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谷口誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

谷口 誠(たにぐち まこと、1930年3月31日 - 2024年1月14日)は、日本外交官経済学者。専門は南北問題国際経済国連貿易開発会議議長、日本人として2人目のユニセフ議長、国連大使、日本人初OECD事務次長、早稲田大学教授等を歴任。

人物

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大阪府出身。羽曳野市立高鷲小学校、旧制大阪府立富田林中学校[1]、新制大阪府立富田林高等学校を経て[2]一橋大学大学院経済学研究科修了後、ジョーン・ロビンソンの勧めで、ロビンソンの指導を受け1958年にケンブリッジ大学を卒業し[2][3]新渡戸稲造にあこがれ、1959年外務省入省[3][4]。1960年にはケンブリッジ大学で修士号を取得。

国際連合新再生エネルギー会議議長や、国際連合貿易開発会議議長、日本人としての2人目のユニセフ議長、国連大使や日本人初のOECD事務次長を務めた後、早稲田大学教授、天津外国語学院客員教授等を歴任。2009年岩手県立大学第2代学長を退任し、いわて県民情報交流センターで新渡戸国際塾を設立会議を開き、同塾長[4][5]

国連やOECDなどでの経験を生かしたグローバルな視点が持ち味。ちなみに学長を務めていた岩手県立大学の学食には、谷口誠の名前から由来する、「まこちゃんラーメン」というメニューが存在する。2000年勲二等瑞宝章受章[5]。2014年東久邇宮記念会東久邇宮国��文化褒賞受賞[6]

日本による対韓輸出優遇撤廃に反対する、<声明>「韓国は「敵」なのか」呼びかけ人の1人[7]。2019年瀬戸内寂聴千玄室伊藤雅俊らと東アジア不戦推進機構設立[8]

2024年1月14日、死去した[9]。93歳没。死没日付をもって正四位に叙された[10]

略歴

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この他以下のような役職を務める。

著書

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  • 『南北問題―解決への道』サイマル出版会 (1993/04)
  • 『21世紀の南北問題―グローバル化時代の挑戦 (アジア太平洋研究選書)』早稲田大学出版部 (2001/05)
  • 『東アジア共同体―経済統合のゆくえと日本』岩波新書 (2004/11/19)

脚注

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  1. ^ 「国際貢献人たち(12)――自由化を進める途上国一筋の外交官 / 谷口誠 ; 塩田潮/p18~20」Wedge 4(4) 雑誌 ウエッジ [編] (ウエッジ, 1992-03)
  2. ^ a b 【BIS論壇 No.437】谷口 誠大使さようならBIS論壇 2024年4月2日 15:40
  3. ^ a b c d e f g h i 「第13回アジアの未来」日本経済新聞
  4. ^ a b 「新渡戸国際塾が発足 県立大学前学長の谷口氏が塾長」盛岡タイムス2009年 6月 18日 (木)
  5. ^ a b 「はいてくじょうけんかのきょくぶせんそう3 / 4」蒼蒼社 
  6. ^ 「谷口 誠  様」東久邇宮国際文化褒賞
  7. ^ 韓国は「敵」なのか呼びかけ人
  8. ^ a b 2022年以降の世界経済秩序~米中激突と日本の最終選択(8)Net IBニュース2021年05月07日 09:15
  9. ^ a b 元OECD事務次長の谷口誠氏が死去 93歳”. 日本経済新聞 (2024年1月19日). 2024年1月19日閲覧。
  10. ^ 『官報』第1164号8頁 令和6年2月19日
  11. ^ 「アジア経済の持続的発展と科学��術」科学技術振興機構
  12. ^ 「国連の思い出と日本のアジア戦略(谷口誠元国際連合日本政府代表部特命全権大使) 」INPS JAPAN

外部リンク

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先代
アラバン・P・マルピング
国連児童基金議長
1988年
次代
トリルド・スカード
先代
日本人初
経済協力開発機構事務次長
1990年 - 1996年
次代
重原久美春
先代
西澤潤一
岩手県立大学学長
2005年 - 2009年
次代
中村慶久