高野務
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高野 務(たかの つとむ、1909年(明治42年)7月20日[1][2] - 1981年(昭和56年)8月9日[1][2])は、昭和時代の土木工学者、内務官僚、建設技監。
経歴・人物
[編集]新潟県に生まれる[1]。1934年(昭和9年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、富山県経済部土木課勤務、新潟県土木技師兼道路技師を経て、1940年(昭和15年)内務省土木局に奉職する[1][2]。1943年(昭和18年)防空総本部技師を兼任し[2]、終戦を経て、建設省関東地方建設局の横須賀国道改良、相模工事事務所長、京浜工事事務所長を歴任し、1952年(昭和27年)道路局国道課長に就任した[1]。
ついで企画課長、技術参事官、中部地方建設局長、道路局長を経て、1961年(昭和36年)建設技監に就任するが、「河野旋風」のため就任から僅か9カ月で退官した[1]。のち土木学会会長を務めた[1]。ほか、三菱地所顧問、東京大学・早稲田大学各講師、日本道路協会会長などを務めた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 高橋裕、藤井肇男 共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。ISBN 4306094294。