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諏訪部定勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
諏訪部定勝
時代 戦国時代安土桃山時代
生誕 天文5年(1536年
死没 天正16年12月17日1589年2月2日[1]
別名 主水[1]
戒名 念叟[1]
官位 遠江守[1]
主君 後北条氏
氏族 諏訪部氏
父母 父:諏訪部定久[1]
遠山直景娘・妙喜尼
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諏訪部 定勝(すわべ さだかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将後北条氏の家臣。武蔵国日尾城[1]

略歴

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永禄11年(1568年[要出典]、日尾城に山県昌景らが率いる武田軍が攻めてきた。だが定勝は前日に[要出典]客人と酒を飲んでおり、泥酔状態で寝込んでいた[要出典]。そこで妻の妙喜尼が甲冑を身につけて家臣を引き連れ出陣し、武田軍を撃退した。

その後、鉢形城城主の北条氏邦に平謝りし、断酒したという。[要出典]

登場作品

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テレビ番組

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 阿部猛西村圭子編『戦国人名事典』新人物往来社、p.439(1987)