野沢拓也
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名前 | ||||||
ラテン文字 | NOZAWA Takuya | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1981年8月12日(43歳) | |||||
出身地 | 茨城県笠間市 | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1994-1999 | 鹿島アントラーズ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2011 | 鹿島アントラーズ | 254 | (50) | |||
2012 | ヴィッセル神戸 | 33 | (5) | |||
2013-2014 | 鹿島アントラーズ | 31 | (5) | |||
2014-2017 | ベガルタ仙台 | 66 | (10) | |||
2018 | ウロンゴン・ウルブス | 19 | (1) | |||
2019-2020 | FC TIAMO枚方 | 21 | (16) | |||
通算 | 424 | (87) | ||||
代表歴 | ||||||
2006 | 日本 | 0 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
野沢 拓也(のざわ たくや、1981年8月12日 - )は、茨城県笠間市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表。
来歴
[編集]ゲームメーカーとして鹿島アントラーズのユース在籍中の1997年9月3日、同日にG大阪戦とシンガポールで行われたアジアクラブ選手権・ゲイラン・ユナイテッドFC戦の2試合をこなす必要があり、さらにW杯アジア地区最終予選の日本代表メンバーであった名良橋晃、秋田豊、相馬直樹、本田泰人が代表の日程の関係上試合出場ができずに、2チームの選手をそろえるには大幅に人数が足りなくなったため、G大阪戦(万博)で高校1年生ながらトップ登録、およびベンチ入りメンバーに入ったが試合出場はなく、試合後すぐにトップ登録抹消となっている。
高校3年生となった1999年には再び2種登録選手の形でトップ登録が行われ、同年4月10日の京都戦で初出場(17歳7ヶ月と30日の出場はクラブ最年少記録)を果たす。同年、ブラジルに短期留学した。
その後しばらくは同じ攻撃的MFの小笠原満男や本山雅志など鹿島の厚い選手層の陰に隠れ、持病のケーラー病に怪我も重なり伸び悩んでいた。しかし、2005年にこれまでと異なる1.5列目やFW、ウイング的な役割で起用されると28試合出場10得点を記録。優勝争いを経験する中で、新境地を開くシーズンとなった。
2006年シーズン途中に小笠原がイタリアへ移籍する際には後継者に指名され、レギュラーとしての地位を築いた。12月2日に行われた磐田戦(カシマ)では、自身初となるハットトリックも達成した。
2007年シーズンより、前年まで小笠原がつけていた背番号8を受け継ぐこととなった。自身の誕生日である8月12日の甲府戦ではバースデーゴールを挙げ、その得点がチームのリーグ戦通算900得点という記念ゴールにもなった。
2008年は夏場にスタメンから外れることもあったが、最終節の札幌戦でチームをリーグ連覇に導くミドルシュートを決めるなどチームに貢献した。
2009年は怪我もなく、出場停止のゲーム以外はすべてスタメン出場し、32節、33節とゴールを決め、チームのリーグ3連覇に貢献した。2009年時点での通算35得点のうち、11-12月のリーグ戦でチーム歴代最多の13得点を記録している。緊迫したシーズン終盤に特に力を発揮することから、”ミスター・クライマックス”の異名を持つ[1]。
2010年はリーグ戦全試合出場。天皇杯決勝では、決勝点となるフリーキックを決める。2011年には、常陽銀行のキャラクターに任命され、初の茨城県出身者から起用された。
2012年、ヴィッセル神戸へ完全移籍。神戸にとっては待望のプレースキッカーの加入であり、多くの得点を演出するなどチームの中心として活躍したが、チームはJ2に降格した。2013年に古巣鹿島に完全移籍で復帰した。
2014年8月1日、ベガルタ仙台への完全移籍が発表された[2]。背番号は2012年以来の「8」に決まった。加入後は左サイドハーフとしてスタメンに定着、幾度となく決定的なチャンスを作り、チームのJ1残留に貢献した。2018年1月ベガルタ仙台を契約満了に伴い退団することを発表した。
2018年2月、オーストラリアのウロンゴン・ウルブスFCへ移籍[3]。
2019年1月4日、関西サッカーリーグ1部のFC TIAMO枚方へ入団すると発表[4]、2シーズンを戦いチームはJFLに昇格したタイミングの2020年12月30日に、現役引退が発表された[5]。
2022年6月9日、チームの殿堂入りとも言える「アントラーズ功労賞」に選出された。
所属クラブ
[編集]- 1989年 - 1993年 稲田サッカースポーツ少年団
- 1994年 - 1996年 鹿島アントラーズジュニアユース
- 1997年 - 1999年 鹿島アントラーズユース(潮来高等学校)
- 1999年 CFZ ド・リオ(短期留学)
- 2000年 - 2011年 鹿島アントラーズ
- 2012年 ヴィッセル神戸
- 2013年 - 2014年7月 鹿島アントラーズ
- 2014年8月 - 2017年 ベガルタ仙台
- 2018年 ウロンゴン・ウルブスFC
- 2019年 - 2020年 FC TIAMO枚方
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | 鹿島 | 34 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | CFZ | ||||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 鹿島 | 25 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2001 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 7 | 1 | |||
2002 | 13 | 0 | 6 | 2 | 3 | 0 | 22 | 2 | |||
2003 | 5 | 0 | 1 | 0 | 4 | 2 | 10 | 2 | |||
2004 | 16 | 2 | 7 | 3 | 3 | 1 | 26 | 6 | |||
