Wikipedia:児童・生徒の方々へ/教師・保護者の方へ
この文書は私論です。一部のウィキペディアンが助言や意見を記したものです。広く共有されている考え方もあれば、少数意見の見解もあります。内容の是非については慎重に検討してください。 |
このページは、小学生から大学生くらいまでの若い人たち(児童・生徒・学生)の監督責任をもつ教師や保護者などの方々に対してのものであり、ウィキペディアに子供が参加するときに注意してほしい事柄や、実際に参加するときにありがちな問題点と、それに関する対応や考え方をまとめています。
できれば、ウィキペディアで編集をする前に児童・生徒らにWikipedia:児童・生徒の方々へを読ませて、これらを理解させるように務めてください。すでにトラブルに巻きこまれているのならば、そのトラブルのどこに原因があったのかを考える手がかりとしてこの記事をお使いください。また、ウィキペディアを詳しく、全般的に知りたい場合は、「Wikipedia:ガイドブック」が参考になるでしょう。
ウィキペディアに関して
[編集]ウィキペディアは「Wikipedia:ガイドブック」と様々なガイドラインに繰り返し示されているとおり、百科事典を作り上げるためのプロジェクトであって、これには様々な立場の人が、主にボランティアとして参加しています。
なお、ウィキペディアの利用に際しては、掲載記事の内容について責任を負いかねる部分があることが示されており、利用に際しては自己責任であたるようアナウンスされています。利用したことによって発生した損害を補償することもありません。詳しくは「Wikipedia:免責事項」を参照してください。
誰が記事を作るのか
[編集]ウィキペディアは、様々な価値観や立場の専門家やアマチュア、または何らかの資料を基に記事を構築するボランティアが参加しているプロジェクトです。それだけに、あらゆる側面においてガイドラインが用意されており、またその下部にもガイドラインが作られながらプロジェクトが進行しているので、ガイドラインの解釈どうしが衝突しあうこともないわけではありません。
しかしそのいずれにおいても「Wikipedia:五本の柱」など主要ガイドラインの考えが重視され、問題調整が行われています。したがって、トラブルが発生したら、まず主要ガイドラインの考え方を確認することが、多くの場合において採られています。
ウィキペディア日本語版と管理業務
[編集]このガイドラインを読んでいるということは、現在見ているウィキペディアはウィキペディア日本語版です。
ウィキペディア日本語版は、2001年5月20日にウィキメディア財団が他の12言語版と同時に発足させた非英語版ウィキペディアの一つで、その記事データの保護や削除、または利用者のブロックなどといった管理業務は、ウィキペディア日本語版の管理者コミュニティが行っており、ウィキメディア財団は直接行っていません。管理者について詳しくは「Wikipedia:管理者」をご覧ください。
連絡先とトラブルへの対応
[編集]ウィキペディアへの連絡先は、Wikipedia:連絡先にあります。
しかし、上に述べたとおり、参加者はそれぞれが任意のボランティアであり、あまり組織化されていません。したがって、トップダウン的な対応を期待して、より上位の存在に連絡を取るという考えはおやめください。適切で迅速な対応がとり難いばかりか、その人々を混乱させる結果を招きかねません。
例えば、所定の利用者とのトラブルについては、できれば当事者間で、礼節ある対応で解決するように努めてください。ウィキペディア上で重視されるマナーや節度については、「Wikipedia:エチケット」を参照してください。感情的な応酬と対立はプロジェクト進行の混乱と記事の破壊しか生まず、多くのウィキペディア利用者は忌避しています。
よくある誤解とトラブル
[編集]ウィキペディアはしばしば「誰でも編集できる百科事典」と紹介されることが多いようです。しかし現実問題として、誰に対しても門戸を開いているわけではありません。各項目に記事を書く上で、以下の要件は、すべての利用者(編集へ参加する者)に均しく求められます。
- 書こうとしている事柄に対して、充分な知識と、それを理解する思考力があること
- ウィキペディアの理念(ガイドライン)を理解していること
