そのような削除意見はルールの拡大解釈であり乱用ですね。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 11:30 (UTC)[返信]
- コメント 私のコメントを引き合いに出されておりますので、簡単にお答えいたします。まず、望月喜多司記念賞そのものがどのような位置づけにあるか、最初のコメントの通り門外漢で専門知識の無い私には評価できません。ただその選考委員を務めたことは、同じ専門分野の学者から重要人物であると目されている証左であると思量した結果、存続票を投じるに至りました。賞の軽重は判断の外にあります。奨励賞についても同じで、その専門内では良い評価を与えられている方なのであろうと。それから論文賞については、せっかくお調べになったのですから、主執筆者が別の方であるのならそのように加筆なされば良いのではないでしょうか。--LudwigSK(会話/記録) 2012年7月30日 (月) 11:41 (UTC)今これ書き込むのに、3回も競合しましたよ…。[返信]
- ご助言ありがとうございました。加筆を検討します。--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 12:42 (UTC)[返信]
- 論文賞については二つの観点から疑義を表明しています。一つ目は論文賞そのもののがその受賞人物の特筆性を物語るに足るかという点であり、もう一つは、当該論文が本当に下位氏自身の業績と言えるのかという点です。「7番目にリストされている筆者」がどのような位置づけとみなしうるかは既に私と山田さんが指摘したとおりです。ありていにいってそれらの論文は「別の人の業績」です。それを下位氏自身の特筆性の評価の拠り所にするとは、それらの仕事の真の実行者である加藤綾子氏らに失礼というものではないでしょうか。この観点からも存続判断は不適切と考えますので、ぜひ正しく考え直していただきたい。なお「ウィキペディアは規則主義ではありません」は、都合の悪いルールは無視して良いという意味合いではありませんし、最初に提示した目安「その人物が複数の(ネット上あるいは印刷物による)外部典拠で特集されているか」から見ても、ルールの乱用との指摘は失当ですね。反論があるなら信頼できる外部典拠を持ってきていただきたいものです。--Kojidoi(会話) 2012年7月30日 (月) 13:19 (UTC)[返信]
- コメント 私のコメントを引き合いに出されておりますので、簡単にお答えいたします。まず、望月喜多司記念賞そのものがどのような位置づけにあるか、最初のコメントの通り門外漢で専門知識の無い私には評価できません。ただその選考委員を務めたことは、同じ専門分野の学者から重要人物であると目されている証左であると思量した結果、存続票を投じるに至りました。賞の軽重は判断の外にあります。奨励賞についても同じで、その専門内では良い評価を与えられている方なのであろうと。それから論文賞については、せっかくお調べになったのですから、主執筆者が別の方であるのならそのように加筆なされば良いのではないでしょうか。--LudwigSK(会話/記録) 2012年7月30日 (月) 11:41 (UTC)今これ書き込むのに、3回も競合しましたよ…。[返信]
- 相手に信頼できる外部典拠を要求する前に、これまでに相手が提示した論拠を無効とする基準がどこに存在するのか提示するのが筋でしょう。「その人物が複数の(ネット上あるいは印刷物による)外部典拠で特集されているか」とかも特筆性の基準のひとつに過ぎず、絶対にクリアしなければならないものではありません。そもそも、どの賞はOKでどの賞は駄目という明確な基準があるのですか?それがなければ、「最初に提示した目安」とやら自体もがあなたの脳内基準でしかないので、それに対応する外部典拠を出す必要なんて微塵もありませんね。再度言いますがこれはルールの乱用です。”発展の見込みのない記事とは言い切れない”という観点からも存続とするのが妥当でしょう。一部修正--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 15:04 (UTC)[返信]
- コメント 結局のところ、uaaさんは、共著者のひとりとして論文賞を2回受けたこと、何らかの「賞」の選考者のひとりであること、という事実によって、下位氏の特筆性が既に十分証明されているとお考えなのでしょうか? それとも、現時点では証明されていないが「発展の見込みのない記事とは言い切れない」とお考えで存続を主張されているのでしょうか? 明確にお答えいただければ幸いです。--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 16:53 (UTC)[返信]
- 両方です。受賞暦に関する特筆性の基準が存在しないのに、「この程度じゃ駄目」とか勝手に言われても同意できませんし、あなたの��急な依頼や処理には成長の可能性という観点が全く無視されているように見受けらるということです。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 17:16 (UTC)[返信]
- コメント少し遡って読み直してみたのですが、上でuaaさんは、「削除に必死になる人達の思考回路が理解できません。」と仰っていますが、もしかすると山田が「削除に必死にな」っている、あるいは、「性急な依頼や処理」を求めている、と誤解されていませんか? 依頼の冒頭を見ていただきたいのですが、山田が求めているのは、この人物の特筆性の証明です。下位氏は何が特筆に価するのかを伺っているのであって、必死に削除を求めているわけでも、性急な処理を求めているわけでもありません。そのように誤解される記述がどこかにあるのでしょうか? もし、そのように誤解させる山田の記述があるのなら具体的にご指摘ください。このページに馴染まないとお考えであれば、山田の会話ページでも、コメント依頼でも結構です。「Wikipedia‐ノート:削除依頼/下位香代子」をお読みいただければ、お分かりのように、この依頼は特筆性を示唆する記述がまったくない時点で提起されています。その後、受賞歴、選考委員等の経歴が加筆され、記事は改善されていると思います。しかし、上で検討したように、多数の共著者の順序が遅いひとりとして受賞することや、関係する組織、人名の(現時点ではまったく)記事が存在する人物が出てこない賞の選考委員を務めることが、下位氏の特筆性なのでしょうか? この記事の現状は、山田には十分な特筆性が示されているとは思えません。uaaさんは存続の立場から、この記事の現状における記述は、十分な特筆性が示されているとお考えなのか、そうではないが将来の成長性があるとお考えなのか、を伺ったのですが、どちらでもあると言われてしまうと仰る意味が分からなくなります。
