金東祚
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金 東祚 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김동조 |
漢字: | 金東祚 |
発音: | キム・ドンジョ |
日本語読み: | きん・とうそ |
金 東祚(김동조、キム・ドンジョ、1918年8月14日 - 2004年12月9日[1])は、韓国の政治家。1965年から1967年にかけて初代駐日大使を務め、1973年から1975年にかけては大韓民国外務部の長官(外相)を務めた。
日本名は宗山 秀隆(むねやま ひでたか)[2]。実業家で元国会議員の鄭夢準は末娘の夫[3]。また、次女は元国防部長官の孫元一の息子、三女は実業家の許鼎九の息子とそれぞれ結婚した。元ヘラルドメディア会長の洪政旭は孫娘婿[4]。
人物
[編集]1918年に釜山府で生まれる。釜山中学校を経て、1940年京城高等商業学校を卒業。1943年九州帝国大学法文学部法科を卒業。李東煥元内務次官は高等商業学校の同期。京都府や[2]、厚生省、内務省に勤務する。駐日大使として着任した時、信任状捧呈式のために皇居にやってきた際、外務省儀典長だった藤山楢一は、金に「あなたは九州帝大出身だから、日本語でやられるでしょ」と言うと、金は「いや、オレは英語でやる」と答えた。捧呈が終わって昭和天皇は金と雑談している。近づいてみると金が日本語で「陛下、もう少し韓国の海苔を買ってください」と場違いな注文をしていた[5][6]。
着任翌年の1966年、サムスン物産による韓国へのサッカリン密輸事件に関わる[7]。笹子勝哉によると、金はサムスングループ代表者(当時)である李秉喆の私兵だとされ、また三井物産は日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約交渉の過程において、金の依頼を受け、駐日韓国大使公邸の提供を行った。これは三井不動産が管理していた山陽特殊製鋼(1965年倒産)東京寮だったものであり、韓国はこの代金を1973年ごろに支払っている。価格は1億9000万円であった[8]。
脚注
[編集]- ^ “‘한국외교 산증인’ 김동조 전 외무부장관 별세”. ハンギョレ. (2004年12月9日) 2007年10月23日閲覧。
- ^ a b 永島広紀 「帝国」の大学に学んだ朝鮮人学生韓国研究センター年報22巻
- ^ “정몽준 가계도/연애결혼… 김동조 前외무가 장인” (朝鮮語). 한국일보 (2002年9月19日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ “[CEO스코어TV] 김동조 전 외무부 장관의 가계도로 본 재계 혼맥” (朝鮮語). CEOSCOREDAILY (2019年6月28日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ 岩見隆夫 『陛下の御質問 昭和天皇と戦後政治』 徳間文庫 [い-27-1] ISBN 4198903565、86-87p/文春文庫 [い-58-1] ISBN 978-4167679408、93-94p
- ^ 「戦後日韓経済関係の形成における両国財界人の役割 - 」日韓文化
- ^ 室伏哲郎 『実録 日本汚職史』 ちくま文庫 [む-2-1] ISBN 4480022031、374p
- ^ 笹子勝哉 『政治資金 吸収マシーンのからくり』 現代教養文庫 1217(B-205) ISBN 4390112171、93-94p。93pにサッカリン密輸事件のことも記されている。
公職 | ||
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先代 金溶植 |
大韓民国外務部長官 第16代:1973 - 1975 |
次代 朴東鎮 |
外交職 | ||
先代 裴義煥 |
駐日大韓民国代表部首席代表 第14代:1964 - 1965 |
次代 (廃止) |
先代 (創設) |
駐日大韓民国大使 初代:1965 - 1967 |
次代 厳敏永 |
先代 金顕哲 |
在アメリカ合衆国大韓民国大使 第8代:1967 - 1973 |
次代 咸秉春 |