- 他の利用者との対話を面倒がらないこと
何かを誤解している利用者の中には、自分の意見や主張を書き連ねたり、あるいは自分の主張を正当化するための情報を長々と書き連ねたりと、記事で扱われている事物の説明よりも、その事物に対する自身の意見や主張を書くことに熱中してしまう者もいます。しかし、百科事典の説明としては、個人の主張や意見などは必要ではなく、むしろ積極的に除外されうるものです。したがって、そういうトラブルを回避する上でも、ウィキペディア上には様々なガイドラインが設けられており、そういった意見や主張を取り除く活動も行われています。
個人が存在する上で人権は自動的に与えられ、その中には表現の自由のような、自分の主義や主張をもち、それを述べることを阻害されない権利も発生するのですが、この自由をウィキペディア内で謳歌することはできません。なぜなら、ウィキペディアは百科事典であり、記事は事物を説明するためだけに存在し、利用者の意見や主張を掲載するために存在するわけではないからです。もし、この理念を逸し続ける利用者がいた場合は、まず他の利用者から意見が呈され、場合によって注意・警告の通知、更にはWikipedia:コメント依頼などの形で意見が寄せられ、あまりに状況が改善されないなどのケースでは、Wikipedia:投稿ブロック依頼などの形で可否を論じた上で、お引取り頂くほかない場合もあります。これらは、大人の利用者でも子供の利用者でも、何ら変わるところはありません。
なお、これらの要件や問題は、箇条書きにすると数えるほどしかない単純な事柄ではあるのですが、それぞれの局面に即して適用させるには、冷静で適切な判断力が要求され、場合によっては経験と訓練によって培われる常識的な判断や社会性を必要とします。したがって、人生経験の乏しい未成年者にとっては、適切な判断を行い難い側面もあります。また、状況によっては、他の利用者とのトラブルで、ひどく心を傷つけられる危険性も伴うことも考えられるので、子供を保護するという観点からは「子供たちには、ウィキペディアに参加することを促さないほうがよい」といえます。
知識をもち、理解していること
[編集]まず、記事を書く上では、その記事で取り上げる対象(これを以下「事物」と表現します)を十分に理解していなければ、それを他人に説明することなど到底できません。また、事物を理解していなければ、手持ちの情報を整理して記述し、それを百科事典の記事とすることもできません。
問題を起こしがちな利用者の傾向として、断片的な事物に関連する情報を羅列するケースが散見されますが、事物に関連する雑多な連想を書き連ねてあるだけの文章は、断片的で散漫な、説明としての用を成さない雑記に過ぎません。
理念への理解
[編集]ウィキペディアは百科事典であり、それ以外の何物でもありません。ウィキペディアに多々存在するガイドラインのほとんどは、その「ウィキペディアは百科事典である」という基本に沿う形で定められています。
「 | ウィキペディアの目的は、信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げることです。 | 」 |
これは、ウィキペディアの、もっとも基本的な理念です。ウィキペディアに参加するには、最低限Wikipedia:方針とガイドラインを理解すべきです。
他利用者との対話
[編集]ウィキペディアでは記事を作る上で、利用者一人ではどうしても手に余ることが多々あります。意識せずに記事の方向性が百科事典として望ましくない方向に行ってしまったりすることもあります。また、編集者一人がもつ情報には偏りがあるので、他の編集者と共同で作業することによって、内容の中立性や情報の完全性を図る状況になることも多々あります。
しかしその場合、相互に連絡し合ってより良い記事にしていくか、対話せずに各々がそれぞれに記述を変更しあって編集合戦など芳しくない事態に陥るかによって、結果的にでき上がる記事の質に大きな影響があります。理想論から言えば、相互に情報提供し合って共同作業を進め、より適切で漏れ落ちのない、過不足のない記事に仕上げていくことが望ましいでしょう。逆に最悪のケースでは、利用者どうしが感情的な応酬の末に、記事が編集禁止(保護状態)になってしまうことが挙げられます。その意味でWikipedia:エチケット(ウィキペディアで推奨されるエチケット)に沿った対話で、円滑に記事編集が進められることが望まれます。