- 「受賞暦に関する特筆性の基準が存在しないのに、「この程度じゃ駄目」とか勝手に言われても同意できません」とのことですが、受賞歴に限らず、特筆性の基準は曖昧であることの方が普通です。AV女優やミュージシャンには、具体的な数値が織り込まれた基準もありますが、それ以外の評価では議論は紛糾します。何より、山田は「この程度じゃ駄目」とは申し上げておりません。この程度で特筆性は証明されているというご主張でよろしいのでしょうか?とお尋ねしているのです。<下位氏のように自然系研究者であれば、筆頭でなくても共著論文が学会賞をとれば特筆性があるのだ、とか、賞の性質を問わず賞の選考に当たっていれば当筆性があるのだ>と主張されているのか、それとも、<それで特筆性があるとは言わないが、今後成長する見込みは大きいから請求に削除するべきではない>と主張されているのか、いずれであるのかが判然としないので伺っております。
- どうか、当方の意図をお汲み取りいただき、ご意見を率直に分かりやすくお伝えください。よろしくお願いいたします。--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 23:03 (UTC)[返信]
- 両方です。受賞暦に関する特筆性の基準が存在しないのに、「この程度じゃ駄目」とか勝手に言われても同意できませんし、あなたの��急な依頼や処理には成長の可能性という観点が全く無視されているように見受けらるということです。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 17:16 (UTC)[返信]
- コメント 結局のところ、uaaさんは、共著者のひとりとして論文賞を2回受けたこと、何らかの「賞」の選考者のひとりであること、という事実によって、下位氏の特筆性が既に十分証明されているとお考えなのでしょうか? それとも、現時点では証明されていないが「発展の見込みのない記事とは言い切れない」とお考えで存続を主張されているのでしょうか? 明確にお答えいただければ幸いです。--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 16:53 (UTC)[返信]
- 相手に信頼できる外部典拠を要求する前に、これまでに相手が提示した論拠を無効とする基準がどこに存在するのか提示するのが筋でしょう。「その人物が複数の(ネット上あるいは印刷物による)外部典拠で特集されているか」とかも特筆性の基準のひとつに過ぎず、絶対にクリアしなければならないものではありません。そもそも、どの賞はOKでどの賞は駄目という明確な基準があるのですか?それがなければ、「最初に提示した目安」とやら自体もがあなたの脳内基準でしかないので、それに対応する外部典拠を出す必要なんて微塵もありませんね。再度言いますがこれはルールの乱用です。”発展の見込みのない記事とは言い切れない”という観点からも存続とするのが妥当でしょう。一部修正--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 15:04 (UTC)[返信]
- それと、「加藤綾子氏らに失礼」と思うなら、加藤綾子氏らの記事も作ればいいでしょう。「○○の記事がないのに××はある」という現象はウィキペディアの構造上避けられないことであり、「○○の記事がないから××は削除」なんて言ってたらウィキペディアの存在自体がありえません。逆に、「○○があるから××は存続」はありだと思いますが。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 14:51 (UTC)[返信]
- わけのわからんことを言わないでください。加藤綾子氏の記事が必要かどうかはこの際関係ありません。ほかの人の業績を特筆性の根拠に使うのはおかしいと指摘しているのです。これはウィキペディアのルール以前の話でしょう。この簡単な論理が理解できませんか。--Kojidoi(会話) 2012年7月30日 (月) 21:15 (UTC)[返信]
- コメント加藤綾子氏に特筆性があるか否かは存じませんが、たとえ筆頭著者であっても論文賞だけで特筆性が担保されるものではない、と山田は考えます。uaaさんはいかがお考えですか?--山田晴通(会話) 2012年7月31日 (火) 01:14 (UTC)(敬称と署名が当初は漏れていたので、あとで補充しました。申し訳ありません。)[返信]
- わけのわからんことを言わないでください。加藤綾子氏の記事が必要かどうかはこの際関係ありません。ほかの人の業績を特筆性の根拠に使うのはおかしいと指摘しているのです。これはウィキペディアのルール以前の話でしょう。この簡単な論理が理解できませんか。--Kojidoi(会話) 2012年7月30日 (月) 21:15 (UTC)[返信]
- それと、「加藤綾子氏らに失礼」と思うなら、加藤綾子氏らの記事も作ればいいでしょう。「○○の記事がないのに××はある」という現象はウィキペディアの構造上避けられないことであり、「○○の記事がないから××は削除」なんて言ってたらウィキペディアの存在自体がありえません。逆に、「○○があるから××は存続」はありだと思いますが。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 14:51 (UTC)[返信]
- (インテンド戻し)「特筆に価するのかを伺っている」のであれば、削除提案の前に{{特筆性}}を貼ってノートに「こんな程度の実績で特筆性があると言えるのか?」のような議論提起をするべきではないでしょうか?研究者の特筆性に関しては、それ以前に具体的な掲載基準を作る必要があると思いますが。そのような手順を踏まず、自分の脳内基準でいきなり削除を主張されると、必死に性急な印象を受けますね。つまり、「誤解される記述が”ある”」のではなく、時間をかけて基準についてのコンセンサスを得ようとか記事を改善させようとしていた形跡が”見られない”ということです。
- >この程度で特筆性は証明されているというご主張でよろしいのでしょうか?
