コンテンツにスキップ

趙憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ちょう けん

趙 憲
生誕 1544年
死没 1592年
職業 文臣
儒学者
テンプレートを表示
趙 憲
各種表記
ハングル 조헌
漢字 趙 憲
発音: {{{nihonngo-yomi}}}
テンプレートを表示

趙 憲(ちょう けん、朝鮮語: 조헌1544年 - 1592年)は、李氏朝鮮文臣儒学者義兵大将[1]本貫白川朝鮮燕行使だった趙憲は、中国明朝皇帝万暦帝より謁見を賜る栄誉を受け、大明帝国の一員(属国)として世界秩序に参画していることに感激し、三跪九叩頭しながら喜びの涙を流した[2]

人物

[編集]

は汝式、は重峯。壬辰の乱(文禄・慶長の役)の時に義兵大将として戦ったことから、諡号は文烈[1]

1565年成均館に進学し、24歳の時に文科合格、その後、校書館副正字、校書館正字、工曹佐郞、宗廟書領を歴任する[1]1574年朝鮮燕行使に指名され、中国明朝へ詣でた[1]

壬辰の乱が起きると義兵大将となって戦うが、あえなく戦死した。享年49。死後、宣武原従一等功臣、吏曹判書を追贈[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e “조헌(趙憲)”. 韓国民族文化大百科事典. http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Index?contents_id=E0052754 2022年8月20日閲覧。 
  2. ^ 夫馬進『朝鮮燕行使と朝鮮通信使』名古屋大学出版会、2015年2月28日、79頁。ISBN 4815808007