なお、場合によっては対話相手がエチケットを無視しているか、または知らない場合があるかもしれません。その場合は、同じようにエチケットを無視して不毛な応酬をするのではなく、冷静に相手の出方を見てください。それでもなお、全くもって不当だというのならば、問題利用者として管理者に報告するなど、他の対応を検討したほうがよいのかもしれません。第三者を交えるなど、公正な判断に委ねてください。
ウィキペディアは、子供をどうあつかっているでしょうか
[編集]ウィキペディアは、利用者(ウィキペディアの編集に参加する者)の年齢を確かめていません。下は児童から上は高齢者まで、立場としては平等であり、年齢や経験に関わりなく参加することができます。
しかし、これは言い換えると、正しい百科事典としての記事を書くという責任に対しても平等であり、未成年者であってもモラトリアム(訓練・育成期間であるため間違いにも寛容に接すること)扱いをしないということでもあります。全ての利用者は、記事に書き込んだ内容の正確さ、合意の形成(話合い)での態度など、すべての場面で、一人前の人間として扱われ、一人前の人間として受け答えすることが求められます。もちろん前提として、投稿する記事が百科事典の記事としての体を成していなければ、単なる荒らし行為として扱われることもあるでしょう。
つまり有り態にいえば、子供っぽい悪戯をした上で「子供のしたことだから許して」とは言えません。例えば、専門分野の記事では専門用語を交えての問い掛けをされることもあるし、ガイドライン「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」で示されたような問題のある編集をしてしまった場合に、他の編集者に手厳しく批判されることもあれば、編集行為そのものを否定されてしまうこともあり、また悪戯であっても責任が問われることもあります。更に言えば、違法な情報や名誉毀損などの書込みをした場合には、社会的な追及を被ることすら十分あり得ることでもあります。
その場合に、彼ら未成年者が大人と同等に、自分で問題を解決できる能力があるでしょうか。まず、そのことを考えてみてください。
ウィキペディアは、百科事典を作るためのプロジェクトです
[編集]ウィキペディアは、信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げることを目的としているプロジェクトです。このことは、他の全てに優先されます。
百科事典の記事を作る上では、記事を良くしていこうとする過程で、またはその正しさを検討もしくは検証する上で、必ずといっていいほど他の利用者と意見交換をする場面が出てきます。しかし、このコミュニケーションは、あくまで「百科事典を作る上で必要な話合い」をするためのものであって、コミュニケーション自体を楽しむためのものではありません。ウィキペディアは、ソーシャルネットワーキングサイト (SNS) や電子掲示板などのようなコミュニケーションが目的のウェブサイトではないのです。したがって、コミュニケーションを求めている場合には、できれば保護者が手伝って一緒に探してあげて、対象者の年齢層に見合った、安全で健全な内容のコミュニティサイトを宛がうべきでしょう。
また、ウィキペディアについてはしばしば「だれでも自由に記事を書ける百科事典」と説明されることが多いようですが、これは間違っています。ウィキペディアは、ガイドライン「Wikipedia:五本の柱」に代表される「方針に同意して頂ける人だけが、記事を編集したり新しく作ったりできる百科事典」(「Wikipedia:方針とガイドライン」を参照してください)であり、こういった方針(ガイドライン)は様々なケースに即したものが用意されています。方針に同意していない人が書くことは、ウィキペディアでは認められていません。そして内容についても、自由に、思いのままにではなく、一定以上の品質が求められます。判りやすく丁寧に情報がまとめられた良質な記事を作ることは、大人でも大変なことですから、まして物事に対して理解や経験の乏しい未成年者の場合は、大人以上の努力を強いられることになります。