- 具体的な掲載基準がない以上、「提示されている程度の実績では特筆性を満たさない」と断定するべきではないという主張です。「論文賞だけで特筆性が担保されるものではない」とか「筆頭でなければ駄目」というのも現状では個人的な基準ですよね。各自が勝手に作った基準によって削除依頼が乱発されるような事態はあってはならないですし、この件がその悪しき前例になることを憂慮しています。
- >いずれであるのかが判然としないので伺っております
- 上記の理由に加えて、本件の場合成長性を否定することも出来ないことも存続の理由です。両方という答えじゃいけませんか?そもそも、グレーゾーンなら性急な削除は避けるべきだと私は思いますがね。--uaa(会話) 2012年7月31日 (火) 07:33 (UTC)[返信]
- コメント 【山田氏が赤リンクを基準にした発言をしている点について】山田氏が「下位氏のほかに選考委員を務めたのは、赤堀文昭、三森国敏、松本一彦の3氏です。さて、ここまでの記述で赤リンクはどれくらいあるのでしょうか」「ネット上には望月喜多司記念賞受賞者の一覧があります。この受賞者の中に既に特筆性が認められた、ウィキペディア日本語版に記事がある方はどれくらいおいでなのでしょうか? 試みに、第24回(平成21年度)以降、最近3年間のすべての受賞者の氏名を列挙し、リンクを張ると次のようになります。上野民夫、横井喬、山口勇、藤村真、米山弘一、古田賢次郎、宮下正弘、吉田隆延、牧野俊彦、浅見忠男、田村廣人、永堀博久、横山淳史、稲生圭哉、水沼章、塩月孝博、冨澤元博、種谷良貴、山根久和。」との発言について。ウィキペディア日本語版に本人の記事が存在するかどうかに大変こだわっているように見えますが、どういうことでしょうか。現時点で赤リンクだったとしても、それは今現在の時刻において記事が存在しないことをあらわしているだけで、特筆性がないことを示しているわけではありません。特筆性を有する研究者であっても、たまたま記事を執筆する人がいなかったから記事が存在しないだけかもしれません。今現在も、誰かがローカルのマシンで下書きを書いていて、今まさに投稿する寸前なのかもしれません。そんなことはわかりっこないわけですから、それを論拠にしてもしょうがないでしょう。ウィキペディア日本語版は現在も記事が増えているわけですし、もし今存在したとしても何らかの理由で削除されることもありうるでしょう。そもそも「ウィキペディア日本語版に記事があるかどうか」というのは自己言及的な基準ではないでしょうか。
- すでに上でも言及したとおり、「恩賜賞 (日本学士院)」の「歴代受賞者」欄ですら、これだけの赤リンクが存在するのです。この赤リンクの多さには唖然とするばかりですが、今後はウィキペディアの発展とともにこれらの学者も収録されていくことでしょう。ですから、単に今現時点でウィキペディアに記事が存在しないことと、その研究者としての評価や特筆性には、直接的な関係はないと思います。「さて、ここまでの記述で赤リンクはどれくらいあるのでしょうか」「この受賞者の中に既に特筆性が認められた、ウィキペディア日本語版に記事がある方はどれくらいおいでなのでしょうか?」などと、ウィキペディア日本語版に研究者個人の記事があるかどうかに、大変にこだわりというか執着があるように見受けられます。ウィキペディア日本語版に個人の記事がない研究者に対して、このような物言いはやや妥当性を書くように思いますが。しかも「最近3年間のすべての受賞者の氏名を列挙し、リンクを張ると次のようになります。(中略)こうした方々へ贈る賞が無意味であるなどと主張するつもりは毛頭ありませんが、その賞の選考に関わることが特筆性を支えるとは考えにくい」など、赤リンクという共通点しかない多数の研究者を「こうした方々」と呼称して十把一絡げに扱っていますが、実際には特筆性に濃淡があると思います。--114.48.58.249 2012年7月31日 (火) 08:13 (UTC)[返信]
- まず、「Wikipedia:ウィキペディアへの自己言及」は「「ウィキペディア」への言及を避ける」節の冒頭に「ウィキペディアの記事中では、...」と記されているように、記事の内容についてのルールです。ここでの議論は記事本文ではありませんので、「自己言及的」とのご批判は当たらないと考えます。「恩賜賞 (日本学士院)」の「歴代受賞者」欄で赤リンクなのは(数え間違えていなければ)168名中の30名です。それを100%赤リンクの状態と同じように考えることが適切であるとは思いません。仰るように「特筆性に濃淡がある」のは当然その通りです。上の赤リンクの方々の中にも、本来なら記事があってしかるべき方々も当然含まれているでしょう。しかし、当然特筆性がある方々ばかりであるはずの恩賜賞 (日本学士院)の歴代受賞者が、記事化率8割程度であるのに対して、ある母集団が記事家率0%であるなら、その中に当然記事化に価する方々が含まれていたとしても、その比率はごく低いものであると考えるのが自然であると思います。いかがでしょうか。--山田晴通(会話) 2012年7月31日 (火) 15:03 (UTC)[返信]
- コメント 「特筆性がある方々ばかりであるはずの恩賜賞 (日本学士院)の歴代受賞者が、記事化率8割程度であるのに対して、ある母集団が記事家率0%であるなら、その中に当然記事化に価する方々が含まれていたとしても、その比率はごく低いものであると考えるのが自然であると思います」とのことですが、全く同意できませんし、そんな詭弁が通るはずがありません。山田氏の言っているのは、「ある人名リスト記事aにおいて、記載対象の人物の記事化進捗率は80%である。それに対して、ある人名リスト記事bにておいて、記載対象の人物の記事化進捗率は0%である。aに掲載された人物は特筆性あると認められる場合、bに掲載された人物には特筆性がないとみなせるのか」ということですよね。常識的な回答は「これだけの情報では、bに掲載された人物について特筆性の有無は判断できない」としか言いようがないはずです。