2005 | 28 | 10 | 2 | 0 | 3 | 1 | 33 | 11 | |||
2006 | 29 | 9 | 11 | 1 | 3 | 0 | 43 | 10 | |||
2007 | 8 | 29 | 5 | 6 | 1 | 5 | 0 | 40 | 6 | ||
2008 | 27 | 3 | 2 | 0 | 2 | 0 | 31 | 3 | |||
2009 | 33 | 7 | 2 | 0 | 4 | 2 | 39 | 9 | |||
2010 | 34 | 8 | 2 | 0 | 5 | 2 | 41 | 10 | |||
2011 | 34 | 6 | 3 | 0 | 2 | 1 | 39 | 7 | |||
2012 | 神戸 | 33 | 5 | 4 | 0 | 1 | 0 | 38 | 5 | ||
2013 | 鹿島 | 35 | 23 | 4 | 8 | 0 | 2 | 1 | 33 | 5 | |
2014 | 8 | 1 | 4 | 1 | 1 | 0 | 13 | 2 | |||
仙台 | 8 | 16 | 2 | - | - | 16 | 2 | ||||
2015 | 29 | 4 | 3 | 0 | 3 | 1 | 35 | 5 | |||
2016 | 18 | 3 | 4 | 0 | 1 | 0 | 23 | 3 | |||
2017 | 3 | 1 | 8 | 0 | 0 | 0 | 11 | 1 | |||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2018 | W.ウルブス | NSW P | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2019 | 枚方 | 8 | 関西1部 | 14 | 14 | - | - | 14 | 14 | ||
2020 | 7 | 2 | - | 1 | 0 | 8 | 2 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 384 | 70 | 74 | 8 | 44 | 12 | 502 | 90 | |
日本 | 関西1部 | 21 | 16 | - | 1 | 0 | 14 | 14 | |||
ブラジル | |||||||||||
オーストラリア | NSW P | ||||||||||
総通算 | 405 | 86 | 74 | 8 | 45 | 12 | 524 | 106 |
- 1999年はユース所属
その他の公式戦
- 2008年
- スーパーカップ 1試合1得点
- 2009年
- スーパーカップ 1試合1得点
- 2010年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2011年
- スーパーカップ 1試合1得点
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2002-03 | 鹿島 | 25 | 2 | 1 |
2008 | 8 | 6 | 4 | |
2009 | 7 | 2 | ||
2010 | 7 | 1 | ||
2011 | 7 | 2 | ||
通算 | AFC | 29 | 10 |
その他の国際公式戦
- 2001 - 2002年
- アジアクラブ選手権 4試合0得点
- 2003年
- A3チャンピオンズカップ 1試合0得点
- 2013年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
- 出場歴
- Jリーグ初出場 - 1999年4月10日 J1 1st第6節 対京都パープルサンガ戦 (西京極)
- Jリーグ初得点 - 2004年9月11日 J1 2nd第4節 対セレッソ大阪戦 (カシマ)
- ハットトリック - 2006年12月2日 J1第34節 対ジュビロ磐田戦 (カシマ)
代表歴
[編集]- U-19日本代表
- 2000年
- U-21日本代表
- 2002年 釜山アジア大会
- 日本代表
- 2006年 AFCアジアカップ2007予選
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- 鹿島アントラーズ
- Jリーグ:5回 (2000年、2001年、2007年、2008年、2009年)
- ヤマザキナビスコカップ:3回 (2000年、2002年、2011年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:3回 (2000年、2007年、2010年)
- ゼロックススーパーカップ:2回 (2009年、2010年)
- A3チャンピオンズカップ:1回 (2003年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ:1回 (2013年)
- FCティアモ枚方
- 関西サッカーリーグ1部:1回 (2020年)
- 全国社会人サッカー選手権大会:1回 (2019年)
- 全国地域サッカーチャンピオンズリーグ:1回 (2020年)
- 大阪サッカー選手権大会:1回 (2020年)
脚注
[編集]- ^ [1] スポーツ報知 2009年11月15日
- ^ 『鹿島アントラーズ 野沢拓也選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2014年8月1日 。
- ^ “オーストラリア移籍が決定の野沢拓也、クラブの発表が力入りすぎ!”. Qoly (2018年2月15日). 2018年2月18日閲覧。
- ^ 『2019シーズン 野沢 拓也選手加入』(プレスリリース)FCティアモ枚方、2019年1月4日 。2019年1月4日閲覧。
- ^ 『【選手情報】野沢拓也選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)FCティアモ枚方、2020年12月30日 。2020年12月30日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 野沢拓也 official (@nozawatakuya008) - X(旧Twitter)
- 野沢拓也 - Soccerway.com
- 野沢拓也 - FootballDatabase.eu
- 野沢拓也 - WorldFootball.net
- 野沢拓也 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 野沢拓也 - FIFA主催大会成績
- 野沢拓也 - J.League Data Siteによる選手データ
- 野沢拓也 - TheFinalBall.com