もしそれでも未成年者に参加させるというのならば、彼らが十分に百科事典として役立つ記事が書けるよう、見守ったり投稿前に誤りを訂正するなどの手助けが必要かもしれません。記事は一度投稿されてしまうと、履歴という記録に残ってしまうので、単純に編集を差し戻せない場合の修正には、管理者に削除を依頼するなどの手続きを必要とします。手続きについてはWikipedia:削除依頼を参照してください。ただし、百科事典の記事として明らかに適切ではない新規作成された記事は、Wikipedia:即時削除の方針に従ってすぐに削除される場合もあります。
年少者に特に気をつけさせたいこと
[編集]これまで、年少者がウィキペディアで起こした、または巻きこまれたトラブルの中から、特にありがちな問題点を挙げていきます。
調べ物をしたい場合
[編集]分からない事柄を、過去に問い掛けしてくれた他の利用者に、気軽に問い合わせる人がいます。しかしウィキペディアはコミュニティサイトではないので、聞けば答えてもらえるという保証はなく、まして管理作業に携わる側にも答える義務はありません。中には丁寧に教えてくれる利用者もいるかもしれませんが、それはあくまでも相手の善意に依存しているだけであって、あまりに度々ではその善意も潰えてしまうかもしれません。
また、ウィキペディアは物事を詳しく解説している場所であり、それらの疑問も大抵は調べればきちんと文章として示されていることが多いのです。すでにある説明を「自分で調べる努力」を怠っていては、ウィキペディアに参加して他に説明する記事を書くことは期待できません。まずは自分で調べる努力をするという訓練から入ったほうがよいでしょう。
適切な記述を書く
[編集]すでに述べたとおり、ウィキペディアは百科事典を作ろうというプロジェクトなので、百科事典という趣旨に合わない記述は、必要としていません。まずはCD-ROM、DVD-ROMまたは紙に印刷された百科事典がどのようにして事物を説明しているかということに注目する必要があるでしょう。百科事典をまだ一度も読んだことがない場合は、まず実際に読ませ、百科事典とは何かをまず把握させなければなりません。百科事典が何かを分からないまま参加するのは、方角も判らずに船に乗って海に漕ぎ出すようなものです。
下に、実際の執筆に際して重要なことを挙げます。 下記以外に「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」も参考にしてください。「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」に示された内容に該当する事柄は、全ての参加者が避けなければならない行為です。
本を読んで調べて書く
[編集]百科事典は、物事の説明をまとめたものなので、自分の知識や考えだけではなく、多くの資料を調べ、他人の考えも記事にまとめる必要があります。学校で教育された情報は社会で普遍的な情報を理解するための足掛かりに過ぎず、それだけでは百科事典の記事を書くのに十分な情報であるとはいえません。授業で習ったことをそのまま記事にするのではなく、更にそこから対象を詳しく調べるために図書室などで関連する本を何冊も読み、または専門書を読んで、そこから必要な情報を過不足なく記事にして行く必要があります。
ウィキペディアは個人的な意見や感想を書くところではありません。「自分の考えをもつこと」が未成年者の成長過程で大切であることは疑いようもありません。しかし、ウィキペディアの記事は、記述者個人の意見や主張を必要としていず、それを記事に書くことは不適切とされます。百科事典の記事としては、主観を交えない完全に客観的な視点から、事実だけをありのままに説明した記事が歓迎されます(「Wikipedia:中立的な観点」および「Wikipedia:独自研究は載せない」を参照してください)。
不適切な記述がされた場合には他の編集者を煩わせることとなります。特に上に述べた削除依頼の場合には他の利用者が一定数集まって可否を論じるなど多大な労力が必要になるので、こういった労力を他に強いる行為は迷惑行為として扱われます。
資料の複製は許可されません