- ちょっと考えればわかることだと思いますが、仮にaとbとで特筆性を有する人物が同比率で存在したとしましょうか。その場合、aとbとが、それぞれ同じペースで記事が立稿されていくと思いますか? 分野、執筆者の興味関心、さらに関連する記事の存在や立ち上げられた時期、などさまざまな要素によって、記事が作成されるペースは左右されるでしょう? まして、観測するタイミングにより比率は変化するでしょう? 今a:b=記事化率80%:記事化率0%だったしても、1ヶ月前はa:b=記事化率40%:記事化率0%だったかもしれませんし、もっと前はa:b=記事化率20%:記事化率0%だったかもしれないし、場合によってはa:b=記事化率20%:記事化率80%だったかもしれません。また、1ヵ月後にはa:b=記事化率80%:記事化率100%になるかもしれません。記事がつくられるべき人の記事が作られていないだけかもしれませんし、削除されるべき人の記事が残っているのかもしれません。今の比率が未来永劫続くわけもありませんし、そもそも記事が作られるペースが同じとも限らないわけですから、「特筆性がある方々ばかりであるはずの恩賜賞 (日本学士院)の歴代受賞者が、記事化率8割程度であるのに対して、ある母集団が記事家率0%であるなら、その中に当然記事化に価する方々が含まれていたとしても、その比率はごく低いものであると考えるのが自然であると思います」などという推論は成り立たないでしょう。「bを精査しなければ、特筆性の有無は判断できない」としか言えないと思いますが。
- 山田氏の詭弁はさすがにひどいと思います。わざとそのような発言をなさっているのだとしたら、大変問題ある姿勢だと思うのですが(もちろん自覚なしにそのような発言をされているなら、それはそれで大変問題だと思いますが)。--114.48.159.247 2012年8月2日 (木) 16:28 (UTC)[返信]
- コメント かなり厳しいお叱りを受け、恐縮しております。合理的な議論によってコミュニティの合意を形成しようとしている場面で「詭弁」を展開しているのだとすれば、それば最も避けるべきことであると思います。しかし、当人としては自らの議論が「詭弁」であるという自覚はありません。むしろ私自身には、もっぱら仮定に仮定を重���る議論をされている 114.48.159.247さんの議論の方が説得力を欠く危ういものであるように思います。例えば、もし山田が「この審議における削除票は存続票に比べて少数に見えるかもしれないが、投票のペースが同じとは限らないのだから、削除票がコミュニティの見解として少数であるとは限らないのであって、記事存続の当否は判断できない」などと議論を展開したとしたら、それこそ詭弁ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。なお、山田が無自覚のうちに「詭弁」を使うことが常態化しているのであれば、この点については、ぜひ「Wikipedia:コメント依頼/山田晴通」で具体的にご指摘ください。--山田晴通(会話) 2012年8月3日 (金) 01:54 (UTC)[返信]
- コメント 具体例を挙げたほうがわかりやすいでしょうか。たとえば「内閣総理大臣の一覧」に掲載された人物の記事化率は100%ですが、「ポーランドの首相一覧」に掲載された人物は赤リンクが大量に存在し記事化率はかなり低い状態です。双方ともに行政府の長の一覧ですが、記事化率には著しい差が見られます。また、「内閣総理大臣の一覧」に掲載された人物に特筆性があることは、多くの方が認めるところでしょう。山田氏の論法では、特筆性がある方々ばかりであるはずの「内閣総理大臣の一覧」が記事化率10割であるのに比べると、「ポーランドの首相一覧」は記事化率が著しく低い、この状態では「ポーランドの首相一覧」に記事化に価する方々が含まれていたとしてもその比率はごく低いものであると考えるのが自然である、ということになってしまいますね。個別に検討する必要はあるでしょうが「ポーランドの首相一覧」に掲載された人物のほとんどには特筆性があると思われます。一覧記事の人名の記事化率を根拠に特筆性の有無を推論するのはかなり無理がある、というのがよくわかるでしょう。記事化率の差異だけでは判断することなどできず、個別に記事の内容を確認せねば特筆性があるともないとも断言できないのは自明だと思います。
- 山田氏の「特筆性がある方々ばかりであるはずの恩賜賞 (日本学士院)の歴代受賞者が、記事化率8割程度であるのに対して、ある母集団が記事家率0%であるなら、その中に当然記事化に価する方々が含まれていたとしても、その比率はごく低いものであると考えるのが自然であると思います」という発言が、どれほど常軌を逸しているかがよくわかると思います。これでもなお自説に拘泥するおつもりでしょうか?--114.49.16.67 2012年8月3日 (金) 10:31 (UTC)[返信]
- コメント かなり厳しいお叱りを受け、恐縮しております。合理的な議論によってコミュニティの合意を形成しようとしている場面で「詭弁」を展開しているのだとすれば、それば最も避けるべきことであると思います。しかし、当人としては自らの議論が「詭弁」であるという自覚はありません。むしろ私自身には、もっぱら仮定に仮定を重���る議論をされている 114.48.159.247さんの議論の方が説得力を欠く危ういものであるように思います。例えば、もし山田が「この審議における削除票は存続票に比べて少数に見えるかもしれないが、投票のペースが同じとは限らないのだから、削除票がコミュニティの見解として少数であるとは限らないのであって、記事存続の当否は判断できない」などと議論を展開したとしたら、それこそ詭弁ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。なお、山田が無自覚のうちに「詭弁」を使うことが常態化しているのであれば、この点については、ぜひ「Wikipedia:コメント依頼/山田晴通」で具体的にご指摘ください。--山田晴通(会話) 2012年8月3日 (金) 01:54 (UTC)[返信]
