高階成順
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高階 成順(たかしな の なりのぶ、生年不詳 - 長暦4年8月14日〈1040年9月22日〉)は、平安時代中期の貴族。伊予守・高階明順の子。官位は正五位下・筑前守。
経歴
[編集]左衛門尉・式部丞を経て、一条朝末の寛弘7年(1010年)六位蔵人に補せられる。しかし、翌寛弘8年(1011年)一条天皇の譲位によりわずか1年半ほどで蔵人を去り、院判官代となった。
後一条朝の万寿2年(1025年)ごろに筑前守兼大宰少弐に任ぜられて受領となり、長元3年(1030年)ごろまでこれを務めた。
のち出家して乗蓮と名乗った。後朱雀朝の長暦4年(1040年)8月14日卒去。
人物
[編集]柔和な性格で自分の気持ちを曲げて媚び諂うことはなかった。若い頃から道心深く、日夜法華経を読誦するなど、専ら仏法に帰依していた。任国先でも、何かにつけて慈悲深く、人々を憐れむ事に際限がなかった。これにより、民衆は皆首を傾けて喜んだという(『今昔物語集』)[1]。
官歴
[編集]- 時期不詳:左衛門尉
- 寛弘5年(1008年) 正月29日:還昇、見左衛門尉[2]。10月16日:見右衛門少尉[3]
- 時期不詳:式部丞
- 寛弘7年(1010年) 正月9日:六位蔵人、式部丞如元[4]
- 寛弘8年(1011年) 6月13日:去蔵人(譲位)、院判官代[4]
- 長和元年(1012年) 5月18日:見五位[5]
- 寛仁3年(1019年) 7月13日:加階[5]
- 万寿2年(1025年) 7月13日:見筑前守[5]
- 万寿3年(1026年) 3月23日:見筑前守兼大宰少弐正五位下[6]
- 長元3年(1030年) 3月23日:見筑前守兼大宰少弐正五位下[6]
- 時期不詳:出家(法名・乗蓮)[7]
- 長暦4年(1040年) 8月14日:卒去[8]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『今昔物語』(経済雑誌社、1901年、868p)
- 『尊卑分脈 第四篇』吉川弘文館、1958年
- 市川久編『蔵人補任』続群書類従完成会、1989年
- 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年