[編集]参考とした資料の引き写し・丸写しは、絶対にさせないでください。また、歌詞やせりふなどをそのまま書かせないでください。引き写しは、他人の著作権を侵害する犯罪につながります。ウィキペディアは「誰でも利用できる百科事典」を目指していることもあって、そういった著作権侵害は非常に心を砕いている問題なのです(Wikipedia:著作権およびWikipedia:著作権問題を参照してください)。元の文章の前後を多少入れかえたり、表現を置き換えたとしても、著作権を侵害していることに何ら変わりはありません。著作権を侵害した記述は見つかり次第に削除され、くり返し著作権侵害を行う人は投稿ブロック(編集が禁止されること)の措置が講じられます。
このほか、資料として参考にした書籍などは「出典」、つまり「何を基にして書き込んだのか」を判別可能な形で明示することが勧められます。そうすることによって、記事内容の正確性を確認する場合の労力が軽減されますし、記事の説明から更に詳しい情報を得たい読者が同じ資料を手にする助けにもなるでしょう。資料を判別可能な形で示す方法として、例えば書籍ではISBNコードを明記することによって、所定の書物を全世界で一意に(ただ一つ)指定することができます。詳しくはHelp:ISBNのリンクを参照してください。ただし、他所のウェブサイトの記事を参考にしたとしても、それらのウェブサイトがウィキペディアからリンクすべきではない場合もあります。他のウェブサイトへのリンク方針についてはWikipedia:外部リンクの選び方を参考にしてみてください(「Wikipedia:検証可能性」とこれに基づく「Wikipedia:出典を明記する」を参照してください)。ただし、「外部リンクの選び方」の要件に満たないウェブサイトを参考に記事を書いたとしても、多くの場合にはその記事自体が歓迎されないものとなってしまう傾向があるので、安易に他のウェブサイトを参考にした記事を書かせないほうがよいでしょう。外部リンクに関する考え方は「Wikipedia:外部リンクの選び方」に示されています。
ウィキペディアはニュース速報を書き込む場ではありません
[編集]テレビや雑誌などで見た不完全な知識やニュース的な情報、またアニメやマンガの1回ごとの内容は、ウィキペディアには不要です。そうした情報を書きこませないでください。残念ながら現在のウィキペディアではそういった編集を完全に排除できてはいないのですが、それは正しい編集活動とはいえません(理由はWikipedia:性急な編集をしないを参照してください)。他にそういう記事を書いている利用者がいたとしても、絶対にまねをさせないでください。
レポートや課題を作成する場ではありません
[編集]教師は、ウィキペディアで文章作成、ウィキペディアで文章編集をするような類の課題を出さないでください。ウィキペディアはそのようなサービスを提供していません。
ウィキペディアでは、記録を残しています
[編集]ウィキペディアはそのシステム上で、全ての編集に関する記録を残しています。逐一の編集は全ての記事に用意された「履歴」というページ(確認するには各ページ上のタブ「編集」を参照してください)で記録され参照できるようになっています。噂やいたずら書き、または他人に対する誹謗・中傷や「ネットいじめ」に使ったりした場合、そのような書込みは誰かが取り除くでしょう。しかし、書きこまれた内容と書きこんだ利用者の記録は残り、消去することはできません。たとえ削除依頼などで記事から参照できなくなっていたとしても、管理権限をもつ利用者はチェック可能であるなど、完全に消えることは(ウィキペディア自体が壊れて消滅しない限り)ありません。そういった他人をからかったり嫌がらせを目的とした書込みは未成年者が気軽にしてしまいがちな間違いの一つではありますが、ウィキペディアに限らずインターネット上では極めて取り返しのつかない行為であることを理解してください。そのような書込みをした時点で、全ての責任は書き込んだ側に発生します。
交友を求めてはいけません
[編集]前述のとおり、ウィキペディアは友達を探したり雑談をするためのウェブサイトではありません。ウィキペディアのアカウント(利用者登録)を取得すると利用者ページと呼ばれる、自己紹介ができるページや利用者間で会話できるページが付いてきますが、それらも百科事典作りのために用意されているものです。