- まず、「Wikipedia:ウィキペディアへの自己言及」は「「ウィキペディア」への言及を避ける」節の冒頭に「ウィキペディアの記事中では、...」と記されているように、記事の内容についてのルールです。ここでの議論は記事本文ではありませんので、「自己言及的」とのご批判は当たらないと考えます。「恩賜賞 (日本学士院)」の「歴代受賞者」欄で赤リンクなのは(数え間違えていなければ)168名中の30名です。それを100%赤リンクの状態と同じように考えることが適切であるとは思いません。仰るように「特筆性に濃淡がある」のは当然その通りです。上の赤リンクの方々の中にも、本来なら記事があってしかるべき方々も当然含まれているでしょう。しかし、当然特筆性がある方々ばかりであるはずの恩賜賞 (日本学士院)の歴代受賞者が、記事化率8割程度であるのに対して、ある母集団が記事家率0%であるなら、その中に当然記事化に価する方々が含まれていたとしても、その比率はごく低いものであると考えるのが自然であると思います。いかがでしょうか。--山田晴通(会話) 2012年7月31日 (火) 15:03 (UTC)[返信]
- 存続 出典の追加など加筆を行いました。私が調査した結果、下位氏について「内閣府食品安全委員会の専門調査会で専門委員を務めていること」「静岡県や静岡市において複数の審議会・懇談会の委員を務めていること」「日本学術振興会の科学研究費助成事業の審査委員を務めた際に『農芸化学(食品化学)』を担当していること」が確認できました。こうした学外の活動実績と論文の受賞歴を考慮し、特筆性はあると判断。存続票を投じます。--桜国の竜(会話) 2012年7月31日 (火) 10:42 (UTC)[返信]
- 存続 桜国の竜さんの加筆により、学外委員活動などにおいて十分な実績を確認しました。--Tiyoringo(会話) 2012年7月31日 (火) 11:03 (UTC)[返信]
- コメント まず、桜国の竜さんの加筆を歓迎します。この加筆によって政府系の業務に専門家として関与していることが明らかになりました。また、これまでの議論で特筆性をめぐって議論が収斂しなった業績への評価、(政府系以外の)役職への評価と異なり、これによって特筆性が担保されたと考える票が加わりました。山田としてもその意見に強く反対する意思はありません。いつもながら、桜国の竜 さんの加筆に、改めて敬意を表する次第です。
- さて、下位氏について、政府系の業務に専門家として参加した実績が特筆性と担保する重要な要素であるという点については、本件の議論を通して一定の合意、ないし共通理解が成立していると考えてよいかと思います。しかし、同時に他の論点、すなわち学会賞など受賞歴の評価(筆頭著者ではない共著)、政府系以外の業務、などについては、それだけで特筆性を担保するものと見る合意は成立していないと山田は考えます。この点を確認していただければ、早期の合意形成を目指すために、削除票を撤回する用意があります。すなわち、本件についての特筆性はもっぱら政府系の職務経験によって担保されたものであって、他の論点についてそれ単独での特筆性が合意されたわけではないと確認されれば、山田の削除票を取り消し、下で議論されている特定版削除のみを求める票に切り替えます。存続票を投じられてきた皆さんのご意見を伺えれば幸いです。--山田晴通(会話) 2012年7月31日 (火) 14:40 (UTC)[返信]
- コメント 山田氏のコメントにて「もっぱら政府系の職務経験によって担保されたもの」とのことですが、政府系の職務経験だけで判断されたわけではないでしょうから、政府系の職務経験を含めたその他の種々の要素も勘案して、というのがより適切ではないでしょうか。--111.188.24.92 2012年7月31日 (火) 15:17 (UTC)[返信]
- コメント それでは、この事例で示された程度の公職の実績では、それだけでは特筆性を担保するものとはならない、という理解でよろしいでしょうか? しかし、それは危ういのではないかと考えます。これこれこういう実績は特筆性に価する、という基準は分かりやすいですが、これは単独では特筆性に価しない、こちらもそうだ、しかし総合的にという...ことになると、山田の最初の疑問に戻ってしまいます。つまり、「特筆性が判然としない」ということです。
- 上の議論でも言及された、Wikipedia:削除依頼/Love solfege#山田晴通の議論を知ったとき、自分の公的な非常勤業務歴が判断材料となって存続となったことに、そういう面も判断材料になるのか、と一種の違和感というか、目を開かされた感覚を持ちました。しかし、政府系の公的業務に専門家として関わることが、Wikipedia:特筆性 (人物)にある、「独立した情報源からその専門分野の重要な専門家であると目されていること」や「同じ専門分野の独立した学者から重要人物であると目されていること」の証明となる、という判断が広く共有されているのだしたら、それにも納得がゆきます。下位氏の場合も、桜国の竜さんの加筆で示された公職の経歴が単独で特筆性の根拠となる、ということであれば理解できます。
- 111.188.24.92 さんが仰る「その他の種々の要素も勘案して」という言い回しは、もっともらしく響く表現です。しかし、これが、特定の基準では特筆性があるとはいえないが、いろいろな基準でその一歩手前まできているからそれを併せて判断した結果だ、ということであれば、その記事主題はその基準に照らしても特筆性がないと考えるべきではないでしょうか。それでもなお、記事を存続すべきだとすれば、現状の記述でも様々な基準でその一歩手前まできているから、やがて特筆性が満たされるだろう、という成長の可能性を認めてのことなのでしょうか。
