辻宏
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辻 宏(つじ ひろし、1933年12月10日[1] - 2005年12月22日)は、愛知県春日井市出身[2]のパイプオルガン建造家。オルガン奏者。ピストイア名誉市民。妻は翻訳家の辻紀子(つじ としこ)。
略歴
[編集]- 1933年 父 辻亮吉 母 信夫 の次男として出生。
- 1958年(昭和33年) - 東京芸術大学器楽科(オルガン専攻)卒業
- 卒業と同時に横浜の成美学園(現 横浜英和女学院)の音楽教師となる。
- 1960年(昭和35年)4月 -成美学園英語教師であった 松尾紀子と結婚。
- アメリカ合衆国Schlicker Organ Companyで3年間オルガン建造を学ぶ。ここでは電気・ニューマティック方式のオルガン製作に関わる。
- オランダFlentrop Organ Companyにおいてトラッカー方式のオルガンの建造を学ぶ。
- 1964年(昭和39年) - 神奈川県座間市に、辻オルガン建造所を設立し代表となる。 初期には ドイツのWalker社、Bosch社のオルガンの組立などを行う。 原田一郎氏(銀座旗店店主)の依頼により3ストップのポジティフを製作、第一号。
- 1969年(昭和44年)頃 -からHarald Vogelの北ドイツにおける歴史的オルガン建造法の研究に触発される。
- 1972年(昭和47年) -高松 屋島教会に歴史的建造法によるオルガンを製作する。これ以降全ての作品を歴史的建造法に基づき製作する。
- 1973年(昭和48年) - 日本オルガン研究会を松原茂、佐藤ミサ子らと設立。
- 1974年(昭和49年) - スペインのサラマンカ新大聖堂で、16世紀のオルガン「天使の歌声」(別名:鳴らずのオルガン)を初めて目にする。
- 1976年(昭和51年) - 岐阜県加茂郡白川町に転居。事業所名を 辻オルガン とする。
- 1984年(昭和59年) - イタリアのピストイア音楽院講堂の歴史的オルガンを修復する。
- 1988年(昭和63年) - サラマンカ新大聖堂から「天使の歌声」の修復を依頼されるが[3]、大聖堂側は資金が無いため修復費用を出せないという事だった。そこで辻は修復費用の3000万円を集める為に、元スペイン大使の林屋永吉に協力を依頼し「オルガン修復協力の会」を結成。会で募金を募り約1年で3500万��を集めた。
- 1989年(平成元年)8月 - 「天使の歌声」の修復を開始。
- 1990年(平成2年)3月25日 - 修復が終わった「天使の歌声」の奉献式を行う。
- 1994年(平成6年) - 岐阜サラマンカオルガンソサエティー 設立。
- 1999年(平成11年) - サラマンカ大学は辻の功績を称えて「日本スペイン文化センター」を設立した。
- 2005年(平成17年)12月22日 - 筋萎縮性側索硬化症のため岐阜県加茂郡白川町の病院で死去。72才没。
受賞歴
[編集]- 1987年(昭和62年) - イタリア共和国・ピストイア市名誉市民
- 1998年(平成10年) - 現代の名工(卓越技能者)表彰
- 1999年(平成11年) - スペイン王国・イサベル女王勲章エンコミエンダ章
- 2003年(平成15年) - 黄綬褒章
出版物
[編集]- 著書
- 『風の歌 : パイプ・オルガンと私』 1988 日本基督教団出版局 ISBN 4818400025
- 『オルガンは歌う : 歴史的建造法を求めて』 2007 日本キリスト教団出版局 ISBN 9784818406605
- 関連書籍
- 『家族をおくる三つの葬儀 : パイプオルガン制作者・辻宏先生が召されて〈特別寄稿〉』 2007 辻紀子(著)
- 『峠の樅の木と3台のパイプオルガン : 辻宏パイプオルガン物語序章』 2010 辻紀子(著) いのちのことば社 ISBN 9784264027997
参考資料
[編集]- 『風の歌 : パイプ・オルガンと私』 日本基督教団出版局
- 『オルガンは歌う : 歴史的建造法を求めて』 日本キリスト教団出版局
- ふれあい福寿会館 サラマンカホール「オルガンヒストリー」
- 47news パイプオルガン建造家・辻宏氏死去
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.389
- ^ ギャラリーimozuru
- ^ 博多の旅プランナー リックの旅日記(2015年5月23日)