中には、自分の名前・住所や電話番号・メールアドレスなどの個人情報を細かく書いて公開してしまう者もいて、児童や学生に至っては、クラスの友達に対する自己紹介の延長的なことを書いてしまうケースもあります。しかし、個人情報はウィキペディアで禁止されている記述に当たり、削除対象です。過去には個人情報をインターネットのウェブサイトに掲載して犯罪に巻き込まれたケースもあり、それら個人情報の無差別な公開は非常に危険な行為だと言わざるを得ません。もちろん、同じ理由から、他人の個人情報を公開することも禁止されています。
写真のアップロード
[編集]ウィキペディアでは、記事の説明を図表で行うために、デジタルカメラなどで撮影した写真や、パソコンを使って作られた絵なども、記事の説明のために用いることができる仕組みが完備されており、「アップロード」(サーバーにデータを送ること)を行うことができます。しかし、それらの写真や画像は、百科事典の記事として役立つよう、十分な質が求められます。年少者はしばしばスナップ写真のような簡単な写真をアップロードするケースが見られますが、これらスナップ写真は「質が低い」として問題になります。しかも、そういうものを大量にアップロードして、ますます問題が大きくなることが少なくありません。
ウィキペディアにアップロードしてよい写真は、記事の説明に役立ち、また他人の権利を侵害しないものでなければなりません。そのためには撮影技術も必要ですし、何が良くて何が「他人の利益を侵害する写真」であるのかを理解しておく必要があります。くわしくは「Wikipedia:百科事典向け写真撮影のガイド」を参照してください。
管理作業には注意してください
[編集]ウィキペディアでは、百科事典としての質を保つために、削除などの管理作業が行われています。年少者の中には、これら管理作業に熱中するケースもあります。しかし、こういった管理作業は本来、極めてデリケートな対応を必要とします。ひょっとすると年上の利用者に対しても毅然と対応したり、または管理作業の妥当性を十分に配慮する必要があり、注意が必要です。
年少者が管理作業に参加してはいけないという決まりはありませんが、年少者による管理作業への参加は、しばしば主観的であったりガイドラインに即していないなど、不適切な対応として問題となってきました。したがって、管理作業に参加させるには、一層の注意が必要です。
削除依頼や即時削除依頼の提出をする場合
[編集]ある記事の削除を希望する場合には削除依頼を提出します。その判断にあたっては経験や理解を通してなぜ削除が必要なのかをきちんと説明できることが必要であり、気に入らないとか邪魔だとかという基準では判断されません。どのガイドラインに反しているか、どこが著作権を侵害しているかなどを、明確に指摘する必要があります。中には、一見すると不要なように見えて実は重要で存続する意味をもつ記事もあります。安易に削除依頼を提出することは、削除業務を混乱させる元でもあるので、「Wikipedia:削除の方針」を参照し、十分注意させましょう。
初心者へのあいさつは、やめておきましょう
[編集]ウィキペディアの一部には、初心者に歓迎のあいさつをするといった習慣があります。年少者がこういった行動をまねして自己流のあいさつをしてまわることがありますが、これもやめておいたほうがよいでしょう。
初心者にあいさつをした場合、その初心者に質問が投げ掛けられる場合もあり、質問の中には簡単には答えられないことも含まれるかもしれません。そういう場合は後のトラブルに発展することもあるので、安易にあいさつをして回ることは勧められません。
他の利用者への注意
[編集]他の利用者に注意をしたり説教したりすることは、大人どうしでも難しいもの。真摯に苦言を受け入れる者もいれば、詭弁を弄して非を受け入れないどころか、逆に食って掛かる者もいます。そうでなくても多くの場合、年少利用者よりも知識があって社会経験も豊富な相手に、問題を提起して誤りを正させることは、単純ではありません。年下相手でも、頭ごなしに叱り付けていては、相手がそれを受け入れないばかりか、癇癪(かんしゃく)を起こしてしまうでしょう。したがって、他人に注意をするのは、年少利用者にとって非常に難しい行為です。