- 要するに、111.188.24.92 さんのお考えでは、(1) 下位氏の公職歴は単独で特筆性を担保している、(2a) 特定の基準では特筆性を満たさないが、総合的に特筆性があると判断される、(2b) 特定の基準では特筆性を満たさないが、今後の記事の成長によって何らかの基準で特筆性が達せられる見込みが十分ある、のいずれなのでしょうか? (1)は山田の理解ですが、これは否定されておいでですので、(2a)、(2b)のいずれであるのかを伺うことになりますが、それ以外の立場であると表明される場合であっても、強いて選べばどちらなのかをご説明いただけるとありがたく存じます。--山田晴通(会話) 2012年7月31日 (火) 22:55 (UTC)[返信]
- コメント 「それは危ういのではないかと考えます。これこれこういう実績は特筆性に価する、という基準は分かりやすいですが、これは単独では特筆性に価しない、こちらもそうだ、しかし総合的にという...ことになると、山田の最初の疑問に戻ってしまいます。つまり、「特筆性が判然としない」ということ」とのことですが、ある意味やむをえないことだと思います。音楽関連の人物であれば「Wikipedia:特筆性 (音楽)」のような明確な基準が存在しますが、研究者についてはそこまで明確な基準が現在のウィキペディアでは存在しません。機械的に判断できるような基準は現時点では存在しないわけですし、ある程度幅を持たざるを得ないのはやむをえないと思います。明確な基準を決める必要があるのであれば、それは削除依頼ではなくて別の場でやるべきでしょうし。
- 一般論として、「政府系の職務経験」の有無については、それがあるから特筆性が認められるかといえば、ケースバイケースかと思います。下井氏のケースでいえば、地方自治体の役職として「静岡市開発審査会 委員」「静岡市土地利用審査会 委員」が挙げられていますが、これらは「学識経験者」枠での登用だと思われるものの下井氏の専攻と直接的に関連しているかどうかは不明確です。また、独立行政法人の役職として、「日本学術振興会 科学研究費助成事業 第1段審査委員」が挙げられていますが、これは農芸化学のうち食品化学を担当するとされており専攻と絡んでいるといえるでしょう。地理学の研究者である山田氏のケースについては、削除依頼を拝見したところ「大学入試センター委員教科科目第一委員会委員」「教科用図書検定審議会委員」が挙げられています。独立行政法人の役職である「大学入試センター委員教科科目第一委員会委員」は地理を担当されたとのことなので山田氏の専攻と密接な関係があると思われますが、中央省庁の審議会等の役職である「教科用図書検定審議会委員」は音楽を担当されたとのことなので山田氏の専攻と直接関係あるとはいえないでしょう(※山田氏の研究分野は「社会経済地理学、地域メディア論」([1])であり、かつ、山田氏は「大衆文化論としてポピュラー音楽も研究対象」([2])と主張している。そのため、この役職は地理学の研究者としての側面からは特筆性を示すとはいえないものの、音楽を研究対象にしている方との側面から見れば音楽に精通しているというエビデンスにはなると思います。誤解なきよう)。
- ですので、まず「もっぱら政府系の職務経験によって担保されたもの」というのはあまり適していないと思います。「政府系の職務経験」だけではなく、その役職が当人物の専攻と密接に絡んでいるか?というのも判断材料でしょうし、役職についても種々さまざまで個別に検討も必要でしょう(中央省庁の審議会等なのか地方自治体なのか、あるいは独立行政法人の何らかの委員なのか、とか。たとえば三条委員会のメンバーと地方自治体の審議会の下部機関の臨時委員を同列に扱うわけにもいかんでしょうし)。桜国の竜氏は「内閣府食品安全委員会の専門調査会で専門委員を務めていること」「日本学術振興会の科学研究費助成事業の審査委員を務めた際に『農芸化学(食品化学)』を担当していること」と述べており、単に「日本学術振興会の科学研究費助成事業の審査委員を務めた」ことだけを理由にしているのではなく専攻との関連性にも触れております。ですので「もっぱら政府系の職務経験」だけを判断材料にしているわけではなく、専攻との関連性といった要素も勘案していると思いますので、「政府系の職務経験を含めたその他の種々の要素も勘案して」のほうがよりふさわしいと思います。おそらく山田氏も単純に「政府系の職務経験」だけで特筆性ありと判断なさっているわけではなく、専攻などとの関連についても考慮なさっていることと思いますが、どうでしょうか。--114.48.135.196 2012年8月1日 (水) 19:31 (UTC)[返信]
- コメント 【追記】山田氏は「(1) 下位氏の公職歴は単独で特筆性を担保している、(2a) 特定の基準では特筆性を満たさないが、総合的に特筆性があると判断される、(2b) 特定の基準では特筆性を満たさないが、今後の記事の成長によって何らかの基準で特筆性が達せられる見込みが十分ある、のいずれなのでしょうか?」とのことですが、その分類は若干穴が有るかと思います。「(1) 下位氏の公職歴は単独で特筆性を担保している」というのは、分けようとすれば「(1a) 他の基準では特筆性を担保していない。しかし、下位氏の公職歴は特筆性を担保している。」と「(1b) 他の基準で既に特筆性を担保している。それに加えて、下位氏の公職歴は特筆性を担保している。」という2パターンがあるでしょう。(それ以外にも「(3a) 下位氏の公職歴は単独で特筆性を担保していないし、下位氏の公職歴も特筆性を担保していない。」とか「(3b) 下位氏の公職歴は単独で特筆性を担保していないが、他の基準で既に特筆性を担保している。」もありえるかもしれませんがここでは割愛)。山田氏は1aでしょうが、私は1bに近いと思います。また、公職歴が議題に上る前に存続票を投じた方も当然1bに近いでしょう(もしくは3bかもしれません)。
