高辻武邦
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高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年(明治29年)10月1日[1] - 1963年(昭和38年)3月21日[1])は、日本の内務官僚、政治家。第2代富山県知事(1948年11月23日[2] - 1956年9月30日[2]、2期[3][4])。孫に第6代北海道知事を経て参議院議員となった高橋はるみ[3][4]、元日本海ガス・日本海ガス絆ホールディングス社長で、富山県知事の新田八朗[3][4]がいる。
経歴
[編集]富山県出身[5]。高岡市[5]・高辻喜作の二男[6]。旧制富山県立高岡中学校、旧制第二高等学校卒業。1922年、文官高等試験に合格[6]。1923年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業[6]。内務省に入省。山口県属[7]。引揚援護院次長を経て、官選最後の大阪府知事(第35代・1947年3月11日 - 1947年4月12日)。
その後、当時富山県知事を務めていた館哲二に招かれて副知事となるも、1948年に館が公職追放によって辞任。後継の知事選に出馬し、当選して富山県知事を2期務めた。その後1960年の総選挙に無所属で出馬したが落選した。
1963年3月21日死去。享年66。
人物
[編集]趣味は読書[5]。宗教は真宗[5]。住所は富山県富山市舟橋南町[5]。
家族・親族
[編集]- 高辻家
脚注
[編集]- ^ a b 高辻 武邦とはコトバンク。2021年1月15日閲覧。
- ^ a b 歴代の知事・副知事 - 富山県知事政策局秘書課
- ^ a b c “富山県知事選、保守分裂に 現職とガス会社前社長”. 日本経済新聞. (2020年6月8日) 2021年7月21日閲覧。
- ^ a b c “コロナが招いた半世紀ぶりの異変 保守王国・富山が分裂”. 朝日新聞デジタル. (2020年10月7日). オリジナルの2020年10月11日時点におけるアーカイブ。 2021年7月21日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第15版 下』タ36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月15日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 下』タ124頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月15日閲覧。
- ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、237頁
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
公職 | ||
---|---|---|
先代 館哲二 |
富山県知事 公選第2 - 3代:1948年 - 1956年 |
次代 吉田実 |
官職 | ||
先代 田中広太郎 |
大阪府知事 官選第35代:1947年 |
次代 中沖豊 |