また、知識不足や経験不足が原因となって、問題のない行動を問題のある行動だと思いこんでしまうこともあります。問題のない行動に的外れな注意をされたら、大抵の人は気分を害し、ときには激しい反論をしてくるかもしれません。
不用意に注意をすることは、ウィキペディアにとっても利用者自身にとっても、マイナスにしかなりません。年少者が他の利用者に注意をするのは、注意深くあるべきです。どうしても見過ごせないケースでは、他の信用のできる、そういった注意をするのが上手な大人の利用者に相談するのも一つの手段です。
他から注意を受けた場合
[編集]注意を受けた場合に、大切と考えられる事柄を下にまとめておきます。本人が冷静に注意に対応できるよう、教師や保護者の方は手助けをしてあげてください。注意をした側との間に入って、その内容を一緒に考えるのもよいでしょう。くれぐれも、放任したり、注意されたことに対して一緒になって反発しないでください。
感情的な反論は避けさせる
[編集]注意を受けることは、誤った指摘にせよ正しい指摘にせよ、愉快なこととはいえません。この場合に、感情的に反論したり、逆に相手に詰め寄る人もいますが、到底正しい対応とはいえません。理路整然と諭されたことに感情的に返したとしても、それは更に注意を受け、自分と相手の時間を浪費するだけで、結果的に何も得るところがありません。むしろ、逆に論争となってしまうことになります。「Wikipedia:論争の解決」を参照してください。
最低でも一晩、よく休んで考えさせる
[編集]注意を受けた瞬間には、誰でもつい身構えてしまって、相手の言い分にまで意識が回らないことがあります。注意を受けたときには、どの部分を問題として指摘されたのかを把握させ、最低でも一晩はよく休んで考えさせる間をおかせましょう。中には注意する上で何が問題かを詳しく説明してくれない相手である場合もありますが、そこは関連する方針文書(ガイドライン)をよく読ませるか、一緒に読んで理解を助けてあげてください。そして相手に返事を返すにしても、その内容を確認して、問題がないかどうかを第三者の視点で判断してあげたほうがよいでしょう。
とりあえず謝らせるというのは避ける
[編集]子供が他人に対して間違いを犯したとき、形だけでも謝らせる保護者の方もいるかもしれません。しかし、その場合は往々にして、子供はその他人と保護者との双方から自身を否定されたと感じるだけであって、なぜ謝る必要があったのかを後で考え続けなければなりません。場合によってはその理由が理解できずに、同じ間違いを繰り返してしまうことにもつながりかねません。なぜ謝るべきか(あるいは謝るべきではないのか)をよく考えて、自分の問題点を把握させるようにさせ、自発的な判断で謝るようにさせたほうがよいでしょう。
もしかしたら、早すぎた?
[編集]もし注意を受けて、教師や保護者の目から見てもその指摘が正しいと感じられるにもかかわらず、本人が注意の意味を判じかねている場合は、もしかしたらウィキペディアに参加させるのが早すぎたのかもしれません。
年少者にウィキペディアで活躍できる余地はありますか?
[編集]はっきり言うと、残念ながら年少者には、ウィキペディアで活動して認められるチャンスはあまりありません。
ただ、児童や生徒の周りには、手元の辞書や事典、他のウェブサイトの百科事典、または学校や地域の図書館などの教育施設があり、児童や生徒は成長過程において勉強する立場にある以上は、それらの書物を利用できる時間もあるはずです。ことによると日常的な様々な事柄すらも、児童や生徒にとっては見識を高める一助となることでしょう。その中でより多くの本を読み、調べ、またウィキペディアに年月をかけて慣れていくという方法が、強く勧められます。例えば、得られる資料を丹念に紐解き、1日に1か所を書き加えるといったところから手を付けさせていってはいかがでしょうか。
興味のある項目を開かせ、また決まりごとを調べることによって、まずはウィキペディアに、更には文章として物事を説明することに慣れさせていきましょう。大きな編集をしたり、項目を新たに設置したり、管理作業に手をつけたりするのは、5年先か10年先に、本人が知識を増やし、物事を分別する目を養い、社会経験を積んでからでも、十分に間に合います。