- コメント 【追記】「政府系の職務経験を含めたその他の種々の要素も勘案して」との表現について。公職歴が議題に上がる前に存続票を投じた方はそれ以外の要素で票を投じており、桜国の竜氏も「こうした学外の活動実績と論文の受賞歴を考慮し、特筆性はあると判断」と述べており、公職歴だけを理由に存続票を投じているわけでもありません。ですので、「もっぱら政府系の職務経験によって担保されたもの」ではなく、「政府系の職務経験を含めたその他の種々の要素も勘案して」という表現のほうが、こちらでの議論をまとめるにあたって、よりふさわしいと考えます。--114.48.135.196 2012年8月1日 (水) 20:01 (UTC)[返信]
(インデント戻します)
- コメント より厳密に議論していただいてありがとうございます。最初のコメントについて、研究者に関して明確な基準がない、あるいは明確な基準を作ろう/現状を見直そうとする継続的な議論がないことは非常に残念ですので、議論の場を別に設けることは大変結構なことと思いますし、政府系の役職は「専攻などとの関連についても考慮」することが前提というのは当然であると考えています。この部分に異論はありません。
- 次のコメントに移ります。まず場合分けについて、山田の認識では、公職歴に(十分かどうかは別として)一定の特筆性が認められるという方向では議論の中で一致点が見出せる方向になっていると思っていますが、研究業績、受賞歴については認識の一致は見出し難い状態であると考えています。つまり、強く存続を主張されているIP氏が3aである可能性はありませんし、1bないし3bが成り立つような議論は見解の一致には遠い状況ですので、場合分けにおいては考慮していませんでした。つまり、他の側面への評価が分かれていても、「'(1) 下位氏の公職歴は単独で特筆性を担保している」という認識で一致できるのではないかという考えからこのように問いかけましたが、1bということは、他の研究業績や受賞歴への評価は山田に同意しないが、(1)については同意できる、と仰っていると理解してよろしいでしょうか?
- 最後に、3つ目のコメントについてです。なぜ山田が「その他の種々の要素も勘案して」という表現を危ういと考え、この時点で公職のみを特筆性の根拠とすべきと考えている大きな理由は、この結論になると、今後の議論においてこの事案は特筆性の判断根拠にできないと考えられることにあります。つまり、「その他の種々の要素も勘案し」ないとこの程度の公職歴では不十分、という意味に解すべきなのか、他の要素への評価が割れていても、この程度の公職歴があれば十分と解すべきなのかは、明らかではありません。
- 山田ひとりがコミュニティの意見から孤立しているという事例(最近の一例)であれば、あえて強く異論は唱えませんが、本件では、山田以外にもKojidoiさんが削除票を投じられいますし、また、存続票(ただし、版指定削除または中抜き 特定版削除)を投じられているLudwigSKさんも、「賞を受けた論文2点については、特筆性の担保にはならない」という判断に同意されています。他の研究業績や受賞歴への評価が分かれている以上、「その他の種々の要素も勘案して」という表現は使用すべきではないと考えますが、いかがでしょう。--山田晴通(会話) 2012年8月3日 (金) 01:54 (UTC)[返信]
今後の削除依頼
[編集]質問 こちらの削除依頼にて、Kojidoi氏が、研究者の特筆性について「受賞歴云々を言うならノーベル賞とまでは言わないまでも、その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというものでないと不足」との基準を提示していますが、これはコンセンサスが得られているのでしょうか。恩賜賞、日本学士院賞、日本学術振興会賞、日本IBM科学賞といった賞は「その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというもの」とはいえませんし、文化勲章、文化功労者といった栄典も「その分野にいるなら世界中の研究者が知っているというもの」とはいえないでしょう。また、山田氏は、単著論文の本数を根拠に今回の削除依頼を提出したわけですが、自然科学系の多くの分野では共著論文が一般的だと考えられ、この基準には無理のある基準だと思います。これらの基準を墨守する限り、今後も山田氏は研究者関連の削除依頼を出し続け、そのたびに他ユーザーが疲弊させられるのではないかと心配です。このような基準はいったいどこで議論され、どこで採択されたのでしょうか。Kojidoi氏の基準ならほとんどの研究者はアウトですし、山田氏の基準なら自然科学系の研究者はほぼ壊滅すると思われますが--111.188.24.92
隔離コーナー
[編集]本筋の議論が見えにくくなるので節分けしました。タイトルが不適切なら直してください。--uaa(会話) 2012年7月31日 (火) 07:33 (UTC)[返信]
それと、井戸端とかで色々な遺恨があるようですが、その件は他でやってもらえますか?売り言葉に買い言葉が続いて議論の経緯が見づらくなってます。私も相手の他所での言動を持ち出すことが多々あるのであまり人のことは言えないのですが、そんな私から見ても本議論と井戸端の件は関係なさ過ぎると思いますし、応酬が延びすぎてます。--uaa(会話) 2012年7月30日 (月) 15:01 (UTC)[返信]
- >以前から様々な機会にも申し上げておりますが、山田がウィキペディアの存在を意識するようになった段階で、既に「山田晴通」が存在し、しかも、削除依頼を経て存続となっていました
- まず「山田晴通」の記事が立稿されたのは「2007年5月17日」です。「削除依頼を経て存続となっ」たのは「2007年6月10日」あたりでしょう。
- 山田氏が「ウィキペディアの存在を意識するようになった」のはその後と読めます。
- ところが少し検索してもご自分の記事が存在する数年前に「ウィキペディア」を持ち出している例は散見されます。
- 2005/08/05(金) 09:33:23 の書き込み,2006/04/03(月) 19:31:26の書き込み
