金鳳祚
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金 鳳祚(キム・ボンジョ、朝鮮語: 김봉조、1905年1月19日[1]または1907年[2] - 1983年5月5日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育者、公務員、政治家。制憲・第2代韓国国会議員[1]。
本貫は義城金氏、朝鮮時代の文臣の金漢卿の子孫である。字は致勲、号は松崗[3]。
経歴
[編集]慶尚北道青松郡出身。和睦公立普通学校(現・和睦初等学校)、大邱啓聖中学校、平壌崇実専門学校(現・崇実大学校)農科、中央大学法学科卒[1]。
啓聖中学校教員を経て、光復後は金泉中学校校長、金泉女子中学校校長、慶北女子中学校(現・慶尚中学校に統合[4])校長、釜山東新中学校校長、嶺南商業高等学校(現・釜山情報高等学校)校長、慶尚北道学務課長を歴任した。1948年の初代総選挙では教育協会の候補として、1950年の第2代総選挙では無所属の候補として青松郡選挙区から出馬・当選し、憲法委員会委員、中央教育委員会委員、国会文教委員会委員長を務め、国会議員在任中に自由党に入党した。1954年の第3代総選挙では落選したため、大田師範学校校長を務めた。1960年の第5代総選挙では無所属で出馬したが、再び落選した[2][1][5][3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年11月17日閲覧。
- ^ a b 정도영, “김봉조 (金鳳祚)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院) 2024年11月17日閲覧。
- ^ a b “김봉조 - 디지털청송문화대전”. cheongsong.grandculture.net. 2024年11月17日閲覧。
- ^ “경상중학교 - 대구역사문화대전 : 남구”. www.grandculture.net. 2024年11月17日閲覧。
- ^ “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年11月17日閲覧。