- これらは無意識に書いていたのでしょうか?烏龍茶の烏は鳥でない(会話) 2012年7月30日 (月) 17:09 (UTC)[返信]
- コメント素晴らしいですね! 自分でもすっかり忘れて思い出しもせずにいたことを発掘していただいて大変ありがとうございます。後からまったく思い出せないということは、当時はGoogleで引っかかるページのひとつとしてしか意識していんなったのでしょう。早速、関係する記述に補注を入れるようにします。ありがとうございました。もしよろしければ、このページでの審議の邪魔にならないように、山田の会話ページにでも、さらに具体的な「散見される」事例をお知らせいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--山田晴通(会話) 2012年7月30日 (月) 23:03 (UTC)[返信]
- 終了 存続としましょう。意見交換が続いているようですが、お続けになられるのであれば相応な場所に移っていただけるようお願いいたします。--重陽(会話) 2012年8月3日 (金) 12:52 (UTC)[返信]
上の議論は保存されたものです。編集しないでください。新たな議論は当該ページのノートか、復帰依頼で行ってください。再度削除依頼する場合は削除依頼ページを別名で作成してください。
コピペ荒らし
[編集]このページは以下にある削除依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは編集しないでください。
議論の結果、版指定削除 に決定しました。
- 特定版削除 2012年7月27日 (金) 02:01 (UTC) 版ではニコニコ大百科の「カズオ」から、2012年7月27日 (金) 13:02 (UTC) 版ではニコニコ大百科の「ヒトヒラのハナビラ」から、2012年7月28日 (土) 03:20 (UTC) 版では関越自動車道高速バス居眠り運転事故からと、三度に渡り無関係なもののコピペが行われておりライセンス上問題があるので、2012年7月27日 (金) 02:01 (UTC) 版以降の版は、記事主体の特筆性の有無と無関係に削除が必要だと考えます。--Jkr2255 2012年7月28日 (土) 06:45 (UTC)[返信]
- コメント 存命中の人物の記事に対してここまでするとは、絶対によろしくない行為だと思います。削除したいという並々ならぬ決意を感じさせます。--114.48.163.117 2012年7月28日 (土) 13:55 (UTC)[返信]
- コメント (追加)コピペ嵐をするような利用者について、それなりの処置を求めます。--114.48.163.117 2012年7月28日 (土) 13:57 (UTC)[返信]
- コメント 荒らし行為を行なった3つのアカウントは、既に(114.48.163.117 さんの上記コメントの10時間前に)すべて無期限ブロックされています。また、記事は(114.48.163.117 さんの上記コメントの6時間前に)半保護の措置が取られています。コメントは、関連するページの履歴などをよくご確認の上でなさるようにしてください。 よろしくお願いします。--山田晴通(会話) 2012年7月28日 (土) 14:35 (UTC)[返信]
- コメント 対応していただき、ありがとうございます。感謝します。--114.48.64.124 2012年7月30日 (月) 06:22 (UTC)[返信]
- コメント 荒らし行為を行なった3つのアカウントは、既に(114.48.163.117 さんの上記コメントの10時間前に)すべて無期限ブロックされています。また、記事は(114.48.163.117 さんの上記コメントの6時間前に)半保護の措置が取られています。コメントは、関連するページの履歴などをよくご確認の上でなさるようにしてください。 よろしくお願いします。--山田晴通(会話) 2012年7月28日 (土) 14:35 (UTC)[返信]
- 特定版削除 or 版指定削除 上記各版でのコピペを確認しました。特定版または版指定削除に同意します。--むじんくん(会話) 2012年7月28日 (土) 14:22 (UTC)[返信]
- 版指定削除または中抜き 特定版削除 上記3版でコピーアンドペーストによる荒らし行為を確認しました。ケースB-1。その後有意な加筆がありますので、中抜きでの削除をお願いいたします。--LudwigSK(会話/記録) 2012年7月31日 (火) 00:54 (UTC)特定版でも可に変更。--LudwigSK(会話/記録) 2012年7月31日 (火) 13:45 (UTC)[返信]
- 特定版削除 ケースBこそ迅速な対応が必要でしょう。--uaa(会話) 2012年7月31日 (火) 07:33 (UTC)[返信]
- 特定版削除 依頼者に同意します。--Tiyoringo(会話) 2012年7月31日 (火) 11:03 (UTC)[返信]
- 対処 依頼者指定の2012-07-27T02:01:53(UTC)、2012-07-27T13:02:41(UTC)、2012-07-28T03:20:01(UTC)の3版を版指定削除しました。--重陽(会話) 2012年8月3日 (金) 12:52 (UTC)[返信]
- 確認 依頼者指定版が適切に削除されていることを確認しました。--Halowand(会話) 2012年8月5日 (日) 01:17 (UTC)[返信]
- 対処 依頼者指定の2012-07-27T02:01:53(UTC)、2012-07-27T13:02:41(UTC)、2012-07-28T03:20:01(UTC)の3版を版指定削除しました。--重陽(会話) 2012年8月3日 (金) 12:52 (UTC)[返信]
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